民主主義の後退――選挙はあるのに自由がない — Epoché
制度と行動 政治体制の比較 約 27 分 本文 約 11,800 字 図 5・表 2 資料 1 節 この課の要点 かたち・進み方・測り方の 3 つ かたち 現代の後退の多くは、選挙を残したまま、報道・結社・裁判所などの歯止めを弱める形で進む。 進み方 クーデターのような一気の転覆は減り、合法に就いた執政が手続きを重ねる段階的な侵食が中心になった。 測り方 後退が世界でどれほど広がっているかは、専門家の判定と客観的な指標で見え方が違い、論争が続いている。 はじめに ニュースで「民主主義の後退」という言葉を聞くことが増えました。けれども、そう言われる国でも、選挙は予定どおり行われ、投票所には人が並んでいることが少なくありません。戦車が議会を囲むわけでも、憲法が一夜で止められるわけでもないのです。それなのに、なぜ「後退」と呼ばれるのでしょうか。 研究の世界でも、この問いは大きな主題になりました。ルーアマンとリンドバーグの 2019 年の論文は、ブラジル、ブルンジ、ハンガリー、ロシア、セルビア、トルコなどの例を挙げます。そして、さまざまな国で起きた民主主義の後退が、新しい世代の研究を生んだと書いています [2] 。地域も歴史も違う国々で、似た変化が観察されたのです。家にたとえれば、外から壊されるのではなく、住んでいる人が柱を一本ずつ抜いていくような変化です(本教材のたとえ)。一本ずつなら家はすぐには倒れず、外から見ても気づきにくいのです。 この課程の『民主主義を測る』の課では、民主主義を数で表す物差しと、民主主義と独裁の境界線を見ました。『権威主義体制』の課では、選挙を行いながら民主主義に届かない体制が、どのように支配を保つのかを見ました。この課では、その二つの間にある過程を扱います。民主主義だった国が、選挙を残したまま、少しずつ弱まっていく過程です。 手がかりは三つあります。一つ目は定義です。研究者は「後退」や「独裁化」をどう定め、どこからを後退と数えるのでしょうか。二つ目は進み方です。昔の民主主義の壊れ方と、今の壊れ方は何が違うのでしょうか。三つ目は測り方です。後退が世界で広がっているのかどうかは、どの指標を使うかで見え方が変わり、研究者の間で論争になっています。 そのうえで、日本の戦前の経験を史料と数で見直します。資料の節では、ハンガリーの指数の推移を読みます。選挙の制度が残っていても、選挙の質や表現の自由は下がることがあります。この「選挙はあるのに自由がない」状態を、自分の目で確かめていきましょう。 この課を読み終えると、ニュースで「後退」と聞いたときに、三つのことを問い返せるようになるはずです。下がったのは選挙そのものか、選挙の質か、それとも報道や裁判所のような歯止めか。それを言っているのは誰で、どの物差しで測った数なのか。そして、その変化は一度の大きな崩れか、小さな下げの積み重ねか。さらに、後退がいつも一方通行ではないことも、いくつかの国の数で確かめます。 この課の問い 選挙が続いているのに、民主主義が弱まっていくことはあるのでしょうか。それはどんな手順で進み、数でどこまで確かめられるのでしょうか。 この課のことば 民主主義の後退 国家が主導して、民主主義を支える制度を弱めたり取り除いたりすること。政治学者バーメオの定義です。 独裁化 選挙民主主義の中核の条件が、事実の上で大きく下がること。民主主義の国にも独裁の国にも使える、より広い言葉です。 執政の権限拡大 選挙で選ばれた首相や大統領が、自分への歯止めを一つずつ弱めていくこと。一歩ずつは小さく、手続きも踏まれます。 競争的権威主義 民主主義ではないが、野党が現職に挑み、ときには追い落とせる選挙の場が残る体制のことです。 自己クーデター 合法に就いた首脳が、憲法や議会を一気に止めて権力を握ることです。 抑制と均衡 裁判所・議会・報道などが、政府の長の力を止めたり見張ったりする仕組みのことです。 民主主義の後退――選挙を残したまま、何が削られるのか 民主主義の後退は、ある日突然起こる出来事というより、何年もかけて進む過程として論じられています。この章では、まず後退をどう定義し、どう数えるのかを確かめます。次に壊し方の変化を見て、測り方をめぐる論争、そして日本の経験へと進みます。 後退とは何か――定義と数え方 政治学者のナンシー・バーメオは、2016 年の論文で、民主主義の後退を「国家が主導して、既存の民主主義を支える政治制度を弱めたり取り除いたりすること」と定義しました [1] 。この定義で大事なのは「弱めたり」という部分です。制度を完全に壊さなくても、その働きを弱めれば後退に入ります。選挙が残っていても、選挙を支える制度が弱っていれば後退と呼べる、ということです。 ヨーテボリ大学の V-Dem 研究所のアンナ・ルーアマンとスタファン・リンドバーグは、2019 年の論文で別の言葉を選びました [2] 。二人は「独裁化」を、選挙民主主義の中核の制度の条件が、事実の上で大きく下がることと定義します。中核の条件とは、ダールのポリアーキーの考えにもとづく、きれいな選挙、結社の自由、広い選挙権、選挙で選ばれた執政、表現の自由と多様な情報源です [2] 。二人が「後退」の語を避けたのは、この語が歴史上の前の状態への意図しない逆戻りを思わせるからでした。「独裁化」は、それより広い意味を持たせた言葉だと説明しています [2] 。 独裁化の語は、民主主義の国にも独裁の国にも使えます。二人は、民主主義の中で起きる独裁化を「民主主義の退潮」、民主主義が独裁に変わることを「民主主義の崩壊」と呼びました。さらに、すでに権威主義の状態にある国で民主的な性質がゆっくり下がることを「独裁の固定化」と呼び分けています [2] 。この課の題の「選挙はあるのに自由がない」は、主に一つ目と二つ目にかかわります (図 1) 。 投票箱は残っても、まわりが細る 投票箱 有権者 報道 裁判所 選挙の日は来るのに、批判と歯止めが弱る 図 1 「選挙はあるのに自由がない」状態を、投票箱と報道・裁判所の場面にたとえた本教材の絵。投票の日は来るが、批判の声と歯止めが弱っている。 定義が決まったら、次は数え方です。ルーアマンとリンドバーグは、V-Dem の 182 か国、1900 年から 2017 年末までの 18,031 の国・年のデータを使いました。そして、選挙民主主義指数(0〜1)で独裁化の事例を拾いました [2] 。基準は、1 年の間に、またはつながった期間に、指数が 0.1 以上下がることです [2] 。選挙民主主義指数は、結社の自由、きれいな選挙、表現の自由と多様な情報源、選挙で選ばれる公職、選挙権の五つの指数からできています。五つの加重平均(重みは成分ごとに違う)と、五つを掛け合わせた値を、半分ずつ足したものです [4] 。どれか一つが弱いと、全体の値も引き下げられる仕組みです。二人自身、連続した指数のどこに線を引くかは恣意的だと認めています。そのうえで、0.1 という厳しめの基準なら、評価する人の小さなぶれ(測りの誤差)だけで事例が生まれる危険を小さくできる、と理由を述べています [2] 。 同じ独裁化でも、速さは大きく違います。二人は、事例の中で 1 年の下げ幅が最も大きかった年の値を、指数の最大値 1 に対する割合で表しました。ドイツの 1930〜35 年の事例は、1933 年のヒトラーの政権獲得の後の急な崩壊を含み、26% でした。一方、トルコの 2008〜17 年は 7%、ロシアの 1993〜2017 年は 5% で、ゆっくりした低下だけからなっていました [2] 。後退は、一度の大きな崩れとしても、小さな下げの積み重ねとしても起こりうるのです。小さな下げは一年ごとには目立たないため、気づいたときには大きく下がっていることがあります。 ここで間違えやすい 「後退」と聞くと、民主主義がもう終わったと受け取りがちです。しかし定義の上では、民主主義の中で質が下がる段階(退潮)と、独裁に変わる崩壊とは区別されます。指数が下がっていても、その国がまだ民主主義の境界の内にあることもあります。 壊し方が変わった――クーデターから合法の侵食へ バーメオの論文のもう一つの主張は、後退の形が冷戦の後に大きく変わったということです [1] 。減ったのは、期限のないクーデター、執政(首相や大統領)によるクーデター、投票日のあからさまな不正です。増えたのは、彼女が「約束つきのクーデター」と呼ぶ型、執政の権限拡大、そして選挙の戦略的な操作と嫌がらせです [1] (図 2) 。 減った型 増えた型 期限のない クーデター 約束つきの クーデター 執政による クーデター 執政の権限拡大 投票日のあから さまな不正 選挙の戦略的な 操作と嫌がらせ 図 2 冷戦の後に減った後退の型と、増えた型。バーメオ(2016)の論文の要旨による [1] 。 なかでも中心になるのが執政の権限拡大です。バーメオの説明では、選挙で選ばれた執政が、執政の権力への抑制を一つずつ弱めることです。そのために、反対勢力が執政の意向に挑む力を妨げる一連の制度の変更を行います(ルーアマンとリンドバーグの論文の引用による) [1] [2] 。「一つずつ」という点が要です。一つひとつの変更は小さく、それぞれに手続きがあります。そのため、どの一歩で民主主義が損なわれたのかを指し示しにくくなります。 数でも同じ変化が見えます。ルーアマンとリンドバーグは、民主主義の国で始まった独裁化を、第三の波(1994 年から)より前の 28 事例と、第三の波の 47 事例に分けて、型を調べました [2] 。前の時代は、軍事クーデター(39%)、外国の侵攻(29%)、自己クーデター(32%)がほとんどを占めていました。自己クーデターとは、合法に就いた首脳が選挙や議会などの中心の制度を突然廃止することです。1992 年にペルーのフジモリ大統領が憲法と議会を停止した例が典型とされます。ヒトラーも合法に政権に就いた後、1933 年の授権法で民主的な制度を退けました [2] 。 これに対して第三の波では、「民主主義の侵食」が 47 事例のうち 33、つまり 70% を占めました。合法に権力に就いた現職が、中心の制度を廃止しないまま、民主的な規範を段階的に、しかし大きく損なっていく型です。目立つ例としてハンガリーとポーランドが挙げられています [2] (表 1) 。 この表で分かること: 第三の波の独裁化は、合法に就いた後の段階的な侵食が中心で、終わりの水準も高い 観点 第三の波より前 第三の波(1994 年〜) 事例の数 28 47 主な型 クーデター・侵攻・自己クーデター 合法に就いた後の段階的な侵食 70% 終わりの年の指数の中央値 0.13 0.45 低下の合計の中央値 −0.50 −0.19 表 1 民主主義の国で始まった独裁化の事例の比較(1900〜2017 年、選挙民主主義指数 0〜1)。ルーアマンとリンドバーグ(2019)による。数は当時の V-Dem の版による [2] 。 なぜ形が変わったのでしょうか。ルーアマンとリンドバーグは、冷戦の後に複数政党の選挙が世界の規範になったことを理由に挙げます [2] 。選挙を廃止するようなあからさまな違反は、正統性の費用が高くつきます。「盗まれた」選挙は大衆の抗議を呼び、「色の革命」と呼ばれる動きにもつながりました。国際社会も、選挙の結果を尊重しない指導者に制裁を科しやすく、援助は複数政党の選挙を条件にすることが多いのです。2016 年のガンビアでは、選挙の敗北を認めなかった大統領が、近隣国の軍の介入を受けて国外に退きました [2] 。 これに比べ、選挙による権威主義への段階的な移行は見分けにくく、国内外の反対の機会も少ない、と二人は論じます。使われるのは、報道の検閲と嫌がらせ、市民社会と政党の制限、選挙管理機関の自律の切り崩しといった、より目立たない手段です [2] 。こうしてできる体制を言い表す言葉に、スティーブン・レヴィツキーとルーカン・ウェイの「競争的権威主義」があります。二人は 2002 年の論文で、民主主義ではないものの、野党が現職に挑み、ときには追い落とすこともできる争いの場が残る体制を、新しい型の非民主的な政府として取り上げました [3] 。 ここで間違えやすい 「法律の手続きを踏んでいるなら民主的だ」と考えがちです。しかしバーメオは、現代の後退が、民主主義を推進する人々の重んじる制度そのものによって正統化される点に、その厄介さがあると論じています [1] 。手続きが合法かどうかと、民主主義の制度が働いているかどうかは、別に確かめる必要があります。 後退はどこまで確かか――測り方の論争と、止まった後退 後退の話は暗い印象を与えますが、ルーアマンとリンドバーグは、慌てる必要はないとも書いています [2] 。二人の数え方では、独裁化の第一の波はおよそ 1926〜42 年、第二の波は 1961〜77 年で、第三の波は 1994 年に本格的に始まりました。2017 年には後退する国が前進する国を上回り、これは 1940 年以来のことでした [2] 。それでも、民主主義の国の割合は史上最高に近く、いまの低下は比較的穏やかだというのです [2] 。 根拠の一つは低下の深さです。1994 年より前の民主主義での独裁化は、閉じた独裁への劇的な転落になることが多く、終わりの年の選挙民主主義指数の中央値は 0.13 でした。第三の波では 0.45 と高いままです。低下の合計の中央値も、前の時代の −0.50 に対して −0.19 と、半分以下です [2] 。三つの波を比べると、1 年の最大の下げ幅の中央値も、第一・第二の波の 31% から第三の波の 8% に下がりました [2] 。ただし楽観もできません。侵食の 33 事例のうち 18(55%)は民主主義の崩壊に至り、崩壊の前に止まったのは 5(15%)だけで、10(30%)は 2017 年の時点で続いていました [2] 。 そもそも、世界で後退が広がっているという見方に疑問を投げる研究もあります。アンドリュー・リトルとアン・メンは 2024 年の論文で、専門家の判定に頼らない「客観的」な指標を調べました [5] 。現職の党が選挙で負ける率、指導者