カントの後に何が問題になったか――フィヒテとシェリングへの入口 — Epoché
解説 自由な私と、法則に従う自然 自然が法則に従うなら、自由に知り行為する私をどう捉えるか。主体とは、知り行為する側のこと。カントの後継者たちは、知る働きと行為を一つの体系で説明する問題に取り組んだ。 カント自身も橋渡しを試みた。後継者の問いを、カントが何も考えなかった証拠にしない。 出典1 ・ 出典2 自我を出発点にする 初期フィヒテは、自由に活動する自我から、経験に感じる必然や制限を説明しようとした。自我は、ここでは自分を意識する働きに着目した語。知ることと行為の共通の土台を探す。 自我が思いのまま物を創造するという話ではない。出発点の選択だけで体系の成功が証明されたわけでもない。 出典1 知る私も、自然の中にいる 初期シェリングは、私を自然の外へ切り離さず、自然を生きた働きや産出の過程として捉えた。知る主体と自然がどう関わるかを問う。 現代科学で実証された機構ではない。二人を、ヘーゲルへ一直線に完成する途中の段階としない。 出典2 問いと理由の見取り 共通の問題 異なる入口 自然と自由の接続 法則に従う世界と、知り行為する主体 フィヒテ 自我の自由な活動から経験を説明 シェリング 自然の働きと主体の関係を問う 初期の問題設定を比べた見取り。全体系の結論や、勝敗を示す図ではない。 参考文献 [1] Breazeale, Dan「Johann Gottlieb Fichte」。 出典 [2] Bowie, Andrew「Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling」。 出典