政党システム――社会の亀裂が政党を形づくる — Epoché
制度と行動 選挙・政党・市民 約 28 分 本文 約 12,200 字 図 5・表 2 資料 1 節 この課の要点 亀裂・凍結・日本の 3 つ 亀裂 リプセットとロッカンは、国民革命と産業革命が生んだ四つの社会的亀裂から、西欧の政党の並びの違いを説明しました。 凍結 二人は 1960 年代の政党の並びが、例外を除いて 1920 年代の亀裂を映すと論じました。後の研究は、新しい対立が配置を組み替える面と、制度との組み合わせを調べています。 日本 日本では、保革の対立(とくに安全保障)が政党を分ける軸として調べられてきましたが、その結びつきは 1980 年代から弱まってきたと報告されています。 はじめに 選挙で比例代表の投票用紙に党の名前を書くとき、候補に並ぶ党の顔ぶれは、どうやって決まってきたのでしょうか。国によって、この顔ぶれは大きく違います。たとえばオランダの社会は、1 世紀近くにわたって、世俗の自由主義・正統派のプロテスタント・ローマ・カトリックの三つの文化に分かれてきたと論じられています [1] 。宗教の違いが、学校や労働組合、新聞まで分けるほどの線になっていたのです。日本の政党の並びは、同じような線で説明できるでしょうか。 この課程の『制度と政党の数――デュヴェルジェの法則』の課では、選挙のルールが政党の数を絞る仕組みを見ました。ルールは「党がいくつ残るか」を説明するのには役立ちます。けれども、どんな党が並ぶのか、つまり宗教の党なのか、地方の党なのか、働く人の党なのかまでは教えてくれません。そこでこの課では、社会の側から政党を見ます。社会の中に長く続く対立の線を「亀裂」と呼び、それが政党の並びをどこまで決めるのかを考えます。 中心になるのは、リプセットとロッカンが 1967 年に示した見方です [1] 。二人は、19 世紀から 20 世紀はじめの西欧で生まれた四つの亀裂が政党を形づくり、その並びが半世紀近く変わらなかったと論じました。この課ではまず、政党の並びを「数と競い方」で整理します。次に二人の説明をたどり、それへの反論と、後の研究が示した新しい対立の線を見ます。最後に日本に当てはめ、資料の節で 2024 年と 2026 年の総選挙の数を自分の目で確かめます。 この課の問い 国によって政党の顔ぶれや並び方が違い、しかもそれが長く変わらないのはなぜでしょうか。社会の中にある対立の線は、政党の並びをどこまで決めるのでしょうか。 この課のことば 政党システム ある国の政党の数と、党どうしの力関係や競い方の型をまとめて見たもの。一つひとつの党ではなく、党の「並び」と「関係」を見る言葉です。この課ではこの意味で使います。 社会的亀裂 宗教・地域・職業や階級など、社会を長く二つの側に分ける対立の線。たとえば「教会を重んじる人々と、世俗の国家を求める人々」の分かれ目です。 凍結 リプセットとロッカンの言葉で、普通選挙が広がった頃に固まった政党の選択肢が、その後何十年も変わりにくかったことを指します。 一党優位政党制 競争のある選挙が行われているのに、一つの党が 50%以上の多数を長く保ち続ける型(議席か得票かは、この課の典拠の解説には書かれていません)。ほかの党も選挙で議席を争っている点に特徴があります。 脱物質主義 身の安全やお金の安定よりも、帰属や自己表現、生活の質を優先する価値。豊かな時代に育った世代に広がるという仮説があります。 55 年体制 1955 年の社会党の統一と自由民主党の結成から始まった、日本の政党の並び。自民党が長く政権を担いました。 政党システムと社会的亀裂――社会の分かれ目は政党の並びをどこまで決めるか 前の課では、政党が「なぜ集まるのか」を政治家の側から見ました。この章では視点を一段上げて、一国の中に並ぶ政党の全体、つまり政党システムを扱います。問いは二つです。政党の並びはどう見分けるのでしょうか。そして、その並びはどこから来るのでしょうか。前者には型の整理で、後者には社会の亀裂の見方で答え、そのうえで反論と日本の事例を見ていきます。 現象――政党システムは数と競い方で見る 政党システムを見分けるとき、まず思いつくのは党の数です。ただ、数え方には注意が要ります。選挙には小さな党がたくさん候補を立てますが、その全部を数えると、どの国も「多党制」になってしまいます。政治学者のサルトーリは、党を得票の大きさで機械的に数えるのではなく、体系の中でその党が持つ位置の重みで数えるべきだとしました。数に入れるのは、体系の中で十分な力を持つ「意味のある党」だけです [2] 。どの党が意味のある党かの細かな基準には、この課では立ち入りません。 そのうえでサルトーリは、型を数だけでなく、政権がどう動くかとあわせて分けました(以下はサルトーリの理論を解説した論文によります [2] )。二党制は、二つの党がそれぞれ 50%の多数に近く、一つの党ずつが政権を交代する型です。穏健な多党制は 3〜4 党で、連立政権が二つの極の間で入れ替わります。ただしこれは、党どうしの考えの隔たり(分極)が大きくない場合に限られます。党がそれより多く(解説では 5 を越えるあたりが目安とされます)、考えの隔たりが大きいと、分極的多党制になりえます。この型を特徴づけるのは、数よりも競い方です。中央の党が連立を組み続け、政権の外に体制そのものに反対する党が立ち、競争が中央から両端へ遠ざかる向き(遠心的)になります (表 1) 。 この表で分かること: 政党システムの型は、党の数の目安と、政権がどう動くかの組み合わせで分かれます。 型 党の数の目安 政権の動き 二党制 二党が 50%の多数に近い 一党ずつが政権を交代 穏健な多党制 3〜4 党(分極は小さい) 連立が二つの極の間で交代 分極的多党制 多い(5 を越えるのが目安) 中央の党が連立を続ける 一党優位政党制 数ではなく多数の続き方で定める 一つの党が過半数を長く保つ 表 1 サルトーリの型の一部(解説論文による [2] )。一党制・ヘゲモニー政党制・原子化は表に入れていません。 サルトーリは、これらに加えて、一党制・ヘゲモニー政党制・一党優位政党制・原子化という、珍しい、あるいは極端な特徴を持つ型も立てました [2] 。このうち一党優位政党制は、一つの党が「50%以上の多数」を長く保つ型と説明されています [2] 。この解説は、その 50%が議席か得票かを書いていません。競争のある選挙が行われ、ほかの党も議席を争っている点に特徴があります。日本の 1955 年から 1993 年までの時期は、この型の考え方で論じられてきました。この点は章の最後の節で見ます。 ここまでの型は、党が「いくつ、どう競うか」を教えてくれます。しかし、党が「何の党か」は教えてくれません。リプセットとロッカンは、西欧の多数派をめざす政党の多くが、さまざまな争点で意見の違う集団の寄せ集めであり、ほかの陣営への敵意でまとまっていると書きました [1] 。社会の多くの関係から対立は生まれえますが、ある国の政治を二つの側に分けるのは、そのうちの少数にとどまります [1] 。どの対立が政党の線になったのでしょうか。それが次の節の問いです。 たとえば、はじめに触れたオランダです。リプセットとロッカンによれば、オランダでは教会ごとに、学校や青年の運動、労働組合、スポーツのクラブ、新聞までが縦に分かれる傾向がありました。この傾向を指すオランダ語の「柱状化(Verzuiling)」は、ほかの国の研究でも使われる言葉になりました [1] 。同じ「穏健な多党制」に見える国どうしでも、党の線が宗教に沿うのか、階級に沿うのかで、選挙の意味は大きく変わります。数の型と、線の中身の両方を見る必要があるのです。 ここで間違えやすい 党の数が多いことと、政治が分極していることは同じではありません。サルトーリの解説では、穏健な多党制は分極が大きくない場合に限られ、分極的多党制を特徴づけるのは、反体制政党の存在や遠心的な競争といった競い方です。党の数は目安にすぎません [2] 。「党が多い国は不安定だ」と数だけで決めつけないようにします。 説明――リプセットとロッカンの四つの亀裂と凍結 リプセットとロッカンは、西欧の政党の並びの違いを、19 世紀以来の二つの大きな変化から説明しました [1] 。一つは「国民革命」です。国家が中央から国をまとめ、言葉や教育をそろえていく動きを指します。もう一つは「産業革命」で、工業化と都市の成長です。二人は、この二つの変化がそれぞれ二つずつ、合わせて四つの決定的な亀裂を生んだと論じました (図 1) 。 国民革命・産業革命 19 世紀以来の西欧で、国づくりと 工業化が進む 四つの亀裂 中心と周辺・国家と教会・土地と 産業・所有者と労働者 政党の対立へ 戦略・同盟・四つの関門を経て、亀裂の 一部が政党になる 並びが固まる 関門が下がる前に、政党の選択肢の 基本の対立が現れる 凍結 1960 年代の並びは、例外を除き 1920 年代の亀裂を映す 図 1 リプセットとロッカンの説明の流れ(本教材が図にしたもの)。二つの革命が四つの亀裂を生み、その一部が政党の対立になり、普通選挙の頃に固まった並びが 1960 年代まで続いたとされます [1] 。 国民革命から生まれたのは、次の二つです [1] 。一つ目は「中心と周辺」の亀裂です。中央の国づくりの文化と、民族や言葉、宗教の違う地方や周辺の住民の抵抗とがぶつかります。二つ目は「国家と教会」の亀裂です。国をまとめて人々を動員しようとする国家と、教会が歴史的に持っていた特権とがぶつかります。どちらも、自分は何者か、どんな価値を大事にするかをめぐる争いで、住民は文化の面で側を選ぶことを迫られました [1] 。 産業革命から生まれたのは、残りの二つです [1] 。三つ目は「土地と産業」の亀裂で、土地の利益を持つ人々と、台頭する産業の企業家たちが対立します。四つ目は「所有者と労働者」の亀裂で、所有者や雇い主の側と、小作人や働く人の側とが対立します。こちらは経済の利害による分かれ目で、長い目で見ると、宗教や地域の共同体を横切って人々に側を選ばせる方向に働いた、と二人は書いています [1] 。二人によれば、各国の政党システムの決定的な違いは、主に最初の三つの亀裂での歴史の違いから生まれました。四つ目の所有者と労働者の亀裂は、むしろ各国の政党システムの基本の形を互いに近づけました [1] 。 ただし、亀裂があれば自然に政党ができるわけではありません。二人は、亀裂がひとりでに政党の対立に変わるのではないと強調しています [1] 。組織と選挙の戦略、同盟を組む得と分裂する損の比べ合い、そして動員できる人々が時間とともに奪い合われて狭まっていくことが関わります [1] 。さらに、新しい要求を掲げる運動の前には、四つの関門が順に立ちます。関門は、党ができるかどうかではなく、参加し、議会に入り、権力を得るまでの道のりを区切るものです。一つ目は、抗議が正当なものと認められるかどうか(正統化)です。二つ目は、支持者に選挙権があるかどうか(編入)です。三つ目は、単独で議席を得られるかどうか(代表)です。四つ目は、選挙で勝てば国の仕組みを大きく変えられるか(多数派の権力)です [1] (図 2) 。 亀裂が政党になるには 亀裂 政党 ? 旗(組織)を立てた側 まだ旗の無い側 線があるだけでは政党にならない 図 2 亀裂があるだけでは政党にならない、という点を絵にしたもの(本教材の作例)。地面の割れ目(亀裂)の両側に人々がいても、組織(旗)を立てた側が政党として現れます。その党が議席や権力に届くかどうかは、さらに関門の高さで決まります。 この見方から、二人の最もよく知られた主張が出てきます。政党の並びの基本の対立は、選挙で議席を得る関門が下がる前に、すでに現れていました。大衆が政治に加わる時期に関門が高かったため、生き残った党は受け継いだ社会の構造に深く根を下ろし、選挙のルールを変えても簡単には動かせなくなりました [1] 。二人は、自分たちの整理を 1920 年代で止めた理由をこう述べます。1960 年代の政党システムは、わずかだが重要な例外を除いて、1920 年代の亀裂の構造を映しているからだ、と [1] 。党の選択肢と、多くの場合その組織は、各国の有権者の多数よりも年上だったのです [1] 。二人はこれを、政党の選択肢の「凍結」と表しました [1] 。 この主張は、『制度と政党の数――デュヴェルジェの法則』の課で見た選挙制度の見方に一つの注文をつけます。二人は、比例代表の導入は新しい大衆運動の圧力より、既成の政党の間の分かれを映していたと論じました。比例代表は小さな分派を少し加えたものの、主に、新しい挑戦者に共同で立ち向かえない既成の党が、別々に生き残る助けになったというのです [1] 。そして、多くの場合、選挙制度を原因、政党システムを結果として扱うことにはあまり意味がない、政党の戦略家が選挙の法律に決定的な影響を持つのがふつうだからだ、と書きました [1] 。制度が党を形づくるだけでなく、党が制度を選ぶ向きもあるという指摘です。 ここで間違えやすい 「社会に亀裂があれば、その数だけ政党ができる」と読むのは誤りです。リプセットとロッカン自身が、亀裂はひとりでに政党の対立にならないと書き、戦略や同盟、関門の高さを挙げています [1] 。また、凍結の主張は 1960 年代の西欧についての観察で、どの国、どの時代にも当てはまる法則として述べられたものではありません。 反証と例外――緩む結びつき、新しい対立、制度との組み合わせ 凍結の主張には、最初から留保が付いていました。リプセットとロッカンは「わずかだが重要な例外を除いて」と書いています [1] 。また二人は、多くの党がファシズムと国民社会主義、二度目の世界大戦、社会と文化の大きな変化を生き延びたことを驚くべきことと見ました。そして、なぜそれができたのかには簡単な答えがないとも認めています [1] 。凍結は説明の終わりではなく、説明を求める問いでもあったのです。そして 1970 年代から、この並びを揺るがしうる変化を指摘する研究が現れました。 一つ目は、価値の変化です。政治学者のイングルハートは 1971 年の論文