レヴィ=ストロース――社会には見えない構造がある(構造人類学・野生の思考) — Epoché
現代 構造主義とポスト構造主義 約 17 分 本文 約 7,000 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 親族・神話・思考の 3 つ 親族 結婚の決まりの奥には、集団どうしが人を与え合う交換の構造があります。近親婚の禁止は、身内での結婚を禁じることで外の集団との縁組を求める決まりだ、とレヴィ=ストロースは見ました。親族の態度の違いも、兄弟・姉妹・父・息子の最小の組の釣り合いとして説明しました(『親族の基本構造』1949、『構造人類学』第 2 章)。 神話 勝手気ままに見える神話が、世界中で驚くほど似ています。レヴィ=ストロースは神話を小さな単位に分け、その奥に、生と死のような対立と、それをつなぐ仲立ちの型を見いだそうとしました(「神話の構造」1955、『構造人類学』第 11 章)。 思考 「野生の思考」は未開人の劣った考えではなく、飼いならされる前の野生のままの思考だ、とレヴィ=ストロースは言います(『野生の思考』第 8 章)。それは、ありあわせの材料で組み立てるブリコルールのように、具体的なものの違いで世界を分類する、科学と並ぶ知の働きです(同、第 1 章)。 はじめに レヴィ=ストロースは、1908 年、父が肖像画家として働いていたブリュッセルで、フランスのユダヤ系の家に生まれ、パリで育ちました [1] 。ソルボンヌで法学と哲学を学び、1931 年に哲学の教授資格を得て、数年間高校で教えます [1] 。 1935 年、サンパウロ大学の社会学の客員教授としてブラジルへ渡ります [1] 。1939 年までに、民族学者の妻ディナとともにアマゾンの奥へ何度か調べに入り、ボロロやナンビクワラの人々を訪ねました [1] 。 フランスの降伏の後、ヴィシー政権の人種の法律で職を追われ、1941 年にニューヨークへ渡りました [1] 。そこで出会った言語学者ヤコブソンとの交わりが、理論の見方を形づくる助けになったとされます [1] 。戦後パリに戻り、『親族の基本構造』(1949 年)、論文集『構造人類学』(1958 年)、『野生の思考』(1962 年)で、 構造人類学 と呼ばれる行き方を打ち立てました [1] 。 この課の問い 「いとこと結婚してよいか」「おじにはどう接するか」といった決まりは社会ごとにばらばらで、たまたまそうなっただけに見えます。それなのに、遠く離れた社会の決まりや神話が、驚くほど似ていることがあります。人々が自分では気づかないまま従っている、見えない仕組みがあるのでしょうか。そして、「未開」と呼ばれてきた人々の考え方は、私たちの科学より劣っているのでしょうか。 この課のことば 構造 目に見える一つ一つの事柄ではなく、それらどうしの関係の組み立てのことです。中身が入れ替わっても保たれる関係の型で、ふつう人々はそれを意識していません。 交換(縁組) 集団どうしが、結婚を通じて人を与え合い、結びつくことです。レヴィ=ストロースは、親族を血筋よりも、この縁組の結びつきから説明しました。 親族の基本単位 兄弟・姉妹・父・息子の四つの役の組です。親族の態度の違いを、この最小の組の中の関係どうしの釣り合いとして説明します。 神話素 神話を短い文に分け、同じ働きをする文どうしを束ねた、意味のまとまりの単位です。 二項対立と仲立ち 生と死のように向かい合う二つの項の組(二項対立)と、その間に立って二つをつなぐもの(仲立ち)です。 ブリコルール ありあわせの道具と材料で物を作ったり直したりする人です。計画に合わせて材料を揃える技師と比べられます。 見えない構造――社会の決まりと神話は何に従っているか 前の課のソシュールは、語の意味は一つ一つの語が持つものではなく、語どうしの違いの体系から生まれる、と論じました。レヴィ=ストロースは、この言語学の見方を、とくにヤコブソンの音韻論を手本にして受け取り、親族・神話・ものの分類へと広げました [1] 。この章では、結婚の決まり、神話、「未開」の思考の見直しを、順に読みます。 親族の構造――結婚は集団どうしの交換である それまでの人類学では、家族は夫と妻と子どもからなる閉じた単位とみられ、おじ・おば・いとこは二の次でした [1] 。イギリスの人類学者ラドクリフ=ブラウンらは、親族を、共通の先祖から続く血筋(出自)で説明しました [1] 。レヴィ=ストロースは、ソシュールの言う語の「価値」にならい、家族はほかの家族との関係の中で初めて定まった姿を持つ、と論じます [1] 。調べる相手を、単位そのものから、単位どうしの関係へ移したのです。 1949 年の『親族の基本構造』は、親族を、二つの集団のあいだの 縁組 から説明します [1] [2] 。ここで近親婚の禁止が新しい意味を持ちます。身内との結婚を禁じれば、男性は妻を外の集団から得るほかありません。禁止は、外と結婚せよという交換の決まりの裏返しなのです [1] 。ある男性が姉妹を外へ嫁がせ、次の代にはその姉妹の息子が、自分の姉妹を外へ嫁がせて応えます。人がこうして行き来し続けることで、氏族どうしが穏やかに結ばれる、とレヴィ=ストロースは考えました [1] 。 親族の態度の違いも、同じ見方で説明されます。父が息子に厳しい社会もあれば、母方のおじ(母の兄弟)が甥に厳しく、父は息子と打ち解けている社会もあります [1] 。年齢や性別などの特徴を並べる表を、レヴィ=ストロースは見かけだけの分析として退けました [1] 。代わりに取り出したのが、兄弟・姉妹・父・息子の四つの役の組、 親族の基本単位 です [1] [3] 。 一つの型 向きが逆の型 おじと甥は親しい おじと甥は厳しい 兄弟と姉妹は厳しい 兄弟と姉妹は親しい 父と息子は厳しい 父と息子は親しい 夫と妻は親しい 夫と妻は厳しい おじと甥:兄弟と姉妹 = 父と息子:夫と妻。親しさの 向きが逆でも、釣り合いは同じです。 図 1 四つの間柄の釣り合いを、親しい・厳しいの向きで示した例です(釣り合いは『構造人類学』第 2 章の本人の論点 [1] [3] 。二つの列は本教材の作例で、特定の社会の記録ではありません)。おじと甥の間柄が兄弟と姉妹の間柄と逆なら、父と息子の間柄も夫と妻の間柄と逆になります。 この四つの役の組には、おじと甥・兄弟と姉妹・父と息子・夫と妻の四つの間柄があります。レヴィ=ストロースは、おじと甥の間柄と兄弟と姉妹の間柄の関係は、父と息子の間柄と夫と妻の間柄の関係に等しい、という釣り合いを見いだしました (図 1) [1] [3] 。たとえば、おじと甥が親しく、兄弟と姉妹が厳しく、父と息子が厳しいなら、夫と妻は親しい、と見込めます [1] 。一つ一つの間柄の向きは社会ごとに違っても、この釣り合いは保たれます。三つが分かれば、残る一つが見込めるのです [1] 。 反論もあります。オーストラリアの親族を調べたエルキンは、好まれる結婚の相手が、実の母方のおじの娘ではなく、分類の上でそう呼ばれる人だと示しました。このことから、基本単位は実の血縁しか扱っていない、という批判があります [1] 。構造による説明も、確かめられ、退けられうるのです [1] 。 ここで間違えやすい 「構造」を、人々が意識して守る決まりや、役所のような組織のことと取らないようにしましょう。レヴィ=ストロースの言う構造は、人々がふつう意識していない関係どうしの型です [1] 。また、女性の行き来を「交換」と呼ぶのは、多くの社会の結婚の決まりを記述する言い方で、女性を物とみるべきだという主張ではありません。ボーヴォワールは『親族の基本構造』を、西洋の外の社会での女性の位置を示す本として好意的に評したと伝えられます [1] 。 神話の構造――突飛な話の奥に対立と仲立ちがある 神話の中では何が起こってもおかしくないように見えますが、遠く離れた地域で集められた神話が、驚くほど似ていることがあります。中身が偶然のものなら、なぜ似るのでしょうか。レヴィ=ストロースは 1955 年の論文「神話の構造」でこの逆説を掲げ、神話の考えを治める普遍の法則があるはずだと考えました [1] [4] 。この論文は『構造人類学』の第 11 章に収められています [3] 。 レヴィ=ストロースは、どれか一つの版を本物とはみませんでした。すべての版が同じ一つの「言語」の現れだと考え、各版を、ある主語にある働きが結びつく短い文に切り分けます。同じ働きの文に同じ番号を付けて束ねたものが 神話素 です [1] 。オイディプスの神話なら、血のつながりを重んじすぎる話と軽んじすぎる話が、向かい合う束になります [1] 。神話の考えは、対立の自覚から、その解決へと進むというのです [1] 。 北アメリカの先住民の多くの神話で、気まぐれな道化役(トリックスター)を演じるのは、ほとんどいつもワタリガラスかコヨーテです [1] 。レヴィ=ストロースはその理由を、対立の置き換えで説明しました (表 1) 。生と死の対立は、まず農耕と戦争の組に置き換えられ、その間に狩りが立ちます [4] 。狩りは命を奪う点で戦争に近く、食べ物を得る点で農耕に近い、と読めます(この言い換えは本教材の読み方です)。 この表で分かること: 生と死の対立は、農耕と戦争の組に置き換えられて狩りが間に立ち、さらに草を食べる獣と捕る獣の組に移されて、腐肉を食べる獣が間に立ちます。 段 一方の項 もう一方の項 間に立つもの 初めの組 生 死 (神話が解こうとする対立) 一つ目の三つ組 農耕 戦争 狩り 二つ目の三つ組 草を食べる獣 獲物を捕る獣 腐肉を食べる獣(ワタリガラス・コヨーテ) 表 1 「神話の構造」(1955 年)の対立の置き換えを、本教材が表にしたものです [4] 。 この三つ組は、さらに動物の三つ組に移されます。草を食べる獣と獲物を捕る獣の間に、腐肉を食べる獣が立つのです (図 2) [1] [4] 。ワタリガラスやコヨーテは、肉を食べる点では捕る獣に似て、自分で獲物を捕らない点では草食の獣に似ます。両側の性質を持つ仲立ちだから、二つの顔を持つ気まぐれな性格を与えられる、と説明されます [1] 。 対立の間に立つもの(神話の構造) 生の側 仲立ち 死の側 農耕 狩り 戦争 肉は食べるが 自分では捕らない 草を食べる獣 腐肉を食べる獣 獲物を捕る獣 上の段の仲立ちは狩り、下の段は腐肉食い (野と動物の配置は本教材の絵) 図 2 神話の道化役が、なぜワタリガラスやコヨーテなのかを絵にしたものです(本教材の絵)。上の段では農耕と戦争の間に狩りが立ち、下の段では草を食べる獣と獲物を捕る獣の間に、腐肉を食べる獣が立ちます。真ん中の点線の枠が仲立ちです。対立の置き換えは「神話の構造」による本人の論点です [4] 。 最も勝手に見える神話でさえ法則に従うなら、人間の思考はどの領域でも法則に従っているはずだ、とレヴィ=ストロースは論じたとされます [1] 。批判もあります。人類学者ダイアモンドは、生と死を両極とみるのは近代の見方だと指摘し、コヨーテも狩りをすることなどを挙げたと伝えられます [1] 。 ここで間違えやすい レヴィ=ストロースが神話の中身、つまり何が起こったか、話が何を教えるかを読み解いた、と取らないようにしましょう。見ているのは話の要素どうしの関係の型です [1] 。また、どの神話からも同じ一つの答えが出てくるわけでもありません。対立の項は神話ごとに違い、その読み方が強引だという批判もあります [1] 。 野生の思考――ありあわせで組み立てる知 『野生の思考』(1962 年)で、レヴィ=ストロースは、「未開」の心にも「文明」の心と同じ構造があると論じました [1] 。題の「野生の」は、未開人の頭を指すのではありません。第 8 章で、レヴィ=ストロースはこれを、収益を上げるために耕され飼いならされる前の、野生の状態にある思考だと説明しています [5] 。本が扱うのは、人間すべてに共通する思考の形です [1] 。なお pensée は「思考」と花の「パンジー」の両方を指し、題は訳しきれない掛けことばになっています [1] 。 第 1 章で、レヴィ=ストロースはこの思考を ブリコルール にたとえます [5] 。ブリコルールは、多くの仕事に手慣れ、すでにあるものを新しく組み合わせ、自分の企てを手もとの限られた道具と材料に合わせる人です [1] 。比べられるのは技師です。技師は企ての全体を考え、それに要る材料と道具を揃えます [1] 。ブリコルールの世界は閉じていて手もとのもので間に合わせるほかなく、技師の世界は開いていて新しい道具や材料を作れます (図 3) [1] 。 ブリコルール 何に使える? 直した棚 箱の中のありあわせ 手もとのものを組み合わせる 元は箱のふたの板が棚板に (場面は本教材の作例) 技師 設計図 店の材料 すでにある知識の本 計画に合わせて材料を揃える 技師も既にある知識から始める (場面は本教材の作例) 図 3 ブリコルールと技師を、棚を直す場面で見比べた絵です(場面は本教材の作例、比べ方は『野生の思考』第 1 章の本人の論点 [5] )。一つ目の絵のブリコルールは、箱の中のありあわせに何に使えるかと問い、元の使い道を持つ品を組み替えます。二つ目の絵の技師は、設計図に合わせて店で材料を揃えますが、その足もとにも、すでにある知識の本が積まれています。 ただし、技師もまた、すでにある理論と技術の蓄えから出発するほかなく、限られた現実の中にいる点ではブリコルールと同じだ、とレヴィ=ストロースは言います [1] 。違いは、知の優劣ではなく、材料の扱い方なのです。トーテミズムも、この見方で読み直されます。小さな集団が動物や植物の名で自分たちを名乗るのは特別な制度ではなく、動物どうしの見て分かる違いを借りて、人の集団を分ける仕方の一つだというのです。身分(カースト)で人を分ける社会にも、同じ働きが見つかるとされます [1] 。 本の後半は、歴史と社会の変化の理論へ進み、人間の自由をめぐるサルトルとの激しい論争の場になりました [1] 。人は自由に自分をつくるとする実存主義に、レヴィ=ストロースは構造の側から人の行いを捉える見方を対置したのです [1] 。 ここで間違えやすい 「野生の思考」を、未開の人々だけが持つ、科学より劣った前の段