7.15 Το σχολείο(学校) — Epoché
この 篇 へん でできるようになること 制度 せいど を 説明 せつめい する 文章 ぶんしょう を 読み よみ 通せる とおせる 。 ギリシアの 学校 がっこう と 日本 にっぽん の 学校 がっこう の 違い ちがい を、 日本 にっぽん 語 ご で 説明 せつめい できる。 同じ おなじ 点 てん と 違う ちがう 点 てん を 並べる ならべる 書き かき 方 かた に 気づく きづく 。 前提 ぜんてい : 7.14(テッサロニキからクレタへ) この 文章 ぶんしょう について 七 なな 篇 へん 目 め です。 題材 だいざい は 学校 がっこう 。 日本 にっぽん と 同じ おなじ ところと 違う ちがう ところが、はっきり 分かれる わかれる 題材 だいざい です。 同じ おなじ ところから 言う ゆう と、 六 ろく 年 ねん 、 三 さん 年 ねん 、 三 さん 年 ねん の 十 じゅう 二 に 年 ねん 。 日本 にっぽん とまったく 同じ おなじ 区切り くぎり です。 午後 ごご に 私塾 しじゅく へ 通う かよう ところも、 高校 こうこう の 終わり おわり に 大学 だいがく の 入試 にゅうし があるところも、よく 似 に ています。 違う ちがう のは 第 だい 三 さん 段落 だんらく です。 中等 ちゅうとう の 六 ろく 年間 ねんかん 、 子ども こども は 古典 こてん ギリシア 語 ご を 習い ならい ます。 二千 にせん 五百 ごひゃく 年 ねん 前 まえ の 文章 ぶんしょう を、 訳 わけ ではなく 元 もと の 形 かたち で 読む よむ 。 日本 にっぽん の 学校 がっこう で 言え いえ ば、 中学 ちゅうがく 一 いち 年 ねん から 高校 こうこう 三 さん 年 ねん まで 古文 こぶん と 漢文 かんぶん をずっとやるようなものですが、ギリシアの 場合 ばあい は 同じ おなじ 言語 げんご の 古い ふるい 形 かたち なので、 事情 じじょう が 少し すこし 違い ちがい ます。 本文 ほんぶん は 百 ひゃく 七十 ななじゅう 四 よん 語 ご 、 宣言 せんげん した 新語 しんご は 二十 にじゅう 五 ご です。 古 こ 編 へん で 古典 こてん への 橋 はし を 架け かけ ますが、この 篇 へん はその 遠い とおい 伏線 ふくせん にもなります。 文法 ぶんぽう メモ この 文章 ぶんしょう は 制度 せいど を 説明 せつめい するので、 現在 げんざい の 形 かたち が 中心 ちゅうしん です。ただし 第 だい 四 よん 段落 だんらく だけ 過去 かこ が 出 で ます。 大きく おおきく なってから 分かっ わかっ た、という 一 いち 文 ぶん で、そこだけ 時間 じかん が 動き うごき ます。 名詞 めいし 節 せつ が 何 なん 度 ど も 出る でる のも、この 篇 へん の 特徴 とくちょう です。 名詞 めいし 節 せつ ( 型 かた 編 へん 18 課 か )— 好き すき ではないと 言う いう 、なぜそうしたのか 分かっ わかっ た。 言う ゆう と 分かる わかる の 中身 なかみ を 節 ふし にする。 本文 ほんぶん では Πολλοί μαθητές λένε ότι δεν τους αρέσει がその 形 かたち です。 節 ふし が 目的 もくてき を 表す あらわす ( 型 かた 編 へん 13 課 か )— 読む よむ ために、もっと 勉強 べんきょう するために。 目的 もくてき を 節 ふし で 言う ゆう 。 本文 ほんぶん では για να διαβάσουν περισσότερο がその 形 かたち です。 関係 かんけい 節 せつ ( 型 かた 編 へん 19 課 か )— そこから 来 き た 語 ご 、 毎日 まいにち 話し はなし ていることば。 物 もの を 後ろ うしろ から 説明 せつめい する。 本文 ほんぶん では λέξεις που ήρθαν από εκεί がその 形 かたち です。 時 とき の 副文 ふくぶん と 一 いち 回 かい きりの 過去 かこ ( 型 かた 編 へん 23 課 か )— 大きく おおきく なったとき、 分かっ わかっ た。 二 ふた つとも 一 いち 回 かい きりの 過去 かこ 。 本文 ほんぶん では όταν μεγάλωσαν, κατάλαβαν がその 形 かたち です。 比較 ひかく の 形 かたち ( 型 かた 編 へん 25 課 か )— たいていの 人 ひと 、もっと 多く おおく 。もっと を 表す あらわす 語 ご が 名詞 めいし にも 副詞 ふくし にもなる。 本文 ほんぶん では Οι περισσότεροι μαθαίνουν αγγλικά がその 形 かたち です。 好き すき だ の 言い いい 方 かた ( 型 かた 編 へん 16 課 か )— 気 き に 入ら はいら ない。 好か すか れる 側 がわ が 主語 しゅご で、 人 ひと は 弱形 じゃっけい で 置く おく 。 本文 ほんぶん では δεν τους αρέσει がその 形 かたち です。 対訳 たいやく ギリシアの 子ども こども は、 小 しょう 学校 がっこう に 六 ろく 年 ねん 、 中 ちゅう 学校 がっこう に 三 さん 年 ねん 、 高校 こうこう に 三 さん 年 ねん 通い かよい ます。 十 じゅう 二 に 年 ねん で、 日本 にっぽん と 同じ おなじ です。 小 しょう 学校 がっこう では 読み書き よみかき 、 算数 さんすう 、 歴史 れきし 、そして 外国 がいこく 語 ご を 一 ひと つ 習い ならい ます。たいていは 英語 えいご です。 中 ちゅう 学校 がっこう から、 日本 にっぽん の 学校 がっこう には 無い ない ことが 始まり はじまり ます。 子ども こども たちは 古典 こてん ギリシア 語 ご を 習う ならう のです。 二千 にせん 五百 ごひゃく 年 ねん 前 まえ の 文章 ぶんしょう を、 元 もと の 形 かたち のまま 読み よみ ます。はじめは 難しい むずかしい 。 字 じ は 同じ おなじ なのに、 語 ご と 語尾 ごび が 変わる かわる からです。 多く おおく の 生徒 せいと は、 好き すき ではないと 言い いい ます。ほかの 生徒 せいと は、 大きく おおきく なってからなぜそれをやったのかが 分かっ わかっ た、と 言い いい ます。 毎日 まいにち 話し はなし ていることばの 中 なか に、そこから 来 き た 語 ご が 入っ はいっ ているからです。 午後 ごご には、 多く おおく の 子ども こども がもう 一 ひと つの 学校 がっこう —— 私塾 しじゅく ——へ、もっと 勉強 べんきょう するために 通い かよい ます。 親 おや がそのお 金 かね を 払い はらい 、 少ない すくない 額 がく ではないことも 多い おおい 。 高校 こうこう の 終わり おわり には、 大学 だいがく のための 難しい むずかしい 試験 しけん があります。 一 ひと つだけ、どの 学校 がっこう でも 同じ おなじ ことがあります。 年度 ねんど の 最初 さいしょ の 日 ひ に 司祭 しさい が 来 き て、 祈り いのり を 読み よみ ます。そのあと 子ども こども たちは 教室 きょうしつ に 入り はいり ます。 読み よみ どころ この 文章 ぶんしょう の 作り つくり は、 同じ おなじ ・ 違う ちがう ・ 同じ おなじ という 並び ならび です。 第 だい 一 いち 段落 だんらく で 日本 にっぽん と 同じ おなじ だと 言い いい 、 第 だい 三 さん 段落 だんらく で 違う ちがう ところを 出し だし 、 第 だい 五 ご 段落 だんらく でまた 似 に ているところに 戻る もどる 。 読み手 よみて を 安心 あんしん させてから 驚か おどろか せ、また 安心 あんしん させる 順 じゅん です。 第 だい 四 よん 段落 だんらく に 注目 ちゅうもく してください。 生徒 せいと の 側 がわ の 声 こえ を 二 ふた つ 並べ ならべ ています。 好き すき ではない、と 言う いう 生徒 せいと 。あとから 分かっ わかっ た、と 言う いう 生徒 せいと 。 どちらが 正しい ただしい とは 書い かい ていません。 説明 せつめい 文 ぶん が 価値 かち の 判断 はんだん を 避ける さける ときの 書き かき 方 かた です。 そして 最後 さいご の 段落 だんらく 。 ここだけ、 突然 とつぜん に 場面 ばめん になります。 司祭 しさい が 来 き て、 祈り いのり を 読み よみ 、 子ども こども が 教室 きょうしつ に 入る はいる 。 制度 せいど の 説明 せつめい が 続い つづい たあとで、 一 ひと つの 朝 あさ の 光景 こうけい だけが 置か おか れる。 説明 せつめい 文 ぶん の 終わり おわり に 具体 ぐたい を 置く おく のは、7.13 の 光 ひかり の 場面 ばめん と 同じ おなじ 手 て です。 この 一 ひと 場面 ばめん が 語っ かたっ ているのは、 政教 せいきょう が 分かれ わかれ ていない ということです。 日本 にっぽん の 学校 がっこう では 起こら おこら ないことが、 当たり前 あたりまえ のこととして 書か かか れている。 説明 せつめい せずに、 見せる みせる だけで 済ま すま せている ——それがこの 段落 だんらく の 強 つよ さです。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — 読み取る よみとる 原文 げんぶん を 読ん よん で、 次 つぎ に 答え こたえ てください。 ギリシアの 学校 がっこう の 区切り くぎり は、 日本 にっぽん とどう 違い ちがい ますか。 日本 にっぽん の 学校 がっこう に 無い ない こととして、 何 なん が 挙げ あげ られていますか。 古典 こてん ギリシア 語 ご について、 生徒 せいと の 声 こえ が 二 ふた つ 並べ ならべ てあります。それぞれ 何 なん ですか。 最後 さいご の 段落 だんらく は、それまでの 段落 だんらく と 何 なん が 違い ちがい ますか。 練習 れんしゅう 2 — 音読 おんどく 原文 げんぶん の 文書 ぶんしょ を、 第 だい 一 いち 段落 だんらく から 最後 さいご まで 声 こえ に 出し だし て 読ん よん でください。 第 だい 三 さん 段落 だんらく の 「 字 じ は 同じ おなじ なのに」 のところで、 少し すこし 間 あいだ を 置く おく こと 。ここがこの 篇 へん の 折れ目 おれめ です。 最後 さいご の 段落 だんらく は、ゆっくり 読ん よん でください。 説明 せつめい ではなく 場面 ばめん だからです。 この 篇 へん のまとめ 六 ろく 年 ねん 、 三 さん 年 ねん 、 三 さん 年 ねん の 十 じゅう 二 に 年 ねん 。 区切り くぎり は 日本 にっぽん とまったく 同じ おなじ 。 違う ちがう のは 中等 ちゅうとう の 六 ろく 年 ねん で 古典 こてん ギリシア 語 ご を 習う ならう こと。 訳 わけ ではなく 元 もと の 形 かたち で 読む よむ 。 字 じ は 同じ おなじ なのに 語 ご と 語尾 ごび が 変わる かわる ので、はじめは 難しい むずかしい 。 生徒 せいと の 声 こえ を 二 ふた つ 並べ ならべ 、 どちらが 正しい ただしい とは 書か かか ない 。 午後 ごご の 私塾 しじゅく と 大学 だいがく の 入試 にゅうし は、 日本 にっぽん とよく 似 に ている 。 最後 さいご の 段落 だんらく だけ 説明 せつめい ではなく 場面 ばめん 。 司祭 しさい が 祈り いのり を 読む よむ 朝 あさ を、 説明 せつめい せずに 見せ みせ ている。 次 つぎ の 篇 へん へ 7.16 で 読 よみ 編 へん の 第 だい 2 段 だん を 終え おえ ます。「 Το λάδι και η ελιά 」( 油 あぶら とオリーブ)です。4.4 で 覚え おぼえ た 一 いち 語 ご が、この 国 くに の 歴史 れきし そのものだったという 話 はなし になります。 答え こたえ 練習 れんしゅう 1 の 答え こたえ 1. 違い ちがい ません。 六 ろく 年 ねん 、 三 さん 年 ねん 、 三 さん 年 ねん の 十 じゅう 二 に 年 ねん で、 日本 にっぽん とまったく 同じ おなじ 区切り くぎり です。 2. 中等 ちゅうとう の 六 ろく 年間 ねんかん 、 古典 こてん ギリシア 語 ご を 習う ならう ことです。 二千 にせん 五百 ごひゃく 年 ねん 前 まえ の 文章 ぶんしょう を 元 もと の 形 かたち のまま 読み よみ ます。 3. 好き すき ではない、という 声 こえ と、 大きく おおきく なってからなぜそれをやったのか 分かっ わかっ た、という 声 こえ です。 4. それまでは 制度 せいど の 説明 せつめい ですが、 最後 さいご の 段落 だんらく だけは 一 ひと つの 朝 あさ の 場面 ばめん になっています。 参考 さんこう 文献 ぶんけん Epoché ギリシア 語 ご 入門 にゅうもん 『 Το σχολείο 』。 本 ほん 課程 かてい の 書き下ろし かきおろし 。CC BY-SA 4.0。 読 よみ 編 へん の 第 だい 2 段 だん の 七 なな 篇 へん 目 め 。 第 だい 2 期 き までの 既習 きしゅう 語 ご で 書き かき 、 範囲 はんい 外 がい の 語