14.47 原則を一つだけ立てる — そして適用の範囲を囲む — Epoché
この篇でできるようになること ★ 原則を一文で言い、すぐ言い直す 書き方が読める。 ★ 原則を立てた直後に適用の範囲を囲む 形が分かる。 ★ 序数で三つに割る 運びが追える。 ★ 古典の中の、いま支持できない部分を見つける 読み方ができる。 前提 : なし(特別編に門はありません)。第 5 期以降ならどこからでも読めます。目安は型 3.40 まで・語 4.60 まで。 読む前に ★ この篇は いま使われている文章 です 。★ 「他人に危害が及ばない限り自由だ」という言い方は、 この章から来ています ——★ 法の考え方は 12.20 知編 にあります 。 ★ 読むときの構えが、前の三篇とは違います 。★ ロック・バークリー・ヒュームは もう決着した論 ですが、★ この章は いまも使われている道具 です。★ だから どこまで言っているか をきちんと押さえる必要があります。 何を見るか この篇での値 何が分かるか ★ 段落の数 ★ 5 つ ★ 原則 → 範囲 → 根拠 → 内訳 → 締め ★ いちばん短い段落 ★ 第 5 段・ 114 語 ★ 締めだけ短い ★ 疑問符 ★ 0 個 ★ 問わない。全部言い切る ★ ★先に断ります 。★ 第 2 段に いまの読者から見て支持できない一節 があります ——★ 「後進的な社会」には自由の原則が及ばない、という留保 です。★ この篇では 隠さずに扱います ——★ 下の「三」で見ます 。 ★ 読編に 同じ本の第 2 章(言論の自由) があります ——★ 8.154 読編 〜 8.156 読編 。★ この篇は その前の第 1 章 です。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1458 語、段落は 5 、文は 42 本、一文の平均は 34.7 語、いちばん長い一文は 103 語です。 どの段落か 語数と文の数 一文の平均 ★ 第 1 段 263 語 / 10 文 26 語 ★ 第 2 段 301 語 / 9 文 33 語 ★ 第 3 段 481 語 / 12 文 40 語 ★ 第 4 段 299 語 / 7 文 43 語 ★ 第 5 段 114 語 / 4 文 28 語 ★ 第 3 段だけ 481 語 あります。★ ここは 根拠と例外の段 で、★ セミコロン(篇ぜんたいで 19 個)が集まっています ( 3.45 型編 )。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 この論文の目的は、一つのごく単純な原理を主張することです。それは、強制と統制という形で社会が個人を扱うことを、用いられる手段が法的な刑罰という形での物理的な力であれ、世論という道徳的な強制であれ、絶対的に律する資格をもつ原理としてです。その原理とは、人類が、個人としてであれ集団としてであれ、その成員の誰かの行動の自由に干渉することが正当とされる唯一の目的は、自己防衛である、というものです。文明化された共同体のどの成員に対しても、その意志に反して権力を正当に行使できる唯一の目的は、他人への危害を防ぐことである、ということです。本人自身の幸福は、物質的なものであれ道徳的なものであれ、十分な根拠にはなりません。そうするほうが本人のためになるから、そうすれば本人がより幸せになるから、他人の意見ではそうすることが賢明であり、あるいは正しくさえあるから、という理由で、本人に何かをさせたり控えさせたりすることを正当に強制することはできません。これらは、本人をいさめたり、道理を説いたり、説得したり、懇願したりするための良い理由にはなりますが、本人に強制したり、本人がそれに従わない場合に何らかの害を加えたりするための理由にはなりません。それを正当化するには、思いとどまらせたいと望まれているその行為が、誰か他の人に害をもたらすと見込まれるものでなければなりません。人の行為のうち、その人が社会に対して責任を負う唯一の部分は、他人に関わる部分です。ただ自分自身にのみ関わる部分においては、その人の独立は、当然の権利として絶対的です。自分自身に対して、自分自身の身体と精神に対して、個人は主権者なのです。 おそらく言うまでもないことでしょうが、この教説は、能力が成熟した人間にのみ適用されることを意図しています。私たちは、子どもや、法が成年男子・成年女子の年齢として定めるような年齢に達しない若者のことを語っているのではありません。まだ他人に世話をしてもらう必要のある状態にある人々は、外からの危害に対してだけでなく、自分自身の行動に対しても保護されなければなりません。同じ理由から、民族そのものがまだ未成年の状態にあると見なされうるような、社会の遅れた状態も考察の外に置いてよいでしょう。自発的な進歩の道に立ちはだかる初期の困難はあまりに大きいので、それを克服する手段を選ぶ余地はめったにありません。そして改善の精神に満ちた支配者は、ほかの方法では達成できないかもしれない目的を達成するためなら、どんな方策を用いても正当とされます。専制は、未開の人々を扱う場合には、その目的が彼らの改善であり、手段が実際にその目的を果たすことによって正当化されるかぎり、正当な統治の様式です。原理としての自由は、人類が自由で対等な討論によって改善されうるようになる時期より前の状態には、まったく適用されません。それまでは、もし幸運にもアクバルやカール大帝のような人物を見いだせるなら、その人物に盲目的に服従するよりほかにありません。しかし、人類が確信や説得によって自分自身の改善へと導かれうる能力を身につけるやいなや(ここで私たちが関わる必要のあるすべての国民においては、とうの昔に達している時期です)、強制は、直接の形であれ、従わない場合の苦痛や刑罰という形であれ、もはや本人自身の幸福のための手段としては認められず、他人の安全のためにのみ正当とされるのです。 述べておくのが適当でしょうが、私は、効用から独立したものとしての抽象的な権利という考えから自分の議論が引き出しうるどんな利点も放棄します。私は、あらゆる倫理的な問題において、効用を究極のよりどころと見なします。ただしそれは、最も広い意味での効用、進歩する存在としての人間の恒久的な利益に基づいた効用でなければなりません。そうした利益は、各人の行為のうち、他人の利益に関わる行為についてのみ、個人の自発性を外部の統制に従わせることを認める、と私は主張します。もし誰かが他人に有害な行為をするなら、法によって、あるいは法的な刑罰を安全に適用できない場合には一般的な非難によって、その人を罰する一応の理由があります。また、他人の利益のために、その人に正当に強制してよい積極的な行為も数多くあります。たとえば、法廷で証言すること、共同の防衛において、あるいは自分がその保護を享受している社会の利益に必要な他のどんな共同の仕事においても、自分の正当な分担を負うこと、そして、同胞の命を救うことや、無防備な者を虐待から守るために割って入ることなど、個人としての慈善のある種の行為を行うことです。これらは、それをすることが明らかに人の義務であるときにはいつでも、それをしなかったことについて社会に対して正当に責任を問われうる事柄です。人は、自分の行動によってだけでなく、行動しないことによっても他人に害を及ぼすことがあり、どちらの場合にも、その害について他人に対して当然に責任を負います。確かに、後者の場合には、前者よりもはるかに慎重な強制の行使が必要です。他人に害をなしたことについて人に責任を負わせるのが原則であり、害を防がなかったことについて責任を負わせるのは、比較的に言えば例外です。それでも、その例外を正当化するのに十分明白で十分重大な場合は数多くあります。個人の対外的な関係に関わるすべての事柄において、その人は、利益が関わっている人々に対して、また必要とあれば、その人々の保護者としての社会に対して、法律上責任を負います。その人にその責任を負わせない十分な理由がある場合も、しばしばあります。しかし、そうした理由は、その場合の特別な便宜から生じるものでなければなりません。つまり、その人が、社会が持っているどんな統制の手段で統制されるよりも、自分の裁量にまかされたほうが概してよく行動しそうな種類の場合であるか、あるいは、統制を行おうとする試みが、それが防ぐであろう害よりも大きな別の害を生むであろうか、のどちらかです。このような理由が責任の強制を妨げるときには、行為者自身の良心が、空いた裁きの座につき、外からの保護をもたない他人の利益を守るべきです。その場合には同胞の裁きに対して責任を負わされることがありえないのですから、なおさら厳しく自分自身を裁くべきなのです。 しかし、個人と区別されたものとしての社会が、利害をもつとしても間接的な利害しかもたない行動の領域があります。それは、ある人の生活と行為のうち、本人だけに影響する部分、あるいは他人にも影響するとしても、他人の自由で自発的な、欺かれていない同意と参加によってのみ影響する部分のすべてを含みます。私が「本人だけに」と言うときは、直接に、そして第一次的に、という意味です。というのも、本人に影響することは何であれ、本人を通じて他人に影響することがありうるからです。そして、この偶然性に基づいて出されうる異論については、後で検討します。そこで、これが人間の自由にふさわしい領域です。それはまず第一に、意識という内面の領域を含みます。それは、最も包括的な意味での良心の自由、思想と感情の自由、実践的であれ思弁的であれ、科学的、道徳的、神学的であれ、あらゆる主題についての意見と心情の絶対的な自由を要求します。意見を表明し公表する自由は、個人の行為のうち他人に関わる部分に属するのですから、別の原理の下に入るように見えるかもしれません。しかし、それは思想の自由そのものとほとんど同じくらい重要であり、大部分が同じ理由に基づいているので、実際上は思想の自由と切り離すことができません。第二に、この原理は、嗜好と追求の自由を要求します。自分自身の性格に合うように生活の計画を立てる自由、そこから生じうる結果は引き受けたうえで、好きなようにする自由です。私たちのすることが同胞を害さないかぎり、たとえ彼らが私たちの行為を愚かだ、ひねくれている、あるいは間違っていると考えたとしても、彼らから妨げられることのない自由です。第三に、各個人のこの自由から、同じ限度内で、個人どうしが結びつく自由が導かれます。他人への危害を含まないどんな目的のためにでも団結する自由です。ただし、結びつく人々は成年に達しており、強制されたり欺かれたりしていないものとします。 これらの自由が全体として尊重されていない社会は、その統治の形態がどうであれ、自由ではありません。また、これらの自由が絶対的に、無条件に存在していない社会は、完全に自由ではありません。その名に値する唯一の自由とは、他人から彼らの幸福を奪おうとしたり、それを得ようとする彼らの努力を妨げたりしないかぎりにおいて、自分自身の幸福を自分自身のやり方で追求する自由です。各人は、身体の健康であれ、精神と魂の健康であれ、自分自身の健康の正当な守り手です。人類は、各人が他の人々にとってよいと思われるように生きることを強制するよりも、互いに自分自身によいと思われるように生きることを許し合うことによって、より多くを得るのです。 語釈 帯の外の語は 62 語です。★ 法の語が多い ( amenable ・ answerable ・ justifiable ・ preclude )。★ ラテン語の句も二つ ( prima facie ・ de jure )——★ いまも法の文章で使われます ( 8.192 読編 )。 語(品詞) 意味 注 Akbar en 名 アクバル。十六世紀のインドの君主 Charlemagne en 名 カール大帝。八世紀のフランクの王 admissible en 形 受け入れられる The judge ruled that the new evidence was admissible in court. 裁判官は、その新しい証拠は法廷で受け入れられると判断しました。 amenable en 形 責めを負う立場にある As team leader, she felt amenable for every mistake the group made. チームの責任者として、彼女は集団の犯したすべての過ちに責めを負う立場にあると感じました。 answerable en 形 答える責めがある As the project manager, he was answerable for every delay that occurred. プロジェクトの責任者として、彼は起きたすべての遅れに答える責めがありました。 anterior en 形 それより前の The scar was located on the anterior side of his left knee. その傷跡は、彼の左ひざの前側にありました。 barbarians en 名 未開の人びと The ancient city built high walls to keep out roaming barbarians. その古代都市は、さまよう異邦の人びとを締め出すために高い城壁を築きました。 beneficence en 名 人のためになる行い The old man was remembered in the village for his quiet beneficence. その老人は、村では静かに人のためになる行いをした人として記憶されていました。 civilised en 形 文明化した( civilized の英国式綴り) The travelers were surprised to find such a civilised town so far from the city. 旅人たちは、街からこんなに離れた場所にこれほど文明化した町があることに驚きました。 coercion en 名 力ずくで従わせること The workers agreed to the new schedule