リベラリズム――相互依存と国際制度 — Epoché
国際と日本 国際政治 約 23 分 本文 約 10,200 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 国内の体制・経済の結びつき・国際制度の 3 つ 国内の体制 カントは各国の共和的な体制を平和の第一の条件とし、モラフチークは国家の選好が国内の誰を代表するかで決まると見ます。 経済の結びつき カントとエンジェルは経済の結びつきが戦争を割に合わなくすると論じましたが、自動的に平和が来るとは言っていません。 国際制度 カントは強制力のない国家の連合を代替物として勧め、コヘインらの制度論は共通の利益が協力に至る条件を問います。 はじめに この課程の『リアリズム――力と勢力均衡』の課では、国の上に立つ政府のない世界で、国々が力をたくわえ、釣り合いをとって身を守るという見方を学びました。では、そのような世界での協力や平和は、力の釣り合いが偶然に生む一時の休戦にすぎないのでしょうか。 この課で扱うリベラリズムは、そうとは限らないと答える考え方の一群です。国の中の体制、国と国の経済の結びつき、国と国の間の取り決めや組織によって、協力の見込みは変わると考えます。源は 1795 年のカントの『永遠平和のために』にさかのぼり [1] 、現代では、イデオロギーではなく実証の理論として立て直す試みが続いています [3] 。 ただし、リベラリズムは一つのまとまった理論ではありません。国内の体制を重く見る流れ、経済の結びつきを重く見る流れ、国際制度を重く見る流れがあり、どこまでを「リベラリズム」に含めるかも論者によって違います。この課では、カントの古典、現代の理論の核、経済が平和を生むという考えへの批判、日本の事例の順に見ていきます。 なお、国内政治で「リベラル」と呼ばれる政党や立場と、国際政治学のリベラリズムは同じものではありません。ここで扱うのは、国と国の協力がどんな条件で生まれるかについての理論です。たとえば、国々が関税の取り決めを守り続けるのはなぜか、強制する者がいないのに条約が守られるのはなぜか、といった問いに答えようとします。リアリズムと対立する面ばかりでなく、同じ「政府のない世界」から出発する点では共通していることにも注意しておきましょう。 この課の問い 政府のない国際社会で、国々の協力と平和はどんな条件で生まれるのでしょうか。経済の結びつきや国際制度は、戦争を本当に遠ざけるのでしょうか。 この課のことば 相互依存 一つの国が自分の目的を追うと、ほかの国に得や損が生じる関係。たとえば、ある国が関税を上げると、別の国の輸出企業の売り上げが減る。 選好 国が根本で実現したいと望むこと。たとえば「輸出で稼ぎたい」「ある地域の安定を保ちたい」。それを実現するための手段(戦略)とは分けて考える。 国際制度 国々が守ると約束した取り決めと、それを運ぶ組織。たとえば、貿易のルールを定める WTO(世界貿易機関)や国どうしの条約。 共和的な体制 カントの言葉で、法を作る力と法を執行する力が分けられた統治の仕方。今日の「民主制」と同じ意味ではない。 国家の連合 国々が争いを話し合いで解くために自ら集まる同盟。決定を強制する力はなく、抜けることもできる。 協力の条件――中心のない世界で平和はどう築かれるか この章では、リベラリズムの考え方を四つの段で見ます。まずカントが平和の条件として挙げた三つの条項、次に現代の理論の核、続いて経済の結びつきが平和を生むという考えへの批判、最後に日本の事例です。 『リアリズム――力と勢力均衡』の課で見たリアリズムが国々の力の配置に注目するのに対し、リベラリズムは、国々が何を望むか(選好)と、国々をつなぐ結びつきや制度に注目します。同じ「政府のない国際社会」を出発点にしながら、どこに目を向けるかが違うのです。 カントの問い――国の中の体制と国どうしの連合 カントは『永遠平和のために』(1795)で、戦争をなくすための条件を、条約の条文のような形で書きました。まず、戦争の見込みを減らすための六つの「予備条項」を置きます。ただし SEP の整理では、予備条項は戦争の見込みを減らすものの、それだけで恒久の平和を打ち立てることはできません [2] 。そこでカントは、三つの「確定条項」を加えます (図 1) 。 第一の確定条項は「各国の市民の体制は共和的であるべきだ」というものです [1] 。第二は「国際法は自由な国家の連合に基づくべきだ」です [1] 。第三は「世界市民の権利は普遍的な歓待の条件に限られる」です [1] 。本教材の整理で言えば、国の中、国と国の間、個人と外国という三つの層に、それぞれ条件を置いたことになります。 永遠平和のための確定条項 予備条項の後にカントが置いた 三つの条件 第一:国の中 各国の市民の体制は 共和的であるべきだ 第二:国と国の間 国際法は自由な国家の連合に 基づくべきだ 第三:個人と外国 世界市民の権利は普遍的な歓待の 条件に限る 恒久の平和を目指す 三つの層の条件をそろえて目指す 平和 図 1 カント『永遠平和のために』(1795)の三つの確定条項。予備条項だけでは恒久の平和は打ち立てられないとされる(層の名は本教材の整理) [1] [2] 。 第一の条項の理由はこうです。戦争をするかどうかに国民の同意が要るなら、国民は自ら戦い、費用を負担し、荒廃を直す苦しみを自分に課すことになるので、大いにためらうだろうとカントは言います [1] 。反対に共和的でない体制では、元首は国の仲間ではなく国の所有者のようなもので、戦争をしても宴や狩りを失いません。そうした体制では、開戦は世の中で最も気軽なことになるというのです [1] 。 SEP はこの論を、共和的な体制では、戦争を決める人と、税と血でその代価を払う人が同じになる、と整理しています [2] 。そのため共和的な国家は戦争をためらい、交渉を受け入れやすい傾向がある、という見立てです [2] 。ここで言われているのは傾向で、共和的な国家が決して戦争をしない、ということではありません。 注意したいのは、「共和的」が今日の民主制と同じではないことです。カントは共和制を民主制と混同してはならないとし、共和制を、執行する力(政府)を法を作る力から切り離す原理だと定めます [1] 。さらに、本来の意味での民主制は必然的に専制だとまで言います [1] 。全員が法を作り、全員で執行もするなら、作る者と執行する者が分かれないからだと読めます(本教材の整理)。 第二の条項の「連合」にも限定があります。SEP の整理では、カントは国際的な仕組みの型を三つ考え、一人の君主がすべてを治める普遍国家を退けて、国家の連合と国家の国家(世界共和国)だけを認めます [2] 。連合は決定を強制する力を持たず、国は自由に脱退できます [2] 。実際の支配者は主権を手放したがらないので、カントは連合を「消極的な代替物」として採るべきだと論じます [2] 。 連合ははじめから世界全体でなくてよく、時とともに広がっていくべきものとされます [2] 。ある国が「幸運」によって共和国になり、核となって、協力が次第にすべての国へ広がりうるとも述べています [2] 。ただし、世界共和国と連合のどちらをカントの本命と見るかは、研究者の間で解釈が分かれています [2] 。第三の条項についても SEP は、カント自身の議論は歓待の権利に限られると注意しています [2] 。 ここで間違えやすい カントの「共和的な体制」を今日の民主制のこと、「連合」を世界政府のことと考えるのは誤解です。正しくは:共和的とは執行と立法を分ける統治の仕方で、カントは本来の意味の民主制を専制と呼びます。連合は強制力がなく脱退も自由な同盟で、世界共和国はあくまで理念として掲げられます。 理論の核――選好・相互依存・制度 現代の国際政治学では、カントの発想につながる説明がいくつも生まれました。モラフチークは 1997 年の論文で、リベラルな国際関係理論を、イデオロギーでもユートピアでもない、実証の社会科学の理論として立て直そうとしました [3] 。中心の主張は、社会の考え・利益・制度が国家の選好を形づくり、それを通じて国家の行動に影響する、というものです [3] 。 リベラルにとって世界政治で最も重要なのは、国家の選好の配置であり、リアリズムの言う能力の配置ではありません [3] 。モラフチークは、ほかの理論が手段の違いを重く見るのに対し、リベラル理論は目的の違いを重く見る、と対比します [3] 。同じ軍事力を持つ二つの国でも、何を望むかが違えば行動が違う、という見方です。 理論は三つの前提から組み立てられます (図 2) 。第一に、国際政治の基本の行為者は個人と私的な集団で、彼らは平均して合理的で、リスクを避けようとします [3] 。第二に、国家は国内社会の一部を代表し、その人々の利益から、政府の担当者が国家の選好を決めます [3] 。「一部」とあるのが要点で、誰が代表されるかによって国家の望むことが変わります。第三に、相互依存する国家の選好の配置が国家の行動を決めます [3] 。 個人と私的な集団 平均して合理的でリスクを避け、 それぞれの利益を追う 代表 代表 国家は国内社会の一部を代表し、その 利益から選好を決める 相互依存 選好の配置 各国の選好が相互依存し、国外に費用や 便益を生む 国家の行動 選好の配置しだいで協力にも緊張にも なる 図 2 モラフチーク(1997)の三つの前提の流れ。最後の段の言い方は本教材の要約 [3] 。 第三の前提の「相互依存」は、仲が良いという意味ではありません。モラフチークの言う政策の相互依存は、各国が自分の目的を追うときに国外に生む効果の型のことです [3] 。この型が国家の行動を縛ります [3] 。一国の選好の実現が他国の集団に費用を負わせる場合、政府どうしは互いの得の少ない交渉に向き合い、緊張と紛争の可能性が高くなります [3] 。また、激しい紛争には、他国が受け入れない要求を出す現状変更の国が要るとされます [3] 。相互依存は、協力の土台にも対立の種にもなりうるのです。 選好の源の違いから、主な変種が三つに分かれます [3] (表 1) 。観念のリベラリズムは、社会の価値やアイデンティティがぶつかるか両立するかを重んじます [3] 。商業のリベラリズムは、国内外の経済の行為者が直面する市場の誘因から国家の行動を説明します [3] 。共和のリベラリズムは、国内の代表のあり方と、そこから生まれる利権あさりの余地を重んじます [3] 。カントの条項と重なる所はありますが、一対一に対応させるのは本教材の手がかりとしての整理にとどまります。 この表で分かること: 三つの変種は選好の源をどこに見るかで分かれ、制度論は共通の利益を前提に協力の条件を問います。 流れ 注目するもの 協力と対立の見方 観念のリベラリズム 社会の価値・アイデンティティ 価値が両立するかで変わる 商業のリベラリズム 国内外の経済の行為者の誘因 取引の損得が政府を動かす 共和のリベラリズム 国内の代表のあり方 一部の集団の利権が通りうる 制度論(コヘイン) 共通の利益と協力の条件 不確かさが協力を妨げる 表 1 モラフチークの整理による三つの変種と制度論。右の列は本教材の要約 [3] 。 もう一つの流れが、国際制度に注目する制度論です。モラフチークの引くコヘイン(1984)の制度論は、共通の利益があることを所与として、それが協力に至る条件を調べます [3] 。協力が実らないとき、制度論は不確かさに、リアリズムは国家間の力の配置に目を向けます [3] 。制度論はしばしばリベラルと呼ばれますが、モラフチークは、その前提はリベラリズムよりリアリズムに近いと主張します [3] 。リアリズムと制度論はどちらも、国家の行動が意図と食い違う結果を生むと考えるからです [3] 。この課の題の「国際制度」は主にこの流れを指しますが、それをリベラリズムに含めるかどうかは論者によって分かれます。 ここで間違えやすい 相互依存が深まれば国々は自然に協力する、と考えるのは誤解です。正しくは:モラフチークの言う相互依存は、ある国の目的の追求が他国に生む効果の型のことで、選好がぶつかれば緊張と紛争の可能性が高まります。協力になるかどうかは選好の配置しだいです。 批判――「大いなる幻想」と自動の平和という誤解 経済の結びつきが平和を生むという考えも、カントにさかのぼります。カントは、自然が相互の利己心によって諸民族を結びつけると書き [1] 、商業の精神は戦争と両立せず、遅かれ早かれどの民族をもとらえると述べました [1] 。この一節は、後の「資料で確かめる」で訳して読みます。 20 世紀の初めに、この発想を金融の時代に当てはめたのが、イギリスのエンジェルです。1909 年に冊子『ヨーロッパの錯視(Europe's Optical Illusion)』を出し、翌 1910 年にそれを書物『大いなる幻想』として刊行しました [5] 。エンジェルは、ドイツがイギリスに攻め込む想定を取り上げます。信用で成り立つ近代の金融が細かく結びついているもとでは、侵略者が私有財産を没収すると自国の金融に跳ね返り、損害が奪った財産の値を上回ると論じました [4] 。彼の論旨は、戦争が不可能だということではなく、完全に勝っても無益だということでした [4] 。 結びつきのない二つの町 町A 町Bの倉 倉を奪う 奪えば奪った側の得になる 銀行で結ばれた二つの町 町A 町Bの倉 倉を奪う 銀行 銀行 貸し借り 奪うと自分の町の銀行も傷つく 図 3 エンジェルの論の筋を二つの町にたとえた本教材の作例。上の絵は貸し借りのない町、下の絵は銀行どうしが貸し借りで結ばれた町。結びつきの度合いで奪うことの損得が変わる場合に限ったたとえ。 図3は、この論の筋を二つの町にたとえた本教材の作例です。上の絵では、町どうしにお金の貸し借りがないので、倉を奪えば奪った側の得になります。下の絵では、二つの町の銀行が互いに貸し借りをしています。倉を奪って相手の町が立ち行かなくなると、貸したお金が返らず、自分の町の銀行も傷つきます。奪うことの損得が、結びつきの度合いで変わるのです。 ところがエンジェルは、「欧州の大戦は不可能だ」と主張したとしばしば誤解され