ハーバーマス――正しさは自由な討議で確かめられる(討議倫理・公共圏) — Epoché
現代 解釈学と批判理論 約 17 分 本文 約 7,200 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 公共圏・討議・普遍化の 3 つ 公共圏 国家にも市場にも家族にも属さず、私人が集まって皆に関わる事柄を理由で論じ合う場。18 世紀のコーヒーハウスやサロンに生まれ、身分の違いを脇に置く理想を持ったが、20 世紀には広報に操られる場に変わった、とハーバーマスは論じた(『公共性の構造転換』1962)。 討議 人は話すとき、真理・正しさ・誠実さの三つの妥当要求を暗に掲げている。真理と正しさが疑われたとき、強制のない場で理由を出し合い、よりよい論拠の力だけで確かめ直すやり取りが討議である。誠実さは論証でなく、言葉と振る舞いが合うかで示される(『コミュニケーション的行為の理論』1981、『道徳意識とコミュニケーション的行為』1983)。 普遍化 規範が妥当なのは、関わるすべての人が討議の参加者として同意できるときだけだ(原則 D・U)。カントの定言命法は一人の頭の中で試せるが、ハーバーマスは、規範を皆の前に出して皆で試すことを求めた。ただしこの原則の基礎づけが成り立つかには、強い異論がある(同 1983)。 はじめに ハーバーマスは、20 世紀後半のドイツを代表する哲学者・社会学者です。1929 年に生まれ、十代の半ばで敗戦を迎え、ナチスの残虐を知ったことが転機になりました。のちに本人は、自分は戦後の「再教育」の産物だと語っています [1] 。2026 年 3 月に没しました。 アドルノの助手を務めたため、「フランクフルト学派」の一員と呼ばれますが、研究所にいたのは 3 年ほどでした [1] 。この編のホルクハイマーとアドルノの課では、啓蒙の理性が神話に逆戻りする、という診断を読みました。ハーバーマスは『コミュニケーション的行為の理論』で、二人の批判理論は、何を基準に社会を批判するのか、その規範の土台を示していない、と論じました [1] [4] 。 ハーバーマスはその土台を、人が理由を出し合って分かり合おうとする、ふだんの言葉のやり取りの中に探しました。決まりが正しいと言えるのは、関わる人皆が、脅しも遠慮もなく理由を出し合い、なお受け入れられるときだ、というのです。 この課の問い 学校や町の決まりが「正しい」と言えるのは、どんなときでしょうか。偉い人が決めたからでしょうか。多数決で通ったからでしょうか。それとも、一人ひとりが自分の頭で「誰にでも当てはまる」と考えたからでしょうか。自由な話し合いで正しさを確かめる場は、社会のどこにあるのでしょうか。 この課のことば 公共圏({de:Öffentlichkeit}) 国家にも、経済(市場)にも、家族にも属さず、私人が集まって皆に関わる事柄を論じ合い、世論が作られる場です。 コミュニケーション的行為 相手をうまく動かして自分の目的を果たす行為(戦略的行為)ではなく、互いに理由を認め合って、了解や合意に達することを目指す行為です。 妥当要求 人が何かを言うとき、暗に掲げている「これは通用するはずだ」という要求です。言ったことが本当だ(真理)、ふさわしい(正しさ)、本心からだ(誠実さ)の三つがあります。 討議({de:Diskurs}) ふだんの了解が崩れ、言い分が疑われたとき、理由を出し合ってそれを確かめ直す、一段上のやり取りです。 普遍化原則(U) ある規範が皆に守られたときの結果と副作用を、関わるすべての人が、自分の利害に照らして受け入れられるなら、その規範は妥当だ、という討議の中の判定の決まりです。 討議と公共圏――正しさは誰がどう確かめるのか 正しさを確かめるには、まず人々が理由を出し合える場が要ります。この章では、その場としての公共圏が生まれ、変わっていった道筋を見たあと、言い分を理由で確かめ直す討議の仕組みを読み、最後に、道徳の規範の正しさを皆で試す討議倫理の原則へ進みます。 公共圏――コーヒーハウスで生まれた論じ合いの場 ハーバーマスは、国家にも、経済(市場)にも、家族にも属さず、私人が集まって皆に関わる事柄を論じ合い、世論が作られる場を 公共圏 と呼びました。理性を公に使う場所です。この考えは、1962 年の教授資格論文『公共性の構造転換』で示されました [1] [2] 。中世にあったのは、王や貴族が自分の身分を人々の前に見せる「代表的」な公共性だけだった、とハーバーマスは言います [1] 。 17〜18 世紀のイギリス・フランス・ドイツで、事情が変わります。コーヒーハウスやサロンや読書会に新しい読者たちが集まり、はじめは小説を論じ合いました。ハーバーマスは、リチャードソンの小説『パミラ』を例に挙げています。雑誌の中で育った批評の力は、やがて政府の行いに向けられました。商人が市場の知らせを求めて生まれた新聞も、国の政策を論じるようになります [1] 。 本教材の作例で、その場をのぞいてみましょう (図 1) 。ロンドンのコーヒーハウスで、商人も職人の親方も貴族の若者も、同じ長い机で新聞を回し読みしています。話題は評判の小説から、昨日の議会での大臣の振る舞いへ移ります。ここでは「あの人は伯爵だから」という理由は通りません。通るのは、その政策がなぜ国のためにならないかという論拠だけです。 18 世紀のコーヒーハウス 身分は 問わない 理由 理由 理由 『パミラ』 商人・職人・貴族・書き手 理由が人から人へ行き来する 20 世紀の広報の場 企業・団体 政党の旗 決まった案を掲げる 拍手 広報 皆が同じ方を向いて喝采する 客席から画面へ戻る矢印はない 図 1 公共圏の成り立ちと構造転換を、二つの場面で絵にしたものです(本教材の作例)。一つ目のコーヒーハウスでは、身分の違う人々のあいだを理由が行き来します。二つ目の広報の場では、矢印が画面から客席への一方向だけになり、人々は決まったことに喝采を送ります。コーヒーハウス・『パミラ』・広報と喝采はハーバーマスの論点で、実際の参加者が教養ある財産持ちの男にほぼ限られたことも本人が認めています [1] 。 身分の違いを私事として括弧に入れ、相手の地位でなく、誰にでも通じる基準で論じ合うことが、この 市民的公共圏 の理想でした。ただし実際に加わったのは、教養ある財産持ちの男たちにほぼ限られ、ハーバーマス自身もそれを認めています。この場は、理想であると同時に、イデオロギーでもあったのです [1] 。 20 世紀の福祉国家の大衆民主主義では、国家と社会が入り組み、圧力団体や企業や政党が政治を動かすようになりました。論じ合いは利益団体どうしの取引になり、公共圏は広報に操られる見せかけの場になります。その役目は、封建の時代のように、すでに決まったことに喝采を送ることになりました。ハーバーマスはこれを 再封建化 と呼びます [1] 。のちに彼は、労働者や女性が締め出されていたという批判を受け、一つの社会には重なり合う多くの公共圏がありうると認めました [1] 。 ここで間違えやすい 公共圏を、役所や国家のこと、あるいは公園や広場のような場所のことと取らないでください。国家とも市場とも家族とも違う、私人が公の事柄を理由で論じ合う、やり取りの場のことです。また、ハーバーマスが 18 世紀の公共圏を、誰もが平等に加われた理想の社会としてほめた、と取るのも誤りです。彼が歴史をたどり直したのは、いまの民主主義を、その理想に照らして内側から批判するためでした [1] 。 コミュニケーション的行為と討議――言い分を理由で確かめ直す ハーバーマスは、人の行為を二つに分けます。相手に働きかけて自分の目的を果たそうとする戦略的行為と、互いに理由を認め合って了解に達しようとする コミュニケーション的行為 です。ハーバーマスは、戦略的行為はコミュニケーション的行為に頼っているが、その逆ではない、と考えました [1] [4] 。 人は何かを言うとき、三つの 妥当要求 を同時に掲げている、とハーバーマスは言います。言ったことが本当だという真理、その場の規範にかなっているという正しさ、本心から言っているという誠実さです。聞き手は、この三つのどの面からでも、相手の言葉を疑うことができます [1] (表 1) 。 この表で分かること: 真理と正しさの要求は討議で理由により確かめ直されますが、誠実さは論証だけでは確かめられず、言葉と振る舞いが合うかで示されます。討議倫理が扱うのは、このうち正しさの要求です。 妥当要求 何についての要求か 疑われたときの問い どう確かめるか 真理 言ったことが事実か それは本当か 討議で理由を出し合う 正しさ 規範にかなっているか そうしてよいのか 討議で理由を出し合う 誠実さ 本心から言っているか 本気でそう思うか その後の振る舞いで示す 表 1 三つの妥当要求と、その確かめ方。三つの要求はハーバーマスの論点で [1] [4] 、表の言い回しは本教材の整理です。 ふだんは共通の了解がやり取りを支えています。それが崩れて真理や正しさの要求が疑われると、人は行為をいったん止め、理由を出し合って確かめ直す一段上のやり取りに移ります。これが 討議 です。崩れた合意を取り戻すか、新しい合意に置き換えるための論証です [1] (図 2) 。 ① 言葉を交わす 了解を目指し、真理・正しさ・誠実さを 暗に掲げる ② 了解が支える 聞き手が要求を受け入れ、やり取りが 続く ③ 要求が疑われる 「本当か」「そうしてよいのか」と 問われ、了解が崩れる ④ 討議に移る 誰でも加われ、強制なく、論拠だけで 確かめ直す ⑤ 合意を取り戻す 崩れた合意が戻るか、新しい合意に 替わる 図 2 ふだんのやり取りから討議への流れです(本教材の整理)。了解が崩れると討議に移り、論拠だけで合意を取り戻します。行為の二分・三つの妥当要求・討議の決まりはハーバーマスの論点です [1] 。誠実さの疑いは討議では晴れず、その後の振る舞いで示されます。 ただし、真理と正しさは理由を出し合って確かめ直せますが、誠実さは論証だけでは保証できません。本心かどうかは、その人の言葉とその後の振る舞いが合っているかで示される、とハーバーマスは見ます [4] 。 討議には、誰でも加われ、どんな主張も問え、望みや必要を言え、強制で妨げられない、という決まりがあります(英訳 1990: 86〜89) [1] [3] 。そこで働くのは、よりよい論拠の、強いることのない力だけです。この決まりは法学者アレクシーから借りた代表例で、すべてではありません [1] 。また、「誰かを黙らせてよい」と論じる人は、論じるという行いそのもので自分の言うことを裏切ります。この矛盾の検査は決まりを見つけ出す手がかりであって、決まりを最後まで基礎づけるものではない、とハーバーマスは言います(同 95) [1] 。 ここで間違えやすい 討議を、ただのおしゃべりと取らないでください。疑われた真理や正しさの要求を理由で確かめ直す、決まりのあるやり取りです。また、討議で皆が合意すれば多数決と同じだ、と取るのも誤りです。目指すのは票の数ではなく、よりよい論拠によって皆が納得する合意で、地位や声の大きさは理由に数えません [1] 。 討議倫理の原則――規範を皆の前に出して皆で試す ハーバーマスは、この考えを道徳の規範に当てはめます。原則(D)によれば、実践的な討議の参加者として、関わるすべての人の同意を得られる(あるいは得られうる)規範だけが、妥当だと主張できます(英訳 1990: 66) [1] [3] 。原則(U)は、討議の中で合意を可能にする論証の決まりです。規範が皆に守られたとき、一人ひとりの利害に及ぶ結果と副作用を考えます。それを関わる皆が受け入れられ、他の案より選ばれるなら、その規範は妥当だとされます(同 65) [1] 。 カントとの違いは、試す場所にあります。カントの定言命法では、自分の行為の方針が誰にでも当てはまる法則になりうるかを、一人で試せます。ハーバーマスは、これを独白(モノローグ)の普遍化と見ます。(U)が求めるのは、方針を他の皆の前に出し、普遍だという主張を討議で試す、対話(ダイアローグ)の手続きです。重みが、各人が矛盾なく意志できることから、皆が合意して意志できることへ移るのです。ハーバーマスは、マッカーシーのこの言い方を引いています(同 67) [1] 。 本教材の作例で比べましょう (図 3) 。マンションの理事長が一人で、誰でも静かに眠りたいはずだと考え、夜 8 時以降は中庭で話してはならない、と決めます。ところが決まりを住人の前に出すと、夜勤明けで昼に眠る人、夕方しか子どもを遊ばせられない親、車いすで中庭を通る人が、それぞれの利害を口にします。皆が受け入れられる案だけが残り、決まりの中身が書き直されます。 一人の頭の中で試す 窓の外の中庭 「夜 8 時以降は話すな」 誰にでも当てはまる、と一人で考える 皆の前で試す 昼に眠りたい 通り道が要る 夕方は遊び場 夜は静かに 夜 9 時以降は大声を出さない 夕方は子どもの遊び場 関わる皆が受け入れられるか 図 3 独白の普遍化と対話の普遍化を、マンションの中庭の決まりで絵にしたものです(本教材の作例)。一つ目では理事長が一人で、皆も同じ望みだと想像して決めます。二つ目では決まりを住人の前に出し、昼に眠る人、子どもの親、車いすで中庭を通る人などが利害を出し合って、決まりが書き直されます。独白と対話の区別はハーバーマスの論点で、この区別が本当に違いを生むかには批判があります [1] 。 ここでは、方針の形だけでなく、中身も皆で普遍化されます。(U)が一人ひとりの利害に触れるのはそのためで、他のすべての人の立場に自分を置いてみる、というミードの考えが下敷きにあります [1] 。ただし、ハーバーマスが(U)を討議の決まりから論理で導こうとした試みについて、批判者はもちろん支持者もほぼ誰も、成り立つとは考えていない、と SEP は書いています。ハーバーマス自身も、次第にその主張から退きました [1] 。 ここで間違えやすい (U)を、関わる人全員を集めて多数決をとる手続きや、どんな問いにも正しい規範を自動で生み出す仕組みと取らないでください。(U)は命令の形の規範ではなく、討議の参加者自身が規範の妥当を確かめるやり方をたどり直したも