ジェーン・アダムズ――民主主義は共に生きる実践である(社会倫理・セツルメント) — Epoché
現代 プラグマティズム 約 18 分 本文 約 7,400 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 試し・経験・実践の 3 つ 試し 盗まない、家族を大事にするといった個人の徳は、多くの人にほとんど自然に身についている。だが、どの世代にもその時代の試しがある。社会の道徳を求める時代に個人の道徳だけを誇るのは、状況を見誤ることである(『民主主義と社会倫理』第 I 章)。 経験 社会の倫理は、人里離れた脇道でなく、皆が互いに道をゆずり、互いの荷の大きさを見る、混み合った共通の道で身につく。民主主義は、単なる感情や信条にとどまらず、生き方の規則でもある(第 I 章)。 実践 アダムズはハル・ハウスに隣人として住み、知識を行動で試した。施しの慈善でなく、皆が共に少しずつ高くなる「横への進歩」を求めた。SEP はこれを共感の知と呼び、のちの立場の認識論の先がけとみる[1]。 はじめに ジェーン・アダムズは、1860 年にアメリカのイリノイ州で、政治家で製粉所を営む父の家に生まれました。女子校で学び、学校が学士号を出すよう働きかけて、最初の学士号を受けています [1] 。 けれども父を亡くしてから 10 年近く、何をして生きるかが定まりませんでした。転機は 2 度目のヨーロッパ旅行で訪ねた、ロンドンのトインビー・ホールです。若者たちが貧しい人々の町に住み、隣人として助けていました [1] 。 1889 年、アダムズは友人のエレン・ゲイツ・スターと、シカゴの貧しい移民の町にハル・ハウスを開きます。虐げられた人々のよい隣人になることのほかに設計図はほとんど無かった、と SEP は書きます。そこから、少年裁判所や遊び場、工場法や児童労働の法律へとつながる仕事が生まれました [1] 。 この課で読むのは、1902 年の『民主主義と社会倫理』の第 I 章「序論」です [2] 。アダムズはそこで、民主主義を、選挙の制度より先に、さまざまな人と共に生きる日々の生き方として捉え直します。 この課の問い よい人であるとは、盗まず、家族を大事にし、友人に親切にすることで足りるのでしょうか。民主主義とは選挙の制度のことなのか、それとも日々の生き方のことなのでしょうか。 この課のことば 社会倫理 自分や家族や友人への務めを越えて、社会のしくみの中での自分の立ち位置と、多くの人への務めを問う倫理です。 試し({en:test}) ある時代が、自分たちの道徳の達成を測る物差しです。どの世代にもその時代の試しがある、とアダムズは言います。 セツルメント 大学で学んだ人などが貧しい人々の町に住みこみ、隣人として暮らしながら、教育や暮らしの改善に取り組む家と活動です。ロンドンのトインビー・ホールが先がけです [1] 。 ハル・ハウス 1889 年にアダムズとスターがシカゴの移民の町に開いたセツルメントです [1] 。 共感の知 相手のそばで暮らし、決めつけずに話を聞いて、相手の立場をつかむことで得られる知です。SEP は、アダムズの考えの芯の一つをこう呼びます [1] 。 横への進歩({en:lateral progress}) 一部の人の飛び抜けた達成でなく、皆が共に得るものによって測る進歩です [1] 。 社会倫理――よく生きるとは、どこまでの人と関わることか 前の課のデューイは、知識を、生活の中の行き詰まりを解く探究の道具とみて、学校を、探究を練習する小さな社会にしようとしました。そのデューイがシカゴで足しげく通ったのが、アダムズのハル・ハウスです [1] 。アダムズは、知識と同じく道徳も、経験の中で試され広げられるものだと考えました。この章では、個人の道徳から社会の道徳へ、経験を広げることと民主主義、ハル・ハウスの実践と共感の知、の順に読みます。 時代の試し――個人の徳だけでは、社会の道徳を求める時代を見誤る アダムズはまず、私たちがすでに身につけた徳を数え上げます。盗まないことは、多くの人にとって習慣と期待の水準になりました。夕食を盗まずにいるのは、それを消化するのと同じくらいたやすい、とアダムズは書きます [2] 。二つの営みには、自分で選んだ道徳が同じくらいしか含まれていない、というのです(『民主主義と社会倫理』第 I 章)。家族への務めも、限られた友人の輪への務めも、同じように決まりとして身についています (図 1) 。もしこれだけが正しい生活の求めるすべてなら、多くの善い人の「飢えと渇き」は静まるだろう、とアダムズは言います [2] 。 自分の発達 盗まない。夕食を盗まないのは 消化するのと同じくらいたやすい 家族への務め 家の者に親切にし、その幸せに責任を 感じる 限られた友人の輪 友人への務めも決まりとして身に ついている 社会の道徳 社会のしくみの中での自分の立ち位置を 問う。この時代の試し 図 1 どの世代にもその時代の試しがある、というアダムズの考えを流れにしたものです(『民主主義と社会倫理』第 I 章)。前の三つはすでに身についた試しで、点線の段は、この時代に求められている社会の道徳です。自分・家族・友人の順は本人の挙げ方により、流れの形は本教材の描き方です。 ところが、そうはなりません。どの世代にも、自分の道徳の達成を正しく測れる、同時代の試しがあります。前の、より弱い試しを使ってはならない、とアダムズは言います [2] 。進んだ試しは、すでに得たものを含まなければなりません。けれども、それ以上を含まなければ前へ進めず、まだ出発もしていないのに「着いた」と思いこんでしまいます。そこでアダムズは、強い一文を置きます。社会の道徳を求める時代に個人の道徳を得て、自分の努力の結果を誇るのは、状況をまったくつかみそこねることだ、というのです [2] 。 では、この時代の試しとは何でしょうか。アダムズは、ドイツのある批評家が近ごろ、最後の審判を描くいちばん権威ある箇所が示す試しは社会の試しだと指摘した、と書きます [2] 。批評家が誰かは本文に名が無く、確かめられていません。まわりには、自分の家族と個人の務めを果たすだけでは満たされず、社会のしくみに対する自分の立ち位置に悩む人々がいる、とアダムズは続けます。多くの同胞が、面白みのない仕事のくり返しに縛られ、楽しみを食欲だけに狭められ、心の糧を欠いていることに、責任を感じるのです。その思いはまだ法律や社会の変化にはならず、良心と行いのずれ、うまく合っていない感じとして表れています [2] 。だから、社会の道徳を望む者は、十分な社会の動機を得るために、多くの人々の道徳の経験と触れ合うほかない、と結論します [2] 。 ここで間違えやすい アダムズが、家族や個人の道徳を軽んじ、社会のために家族を捨てよと言った、と取るのは誤りです。進んだ試しは「すでに得たもの」を含まなければならない、とアダムズははっきり言います。家族への務めが共通の思い出と愛情から自然に育つことは、次の節で見るように、社会の務めを身につける手本にさえなっています。また、ここでの「社会の道徳」は決まった政治の綱領ではありません。アダムズ自身、続く六つの章は結論を出す試みではないと断っています(第 I 章末尾) [2] 。 混み合った共通の道――民主主義は感情や信条にとどまらず、生き方の規則でもある 社会の務めを求める人々の声を、アダムズは想像して書きます。家族の務めを果たせたのは、決心したからでなく、共通の思い出と愛情があったからです。だから社会の務めにも、経験そのものを大きな型に流しこむほかに備え方は無い、という声です [2] 。アダムズは、この求めをもっともだと認めます。道徳の標準を機械的に掲げておき、気分の高まった時にだけ跳びつくことはできません。理想が生活から理にかなって育つように、それに届く力も生活への関心から得られる、というのです(原典を読むで訳します) [2] 。 こうしてアダムズは言います。民主主義は、すべての人の幸せを願う感情にとどまらず、すべての人の尊厳と平等を信じる信条にとどまらず、生き方の規則でもあり、信仰の試しでもある、と [2] 。社会の倫理の水準は、人里離れた脇道を行くことでは得られません。皆が互いに道をゆずり、少なくとも互いの荷の大きさを見る、混み合った共通の道で交わることで得られます (図 2) [2] 。 人里離れた脇道 私はもう正しく生きている 身についた徳で満足する 混み合った共通の道 互いの荷の大きさを見る 道をゆずる ゆずり合う所で身につく 図 2 社会の倫理は、脇道でなく、混み合った共通の道で得られる、というたとえを絵にしたものです(『民主主義と社会倫理』第 I 章)。一つ目の絵では、善い人がひとりで静かな脇道を行き、身についた徳に満足しています。二つ目の絵では、同じ人が大通りで荷を背負う人々に道をゆずり、互いの荷の大きさを見ています。脇道と共通の道、道をゆずり荷の大きさを見ることは本人のたとえで、人物・荷車・吹き出しの言葉は本教材の作例です。 そこで、どんな経験を選ぶかにも道徳の務めが生まれます。世界の無感覚と冷たさの多くは、他人の経験を思い描く想像力の欠けから来る、とアダムズは書きます。同胞を見下し、前もって尊敬すると決めた人々とだけ付き合えば、生の幅だけでなく倫理の幅も狭まります。アダムズは利己的な人を、利己を選ぶ意志よりも、経験を狭い範囲で選ぶ関心の狭さのゆえに責めるのです (表 1) [2] 。 この表で分かること: 経験を狭く選べば、他人の荷は見えず、倫理の幅も狭まります。アダムズは、共通の道で交わることに社会倫理の源を見ました。 経験の選び方 他人との接し方 得られるもの アダムズの見方 尊敬すると決めた人とだけ付き合う 自分は特別だと思い、交わりを選ぶ 狭い関心 生の幅も倫理の幅も狭まる 人の暮らしを広く読む 小説や新聞で暮らしを知る 新しい親しみと、ぼんやりした慰め 備えにはなるが、まだ交わりではない 混み合った共通の道で交わる 互いに道をゆずり、荷を見る 共感と社会の動機 民主主義の土台であり保証 表 1 『民主主義と社会倫理』第 I 章による本教材の整理です [2] 。二つ目の行の「まだ交わりではない」は本教材の読みです。 SEP は、この章の「共通の境遇と一つになることが民主主義の本質の考えだ」という箇所(DSE 9)を、アダムズの共感の知を示す所として引きます [1] 。 ここで間違えやすい 「経験を広げる」を、貧しい人々の暮らしを本や新聞で読んで知れば足りる、と取らないようにしましょう。アダムズは、人の暮らしを広く読むことで新しい親しみが生まれることを認めます。けれども同時に、社会の悪に罪の意識を持つ人が、貧しい人々の暮らしを読むことにぼんやりした慰めを得て、善を行うことに加わった気になる、とも書いています [2] 。求められているのは、混み合った共通の道で実際に交わることです。 ハル・ハウスと共感の知――慈善でなく隣人として、皆で少しずつ高くなる アダムズは、ハル・ハウスでの暮らしから考えを組み立てました。ある論考では、知識の応用と組み替えを近代の根本の問題としました。そして理想のセツルメントは、完全な大学が知識の発見に関わるように、人の知識の値打ちを行動と実現によって試すものだ、と書きます(FSS 187) [1] [4] 。アダムズは、話す側の立場も意識していました。ハル・ハウスについて話すときは、自分の早まった一般化を抑えるために、事情を自分よりよく知る隣人を必ず連れていった、と自伝にあります(TYH 80) [1] [3] 。 SEP がよく示す例が「悪魔の赤ん坊」のうわさです。ハル・ハウスに悪魔の赤ん坊がいるといううわさが広まり、人々が見に押し寄せました。アダムズは、うわさを信じた年老いた女性たちを愚かだと片づけず、決めつけずに耳を傾けます。そこで語られたのは、新しい国に早くなじむ子どもとの隔たりや、長い暴力の経験でした(LRW 7–29) [1] [4] 。SEP は、アダムズが理論の前に経験を置いたとみて、これを虐げられた立場の視点を重んじる立場の認識論の先がけと呼びます。ただし、この名づけはのちのフェミニズムの哲学からの読み方です [1] 。 アダムズは、施しの慈善にも距離を取りました。かつては貧しさを悪徳や怠けと同じとみて、豊かな者は自分の豊かさを道徳の優れた証とした、と批判します(DSE 11–12) [1] 。ハル・ハウスが博愛事業とみられるのは残念だとも言いました(OVS 45) [1] [4] 。求めたのは、一部の人の達成でなく、皆が共に得るもので測る「横への進歩」です (図 3) 。 縦の進歩 ひとりで高く 谷の人々は元の所のまま 横への進歩 皆で少しずつ。横に広い 数フィート高い所 村人と共に少し高い所へ 図 3 進歩は一部の人の頂でなく、皆が共に得るもので測る、というたとえを絵にしたものです(「現代のリア王」、SEP の引用による)。一つ目の絵では、登山家がひとりで山頂に立ちますが、谷の村は元のままです。二つ目の絵では、村人が皆で少しだけ高い段の土地へ移っています。登山家と、村人を数フィート高い所へ移らせる人は本人のたとえで、村・段の土地・旗は本教材の作例です。 このたとえは、プルマン争議を論じた「現代のリア王」( A Modern Lear 、1912 年刊)にあります(SEP の引く AML 175) [1] [4] 。人々と共に動く者が得るものは、谷の群衆の目の届かない所へひとり登る登山家の達成ではありません。縦には遅くても、横に広いので比べものにならないほど大きいのです。その者は村人を説いて、数フィート高い所へ移らせた、とアダムズは書きます。SEP は、アダムズの急進さがどこまで足りるかは今も論争中だとも記します [1] 。 ここで間違えやすい アダムズを、理論を「考えた」デューイに対して、それを「実行した」社会事業家とだけみるのは、SEP によれば誤りです。二人は 1892 年に出会ってから互いに深く学び合いました。デューイ自身も娘のジェーンも、教育・民主主義・哲学についての大事な考えの多くをアダムズに負うと認めた、と SEP は記します [1] 。またセツルメントを、豊かな人が物やお金を施す慈善と取るのも誤りです。アダムズは、皆に等しい機会がある社会になれば、