8.143 政治学 — 定義と分類だけで進む — Epoché
この篇でできるようになること ★ 分析の方法を先に宣言する 書き方が読める。 ★ 定義を積み上げる 順が追える。 ★ 六十語をこえる文 を、骨から読める。 ★ 受け入れられない主張 の読み方が分かる。 前提 : 8.142 まで。型は 3.48 まで。 読む前に ★ 先に断っておきます。 ★ この篇は、読 F でいちばん一文が長い部類 です。★ 一文の平均が 70.4 語、六十語をこえる文が 11 本 あります。 ★ 文の数は 22 本しかありません。 ★ 8.140 読編 の対話は 七十一文 でした。 ★ 語数はほぼ同じなのに、文の数が三分の一以下 です。 ★ 読み方は一つだけ です——★ 3.34 型編 。 セミコロンで切って、かたまりごとに主語と動詞を探す ( 8.136 読編 でやったのと同じ)。 ★ もう一つ、読む前に知っておいてほしいことがあります。 ★ この篇には、 いまの私たちが受け入れられない主張 が平然と書かれています ——★ 生まれつきの奴隷がいる、ギリシア人が異邦人を支配すべきだ、と。 ★ 避けません。 ★ 読 F は、 そういう文章も読めるようになる期 だから です。★ どう読むかは、この課の後半で置きます。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1548 語、文は 22 本、一文の平均は 70.4 語、いちばん長い一文は 162 語です。セミコロンは 21 個あります。 ★ 本文の中に、 編者が入れた印 が混じっています ——★ Ed. と [Bekker 1252a] 。 ★ 後者は ベッカー番号 と呼ばれ、アリストテレスの本の どの頁のどの段か を示します。 ★ 訳が違っても、この番号で同じ箇所を指せます。 ★ 9.11 論編 の「出どころを示す」の、古典での形 です。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 私たちが見るとおり、どの国も一つの社会であり、どの社会も Ed. 何かよい目的のために作られています。というのも、よいと見えるもの [ベッカー 1252a] こそが、人のあらゆる行いの源だからです。そうであれば、これがどの社会もみな基づいている原理であることは明らかであり、とりわけ、できるかぎり最善のものを目的とし、それ自身がもっとも優れていて、ほかのすべてを含む社会について、これはいっそう当てはまります。さて、これが国と呼ばれ、その社会が政治的な社会と呼ばれます。というのも、政治の支配、王の支配、家の支配、主人の支配の原理が同じだと考える人々は誤っているからです。彼らは、これらはそれぞれ、その力が及ぶ人数が違うだけで、成り立ちは違わないと思っています。そのため彼らにとっては、主人の支配とはごく少数の者から成るもの、家の支配はそれより多い者から成るもの、国の支配と王の支配はさらに多い者から成るものということになり、まるで大きな家と小さな国とのあいだに何の違いもないかのようであり、あるいは、王の支配と政治の支配は同じもので、ただ一方では一人の者がいつも公の事がらの頭に立ち、他方では国の一人ひとりの成員が順番に支配に加わり、政治学の規則にしたがって、ある時は役人となり、ある時は私人となる、という違いがあるだけだ、ということになります。しかし、これは正しくありません。この問いをもっとも認められたやり方で考える人なら、だれにでも明らかになるでしょう。ほかのどんな主題を調べるときにも、それを組み立てているさまざまな部分を分けて、そのもっとも小さな部分である最初の要素に行き着くまでそうする必要があるのと同じように、同じやり方によって、私たちは国のいちばん元の部分を知り、それらが互いにどこで違うのか、また、ここで挙げたこれらの一つひとつを調べるのに、技術の規則が何か助けになるかどうかを見ることになるでしょう。 第二章 さて、この特定の学問において、だれかがそのもとの種と最初の芽生えに目を向けるならば、ほかの学問の場合と同じように、その主題を完全に目の前に置くことになるでしょう。そしてまず第一に、互いがいなければその種が存続できない者どうし、たとえば男と女は、子を残すという務めのために結びつく必要があることに気づくでしょう。しかもこれは選択によってではなく、植物にも動物にも同じように働く自然の衝動によるものであり、その目的は自分に似たほかの者をあとに残すことです。また、ある者が命じ、ほかの者が従うのも自然の原因によるのであって、それは双方がたがいの安全を得られるようにするためです。というのも、省みる力と先を見る力をそなえた心を授けられた者は、生まれつき上に立つ者、治める者であり、いっぽう、その優れたところが体だけである者は、奴隷となるように形づくられているからです。ここから、主人と [1252b] 奴隷という異なる身分は、両者にとって等しく都合がよいということになります。しかし、女と奴隷とのあいだには自然の違いがあります。というのも、自然は、貧しい人々が使うためにデルポイの小刀を作る職人たちのようではなく、一つひとつの目的のためにそれぞれ別の道具を持っており、こうしてその目的はもっとも完全に果たされるからです。一つの対象だけに用いられるものは、多くの対象に用いられるときよりも、その一つをはるかに完成に近づけるからです。それなのに異邦人のあいだでは、女と奴隷が共同体の中で同じ地位にあります。その理由は、彼らのあいだには生まれつき治める資質をそなえた者が一人もおらず、そのため彼らの社会は、性の違う奴隷どうしのものでしかありえないからです。そのために詩人たちは、ギリシア人が異邦人を治めるのがふさわしいと言うのです。まるで異邦人と奴隷とが生まれつき一つのものであるかのように。さて、これら二つの社会のうち、家の社会が最初のものであり、ヘシオドスが「まず家、次に妻、それから鋤を引く牛」と言うのは正しいのです。というのも、貧しい者は、家の奴隷より先にいつも牛を持つからです。してみると、日々の暮らしのために自然が定めた社会が家の社会であり、それを成す者たちは、カロンダスによって homosipuoi と呼ばれ、クレタのエピメニデスによって homokapnoi と呼ばれます。いっぽう、多くの家から成る社会で、たがいの長続きする利益のために最初に設けられたものは、村と呼ばれます。そして村は、ごく自然には一つの家の子孫たち、すなわちその家の子と孫たちから成っており、ある人々は彼らを homogalaktes と呼びます。そのために、国は初めは王によって治められていました。今の異邦人の国々がそうであるように。それらの国は、それ以前に王の支配に服していた者たちから成っているのです。というのも、どの家も年長者によって治められ、その分かれた枝の家々も、その年長者とのつながりのゆえに同じように治められるからです。これがホメロスの言う「おのおのがその妻と子を治めた」であり、このようにばらばらに、人々はかつて暮らしていたのです。そして、神々自身も王の支配に服しているという、どこでも行き渡っている考えは、ここから生じています。すなわち、すべての人がかつてはそうであり、多くの人が今もそうだからです。そして人々は、自分たちが神々の姿に似せて作られたと思い描いたので、神々の暮らし方も同じに違いないと考えたのです。そして、多くの村があらゆる点で一つの社会を成すほど完全に結びつくとき、その社会が国であり、それは、言ってよければ、支配の目的と完成を自らのうちに含んでいます。国は、私たちが生きるために初めに作られましたが、私たちが幸せに生きるために続いているのです。そのために、男と女のもとの社会が自然のものであると認めるなら、どの国も自然の作ったものだと認めなければなりません。というのも、下位のすべての社会は、目的としての国に向かっており、ものの目的こそがそのものの本性だからです。どんなものであれ、そのもっとも完全な状態においてあるところのもの、それこそがたしかにそのものの本性だからです。人であれ、馬であれ、家であれ。そのうえ、私たちが [1253a] 望む究極の原因と目的を生み出すものは、何であれ最善のものに違いありません。そして、それ自身で完結した支配こそが、その究極の原因であり、最善のものなのです。ここから明らかなのは、国は自然の産物であり、人は生まれつき政治的な動物であり、たまたまではなく生まれつき社会に向いていない者は、人より劣っているか人より優れているかのどちらかに違いない、ということです。たとえばホメロスの中の、「社会もなく、法もなく、家族もない」とののしられる男のように。そのような者は、生まれつき争いを好む性質に違いなく、鳥のように孤独であるに違いありません。言葉という贈り物もまた、人が蜂や、群れをなすどんな家畜よりも社会的な動物であることを明らかに示しています。というのも、私たちが言うように、自然は何ひとつ無駄には行わず、人は言葉を持つ唯一の動物だからです。たしかに声は、快と苦のしるしとして、ほかの動物にも与えられています。そして彼らの本性にできるのはそこまでで、快と苦を感じ取り、その感覚をほかの者に伝えることです。しかし、私たちが自分にとって役に立つものと害になるもの、ひいては正しいものと不正なものを言い表すことができるのは、言葉によってです。というのも、この点で人はほかの動物と違っており、人だけが善と悪、正と不正を感じ取るのであって、こうした共通の感じ方を分かち合うことが、家と国を形づくるからです。そのうえ、国という考えは、家や個人という考えより、本来先にあります。というのも、全体は必ず部分より先になければならないからです。もし人の全体を取り去れば、足や手が残っているとは言えません。言葉の上だけのこととして、たとえば石の手が作られたと考えるような場合は別ですが、それは死んだ手でしかないでしょう。どんなものも、その働きの性質と力によって、これだとかあれだとか理解されるのであって、そのため、それらがもはや残っていないときには、そのものが同じものだとは言えず、同じ名を持つ別の何かだとしか言えないのです。してみると、国が個人より先にあることは明らかです。というのも、個人が自分だけでは完全な支配を成すのに足りないのなら、個人と国との関係は、ほかの部分と全体との関係と同じだからです。しかし、社会を作ることのできない者や、自分だけで完結していて社会を必要としない者は、国の一部にはなりません。獣か神のようなものです。してみると、すべての人の中には、このようにたがいに結びつこうとする自然の勢いがあり、最初に国の社会を作った者は、最大の善の原因となったのです。というのも、人は社会が完成することによってあらゆる生き物の中でもっとも優れたものとなるのと同じように、法と正義がなければ、あらゆるもののうちで最悪のものとなるからです。武器を持った不正ほど抑えがたいものはないからです。しかし人は、生まれながらにこうした武器、すなわち思慮と勇気を持っており、それをまったく正反対の目的にも用いることができます。それを悪用する者は、考えうるかぎりもっとも邪悪で、もっとも残酷で、もっとも好色で、もっとも大食な存在となるでしょう。というのも、正義は政治の徳であり、その規則によって国は治められ、その規則こそが何が正しいかの基準だからです。 語釈 帯の外の語は 80 語です。★ ギリシア語がそのまま三つ出てきます —— homosipuoi ・ homokapnoi ・ homogalaktes 。★ 「同じ食卓の者」「同じ炉の者」「同じ乳で育った者」 という意味です。★ 訳さずに置いてあるのは、 英語に当たる一語が無い から です。 語(品詞) 意味 注 Bekker en 名 ベッカー。アリストテレスの校訂者 Charondas en 名 カロンダス。古代の立法者 Cretan en 形 クレタ島の The Cretan sailors knew every hidden cove along that rocky coast. そのクレタ島の船乗りたちは、その岩だらけの海岸沿いのあらゆる隠れた入り江を知っていました。 Delphic en 形 デルポイの Pilgrims traveled for weeks to hear the Delphic priestess speak. 巡礼者たちはデルポイの巫女の言葉を聞くために何週間も旅をしました。 Ed en 名 版・編。 edition の略 Epimenides en 名 エピメニデス。クレタの詩人 Greeks en 名 ギリシア人 The Greeks built many of their finest temples upon high hills. ギリシア人は最も優れた神殿の多くを高い丘の上に建てました。 Hesiod en 名 ヘシオドス。ギリシアの詩人 Homer en 名 ホメロス II en 名 二。ローマ数字 accidentally en 副 たまたま She accidentally dropped the vase while dusting the old shelf. 彼女は古い棚のほこりを払っている間に、たまたま花瓶を落としてしまいました。 advantageous en 形 都合のよい A quick trade route would be advantageous for the small kingdom. 速い交易路はその小さな王国にとって都合のよいものでしょう。 barbarian en 名 異邦の人 The Greeks once called any foreign speaker a barbarian without much thought. ギリシア人はかつて、外国語を話す人を深く考えずに異邦の人と呼びました。 barbarians en 名 異邦の人びと The old chronicles describe the barbarians who settled along the northern rivers. その古い年代記は、北の川沿いに定住した異邦の人びとについて記しています。 beast e