心の像と、理解する本人 — Epoché
解説 比較する本人の区別 イブン・ルシュドの大注解、第3巻注解5のラテン語伝承。基体は、ものが成り立つ支えのこと。 原文:necesse est etiam vt intellecta in actu habeant duo subiecta: Quorum vnum est subiectum, per quod sunt vera, scilicet formae, quae sunt imagines verae: Secundum autem est illud, per quod intellecta sunt vnum entium in mundo, & istud est intellectus materialis. 訳:現に理解されたものにも、二つの基体がなければならない。一つは、それによって理解されたものが真となる基体、つまり真の像である諸形相である。もう一つは、それによって理解されたものが世界の存在するものの一つとなる基体であり、それが質料的知性である。 1562年版左欄 Antiqua の一節であり、アラビア語完本やトマスの引用ではない。 出典1 見られる壁と、見る動物 トマス『知性の単一性について』、採用版454頁。感覚的形相は、見られた色を視覚が受け取るあり方という意味で読む。 原文:unde paries, in quo est color, cujus species sensibilis in actu est in visu, videtur, non videt; animal autem habens potentiam visivam, in qua est talis species, videt. 訳:したがって、壁には色があり、その色の感覚的な形相は現に視覚のうちにある。この壁は、見られるのであって、見るのではない。他方、そのような形相が内にある視覚の能力を備えた動物は、見る。 壁の色が視覚の内容になることと、壁自身が見ることを取り違えない。 出典2 この人が理解することを説明できるか 中間の対応づけ一文を省いた、同頁の別引用。心の像は感覚に由来する像、受容知性はそれを理解する知性を指す。 原文:Sicut igitur paries non videt, sed videtur ejus color; ita sequeretur quod homo non intelligeret, sed quod ejus phantasmata intelligerentur ab intellectu possibili. Impossibile est ergo salvari quod hic homo intelligat, secundum positionem Averrois. 訳:それゆえ、壁が見るのではなく、その色が見られるのと同じように、人間が理解するのではなく、その人の心の像が受容知性によって理解される、ということになってしまう。したがって、アヴェロエスの立場によって、この人が理解することを成り立たせるのは不可能である。 これはトマス側が相手の立場から導く条件的な帰結。人間は実際に理解しないという断言でも、イブン・ルシュドの二基体説全体の逐語的な再述でもない。 出典2 内容が知られることと、誰が知るかを分ける。 箇所・帰属 区別していること イブン・ルシュドのラテン語伝承 真となる支え=像/存在としての支え=質料的知性 トマスの壁の比喩 色が見られる壁/実際に見る動物 トマス側の批判 人の像が理解されるだけでは、この人が理解することを説明できない 比較するのは役割と批判の焦点。両者の説全体の勝敗を決める表ではない。 参考文献 [1] Averroesの大注解ラテン語伝承/1562年Venetiis apud Iunctas版左欄Antiqua transl. 原版から本教材が独自転記・訳。「イブン・ルシュド『霊魂論大注解』第3巻注解5・ラテン語伝承(1562年版)」。 出典 本教材の独自訳・解説 CC BY-SA 4.0(古典のラテン語伝承) [2] Thomas Aquinas, De unitate intellectus contra Averroistas, Opuscula selectaIV, Paris P.Lethielleux, p454。原版から独自転記・自訳。中間一文省略。「トマス『知性の単一性について』壁の比喩と個人の理解」。 出典 本教材の独自訳・解説 CC BY-SA 4.0(古典のラテン語原文)