イブン・スィーナー――本質と存在は区別される(必然存在・空中人間) — Epoché
中世 イスラームとユダヤの哲学 約 15 分 本文 約 6,200 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 生涯・存在・自己の 3 つ 生涯 ブハラで学び、王朝が倒れた後は各地の宮廷を渡り歩いた。哲学の大全『治癒の書』と医学の『医学典範』を書き、ラテン世界ではアヴィセンナの名で読まれた。 存在 物が「何であるか」(本質)を知っても、それが「ある」かは分からない。それ自身ではあってもなくてもよい物の全体には外に原因が要り、それ自身で必然な存在(神)に行き着く(『救済の書』形而上学)。 自己 目を覆われ、宙に浮かび、手足も触れ合わない人を思い描く。その人は体の何も確かめなくても自分があることは確かめる、と論じ、自己(魂)が体とは別であることに注意を向けさせた(『治癒の書』霊魂論)。 はじめに イブン・スィーナーは、10 世紀末から 11 世紀前半に、中央アジアのブハラからイランの町々へ移りながら生きた哲学者・医師です。ラテン語の世界ではアヴィセンナの名で知られました [1] 。主著は、哲学のすべての部門を一つにまとめた『治癒の書』です。 この課では、彼の考えのうち二つを読みます。一つは、物が「何であるか」と、物が実際に「ある」ことを分ける考えです。もう一つは、体の感覚をすべて失った人を思い描く「空中人間」の思考実験です。 二つはどちらも、「考えただけで分かること」と「それだけでは分からないこと」を切り分ける練習になっています。三角形が何かを知っていても、いま机の上に三角形があるとは分かりません。逆に、体の何も感じていなくても、自分があることは分かる、とイブン・スィーナーは言います。 原典を読むでは、空中人間の段を本教材の要約で読みます。 この課の問い ある物が「何であるか」と、それが「実際にあるか」は同じことなのでしょうか。そして、体の感覚をすべて失っても、私は自分があると知ることができるのでしょうか。 この課のことば 本質(マーヒーヤ) そのものが「何であるか」のことです。たとえば馬なら「馬であること」。それを考えただけでは、そのものが実際にあるかどうかは分かりません。 存在(ウジュード) そのものが実際に「ある」ことです。イブン・スィーナーは、存在は本質の中に含まれず、本質とは別のものとして加わると考えました。 必然存在 それ自身の本性によって、ないことがありえない存在です。あるために原因を必要としません。イブン・スィーナーはこれを神としました。 可能存在 それ自身だけを見れば、あってもなくてもよい存在です。実際にあるには、ほかの原因が要ります。身の回りの物はみなこれに当たります。 空中人間 体の感覚をすべて欠いたまま、いきなり完成した姿で造られた人を思い描く思考実験です。英語では flying man と呼ばれ、「浮かぶ人」とも訳されます。 大全 論理学・自然学・数学・形而上学など、哲学のすべての部門を一つにまとめた著作です。イブン・スィーナーが広めた書き方で、『治癒の書』が最大のものです。 本質・存在・自己――「何であるか」と「あること」はどう違うか この章では、三つのことを順に読みます。一つ目はブハラに始まる生涯と著作、二つ目は本質と存在の区別から神の存在の証明へ進む筋、三つ目は体の感覚をすべて欠いた「空中人間」の思考実験です。 ブハラの独学者――哲学の大全と『医学典範』 イブン・スィーナーは、ブハラ近郊の村アフシャナで、970 年代のある年に生まれました。964 年まで遡る可能性もあり、生年はそれ以上には絞れません [1] 。父はサーマーン朝の役人で、一家は都ブハラに移りました。ブハラはシルクロードの要の町で、学者が多く住み、バグダードで進んだギリシア語文献の翻訳の成果も届いていました [1] 。 自伝によると、彼は初めは教師について学び、その後は独りで学問を進めました。学んだ順は、後期古代のアレクサンドリアの学校の課程に沿っています。論理学を道具として先に学び、自然学・数学・形而上学へ進み、倫理・家政・政治に至る順です。そして十八歳までに諸学を修めた、と語ります [1] 。君主の病を治した礼に王の書庫に入ることを許され、それまでもその後も見たことのない書物に出会ったともいいます [1] 。 970 年代 ブハラ近郊アフシャナに生まれる 十代 サーマーン朝の王の書庫で学ぶ 999 年 王朝が倒れ、ブハラを離れる 999?〜1012 年 北のグルガーンジに移る 1012〜1015 年ごろ ジュルジャーン、次いでライへ 1015〜1024? 年 ハマダーンに仕える 1024?〜1037 年 イスファハーンで『治癒の書』を 仕上げる 1037 年 ハマダーンで没する 図 1 イブン・スィーナーの生涯と移った町です(SEP による [1] )。「?」の付く年は、SEP でも推定の年です。 999 年にサーマーン朝が倒れると、彼は「必要がブハラを去らせた」と書くだけで町を離れました [1] (図 1) 。それから北のグルガーンジ、西のジュルジャーン、ライ、ハマダーン、イスファハーンへと移り、どの町でも医師と政治の相談役として仕えました。最後の十三年ほどを過ごしたイスファハーンで『治癒の書』を仕上げ、1037 年にハマダーンで亡くなります [1] 。 著作で大切なのは、哲学のすべての部門を一冊に収める 大全 という書き方です。彼はこれを生涯に何度も書きました。いちばん大きいのが『治癒の書』で、ほかに短い『救済の書』などがあります [1] 。『救済の書』は、日本語では『中世思想原典集成 11 イスラーム哲学』に小林春夫訳が収められています。医学では大著『医学典範』を書きました。これは 12 世紀にクレモナのゲラルドゥスがラテン語に訳し、17 世紀の末まで西方で医学の教育に使われたとされます。哲学の著作もラテン語に訳され、西方ではアヴィセンナの名で読まれました(訳の時期と訳者は、ここでは確かめていません)。 ここで間違えやすい 自伝の「十八歳で諸学を修め、その後新しく学んだことは無い」を、ただの自慢話と取らないようにしましょう。SEP は、伝えの一部に誇張や聖人伝風の脚色があることを認めつつ、彼が哲学の課程をすっかり自分のものにしていたことは確かだとし、自伝そのものにも哲学上のねらいがあるとします [1] 。また、『医学典範』を『治癒の書』の一部と取るのも誤りです。二つは別の書です。 本質と存在――「何であるか」は「あること」を含まない イブン・スィーナーは、物の「何であるか」を 本質 と呼び、物が実際に「ある」ことを存在と呼んで、二つを分けました [2] 。本質を考えるだけでは、その物があるかどうかは決まりません。教材の作例で言えば、「三つの辺で囲まれた図形」と聞けば、三角形が何かは分かります。けれども、いま机の上に三角形の板があるかは、机を見るまで分かりません。何であるかの知と、あることの知は、別の道から来るのです。 彼は、本質をそれだけで見ると「馬であることは馬であることにすぎない」と言ったとされます。本質そのものは、一つとも多いとも、心の中にあるとも外にあるとも決まっていない、という意味です。あるかないかは、本質の外から決まります。「馬とは何か」の答えをいくら詳しくしても、その中に「ある」は入ってこない、ということです。 この表で分かること: 本質だけを見ると物は三つに分かれます。実際にある物のうち、原因が要らないのは必然存在だけです。 本質だけを見たとき ないことはありうるか あるには原因が要るか 例 必然存在 ありえない 要らない 神(第一者) 可能存在 ありうる 要る(他によって必然) 馬・木・人・天体 不可能なもの 必ずない あることがない 四角い円 表 1 本質だけを見たときの三つの分け方です(SEP の整理による [2] 。例は本教材が選びました)。 ここから、物は本質だけを見たときに三つに分かれます (表 1) 。ないことがありえない 必然存在 、あってもなくてもよい可能存在、あることがありえない不可能なものです [2] 。可能存在は、それ自身ではあることもないことも同じなので、実際にあるなら、あるほうへ傾けた原因があります。原因によってあるとき、それは「他によって必然」になります [2] 。 ① 何かがある 身の回りの物は、それ自身ではあっても なくてもよい ② 原因が要る 可能存在が実際にあるのは、原因に よって必然になるから ③ 全体を考える 可能存在を集めた全体も、有限でも 無限でも可能存在 ④ 全体の外へ 可能な全体には、全体の外に原因が要る ⑤ 必然存在 その原因はそれ自身で必然。これが 神である 図 2 可能存在の全体から必然存在に至る証明の流れです(『救済の書』形而上学 II.12、英訳は McGinnis・Reisman の選集 214–215 頁 [3] 。段の分け方は本教材の整理)。 この区別から、神の存在の証明が組み立てられます (図 2) 。『救済の書』の形而上学の部では、可能存在をすべて集めた全体を考えます [3] 。その全体が有限でも無限でも、全体そのものもまた可能存在なので、全体の外に原因が要ります。その原因は可能ではありえないので、それ自身で必然な存在です。これが神です [3] 。この筋は、世界に時の始まりがあったことを前提にしません。世界が永遠であっても、世界が今あるために必然存在に依る、と論じられるのです(本教材の読み方)。 ここで間違えやすい 「存在は本質に加わる」を、存在が色や大きさのような、物にあとから付く性質の一つだと取らないようにしましょう。まず本質が造られ、そのあと存在が付け足される、という順の話でもありません [2] 。この「加わる」をどう読むかは、後の哲学者のあいだで議論になったと言われます。また、神にも存在と別の本質があると取るのも誤りです。必然存在には、存在と異なる本質がない、とイブン・スィーナーは言います [2] 。 空中人間――体の何も感じなくても「私がある」と知る 『治癒の書』の霊魂論で、イブン・スィーナーは読み手に一つの場面を思い描かせます [3] 。一人の人が、生まれ育つのでなく、いきなり完成した姿で造られたとします。目は覆われて外の物が見えません。空中か真空に浮かび、空気の圧も感じません。手足は開かれて、互いに触れ合いません (図 3) 。 空中人間(『治癒の書』霊魂論) 手足・内臓・脳は確かめていない 私がある ? 目は覆われている ? ? ? ? 手足は触れ合わない 空気の手ざわりも感じない 姿勢と札の配置は本教材の描き方 図 3 空中人間の場面を絵にしたものです(本教材の絵)。目を覆われ、宙に浮かび、手足も触れ合わない人が、体の何も確かめないまま「私がある」と知っています。光の円から体へ矢印が無いのは、その知が体を通って来るのではないことを示します。 こうして、体から来る感覚を一つずつ外していきます。外を見る視覚を覆い、空気の手ざわりを外し、手足どうしの接触も外します。生まれてから感覚で覚えたものも、何もありません。この人は、自分の手足も内臓も心臓も脳も確かめていません。それでも、自分があることは疑いなく確かめる、とイブン・スィーナーは言います [3] 。しかも、その自己に長さも幅も深さも認めないまま確かめるといいます [3] 。 確かめられているものと、確かめられていないものは、同じではありえません。だから、自分があると確かめるその自己は、体や手足とは別だ、と彼は論じます [3] 。ただし、この推論が成り立つかには論争があります。何かを知っていて別の何かを知らないことから、二つが本当に別の物だとまで言えるかには、疑問が出されてきました [4] 。 そこで、本人がこの場面を証明そのものとしてではなく、すでに力を持つ人に気づかせる「注意」として出した、とする読みがあります [4] 。空中人間が示すのは、魂が体と別の実体であることなのか、自己への気づきが常に働いていることなのかも、研究者のあいだで分かれます [4] 。この課程のデカルトの課で読む「考える私」と似て見えますが、デカルトは疑いから出発し、空中人間は感覚を取り去った人を思い描く点が違います。デカルトがこの思考実験を知っていたかは、確かめられていません。 ここで間違えやすい 空中人間を、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」と同じ論だと取らないようにしましょう。デカルトはすべてを疑う方法から出発し、確実な知の土台を探します。空中人間は疑いを使わず、感覚を取り去った人を思い描かせます。似ている点と違う点を分けて見ましょう。また、「知っている/知らない」の違いだけで、いつでも実体の違いが証明される、と覚えるのも行き過ぎです [4] 。 原典を読む 第 1 章で見た空中人間の段を読みます。原語の本文の写しが取れなかったため、訳ではなく、本教材がその段の筋を要約して示します。 イブン・スィーナー『治癒の書』霊魂論 I.1 体の何も感じなくても、自分はある この場面は、『治癒の書』霊魂論で魂とは何かを論じる初めに置かれています。 1 思い描くのは、生まれ育った人ではなく、一度に完全な姿で造られたばかりの一人の人です。 2 その人は目を覆われていて、外の物は何も見えません。 3 空中か真空に浮かんでいて、空気が体を押す感じもなく、開いた手足は互いに触れ合いません。 4 その人は、自分の手も足も、内臓も心臓も脳も、何一つ確かめていません。 5 それでも、自分がある、ということだけは疑わずに確かめています。その自己に、長さも幅も深さも認めないままです。 6 確かめられているものと、確かめられていないものは同じではありません。 7 だから、自分があると確かめるその自己は、体とも手足とも別のものだ、と気づかされます。 原典 1 霊魂論 I.1 の空中人間の段を本教材が要約したものです(訳ではありません)。底本と版の頁は確かめていません。英訳は McGinnis・Reisman の選集 178–179 頁にあります [3] 。日本語では木下雄介訳『魂について』で読めます。 読み解き 1 文 1:生まれ育った人ではなく、一度に完全な姿で造られた人とするのは、感覚で覚えた記憶まで外すためです。 2 文 2・3:視覚・空気の手ざわり・手足どうしの接触