8.112 代名詞が線を引く — 奴隷にとって七月四日とは何か — Epoché
この篇でできるようになること ★ 代名詞が引く線 を読み取れる。 ★ 答えを求めない問い の重ね方が分かる。 ★ 「論じない」という論じ方 が読める。 ★ 並べ立てて、最後に一言 という形が見える。 前提 : 8.111 まで。型は 3.40 まで。論は 9.10 まで。 読む前に ★ 話し手は、奴隷として生まれ、逃げて自由になった人です。 ★ そのころ、北部でいちばん知られた演説家の一人でした。 ★ 招いたのは、奴隷制に反対する人たちの集まりです。 ★ つまり、聞き手は味方です。 ★ それでも、この演説は聞き手を責めます。 ★ ここが読みどころ です。★ 味方に向かって、どこまで言うか。 ★ 読みながら、代名詞に印を付けてください。 ★ you の系統が 28 回、 we の系統が 25 回 出ます。★ そして、問いが 23 個 あります。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1633 語、文は 80 本、一文の平均は 20.4 語、いちばん長い一文は 135 語です。 書き出しは、問いです。 why am I called upon to speak here to-day? ★ 「なぜ私は、今日ここで話すように求められているのでしょうか」。 ★ 招かれた人が、最初に聞くことではありません。 ★ そして、その理由をすぐに言います。 This Fourth July is yours, not mine. ★ 「この七月四日は、あなたがたのものであって、私のものではない」。 ★ 六語です。 ★ この一文に、演説の全部が入っています。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 市民諸君、失礼ながらお尋ねさせてください。なぜ私は、今日ここで話すように求められているのでしょうか。私や、私が代弁する人々が、あなたがたの国の独立と何の関わりがあるのでしょうか。あの独立宣言にうたわれた、政治的自由と自然の正義という偉大な原理は、私たちにまで及んでいるのでしょうか。だから私は、国の祭壇にささやかな捧げ物を持って来て、あなたがたの独立から私たちにもたらされた恵みを認め、敬虔な感謝を述べるように求められているのでしょうか。あなたがたのためにも私たちのためにも、これらの問いに偽りなく「はい」と答えられたなら、どんなによかったでしょう。そうであれば、私の務めは軽く、私の重荷はたやすく、喜ばしいものだったでしょう。国じゅうの共感に温められないほど冷たい者が、いったいどこにいるでしょうか。感謝すべき理由に対してそれほど頑なで鈍く、これほどかけがえのない恵みをありがたく認めない者が、どこにいるでしょうか。隷属の鎖を手足から引きちぎってもらったのに、国の祝いのハレルヤに自分の声を加えようとしないほど、無感動で身勝手な者が、どこにいるでしょうか。私はそのような者ではありません。もしそうであれば、口のきけない者も雄弁に語り、「足の不自由な者も鹿のように躍り上がる」でしょう。しかし、事の次第はそうではありません。私はこれを、私たちのあいだの隔たりを悲しく感じながら言います。私は、この輝かしい記念日の囲いの内に入れられていないのです。あなたがたの気高い独立は、私たちのあいだの計り知れない隔たりをあらわにするだけです。あなたがたが今日喜んでいる恵みは、皆で分かち合われてはいません。あなたがたの父祖が遺した、正義と自由と繁栄と独立という豊かな遺産は、あなたがたのものであって、私のものではありません。あなたがたに命と癒やしをもたらした陽の光は、私には鞭の傷と死をもたらしました。この七月四日は、あなたがたのものであって、私のものではありません。あなたがたは喜んでよい。私は嘆かねばなりません。鎖につないだ人を、明々と照らされた壮大な自由の神殿に引きずり込み、喜びの賛歌に加われと求めるのは、むごいあざけりであり、神をも恐れぬ皮肉でしょう。市民諸君、今日私に話せと言うのは、私をあざけるつもりなのですか。もしそうなら、あなたがたのふるまいには前例があります。そして警告させてください。天にまでそびえるほどの罪を重ね、全能の神の息吹によって打ち倒され、取り返しのつかない滅びに沈んだ国の例にならうのは、危ういことです。私は今日、皮をはがれ、災いに打たれた民の哀しい嘆きを口にすることができます。「バビロンの川のほとりに、私たちは座った。そうだ、シオンを思い出して、私たちは泣いた。そこの柳に、私たちは竪琴を掛けた。私たちを捕らえて連れて来た者たちが、そこで歌を求め、私たちを荒らした者たちが楽しげな歌を求めて、『シオンの歌を一つ歌え』と言ったからだ。異国の地で、どうして主の歌が歌えようか。エルサレムよ、もし私があなたを忘れるなら、私の右手はその技を忘れるがよい。もし私があなたを思い出さないなら、私の舌は上あごに貼りつくがよい。」市民諸君、あなたがたの国の騒々しい喜びの上に、私は幾百万の人々の悲痛な叫びを聞きます。その鎖は昨日も重くつらいものでしたが、今日は、彼らに届く祝いの叫びによって、いっそう耐えがたいものにされています。もし私が忘れるなら、もし今日、悲しみの中で血を流すあの子らを誠実に思い出さないなら、「私の右手はその技を忘れ、私の舌は上あごに貼りつくがよい」。彼らを忘れ、その受けている不正を軽く見過ごし、世間で人気の主題に調子を合わせるなら、それは何よりも恥ずべき、ゆゆしい裏切りであり、私を神と世界の前で非難されるべき者にするでしょう。ですから市民諸君、私の主題はアメリカの奴隷制です。私は今日という日とその世間的な特徴を、奴隷の立場から見ることにします。そこに立ち、アメリカの奴隷と一体になり、彼の受けている不正を私自身のものとして、私は心の底からためらわずに言い切ります。この国の性格とふるまいが、この七月四日ほど私の目に黒く見えたことはありません。過去の宣言に目を向けても、今の公言に目を向けても、この国のふるまいは同じようにおぞましく、胸の悪くなるものに見えます。アメリカは過去に対して偽り、現在に対して偽り、そして未来に対しても偽ることを厳かに誓っています。この場で、神と、踏みにじられて血を流す奴隷の側に立ち、私は、踏みにじられた人間性の名において、鎖につながれた自由の名において、無視され踏みつけられている憲法と聖書の名において、私の持てるかぎりの強さをもって、奴隷制を永らえさせるあらゆるもの、つまりアメリカの大いなる罪と恥を、あえて問いただし、糾弾します。「私はごまかさない。私は言い訳をしない。」私は、使えるかぎり最も厳しい言葉を使います。それでも、偏見に目をくらまされていない者、心の底では奴隷所有者でない者なら、正しく公正だと認めないような言葉は、一言も私の口から出ないでしょう。しかし、聴衆のどなたかがこう言うのが聞こえる気がします。「まさにそういうところで、あなたもあなたの仲間の奴隷制廃止論者たちも、世間によい印象を与えそこなっているのだ。もっと論じて、糾弾を減らし、もっと説得して、非難を減らせば、あなたがたの主張はずっと通りやすくなるだろうに。」しかし、あえて申し上げます。すべてが明らかなところに、論ずべきことはありません。反奴隷制の信条のどの点を、私に論じさせたいのですか。この問題のどの部分について、この国の人々は光を必要としているのですか。奴隷が人間であることを、私が証明しなければならないのですか。その点はすでに認められています。誰も疑っていません。奴隷所有者たち自身が、奴隷を治めるための法を定めることで、それを認めています。奴隷の不服従を罰するとき、彼らはそれを認めています。ヴァージニア州には七十二の罪があり、それを黒人が犯せば(どれほど無知であろうと)死刑に処せられます。一方、同じ罪のうち、白人を同じ刑に処するのは二つだけです。これは、奴隷が道徳と知性と責任を備えた存在であると認めること以外の何でしょうか。奴隷が人間であることは認められています。それは、南部の法令集が、奴隷に読み書きを教えることを重い罰金と刑罰をもって禁じる法で埋め尽くされているという事実のうちに、認められているのです。野の獣について、そのような法を一つでも示せるなら、そのときには奴隷が人間であることを論じることに応じてもよいでしょう。あなたがたの通りの犬が、空の鳥が、丘の牛が、海の魚が、這う爬虫類が、奴隷と獣の区別がつかなくなったとき、そのときには、奴隷が人間であることをあなたがたと論じましょう。今のところは、黒人の人種が等しく人間であると断言すれば十分です。驚くべきことではありませんか。私たちが耕し、植え、刈り入れ、あらゆる機械の道具を使い、家を建て、橋を架け、船を造り、真鍮や鉄や銅や銀や金を細工しているというのに。私たちが読み、書き、計算し、事務員や商人や秘書として働き、私たちのあいだに弁護士や医者や牧師や詩人や著述家や編集者や演説家や教師がいるというのに。私たちがほかの人々と同じあらゆる事業に携わり、カリフォルニアで金を掘り、太平洋で鯨を捕らえ、丘の斜面で羊や牛を養い、生き、動き、行い、考え、計画を立て、夫として妻として子として家族のうちに暮らし、そして何よりも、キリスト教徒の神を告白して礼拝し、墓の向こうの命と不死を望みをもって待ち望んでいるというのに、私たちは自分が人間であることを証明せよと求められているのです。人間には自由を得る権利があることを、私に論じさせたいのですか。人間は自分の体の正当な持ち主であることを論じさせたいのですか。あなたがたはすでにそれを宣言しています。奴隷制の不当さを私が論じなければならないのですか。それは共和主義者にとって問いになることでしょうか。それは、大きな困難に囲まれた事柄として、理解しがたい正義の原理を疑わしく当てはめることを伴う問題として、論理と論証の規則で決着をつけるべきものなのでしょうか。今日、アメリカ人を前にして、人には生まれながらに自由への権利があることを示すために、論を分け、さらに細かく分け、それを相対的に、絶対的に、否定的に、肯定的に語ってみせたら、私はどう見えるでしょうか。そうすれば、私は自分を滑稽にし、あなたがたの理解を侮辱することになるでしょう。天の覆いの下に、奴隷制が自分にとって悪であると知らない人は、一人もいません。なんと、人を獣にすること、その自由を奪うこと、賃金も払わずに働かせること、同胞との関わりについて無知のままにしておくこと、棒で打つこと、鞭で肉を裂くこと、手足に鉄の枷をはめること、犬で追い立てること、競売で売ること、家族を引き裂くこと、歯をたたき折ること、肉を焼くこと、飢えさせて主人に服従させることが悪であると、私が論じなければならないのですか。このように血で印され、汚れに染まった制度が悪であると、私が論じなければならないのですか。いいえ。私はそうはしません。私には、そのような論が意味するよりも、ましな時間と力の使い道があります。では、論ずべきこととして何が残っているのでしょうか。奴隷制は神のものではないということでしょうか。神がそれを定めたのではないということでしょうか。私たちの神学博士たちが間違っているということでしょうか。そう考えること自体に冒涜があります。人の道に外れたものが、神のものであるはずはありません。誰がそのような命題について論じられるでしょうか。できる人はすればよい。私にはできません。そのような論の時は過ぎたのです。 語釈 帯の外の語は 163 語です。★ この課程でいちばん多い篇 です。★ 聖書の語と、むごい扱いを表す語が二つの山 を作っています——★ それがこの演説の二つの柱だから です。 語(品詞) 意味 注 Almighty en 名 全能の神 America en 名 アメリカ American en 形 アメリカの An American engineer designed the new suspension bridge downtown. あるアメリカの技師がその新しい吊り橋を設計しました。 Americans en 名 アメリカの人々 Many Americans traveled abroad for the first time that summer. 多くのアメリカの人々がその夏初めて海外を旅行しました。 Babylon en 名 バビロン。旧約に出る都 Bible en 名 聖書 The old preacher carried a worn Bible to every sermon. その年老いた説教者はすべての説教にすり切れた聖書を持って行きました。 California en 名 カリフォルニア Christian en 形 キリスト教の The small town's oldest building was a Christian mission chapel. その小さな町で最も古い建物はキリスト教の伝道礼拝堂でした。 Declaration en 名 宣言。ここでは独立宣言 Jerusalem en 名 エルサレム Lord's en 名 主の。 Lord の所有格 O en 間 呼びかけの語。「おお」 O gentle wind, carry my message across the quiet valley. おお、優しい風よ、静かな谷を越えて私の言葉を運んでください。 Pacific en 名 太平洋 Republicans en 名 共和主義者(共和党の結成前の演説) The Republicans introduced a bill to lower the state sales tax. 共和党の人々は州の売上税を下げる法案を提出しました。 Virginia en 名 ヴァージニア。合衆国の州 Zion en 名 シオン。エルサレムの丘 abolitionists en 名 奴隷制をなくそうとする人々 The abolitionists organized secret meetings to plan their next steps. 奴隷制をなくそうとする人々は次の手を計画するため秘密の集会を開きました。 acknowledgement en 名 認めること She received