3.7 持ち主は名詞の後ろ — 前の課の裏返し — Epoché
この 課 か でできるようになること 持ち主 もちぬし を、 名詞 めいし の 後ろ うしろ に 置い おい て 言える いえる 。 されるほうは 前 まえ 、 持ち主 もちぬし は 後ろ うしろ という 二 ふた つの 位置 いち を 使い分け つかいわけ られる。 持ち主 もちぬし を 足し たし ても 冠詞 かんし が 残る のこる ことを、 体 からだ で 覚える おぼえる 。 前提 ぜんてい : 3.6( 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし は 動詞 どうし の 前 まえ )。 前 まえ の 課 か では、 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし が 動詞 どうし の 前 まえ に 立つ たつ と 学び まなび ました。 日本 にっぽん 語 ご と 同じ おなじ 語順 ごじゅん で、いちばん 易しい やさしい ところでした。この 課 か はその 裏返し うらがえし です。 同じ おなじ 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし が、 持ち主 もちぬし を 表す あらわす ときには 名詞 めいし の 後ろ うしろ に 立ち たち ます。 日本 にっぽん 語 ご とは 逆 ぎゃく になります。 「 私 わたくし の 家 いえ 」を、ギリシア 語 ご は「 家 いえ ・ 私 わたくし の」の 順 じゅん で 言う ゆう 。 一 ひと つの 言語 げんご のなかで、 前 まえ と 後ろ うしろ が 役目 やくめ によって 分かれ わかれ ている ——これがこの 課 か の 中心 ちゅうしん です。 型 かた の 骨格 こっかく — 持ち主 もちぬし は 名詞 めいし の 後ろ うしろ 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 真ん中 まんなか がギリシア 語 ご 、 右 みぎ が 日本 にっぽん 語 ご の 語順 ごじゅん との 違い ちがい です。 言い いい たいこと ギリシア 語 ご では 日本 にっぽん 語 ご の 語順 ごじゅん と 私 わたくし の 友だち ともだち ο φίλος μου で 私 わたくし の 友だち ともだち 逆 ぎゃく 。 持ち主 もちぬし が 後ろ うしろ に 来る くる 私 わたくし の 母 はは η μητέρα μου で 私 わたくし の 母 はは 逆 ぎゃく 。 冠詞 かんし は 名詞 めいし の 前 まえ に 残る のこる あの 人 ひと の 家 いえ το σπίτι του で あの 人 ひと の 家 いえ 逆 ぎゃく 。 持ち主 もちぬし も 強勢 きょうせい を 持た もた ない 三 みっ つとも、 並び ならび は 冠詞 かんし ・ 名詞 めいし ・ 持ち主 もちぬし です。 日本 にっぽん 語 ご の「 私 わたくし の 家 いえ 」を 移す うつす ときは、まず 家 いえ を 置い おい てから 私 わたくし の を 後ろ うしろ に 足す たす 、と 考え かんがえ てください。 前 まえ から 順 じゅん に 訳そう やくそう とすると 必ず かならず 逆 ぎゃく になります。 そして 冠詞 かんし は 消え きえ ません 。 型 かた 編 へん 1 課 か でも 触れ ふれ ましたが、これは 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ が 落とし おとし やすいところです。 日本 にっぽん 語 ご では「 私 わたくし の 家 いえ 」で 完結 かんけつ するので、 家 いえ に 何 なん も 付け つけ たくならない。ギリシア 語 ご では 家 いえ に 冠詞 かんし を 置き おき 、そのうしろに 私 わたくし の を 足す たす 。 冠詞 かんし を 落とす おとす と、 聞き手 ききて には 言い いい さしのように 響き ひびき ます。 日本 にっぽん 語 ご ならどう 言う ゆう か 表 ひょう は 四 よん 行 ぎょう です。 前 まえ の 課 か と 並べ ならべ て 見 み てください。 日本 にっぽん 語 ご で 言い いい たいこと ギリシア 語 ご では ずれるところ 私 わたくし を 知っ しっ ている Με ξέρει ずれない。されるほうは 動詞 どうし の 前 まえ 私 わたくし の 友だち ともだち ο φίλος μου 逆 ぎゃく になる。 持ち主 もちぬし は 名詞 めいし の 後ろ うしろ 母 はは が 来 き た Ήρθε η μητέρα μου 日本 にっぽん 語 ご は 私 わたくし の を 言わ いわ ないことが 多い おおい ギリシアの 首都 しゅと η πρωτεύουσα της Ελλάδας 名詞 めいし が 持ち主 もちぬし でも 後ろ うしろ に 置く おく 一 いち 行 ぎょう 目 め と 二 に 行 ぎょう 目 め を 並べ ならべ たのは、 同じ おなじ 形 かたち の 語 ご が 位置 いち で 役目 やくめ を 変える かえる ことを 見る みる ためです。 私 わたくし を も 私 わたくし の も 短い みじかい 一 いち 語 ご で、どちらも 強勢 きょうせい を 持た もた ない。 違う ちがう のは 置く おく 場所 ばしょ だけです。 動詞 どうし の 前 まえ なら されるほう、 名詞 めいし の 後ろ うしろ なら 持ち主 もちぬし 。 三 さん 行 ぎょう 目 め には 別 べつ のずれがあります。 日本 にっぽん 語 ご では「 母 はは が 来 き た」と 言っ いっ て「 私 わたくし の」を 言い いい ません。 身内 みうち を 指す さす ときに 所有 しょゆう を 言わ いわ ないのが 日本 にっぽん 語 ご の 習慣 しゅうかん です。 ギリシア 語 ご では 言い いい ます。 母 はは 、 父 ちち 、 友だち ともだち ——どれも 誰 だれ の、を 添える そえる のがふつうで、 添え そえ ないと 一般 いっぱん 的 てき な「 母 はは というもの」に 聞こえ きこえ ます。 実 じつ 文 ぶん で 確かめる たしかめる 十 じゅう 文 ぶん あります。 最初 さいしょ の 五 いつ つが 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし 、あとの 五 いつ つが 名詞 めいし の 持ち主 もちぬし です。 どの 文 ぶん でも 持ち主 もちぬし は 後ろ うしろ です。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Είσαι φίλος μου. [1] きみは 私 わたくし の 友だち ともだち だ。 述語 じゅつご なので 冠詞 かんし が 無く なく 、 持ち主 もちぬし だけが 後ろ うしろ に 付く つく Αυτός είναι φίλος μου. [2] あの 人 ひと は 私 わたくし の 友だち ともだち です。 同じ おなじ 作り つくり 。 主語 しゅご に 代 だい 名詞 めいし を 置い おい て 特定 とくてい している Είμαι φίλος σας; [3] 私 わたくし はあなたの 友だち ともだち ですか。 丁寧 ていねい な 形 かたち の 持ち主 もちぬし 。 相手 あいて が 一人 ひとり でも 複数 ふくすう の 形 かたち Ήρθε η μητέρα μου. [4] 母 はは が 来 き ました。 日本 にっぽん 語 ご は 私 わたくし の を 言わ いわ ないが、ギリシア 語 ご は 言う ゆう Βλέπω το σπίτι του. [5] あの 人 ひと の 家 いえ が 見え みえ ます。 冠詞 かんし 、 名詞 めいし 、 持ち主 もちぬし の 順 じゅん 。 冠詞 かんし が 残る のこる Αγαπάς τη μητέρα σου; [6] お 母 はは さんを 大事 だいじ に 思っ おもっ ているの。 されるほうの 形 かたち に 持ち主 もちぬし が 付く つく 。 冠詞 かんし も 動く うごく Τα έπιπλα του σπιτιού είναι ωραία. [7] その 家 いえ の 家具 かぐ は 立派 りっぱ だ。 名詞 めいし が 持ち主 もちぬし 。 冠詞 かんし も 持ち主 もちぬし の 形 かたち になる Ποια είναι η πρωτεύουσα της Ελλάδας; [8] ギリシアの 首都 しゅと はどこですか。 国 くに の 名前 なまえ が 持ち主 もちぬし 。これも 後ろ うしろ に 置く おく Αύριο είναι η γιορτή του πατέρα. [9] 明日 あす は 父 ちち の 日 ひ です。 祭り まつり の 名前 なまえ も 同じ おなじ 作り つくり で 言う ゆう Για όνομα του Θεού! [10] 後生 こうせい だから。 神 かみ の 名 な にかけて、という 古い ふるい 言い回し いいまわし 六 むい つ 目 め の 文 ぶん をよく 見 み てください。 母 はは がされるほうの 形 かたち になり、そのうしろに 持ち主 もちぬし が 付い つい ています。 役目 やくめ と 持ち主 もちぬし は 別 べつ の 話 はなし で、 同時 どうじ に 働き はたらき ます。 母 はは を、という 役目 やくめ は 冠詞 かんし と 語尾 ごび が 示し しめし 、 誰 だれ の 母 はは か は 後ろ うしろ の 一 いち 語 ご が 示す しめす 。 二 ふた つの 情報 じょうほう が 一 ひと つの 句 く に 重なっ かさなっ ています。 よくある 誤り あやまり 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 どんな 誤り あやまり か やってしまう 形 かたち 直し なおし た 形 かたち 持ち主 もちぬし を 前 まえ に 置く おく 日本 にっぽん 語 ご の 語順 ごじゅん のまま 並べる ならべる 名詞 めいし の 後ろ うしろ に 置く おく 。 冠詞 かんし 、 名詞 めいし 、 持ち主 もちぬし の 順 じゅん 冠詞 かんし を 落とす おとす 持ち主 もちぬし を 足し たし たので 冠詞 かんし が 要ら いら ないと 思う おもう 冠詞 かんし は 残る のこる 。 落とす おとす と 言い いい さしに 聞こえる きこえる 身内 みうち に 持ち主 もちぬし を 付け つけ ない 母 はは 、とだけ 言う ゆう 私 わたくし の を 添える そえる 。 添え そえ ないと 一般 いっぱん 論 ろん に 聞こえる きこえる 一 ひと つ 目 め は、 前 まえ の 課 か を 学ん まなん だ 直後 ちょくご ほど 起き おき やすい 誤り あやまり です。 されるほうは 前 まえ 、 持ち主 もちぬし は 後ろ うしろ ——この 二 ふた つを 対 たい にして 覚え おぼえ てください。 前 まえ の 課 か とこの 課 か を 続け つづけ て 置い おい たのは、そのためです。 なぜ 位置 いち が 分かれ わかれ ているのか、 理由 りゆう も 言っ いっ ておきます。 されるほうは 動詞 どうし にかかり、 持ち主 もちぬし は 名詞 めいし にかかる からです。どちらも、かかる 相手 あいて のそばに 寄っ よっ ている。 動詞 どうし の 目的 もくてき 語 ご は 動詞 どうし のそば、 名詞 めいし の 持ち主 もちぬし は 名詞 めいし のそば。ギリシア 語 ご の 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし は かかる 相手 あいて に 寄りかかる よりかかる という 一 ひと つの 原則 げんそく で 動い うごい ていて、 前 まえ と 後ろ うしろ の 違い ちがい はその 結果 けっか にすぎません。 広げる ひろげる — 日本 にっぽん 語 ご の に にあたるもの 持ち主 もちぬし の 形 かたち には、もう 一 ひと つ 大きな おおきな 仕事 しごと があります。 型 かた 編 へん 5 課 か の 終わり おわり で 触れ ふれ た、 二 ふた つ 受け止める うけとめる 動詞 どうし の 相手 あいて です。 彼 かれ にネクタイを 買っ かっ た、と 言う いう とき、ネクタイ がされるほう、 彼 かれ が 持ち主 もちぬし の 形 かたち になります。 日本 にっぽん 語 ご なら に を 使う つかう ところです。 持ち主 もちぬし の 形 かたち が に にあたるというのは 奇妙 きみょう に 見え みえ ますが、ギリシア 語 ご では「その 人 ひと にとって」という 関係 かんけい をひとまとめに 持ち主 もちぬし の 形 かたち で 表す あらわす からです。 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし でも 同じ おなじ で、 私 わたくし に と 言う いう のに 持ち主 もちぬし の 形 かたち を 使い つかい ます。 私 わたくし に 言っ いっ て、 私 わたくし に 見せ みせ て。この 形 かたち は 3.15 で 命令 めいれい の 言い いい 方 かた を 扱う あつかう ときに 何 なん 度 ど も 出 で てきます。 日本 にっぽん 語 ご の に は、ギリシア 語 ご では 場面 ばめん ごとに 別 べつ の 形 かたち になる ——されるほう、 持ち主 もちぬし 、 前置 ぜんち 詞 し と、 三 さん 通り とおり に 分かれ わかれ ます。 一 いち 対 たい 一 いち で 対応 たいおう させようとすると 必ず かならず 行き詰まる いきづまる ので、 場面 ばめん ごとに 覚え おぼえ てください。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — 語順 ごじゅん を 決める きめる 次 つぎ の 日本 にっぽん 語 ご をギリシア 語 ご の 語順 ごじゅん に 並べ替え ならべかえ てください。 答え こたえ はこの 課 か の 最後 さいご にあります。 私 わたくし の 家 いえ あの 人 ひと の 友だち ともだち ギリシアの 首都 しゅと 父 ちち の 日 ひ 練習 れんしゅう 2 — 前 ぜ