14.41 四つのイドラ — 名を付けてから、一つずつ定義する — Epoché
この篇でできるようになること ★ 名を先に付けて、あとで定義する 組み立てが読める。 ★ 語の選び方 (誤りではなく偶像)の意味が言える。 ★ 比の形で自分の議論の位置を決める のが読める。 ★ 同じ書き出しをくり返す 働きが分かる。 前提 : 特別編に門はありません。第 5 期まで済んでいれば、どこからでも読めます(目安は 3.40 まで/4.60 まで)。 読む前に ★ 特別編は どの篇から読んでもかまいません 。★ 前の篇を読んでいなくても通じるように書いてあります。 ★ 先に断っておきます ——★ これは ラテン語で書かれた本の英訳 です。★ 原著は 一六二〇年 、★ この英訳は 一八五八年 ——★ 訳した人は Spedding ・ Ellis ・ Heath の三人 です。 どちらの年か 何を決めるか ★ 一六二〇年 ★ 考えの中身 ★ 一八五八年 ★ ここにある英語 ★ だから、 この英語は十九世紀の英語 です。★ ベーコンの時代の英語ではありません ——★ 14.42 英語の名文 のホッブズは 本人が英語で書いた ので、★ 並べて読むと 綴りと語の違いが見え ます。 どちらのことか 確かめること ★ ことばのこと ★ 語が思考をどう縛るか( 12.1 知編 ) ★ 考え方のこと ★ 経験から始める考え方の流れ( 12.16 知編 ) 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1479 語、段落は 12 つ、文は 46 本、一文の平均は 32.2 語です。 ★ 数えてみると、 Idols が 13 回 出ます (小文字の idols が 3 回)。★ understanding (知性)も 10 回 。★ この二語で この文章の全部 です——★ 知性が、偶像に狂わされる 。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 いま人の知性を占め、そこに深く根を下ろしている偶像と誤った観念は、真理がほとんど入りこめないほど人の心を取り囲んで苦しめるだけでなく、入りこめたあとでさえ、学問を建て直すその場でまた私たちに出会って悩ませるでしょう。危険を前もって知らされた人が、その襲撃に対してできるかぎり身を固めるのでなければ。 人の心を取り囲んで苦しめるイドラには四つの類があります。見分けるために、私はそれらに名を付けました。第一の類を種族のイドラ、第二を洞窟のイドラ、第三を市場のイドラ、第四を劇場のイドラと呼びます。 真の帰納によって観念と公理を形づくることが、イドラを遠ざけ、取り除くために当てるべき正しい治療であることは疑いありません。しかし、イドラを指摘することもたいへん役に立ちます。というのも、イドラ論が自然の解釈に対してもつ関係は、詭弁の論破についての教えがふつうの論理学に対してもつ関係と同じだからです。 種族のイドラは、人間の本性そのもの、人という種族あるいは種に根ざしています。というのも、人の感覚が物の尺度であるというのは誤った主張だからです。それどころか、感覚による知覚も心による知覚も、すべては個々の人の尺度に従うのであって、宇宙の尺度に従うのではありません。そして人の知性はゆがんだ鏡のようなもので、光をゆがんだ形で受け、自分の性質を物の性質に混ぜることで、物の姿をねじり、色を狂わせます。 洞窟のイドラは、個々の人のイドラです。というのも、だれもが(人という種に共通の誤りのほかに)自分だけの洞窟、ほら穴を持っていて、それが自然の光を屈折させ、色を狂わせるからです。その原因は、その人に固有の独特な性質であったり、教育や人との会話であったり、本を読むことや、その人が尊び敬う人々の権威であったり、印象の違い、つまり先入観にとらわれて傾いた心に起こるか、こだわりのない落ち着いた心に起こるかによる違いであったり、そういったものです。ですから、人の精神は(それぞれの人に配られた分に応じて)実のところ移ろいやすく、乱れに満ち、いわば偶然に支配されたものです。そこから、人は学問を大きな共通の世界にではなく、自分の小さな世界に探し求める、とヘラクレイトスが言ったのはもっともなことでした。 また、人と人との交わりと付き合いから生まれるイドラもあります。私はこれを、そこで人々が取り引きし付き合うことにちなんで、市場のイドラと呼びます。というのも、人が交わるのは言葉によってであり、そして語は、世間の人びとの受け取り方に合わせて当てはめられるからです。したがって、語の悪くふさわしくない選び方は、おどろくほど知性をふさぎます。学者がある事柄について身を守るのに使いならわしている定義や説明も、けっして事を正しはしません。そうではなく、語ははっきりと知性を押しのけて決めてしまい、すべてを混乱に投げこみ、人々を数えきれないむなしい論争と根拠のない空想へと導くのです。 最後に、さまざまな哲学の教説から、また誤った論証の規則から、人の心に移り住んできたイドラがあります。これを私は劇場のイドラと呼びます。私の判断では、受け継がれてきた体系はどれも、それだけの数の芝居にすぎず、自分たちが作り出した世界を、現実ではない舞台風のやり方で演じているからです。私が言っているのは、いま流行している体系のことだけでも、古い学派や哲学のことだけでもありません。同じ種類の芝居は、これからもまだ多く書かれ、同じように作り物のやり方で上演されるかもしれないからです。というのも、まったくかけ離れた誤りでも、その原因はたいていよく似ているからです。また、私がこう言うのは、体系全体のことだけではなく、学問の多くの原理や公理のことでもあります。それらは言い伝えと、すぐ信じてしまうことと、怠りによって受け入れられるようになったのです。 しかし、こうしたいくつかの種類のイドラについては、知性がしかるべく戒められるように、もっと詳しく正確に語らなければなりません。 人の知性は、その本性からして、世界に実際に見いだすよりも多くの秩序と規則正しさがあると思いこみがちです。そして、自然には単独で対になるものがない物事が多くあるのに、知性はそれらのために、存在しない対応物や対になるものや関係するものをこしらえます。そこから、天体はすべて完全な円を描いて動くという作り話が生まれ、らせんや竜の線は(名前の上でのほかは)すっかり退けられるのです。そこからまた、感覚がとらえるほかの三つの元素と四角をそろえるために、火の元素がその球とともに持ちこまれます。そこからまた、いわゆる元素の密度の比が、根拠なく勝手に十対一と定められます。ほかの夢についても同じです。そしてこうした空想は、教説だけでなく、単純な観念にも影響します。 人の知性は、ひとたびある意見を採ると(それが受け継がれた意見だからであれ、自分に都合がよいからであれ)、ほかのすべてのものを引き寄せて、それを支え、それと合うようにさせます。そして、反対の側により多く、より重い事例が見つかるとしても、知性はそれを見過ごして見下して退けるか、あるいは何かの区別を立てて脇へのけ、退けます。この大きな、害のある前もっての決めつけによって、以前の結論の権威が侵されないままであるようにするためです。ですから、ある人の答えはよいものでした。神殿に、難破をのがれた者たちが願を果たした絵が掛かっているのを見せられ、これでも神々の力を認めないのかと問われたとき、その人はこう問い返したのです。「そうだ、しかし、願をかけたあとに溺れた者たちはどこに描かれているのか」。そして、占星術であれ、夢であれ、前兆であれ、神の裁きであれ、そういったものであれ、あらゆる迷信のやり方はこうです。そこで人々は、そうしたむなしいものを喜び、それが当たった出来事には目を留めますが、外れたときには、そのほうがずっと多く起こるにもかかわらず、見過ごして通り過ぎてしまいます。しかしこの害は、はるかに見分けにくい形で哲学と諸科学に入りこみます。そこでは最初の結論が、あとに来るものすべてを、それがはるかに健全でよいものであっても、自分の色に染め、自分に合うようにしてしまいます。そのうえ、私が述べたあの喜びとむなしさとは別に、否定の事例より肯定の事例に強く動かされ、心をかき立てられるのは、人の知性に特有の、いつまでも続く誤りです。本来は、どちらにも等しく偏らない態度を保つべきなのです。実際、どんな真の公理を立てるときも、否定の事例のほうが二つのうちで力があります。 人の知性は、同時に、突然に心を打って入りこみ、そうして想像を満たす物事にいちばん動かされます。そして、それ以外のものもすべて、どうしてかは分からないながら、自分を取り巻くその少数の物事に何らかの形で似ているのだと思いこみ、決めてしまいます。しかし、公理が火で試されるように試される、遠く異質な事例へと行き来することについては、厳しい規則と、有無を言わせぬ権威によって無理にそうさせられないかぎり、知性はまったく鈍く、向いていません。 人の知性は落ち着きがありません。止まることも休むこともできず、なおも前へ前へと進みますが、むなしいのです。ですから私たちは、世界の終わりや限りを思い描くことができず、いつも必ず、その向こうに何かがあると思えてしまうのです。また、永遠がどのようにして今日まで流れ下ってきたのかも思い描くことができません。というのも、過ぎた時間の無限と、来たるべき時間の無限という、ふつう受け入れられている区別は、けっして成り立たないからです。そこからは、一つの無限がもう一つの無限より大きく、無限がすり減って有限になろうとしている、ということが出てきてしまうからです。線が無限に分けられることについても、考えが止まれないという同じ無力から、同じような微妙な問題が生じます。しかしこの無力は、原因の発見において、もっと害のある形で邪魔をします。というのも、自然の最も一般的な原理は、発見されたとおりに、ただあるものとして受け取られるべきであり、真実のうえで何かの原因に帰することはできないのに、それでも人の知性は休むことができず、自然の順序においてより先にあるものをなおも探し求めるからです。そうして、より遠くにあるものへ向かってもがくうちに、より手近にあるもの、つまり目的因へと逆戻りしてしまいます。目的因は明らかに、宇宙の本性よりも人間の本性に関わるものであり、この源から哲学を不思議なほど汚してきたのです。しかし、最も一般的なものの原因を探し求める人は、下位の従属する物事においてそうするのを怠る人に劣らず、未熟で浅い哲学者なのです。 語釈 帯の外の語は 94 語です。★ 三つに割れ ます——★ イドラの名と道具の語 ( Idols ・ Sophisms ・ instauration )、★ 狂い方を言う語 ( refracts ・ discolours ・ feigns )、★ 十九世紀の古い形 ( therein ・ whence ・ wherewith )。★ 三つめは 覚えなくてよい です——★ どれも there ・ where + 前置詞 で、★ 「その〜に」と読めば足り ます。 語(品詞) 意味 注 Aye en 感 そうだ。古い言い方の「はい」 Aye, the old fisherman replied, the tide is turning fast. 老いた漁師は「そうだ」と答え、潮が急に変わりはじめていました。 Cave en 名 洞窟。 Idols of the Cave で洞窟のイドラ The children explored a deep cave hidden behind the waterfall. 子どもたちは滝の裏に隠れた深い洞窟を探検しました。 Heraclitus en 名 ヘラクレイトス。古代ギリシアの哲学者 Idols en 名 偶像(複数)。ここでは人の知性を狂わせるもの The ancient temple was filled with carved idols of stone. その古代の神殿には石で彫られた偶像がいくつも置かれていました。 Sophisms en 名 詭弁(複数)。もっともらしいが誤った論 The lawyer's clever sophisms could not hide the plain truth. その弁護士の巧みな詭弁も明らかな真実を隠すことはできませんでした。 affirmatives en 名 そうだと言う事例(複数) The survey collected far more affirmatives than uncertain or negative answers. その調査ではそうだと言う回答が不確かな回答や否定よりずっと多く集まりました。 agreeable en 形 自分に都合のよい He found the mild spring weather remarkably agreeable for a picnic. 彼はその穏やかな春の天気がピクニックに実にちょうどよいと感じました。 apprehension en 名 のみこみ方。ものの受け取り方 Her quick apprehension of the problem impressed the whole engineering team. 彼女がその問題をすばやく理解したことは技術者チーム全員に感心されました。 arbitrarily en 副 根拠なく勝手に The judge could not simply decide the case arbitrarily without evidence. 裁判官は証拠もなく事件を根拠なく勝手に決めることはできませんでした。 astrology en 名 占星術 Ancient sailors sometimes studied astrology to predict changes at sea. 古代の船乗りたちは海の変化を占うため占星術を学ぶこともありました。 beset en 動 取り囲んで苦しめる Doubts and worries seemed to beset the young captain every night. 疑いと不安が毎晩その若い船長を取り囲んで苦しめているよう