1.5 語尾が示す性と、偽の友 — Epoché
この 課 か でできるようになること 国際 こくさい 語 ご としてカタカナに 入っ はいっ た 語 ご の 語尾 ごび を 見 み て、その 語 ご の 性 せい を 言える いえる 。 カタカナ 語 ご と 意味 いみ がずれた 語 ご を 見分け みわけ 、ギリシア 語 ご での 意味 いみ で 使える つかえる 。 正 せい 反対 はんたい の 意味 いみ になってしまった 語 ご を 知り しり 、 取り違え とりちがえ を 避け さけ られる。 前提 ぜんてい : 1.4( 語根 ごこん )。 ここまでの 三 さん 課 か で、 語 ご を 部品 ぶひん に 割る わる ことを 学び まなび ました。この 課 か では 語 ご の 最後 さいご を 見 み ます。 語尾 ごび は 意味 いみ を 運び はこび ませんが、 その 語 ご がどう 変化 へんか するか を 決め きめ ています。 形 かたち 編 へん の 曲用 きょくよう 表 ひょう に 入る はいる 前 まえ の、 最後 さいご の 準備 じゅんび です。 後半 こうはん では、 意味 いみ のずれた 語 ご を 集め あつめ ます。カタカナ 語 ご を 頼り たより に 読む よむ と 必ず かならず 一 いち 度 ど は 転ぶ ころぶ 場所 ばしょ なので、 先 さき に 潰し つぶし ておきます。 語尾 ごび が 性 せい を 決める きめる ギリシア 語 ご の 名詞 めいし には、 男性 だんせい ・ 女性 じょせい ・ 中性 ちゅうせい の 三 みっ つの 性 せい があります。 日本 にっぽん 語 ご には 無い ない 区別 くべつ で、 形 かたち 編 へん で 本格 ほんかく 的 てき に 扱い あつかい ますが、 国際 こくさい 語 ご として 知っ しっ ている 語 ご なら、いま 性 せい が 言え いえ ます 。 語尾 ごび を 見る みる だけだからです。 表 ひょう は 五行 ごぎょう です。 語尾 ごび 性 せい と、その 例 れい -ος 男性 だんせい 。 λόγος は 言葉 ことば 、 κύκλος は 円 えん 、 χρόνος は 時間 じかん -α と -η 女性 じょせい 。 ιδέα は 考え かんがえ 、 μουσική は 音楽 おんがく 、 κρίση は 危機 きき -ία 女性 じょせい 。 δημοκρατία は 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 、 φιλοσοφία は 哲学 てつがく -ο 中性 ちゅうせい 。 άτομο は 原子 げんし 、 τηλέφωνο は 電話 でんわ 、 κέντρο は 中心 ちゅうしん -μα 中性 ちゅうせい 。 πρόβλημα は 問題 もんだい 、 σύστημα は 体系 たいけい 、 θέμα は 話題 わだい 最後 さいご の 語尾 ごび に 注目 ちゅうもく してください。これは 動き うごき の 結果 けっか を 表す あらわす 語尾 ごび で、 問題 もんだい も 体系 たいけい も 話題 わだい も、もとは 動詞 どうし から 作ら つくら れた 名詞 めいし です。 投げ なげ られたもの、 立て たて られたもの、 置か おか れたもの。カタカナ 語 ご でこの 形 かたち の 語 ご を 見 み たら、 ほぼ 確実 かくじつ に 中性 ちゅうせい だと 思っ おもっ てよい。しかも 変化 へんか の 仕方 しかた も 一 いち 種類 しゅるい しかないので、 形 かたち 編 へん でいちばん 楽 らく な 組 くみ になります。 0.2 で、 語末 ごまつ のイの 綴り つづり が 品詞 ひんし と 数 かず の 印 しるし だと 述べ のべ ました。ここで 見 み たのは、その 続き つづき です。 ギリシア 語 ご は 語 ご の 最後 さいご に 情報 じょうほう を 詰め込む つめこむ 言語 げんご で、 語尾 ごび を 読む よむ 癖 くせ が 付く つく ほど 楽 らく になります。 カタカナ 語 ご より 意味 いみ が 広い ひろい 橋 はし 編 へん 1 課 か で 少し すこし 触れ ふれ ましたが、カタカナ 語 ご は 元 もと の 語 ご の 特殊 とくしゅ で 高級 こうきゅう な 意味 いみ だけ を 切り取っ きりとっ て 持っ もっ てきます。ギリシア 語 ご では 日常 にちじょう 語 ご であることが 多い おおい 。 表 ひょう は 六 ろく 行 ぎょう です。 語 ご 意味 いみ 注 ちゅう ιδέα el イデアは 哲学 てつがく の 用語 ようご 。ギリシア 語 ご ではただの 思いつき おもいつき で、「いい 考え かんがえ だね」に 使う つかう Όλοι συμφώνησαν με την ιδέα του. [1] みんなが 彼 かれ の 考え かんがえ に 賛成 さんせい した。 Δεν άρεσε η ιδέα στον Τομ. [2] トムはその 考え かんがえ が 気 き に 入ら はいら なかった。 θεωρία el セオリーは 学説 がくせつ 。ギリシア 語 ご では 個人 こじん の 意見 いけん や 見 み 方 かた も 指す さす Η μηχανική κάνει πράξη τη θεωρία. [3] 工学 こうがく は 理論 りろん を 実地 じっち に 移す うつす 。 Πέστε τες τη θεωρία σας. [4] あなたの 理論 りろん を 彼女 かのじょ たちに 話し はなし なさい。 ενέργεια el エネルギーは 物理 ぶつり の 用語 ようご 。ギリシア 語 ご では 行動 こうどう という 日常 にちじょう の 意味 いみ もある Αυτή η γυναίκα ξεχειλίζει από ενέργεια. [5] この 女性 じょせい は 活力 かつりょく にあふれている。 Τα μηχανήματα καταναλώνουν πολλή ηλεκτρική ενέργεια. [6] 機械 きかい は 電気 でんき をたくさん 使う つかう 。 μανία el マニアは 熱中 ねっちゅう する 人 ひと 。ギリシア 語 ご では 熱中 ねっちゅう そのもの で、 人 ひと は 指さ ささ ない Αυτός έχει μανία με την καθαριότητα. [7] 彼 かれ は 綺麗 きれい 好き すき が 高じ こうじ ている。 σχολή el スクールは 学校 がっこう 。ギリシア 語 ご では 大学 だいがく の 学部 がくぶ を 指し さし 、 学校 がっこう は 別 べつ の 語 ご Ο κύριος Τζάκσον είναι ο διευθυντής της σχολής μας. [8] ジャクソン 先生 せんせい は 私 わたくし たちの 学校 がっこう の 校長 こうちょう です。 Οι Ιάπωνες φοιτητές πηγαίνουν στις σχολές για 35 εβδομάδες ανά έτος. [9] 日本 にっぽん の 学生 がくせい は 年 ねん に 三十 さんじゅう 五 ご 週 しゅう 、 学校 がっこう に 通い かよい ます。 πάθος el パトスは 芸術 げいじゅつ の 用語 ようご 。ギリシア 語 ご では 苦しみ くるしみ や 病 やまい も 指す さす Το πάθος γίνεται μάθος. 失敗 しっぱい は 師 し なり。 Το σκάκι είναι το πάθος μου. [10] チェスは 私 わたくし の 情熱 じょうねつ です。 最後 さいご の 語 ご は 特に とくに 大事 だいじ です。この 語根 ごこん は「 受ける うける 」という 意味 いみ で、そこから 受難 じゅなん ・ 情熱 じょうねつ ・ 病気 びょうき が 全部 ぜんぶ 出 で ています。 医学 いがく のカタカナ 語 ご で 病 やまい を 表す あらわす 形 かたち も、 実 じつ はこの 語根 ごこん です。 情熱 じょうねつ と 病気 びょうき が 同じ おなじ 語根 ごこん ——ギリシア 語 ご では、 心 こころ を 強く つよく 動かさ うごかさ れることと、 体 からだ が 何 なん かを 受け うけ てしまうことが 地続き じつづき なのです。 正 せい 反対 はんたい になってしまった 語 ご 意味 いみ がずれるだけでなく、 正 せい 反対 はんたい になった 語 ご が 一 ひと つあります。 日本 にっぽん 語 ご でも 英語 えいご でも 共感 きょうかん を 表す あらわす 語 ご として 使わ つかわ れている 形 かたち が、ギリシア 語 ご では 悪意 あくい を 意味 いみ します。 なぜこうなったか。この 語 ご は 接辞 せつじ と 語根 ごこん に 割る われる と、「 中 なか に」と「 受ける うける 」です。 古代 こだい から 現代 げんだい まで、ギリシア 語 ご では「 相手 あいて に 対し たいし て 抱え込ん かかえこん だ 感情 かんじょう 」——つまり 恨み うらみ や 悪意 あくい を 指し さし てきました。いっぽう 英語 えいご の 側 がわ は、 二十 にじゅう 世紀 せいき の 初め はじめ に 心理 しんり 学 がく の 用語 ようご として 新しく あたらしく 組み くみ 立て直し たてなおし た 語 ご で、ドイツ 語 ご の 造語 ぞうご をギリシア 語 ご の 部品 ぶひん で 置き換え おきかえ たものです。 同じ おなじ 部品 ぶひん から、 別々 べつべつ の 時代 じだい に、 別々 べつべつ の 意味 いみ の 語 ご ができた。 混同 こんどう すると 危ない あぶない ので、 正しい ただしい 対 たい を 覚え おぼえ てください。 好感 こうかん を 表す あらわす のは、 橋 はし 編 へん 3 課 か で 扱っ あつかっ た 一緒 いっしょ にという 接辞 せつじ を 使う つかう 語 ご のほうです。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 語 ご 意味 いみ 注 ちゅう συμπάθεια el 好感 こうかん 、 共感 きょうかん 。 人 ひと に 好意 こうい を 持つ もつ ときはこちらを 使う つかう αντιπάθεια el 反感 はんかん 。 向かい合っ むかいあっ てという 接辞 せつじ なので、 意味 いみ は 素直 すなお εμπάθεια el 悪意 あくい 、 恨み うらみ 。 英語 えいご の 共感 きょうかん を 表す あらわす 語 ご とは 正 せい 反対 はんたい Υπήρχε εμπάθεια στα μάτια του. [11] 彼 かれ の 目 め には 共感 きょうかん があった。 もう 一 ひと つの 偽 にせ の 友 とも 外国 がいこく のという 意味 いみ の 語 ご にも 注意 ちゅうい が 要り いり ます。この 語 ご は よそから 来 き た 人 ひと も 指し さし 、 文脈 ぶんみゃく によって 外国 がいこく 人 にん にも 客人 きゃくじん にもなります。 古代 こだい には「 客 きゃく をもてなす 義務 ぎむ 」を 表す あらわす 語 ご がここから 作ら つくら れていて、いまも 旅 たび の 話 はなし でよく 出 で てきます。カタカナ 語 ご では「 よそ者 よそもの 」という 冷たい つめたい 響き ひびき の 形 かたち で 入っ はいっ ているので、そのつもりで 読む よむ と 誤解 ごかい します。 逆 ぎゃく に、 経験 けいけん を 表す あらわす 語 ご のように カタカナ 語 ご に 入っ はいっ ていない 語 ご もあります。この 語 ご は 接辞 せつじ と 語根 ごこん に 割る われる と「 中 なか に」と「 試す ためす 」。 日常 にちじょう 語 ご として 頻繁 ひんぱん に 出る でる ので、ここで 覚え おぼえ ておいてください。 頻出 ひんしゅつ 文 ぶん で 通す とおす 意味 いみ の 幅 はば に 注意 ちゅうい しながら 読ん よん でください。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Ήταν μια αξέχαστη εμπειρία. [12] 忘れ わすれ られない 経験 けいけん だった。 経験 けいけん を 表す あらわす 語 ご 。 中 なか にという 接辞 せつじ と、 試す ためす という 語根 ごこん Δεν ήταν ευχάριστη εμπειρία. [13] 愉快 ゆかい な 経験 けいけん ではなかった。 同じ おなじ 語 ご に、 心地よい ここちよい という 形容 けいよう 詞 し が 付く つく Δεν απαιτείται προηγούμενη εμπειρία. [14] これまでの 経験 けいけん は 必要 ひつよう ありません。 同じ おなじ 語 ご 。 求人 きゅうじん の 言い いい 方 かた でそのまま 使う つかう Ποιά ξένη γλώσσα μαθαίνεις; [15] どの 外国 がいこく 語 ご を 学ん まなん でいますか。 外国 がいこく のという 語 ご 。 よそ者 よそもの ではなく、 外 そと の、という 中立 ちゅうりつ の 意味 いみ Δουλεύει σε ξένη βιομηχανία. [16] 彼女 かのじょ は 外国 がいこく の 企業 きぎょう で 働い はたらい ている。 同じ おなじ 語 ご の 女性 じょせい 形 けい 。 語尾 ごび が 女性 じょせい の 単数 たんすう の 印 しるし Η φαντασία σου είναι. [17] それは 君 きみ の 想像 そうぞう だよ。 ファンタジーの 元 もと の 語 ご 。 日常 にちじょう