代表制――選ぶことと任せること — Epoché
思想 民主主義 約 31 分 本文 約 13,800 字 図 4・表 2 資料 2 節 この課の要点 定義・任せ方・似ることの 3 つ 定義 ピトキンは「代表」の使い方を、形式(授権と説明責任)・記述・象徴・実質の四つの見方に分けた 任せ方 有権者の指示に従う代理人か、自分の判断に従う受託者か。バークは判断の独立を説き、ミルは条件を付けた 似ること 代表は人々に似ているべきか。ピトキンの批判に対し、フィリップスとマンスブリッジが条件つきで擁護した はじめに 学級の代表委員を選ぶ場面を思い浮かべてください。選ばれた人は、学級会で決まったことを委員会に伝えます。けれども委員会では、学級で話し合っていない議題も出てきます。そのとき代表委員は、クラスのみんなに聞き直すべきでしょうか。それとも自分で判断してよいのでしょうか。また、男子ばかり、女子ばかりの委員会は、学校の代表としてふさわしいと言えるでしょうか。 この課程の『民主主義の起源』の課で見たように、古代アテナイでは市民が民会に自ら集まって決め、多くの役職をくじで選びました。人口が何千万にもなる今の国では、全員が一つの場所に集まることはできません。そこで私たちは選挙で代表を選び、法律や予算を決める仕事を任せています。日本の国会も、この仕組みの上に成り立っています。 けれども「任せる」とは何を任せることなのでしょうか。選挙で選ばれさえすれば、その人は私たちの代表なのでしょうか。代表は私たちの意見をそのまま伝える係なのか、それとも私たちに代わって考える人なのか。議会の顔ぶれが社会の顔ぶれと違っていてもよいのか。これらは、議会が生まれてから何百年も論じられてきた問いです。18 世紀のイギリスでも、選挙区の有権者の出す「指示」に議員を従わせるべきだという考えがありました。この課で読むバークの演説は、当選が決まったその日に、この考えに正面から答えたものです。 日本の国会でも、この問いは身近です。国会議員は選挙区ごとに選ばれ、地元の要望を国に届けることを期待されることがあります。ところが日本国憲法は、両議院の議員を「全国民を代表する」議員だとしています。さらに議員の多くは政党に属し、法案への賛否を党で決めることもあります。地元の声、国全体の利益、党の方針がぶつかったとき、議員は何に従えばよいのでしょうか。答えは一つに決まりませんが、どの見方に立って答えているのかを言えるようになることが、この課の目標です。 この課では、まず「代表」という語の使い方を四つに分けた政治理論家ハンナ・ピトキンの整理から入ります。次に、選ぶこと(授権)と、あとで責任を問うこと(説明責任)の関係を確かめます。そのうえで、有権者の指示に従うのか自分の判断に従うのかという古い論争を、18 世紀のバークと 19 世紀のミルの文章で読みます。最後に、代表が人々に「似ている」ことの意味をめぐる現代の論争を見ます。資料では、バークの演説と日本国憲法の条文を自分で読んで確かめます。 この課の問い 選挙で選んだ代表は、有権者の言うとおりに動くべきか、自分の判断で動くべきか。そもそも「代表する」とはどういうことか。 この課のことば 代表 その場にいない人の代わりに立ち、その人のために話したり決めたりすること。学級の代表委員が、クラスの代わりに委員会で意見を言うように。 授権 「あなたに任せる」と権限を与えること。選挙で票を投じて議員を選ぶのが代表的な授権です。 説明責任 任された人が、したことを説明し、評価を受け、場合によっては替えられること。次の選挙で落選させるのが典型です。 代理人と受託者 代理人は有権者が表明した意向に従う代表、受託者は自分の判断に従う代表。お使いを頼むか、専門家に任せるかの違いに似ています。 記述的代表 代表が、代表される人々と性別・出身・経験などで似ていること。議会が社会の縮図になっているかを問います。 代表とは何か――いない人の代わりに立つこと 広い国では全員が集まれないので、選んだ人に任せます。この章では、その「任せる」の中身を、概念の分け方・選挙の役目・従う相手・似ていることの四つの角度から確かめます。 「代表する」の四つの使い方――ピトキンの整理 私たちは「代表」という語を何通りにも使います。「学級の代表委員」は、選挙で選ばれ、クラスの代わりに委員会で意見を言う人です。サッカーの「日本代表」は、国を背負って試合に出る選手で、国の象徴のようにも受け止められます。「代表的な例」と言えば、全体によく似た一つを指します。同じ語が、代わりに立つ・似ている・象徴する、という別々の意味で使われているのです。 政治理論家ハンナ・ピトキンは『代表の概念』(1967)で、この語の使われ方を一つずつ調べました [1] 。ピトキンは、使い方ごとに代表についての「見方」があるとし、形式的代表・記述的代表・象徴的代表・実質的代表の四つに分けました [1] 。形式的代表はさらに二つの面を持ちます。代表が地位を得る手続き(授権)と、代表された人が代表を罰したり、代表が応えたりする仕組み(説明責任)です [1] 。四つの見方を並べたのが表 1 です (表 1) 。 この表で分かること: 四つの見方は、何を見るかと評価の基準が違う。形式的代表だけは行いを測る基準を持たない 見方 何を見るか 評価の基準 形式(授権) 代表がどう地位を得たか なし(正当に就いたか) 形式(説明責任) 罰する・応える仕組み なし(罰せるか・応えたか) 象徴 代表が呼び起こす反応 受け入れられる度合い 記述 代表と人々の似かた 似ていることの正確さ 実質 代表の行い 政策が人々の利益に役立つか 表 1 ピトキンの四つの見方(スタンフォード哲学百科事典の項目の表から本教材が訳して作成) [1] 。 四つの見方は見ているものが違うので、よい代表かどうかを測る物差しも違います。象徴的代表では、代表が人々にどれだけ受け入れられているかを見ます。記述的代表では、代表と人々がどれだけ正確に似ているかを見ます。実質的代表では、代表の進める政策が、代表される人々の利益にどれだけ役立つかを見ます [1] 。これに対して形式的代表には、代表の行いのよしあしを測る基準がありません。正当な手続きで地位に就いたか、罰したり応答を求めたりできるか、が分かるだけです [1] 。選挙が公正に行われ、任期が来れば落選させることもできる議員でも、在任中にどれだけ人々のためになる仕事をしたかは、形式的代表の物差しでは測れないのです。 この区別はなぜ役に立つのでしょうか。ピトキンは、代表がどうふるまうべきかをめぐる対立は、人々が違う見方に立ったり、ある見方に別の見方の物差しを当てたりすることで悪化すると考えました。そして、どの見方を使っているかを明らかにすれば、対立の一部は解けると示唆しました [1] 。たとえば「あの議員は女性の代表と言えない」という批判は、女性議員が少ないこと(記述)を言っているのか、女性の利益になる政策を進めていないこと(実質)を言っているのかで、答え方が変わります。 学級の代表委員に当てはめると、次のようになります(本教材の作例)。選挙で選ばれ、次の学期に替えられる(形式)。クラスの男女や部活の顔ぶれを映している(記述)。行事でクラスの顔として前に立つ(象徴)。クラスのために要望を通してくる(実質)。一人の代表委員が四つすべてを満たすとは限りません。 ただし、ピトキン自身は、四つの見方がどう組み合わさって一つの概念になるのかを説明しきっていない、とスタンフォード哲学百科事典の項目の著者は指摘しています [1] 。ピトキンは、ある箇所では概念が一つにまとまっていると述べ、別の箇所では見方どうしの衝突を強調しました [1] 。たとえば、記述的代表は説明責任と緊張する、とピトキンは指摘しました [1] 。また、代表一人ひとりに、違う見方が両立しない行動を求めることがあるので、ピトキンはこの概念を「逆説的」とも呼びました [1] 。この課の後半で見る、代理人か受託者かの論争と、似ている人が代表かの論争は、どちらもこの衝突から生まれています。 ここで間違えやすい 「代表」には一つの正しい意味があると考えがちです。ピトキンは複数の見方を区別し、どの見方に立っているかを明らかにすれば論争の一部は解けると考えました。また、選挙で選ばれたこと(形式的代表)は、よい代表であることの物差しにはなりません。 選ぶことと任せること――授権と説明責任 そもそもなぜ代表に任せるのでしょうか。19 世紀イギリスの思想家 J・S・ミルは『代議制統治論』(1861)で、社会のあらゆる必要を満たせるのは人民全体が参加する統治だと述べました [2] 。そのうえで、小さな町一つを超える共同体では、すべての人が公務のごく小さな部分にしか自ら加われないので、完全な統治の理想の型は代議制でなければならない、と結論しました [2] 。この課程の『民主主義の起源』の課で見たアテナイの民会は、この意味で規模の限られた共同体の仕組みでした。 ピトキンの形式的代表は、この「任せる」関係を二つの面から描きます。スタンフォード哲学百科事典の項目の著者は、ピトキンが代表を本人と代理人の関係として描いたと整理しています [1] 。本人(代表される人)が代理人(代表)に、自分の名において行動する権限を与えます。そして代理人は、制裁の仕組みによって本人に責任を負います [1] 。選挙は、この二つを一度に担います。選ぶことが授権であり、次の選挙で替えられることが説明責任です (図 1) 。 選挙で選ぶ 有権者が票で代表に権限を与える (授権) 任せて決める 代表が議会で討論し、法律や予算を 決める 見張って説明させる 議会が政府の行いを公開させ説明を 求める 次の選挙で問う 続けて任せるか替えるかを決める (説明責任) 図 1 選挙を通じた授権と説明責任のつながり(ピトキンの形式的代表と、ミルの議会の役目から本教材が作成)。最後の段の後は、また最初の段の選挙に戻ります。 では、任された議会は何をするのでしょうか。ミルの答えは意外なものでした。議会は統治そのものには根本的に向いておらず、議会の本来の役目は政府を見張り、統制することだ、とミルは書きます [2] 。政府の行いを公開させ、疑わしいものには説明と正当化を求め、非難すべきものは非難し、信任を裏切る者は職から退かせる。さらに議会は、国民の「苦情の委員会」であり「意見の会議」でもある、とミルは言います [2] 。議会はおしゃべりの場にすぎないという悪口に対しても、国の大事を話し合うことほど有益な仕事はない、と反論しました [2] 。 政治学者ベルナール・マナン(1995)は、代表統治を見分ける四つの原理を挙げました [1] 。統治する人が定期の選挙で任命されること。統治する人の決定が、有権者の意向から一定の独立を保つこと。統治される人が、統治する人に統制されずに意見を表明できること。公の決定が討論の試練を受けることです [1] 。マナンはまた、役職をくじで選ぶ慣行こそが、代表制の民主主義といわゆる直接民主政を分けると論じました [1] 。マナンにとって、役職者をどう選ぶかは、代表統治が民主的かどうかを理解するうえで決定的な点でした [1] 。 日本国憲法の前文は、国政は国民の厳粛な「信託」によるもので、その権力は国民の代表者が行使する、と書いています [4] 。信託とは、信じて任せることです。この条文は、資料で自分で読んで確かめます。 ただし、本人と代理人の関係だけで代表をとらえることには、現代の批判があります。政治学者ジェーン・マンスブリッジ(2003)は、今の民主政に四つの代表の形があるとしました [1] 。選挙中の約束で評価される「約束的代表」は、ピトキンの形式的代表によく似ています。ほかの三つは違います。「予期的代表」は、次の選挙で有権者が何に報いるかを先読みします。「ジャイロ的代表」では、有権者は、自分の内なる考えと経験から動く代表を選びます。「代行的代表」は、選挙区の外の人々を代わりに代表します。この三つは、代表が、代表される人のすでにある意向(たとえば過去の選挙での約束)に応えることだけでは説明できない形です [1] 。予期的代表は、次の選挙での評価を先取りする点で選挙とつながっていますが、基準になるのは過去の約束でなく、これから有権者が報いるものです [1] 。スタンフォード哲学百科事典の項目の著者は、後の三つを本人と代理人の関係として理解すべきではない、とまとめています [1] 。選ぶ・任せる・問うの流れは、代表の一つの姿にすぎないのです。 ここで間違えやすい 選挙で選ばれれば、それで代表のすべてが決まると考えがちです。授権は「誰が地位に就いたか」を決めるだけで、選ばれた後の行いのよしあしは測れません。またマンスブリッジのように、選挙の約束や制裁に頼らない代表の形もあると考える研究者もいます。 代理人か受託者か――指示に従うか、判断に従うか 任された代表は、有権者の言うとおりに動くべきでしょうか。それとも自分の判断で動くべきでしょうか。前者の見方では、代表は代理人(delegate)で、有権者が表明した意向に従います。後者の見方では、代表は受託者(trustee)で、自分が最善と考える行動に従います [1] 。ピトキンは、この古い論争を「委任―独立論争」と呼びました [1] 。二つの見方を並べたのが図 2 です (図 2) 。 代理人 (delegate) 受託者(trustee) 有権者が表明した 意向に従う 代表自身の判断に 従う 根拠:任せた人の 意向が基準 根拠:全体の利益は 討論で見える 弱点:議会で聞く 前に結論が決まる 弱点:次の選挙まで 問いにくい 図 2 代理人型と受託者型(委任―独立論争)。何に従うかの区別はピトキンの整理、根拠と弱点はバークとミルの議論から本教材がまとめたものです。 受託者の見方の古典が、議員エドマンド・バークの演説です。1774 年 11 月 3 日、ブリストル選出の議員に当選したと宣言された日に、バークは選挙人に向けて話しました [3] 。一緒に当選した議員が、有権者の「指示」には議員を従わせる力があるという考えを示したので、バークはそれに答えたのです [3] 。バークは、有権者の願