11.2 イスラームの基礎と、ことばへの入り方 — Epoché
この 課 か でできるようになること イスラームの 五つ いつつ の 柱 はしら を 挙げ あげ られる。 ヒジュラ 暦 れき が 太陽 たいよう 暦 れき とどう 違う ちがう かを 説明 せつめい できる。 日常 にちじょう のあいさつや 相づち あいづち に 宗教 しゅうきょう の 単語 たんご が 入っ はいっ ていることを 見分け みわけ られる。 ラマダーンの 時期 じき に 何 なん が 変わる かわる かを 知る しる 。 前提 ぜんてい : 直前 ちょくぜん の 11.1 課 か を 終え おえ ていること。7.1 課 か のあいさつと 7.8 課 か の 神 かみ が 望む のぞむ ならを 思い出し おもいだし ておいてください。 五つ いつつ の 柱 はしら イスラームには 五つ いつつ の 柱 はしら と 呼ば よば れる 基本 きほん の 行い おこない があります。この 課程 かてい は 宗教 しゅうきょう を 教える おしえる 課程 かてい ではありませんが、 ことばがそこから 出 で てくる ので、 名前 なまえ だけは 知っ しっ ておいてください。 柱 はしら 内容 ないよう ことばへの 入り はいり 方 かた 信仰 しんこう 告白 こくはく 神 かみ は 一 ひと つであり、ムハンマドはその 使徒 しと であるという 言明 げんめい あいさつや 文 ぶん の 始まり はじまり に、 神 かみ の 名 な を 呼ぶ よぶ 言い方 いいかた が 入る はいる 礼拝 れいはい 一 いち 日 にち 五 ご 回 かい 。 夜明け よあけ 前 まえ ・ 正午 しょうご 過ぎ すぎ ・ 午後 ごご ・ 日没 にちぼつ ・ 夜 よる 7.5 課 か で 見 み たとおり、 時刻 じこく の 目安 めやす になる 喜捨 きしゃ 財産 ざいさん の 一部 いちぶ を 困っ こまっ ている 人 ひと に 回す まわす こと 慈善 じぜん を 表す あらわす 単語 たんご が、 日常 にちじょう の 会話 かいわ にもよく 出る でる 断食 だんじき ラマダーン 月 がつ の 日中 にっちゅう 、 飲食 いんしょく をしない 月 つき の 名前 なまえ がそのまま 季節 きせつ の 呼び名 よびな のように 使わ つかわ れる 巡礼 じゅんれい 一生 いっしょう に 一 いち 度 ど 、 条件 じょうけん が 許せ ゆるせ ばメッカへ 巡礼 じゅんれい を 終え おえ た 人 ひと の 呼び名 よびな が、 敬称 けいしょう として 使わ つかわ れる 5 番 ばん 目 め の 柱 はしら に 出 で てくる 敬称 けいしょう は、 覚え おぼえ ておくと 役 やく に 立ち たち ます。 巡礼 じゅんれい を 終え おえ た 男性 だんせい は、 名前 なまえ の 前 まえ にその 呼び名 よびな を 付け つけ て 呼ば よば れます。7.3 課 か で 扱っ あつかっ た、 長子 ちょうし の 名 な を 借り かり た 呼び よび 方 かた と 同じ おなじ で、 本名 ほんみょう で 呼ば よば ないほうが 丁寧 ていねい という 作法 さほう の 一 ひと つです。 月 つき を 数える かぞえる 暦 こよみ イスラーム 暦 れき (ヒジュラ 暦 れき )は 月 つき の 満ち欠け みちかけ で 数える かぞえる 暦 こよみ です。1 年 ねん は 12 か月 かげつ で、 日数 にっすう は 354 日 か ほど。 太陽 たいよう 暦 れき より 11 日 か 短く みじかく なります。 この 11 日 か の 差 さ が、 大きな おおきな 違い ちがい を 生み うみ ます。ヒジュラ 暦 れき の 月 つき は、 太陽 たいよう 暦 れき の 上 うえ で 毎年 まいとし 11 日 か ずつ 前 まえ へずれていく のです。33 年 ねん ほどで 一 いち 周 しゅう し、 季節 きせつ を 一巡 いちじゅん します。 つまりラマダーンは、ある 年 とし は 真夏 まなつ に、 別 べつ の 年 とし は 真冬 まふゆ に 来 き ます。 真夏 まなつ のラマダーンは 日 ひ が 長く ながく 、 断食 だんじき の 時間 じかん も 長く ながく なります。 日本 にほん の 旧暦 きゅうれき が 季節 きせつ とだいたい 合っ あっ ていたのとは、 性格 せいかく が 違う ちがう 暦 こよみ です。 紀元 きげん はヒジュラ、つまり 預言 よげん 者 しゃ ムハンマドがメッカからメディナへ 移っ うつっ た 年 とし で、 西暦 せいれき 622 年 ねん にあたります。 西暦 せいれき とヒジュラ 暦 れき は、11 日 か ずつずれるので 単純 たんじゅん な 引き算 ひきざん では 変換 へんかん できません。 ラマダーンのひと 月 がつ ラマダーンは 断食 だんじき の 月 つき です。 日の出 ひので 前 まえ から 日没 にちぼつ まで、 飲食 いんしょく をしません。 水 みず も 飲み のみ ません。 この 月 つき は、 旅行 りょこう 者 しゃ にも 仕事 しごと にも 影響 えいきょう します。 日中 にっちゅう に 開い ひらい ている 食堂 しょくどう が 減り へり 、 役所 やくしょ や 会社 かいしゃ の 時間 じかん が 変わり かわり ます。そして 日没 にちぼつ 後 ご に 町 まち が 動き うごき 出し だし ます 。 断食 だんじき を 解く とく 食事 しょくじ のあと、 夜 よる 遅く おそく まで 人 ひと が 出歩き であるき ます。 断食 だんじき は 義務 ぎむ ですが、 免除 めんじょ される 人 ひと がいます。 病人 びょうにん 、 旅人 たびびと 、 子ども こども 、 妊娠 にんしん 中 ちゅう の 女性 じょせい 。 外国 がいこく 人 にん が 断食 だんじき する 必要 ひつよう はありませんが、 人前 ひとまえ で 飲み食い のみくい しない のが 礼儀 れいぎ とされます。 ラマダーンが 明ける あける と、 三 みっ 日 か ほどの 祝祭 しゅくさい があります。 新しい あたらしい 服 ふく を 着 き て、 親族 しんぞく を 訪ね たずね 、 子ども こども に 小遣い こづかい を 渡し わたし ます。 日本 にほん の 正月 しょうがつ に 近い ちかい 位置 いち にある 行事 ぎょうじ です。 断食 だんじき の 月 つき が 季節 きせつ を 移動 いどう するということは、 この 暦 こよみ が 季節 きせつ と 切り離さ きりはなさ れている ということです。 農業 のうぎょう の 暦 こよみ としては 使え つかえ ません。そのためエジプトでは、 農 のう 作業 さぎょう には 古代 こだい からの 太陽 たいよう 暦 れき が、 行政 ぎょうせい には 西暦 せいれき が、 宗教 しゅうきょう 行事 ぎょうじ にはヒジュラ 暦 れき が 使わ つかわ れてきました。 一 ひと つの 社会 しゃかい が 三つ みっつ の 暦 こよみ を 並行 へいこう して 使う つかう のは 珍しい めずらしい ことではなく、 日本 にほん でも 西暦 せいれき と 元号 げんごう と 旧暦 きゅうれき が 並ん ならん でいます。 ことばに 入り込ん はいりこん だ 宗教 しゅうきょう 日常 にちじょう のアラビア 語 ご には、 宗教 しゅうきょう の 単語 たんご が 数多く かずおおく 入っ はいっ ています。しかし そのほとんどは、 宗教 しゅうきょう 的 てき な 意味 いみ では 使わ つかわ れていません 。 この 課 か で 扱っ あつかっ た 言い方 いいかた は、どれも 7.1 段 だん の 会話 かいわ 編 へん に 出 で てきたものです。そこでは 会話 かいわ の 道具 どうぐ として 覚え おぼえ ました。ここでは、それがどこから 来 き たのかを 見 み ています。 使える つかえる ことと、 来歴 らいれき を 知っ しっ ていることは 別 べつ ですが、 来歴 らいれき を 知る しる と 使い つかい 方 かた の 幅 はば が 分かり わかり ます。 たとえば、ほめるときの 言い方 いいかた は、ほめすぎると 相手 あいて に 災い わざわい が 及ぶ およぶ という 古い ふるい 考え かんがえ と 結びつい むすびつい ています。だから 子ども こども をほめるときに 必ず かならず 添える そえる のです。この 背景 はいけい を 知ら しら ないと、なぜ 子ども こども をほめるたびに 神 かみ の 名 な が 出る でる のかが 分かり わかり ません。 言い方 いいかた 字面 じづら の 意味 いみ 実際 じっさい の 使わ つかわ れ 方 かた インシャーアッラー 神 かみ が 望む のぞむ なら 未来 みらい のことを 言う いう ときに 必ず かならず 添える そえる 。7.8 課 か で 扱っ あつかっ た アルハムドゥリッラー 神 かみ に 讃え たたえ あれ 元気 げんき ですかと 聞か きか れて、おかげさまで、と 答える こたえる 言い方 いいかた ビスミッラー 神 かみ の 名 な において 食べ たべ 始める はじめる とき、 車 くるま を 出す だす とき、 何 なん かを 始める はじめる とき マーシャーアッラー 神 かみ が 望ん のぞん だこと 人 ひと やものをほめるとき。 子ども こども をほめるときによく 使う つかう アッサラーム・アライクム あなたがたの 上 うえ に 平安 へいあん を いちばん 基本 きほん のあいさつ。7.1 課 か で 扱っ あつかっ た 日本語 にほんご の「おかげさまで」「いただきます」が、いま 宗教 しゅうきょう の 言葉 ことば として 意識 いしき されないのと 同じ おなじ ことが 起き おき ています。 語源 ごげん が 宗教 しゅうきょう にあることと、 使う つかう ときに 宗教 しゅうきょう を 意識 いしき することは 別 べつ です。 だから、これらの 言い方 いいかた はキリスト 教 きょう 徒 と のアラブ 人 にん も 使い つかい ます。 外国 がいこく 人 にん が 使っ つかっ ても 失礼 しつれい にはなりませんし、むしろ 使わ つかわ ないほうが 不 ふ 自然 しぜん に 聞こえ きこえ ます。7.1 課 か で 書い かい たとおり、 避ける さける とよそよそしく 響き ひびき ます。 宗教 しゅうきょう を 学ば まなば ずに、ことばを 学べる まなべる か この 課程 かてい は 宗教 しゅうきょう の 課程 かてい ではありません。しかし、この 課 か をここに 置い おい たのには 理由 りゆう があります。 アラビア 語 ご の 日常 にちじょう 会話 かいわ には、 宗教 しゅうきょう に 由来 ゆらい する 言い方 いいかた が 高い たかい 密度 みつど で 入っ はいっ ています。あいさつ、 相づち あいづち 、 別れ わかれ 、 ほめ言葉 ほめことば 、 未来 みらい のことを 言う いう とき。 それらを 避け さけ て 話す はなす ことはできません 。 避けれ さけれ ば、 文法 ぶんぽう 的 てき には 正しく ただしく ても、 誰 だれ の 話し はなし 方 かた にも 似 に ていないものになります。 同じ おなじ ことは 日本語 にほんご にもあります。いただきます、おかげさまで、 お陰 おかげ で、 罰 ばつ が 当たる あたる 。 日本語 にほんご を 学ぶ まなぶ 人 ひと がこれらを 避け さけ たら、 文法 ぶんぽう は 正しく ただしく ても 日本語 にほんご らしく 聞こえ きこえ ません。 言語 げんご は、それが 使わ つかわ れてきた 社会 しゃかい の 形 かたち をとどめています 。 だから、 信じる しんじる かどうかとは 別 べつ に、 知っ しっ ておく 必要 ひつよう があります。この 課 か で 扱っ あつかっ たのは 教義 きょうぎ ではなく、 暦 こよみ と 断食 だんじき とあいさつという、 生活 せいかつ とことばの 接点 せってん だけです。 第 だい 2 期 き の 11.4 課 か では、 家族 かぞく と 客 きゃく のもてなしの 作法 さほう を 扱い あつかい ます。そちらも、ことばの 選び えらび 方 かた に 直結 ちょっけつ する 話 はなし です。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — 確かめる たしかめる 次 つぎ に 答え こたえ てください。 イスラームの 五つ いつつ の 柱 はしら を 挙げ あげ てください。 ヒジュラ 暦 れき が 太陽 たいよう 暦 れき より 1 年 ねん で 何 なん 日 にち 短い みじかい か、そしてそれが 何 なん をもたらすかを 言っ いっ てください。 ラマダーン 中 ちゅう 、 外国 がいこく 人 にん はどう 振る舞う ふるまう のが 礼儀 れいぎ とされますか。 元気 げんき ですかと 聞か きか れたときに 使わ つかわ れる、 神 かみ の 単語 たんご が 入っ はいっ た 答え こたえ を 言っ いっ てください。 練習 れんしゅう 2 — 音読 おんどく この 課 か の 最後 さいご の 表 ひょう にある 五つ いつつ の 言い方 いいかた を、 声 こえ に 出し だし て 三 さん 度 ど くり返し くりかえし てください。どれも 音 おと のかたまりとして 覚える おぼえる ものです。 意味 いみ を 分解 ぶんかい せずに、ひとつづきの 音 おと として 口 くち に 入れ いれ てください。 この 課 か のまとめ イスラームの 五つ いつつ の 柱 はしら は、 信仰 しんこう 告白 こくはく ・ 礼拝 れいはい ・ 喜捨 きしゃ ・ 断食 だんじき ・ 巡礼 じゅんれい 。 ヒジュラ 暦 れき は 月 つき の