11.50 禮記 學記 雖有嘉肴 — 教學相長ず — Epoché
この篇でできるようになること ごちそうのたとえと学びの本題で、入れ替わる語を示せます。 学ぶことと教えることの二本の道すじを書けます。 否定の後ろの対象と、最後に前へ出た対象を読み分けられます。 前提 :11.49「禮記 禮運 大道之行也」。同じ書から、今回は教育を論じる學記篇の一段へ進みます。 ごちそうを先に出す理由 雖有嘉肴,弗食,不知其旨也 は、ごちそうがあっても食べなければ、その味のよさは分からないということです。 旨 はうまい味で、日本語の旨いという字からも捉えられます。 次の 雖有至道,弗學,不知其善也 では、ごちそうをこの上ない道に替えます。食べることを学ぶことに、味をよさに替えます。形は同じなので、初めの句で受け取った関係を、学ぶ話へ移せます。 いきなり学びの大切さを言うより、読み手が身近に確かめられることから入ります。食べずには味が分からないという、異論を挟みにくい関係を先に示し、その形で本題を述べる運びです。 否定の後ろに、対象があるか 弗 は伝統的に、 不 と 之 を合わせたものに当たると説明されます。この段の 弗食 と 弗學 では、後ろへ目的語を出さず、動詞で切れています。 一方、 不知其旨也 と 不知其善也 では、知る動詞の後ろに、その味、そのよさという対象が続きます。この違いを、どこに否定があるかだけでなく、後ろに何が続くかで見ます。 ここで二つの否定を強い・弱いと分ける必要はありません。仮定に置く字と結論に置く字という暗記だけにせず、動詞と目的語のまとまりとして読んでください。 弗 を見たら、必ず強く否定していると決めないでください。この本文では、食べる・学ぶ動詞だけで切れる形と、知る対象を後ろに述べる形を比べます。 そうしてはじめて、次へ進む 然後 は、そうしてはじめて、という意味です。書き下しでは「學びて然る後に足らざるを知る」のように、「然る後に」と読みます。単に出来事を前後へ並べるだけでなく、前を経験することで後を知れるという重みがあります。 現代語の 然后 は、それから、という軽い順接にもよく使います。ここでは学んで、それから、という訳だけで済ませず、学んではじめて足りなさを知る、と受け取ります。 只有 と 才 を組にする言い換えが手がかりです。 本文にはこの接続が四回あります。学んではじめて不足を知り、教えてはじめて行き詰まりを知る。その後には、不足を知って自分を省みる段階が続きます。行き詰まりを知って自分を励ます段階も続きます。 学ぶ側と教える側の二本の道 A 読み B 読み 違い 學 学ぶ 教 教える 出発する行い 知不足 足りなさを知る 知困 行き詰まりを知る 行って気づくこと 能自反 自分を省みられる 能自強 自分を励ませる 気づいた後の働き 二本を同じ長さ、同じ形で置いています。学ぶ側だけが未熟で、教える側はすべて分かっている、という並べ方ではありません。教えることでも、自分の困る所に出会います。 図にするときも、学ぶことから教えることへ一本で進む図にはしません。それぞれの行いから、気づき、自分への働きかけへ進む二本の道を並べます。四つの接続が、二本の中の二つずつのつながりになります。 相という一字で、二本を結ぶ 教學相長 は、この一段に出どころのある成語です。 相 は、たがいに、という意味で、教えることと学ぶことが育て合うと述べます。 結論だけを先に覚えると、なぜ互いにと言うのかが薄れます。二本の道を同じ形で読んだ後なら、一方が他方へ与えるだけでないことを、この一字で受け止められます。 是故 でたとえを受けて学びの道すじへ進み、 故曰 でその道すじから結論を引きます。接続の前後で文が何をしているかを見れば、たとえ、説明、結論の役割が分かれます。 古い書の、二つの学ぶ字 兌命 は、書經の篇名の 說命 に当たるとされます。 兌 はここで yuè と読みます。よく見る字の読みだけで、篇名を決めないようにします。 引用された 學學半 の前の 學 には、教えるという 斅 として xiào と読む注があります。後ろは学ぶことです。二つとも学ぶと読むと、何が何の半分なのかが捉えにくくなります。 教えることは学ぶことの半分だ、という訳が一つの足場になります。ただし、この短い句の解釈には揺れがあります。教えることと学ぶことを結ぶ引用として読んでください。 學學半 は同じ字が重なりますが、前の字を教えると読む注があります。字の見た目だけで同じ動作を二度並べず、語釈と引用の働きを合わせます。 このことを言うのだろう、と結ぶ 其此之謂乎 は、 其謂此乎 へ戻せます。これ、という目的語を動詞の前へ出し、その間に 之 を置いています。 特別編 23篇 の、これを何々という形とも比べられます。 前の 其 と最後の 乎 が、まさにこのことを言うのであろう、という推量の調子を添えます。古い書を引いてから、今の結論と結び、断定を一段やわらげて閉じています。 推量の 乎 は現代語の 吧 と比べられますが、問いに使うときは 吗 に当たることもあります。文末の字だけをいつも同じ語へ置き換えず、この結びではどのような調子かを読みます。 語釈 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 嘉肴 名詞 ごちそう 食べるたとえ 雖有嘉肴 ごちそうがあっても 旨 名詞 うまい味 日本語の旨いに通じる 不知其旨也 その味のよさが分からない 至道 名詞 この上ない道 学ぶ本題 雖有至道 この上ない道があっても 弗 否定の語 〜しない ここでは動詞の後に対象を出さない 弗食 食べない 然後 接続の語 そうしてはじめて 軽いそれからだけではない 然後知不足 そうしてはじめて不足を知る 困 名詞 行き詰まり 教えて分かること 然後知困 そうしてはじめて行き詰まりを知る 自反 動詞 自分を省みる 不足を知った後の働き 然後能自反也 そうしてはじめて自分を省みられる 自強 動詞 自分を励ます 無理に強いる意味ではない 然後能自強也 そうしてはじめて自分を励ませる 相 副詞 たがいに 二本の道を結ぶ 教學相長 教えることと学ぶことが育て合う 兌命 篇名 書經の說命に当たる篇 兌を特殊に読む 《兌命》曰 說命にいう 練習 空欄を埋めてください。 雖有嘉肴,弗食,不知其_也 空欄を埋め、1 の句と比べて、たとえと本題で入れ替わった語を示してください。 雖有至道,_學,不知其_也 学ぶ側と教える側の二本の道すじを、本文の語を使った図に書き、それぞれの初めのつながりを 只有 と 才 で現代語にしてください。 其此之謂乎 をふつうの語順へ戻し、現代語で推量の文にしてください。 學學半 の前後の字を、教えることと学ぶことに分けてください。 _食 、 _學 、 _知其旨也 の空欄に、本文で使う否定の字を入れ、対象の有無で理由を書いてください。 学問の話をごちそうから始める効き目を説明してください。 前の課で学んだ 豆腐 と 西瓜 を一つずつ使い、ごちそうの句にならって、 虽然 ・ 有 ・ 不 を含む現代語の二文を書いてください。何が分からないのかも書きます。 专心 ・ 学习 ・ 巧克力 を使い、勉強中の自分について一文を書いてください。 音読:次の原文の句を ▶ で聞き、声に出して読んでください。 雖有嘉肴,弗食,不知其旨也;雖有至道,弗學,不知其善也。 是故學,然後知不足,教,然後知困。 知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰:「教學相長」也。 《兌命》曰:「學學半。」其此之謂乎! ▶ の手本を聞き、初めの二句を同じ調子で音読します。四つの 然後 の前で間を置き、最後の推量は言い切らずに読んでください。 この篇のまとめ ごちそうと道を同じ形で並べ、学ぶ側と教える側の道を対にしました。目的語の有無と、はじめてという接続を読み、互いに育つ結論を引用と推量で閉じます。 次の篇へ 次の11.51では孟子の告子下から、生於憂患、死於安樂を読みます。低い所から引き上げられた六人を並べ、人から国へ話を広げる結びを確かめます。 答え 雖有嘉肴,弗食,不知其旨也 。空欄は 旨 です。 雖有至道,弗學,不知其善也 。 嘉肴 ・ 食 ・ 旨 と 至道 ・ 學 ・ 善 が対応します。 學 → 知不足 → 自反 。 教 → 知困 → 自強 。 只有学了,才知道自己还不够。 只有教了,才知道哪里不明白。 其謂此乎 。 大概就是这个意思吧。 注に従う読みでは、前が教えること、後が学ぶことです。句全体の解釈には揺れがあります。 弗食 、 弗學 、 不知其旨也 です。前二つは動詞で切れ、最後は知る動詞の後に対象が続きます。 食べなければ味が分からないという身近な関係で納得させ、同じ形で学ばなければ道のよさが分からないという本題へ移れます。 虽然有豆腐,不吃不知道味道。 虽然有西瓜,不吃不知道好坏。 我专心学习,不吃巧克力。 参考文献 戴聖(編)『禮記 學記』。パブリックドメイン(著者没後70年経過)。本文は抄。 出所: https://zh.wikisource.org/wiki/禮記/學記