見取り:可謬主義と共同の探究/ミードと自己/後のネオプラグマティズム — Epoché
解説 誤りうることと、ともに調べること 可謬主義は、今の判断も誤りうると認める立場。誤りの可能性は、何も信じられない理由ではなく、共同の議論や検査で直す理由になる。命令を受け入れるだけ、確信を守るだけの探究と区別する。 多数派が常に真理を持つという意味ではない。 出典2 他者の役割から、自分を捉える ミードは自己の発達を、言葉と他者の役割を引き受ける社会的な過程から考えた。ゲームでは、一人の相手だけでなく、全体の役割や規則から自分を見る。この観点を一般化された他者という。 自己は他人の単純な写しではない。社会の期待を捉える働きがあっても、個々の反応が全て予め決まるわけではない。 出典1 後の展開も、一つの真理論ではない ローティは、知識を世界の鏡写しとする像を批判した。ブランダムは、主張し理由を求め合う言語の実践に注目する。他方、古典的な客観性を守ろうとする論者もいる。 後の全員が真理を否定する、古典から一直線に進歩した、とはまとめない。 出典2 問いと関係の見取り 流れ 中心となる問い 共同の探究 誤りをどう見つけ修正するか ミードの自己論 他者の役割から自分をどう捉えるか 後の言語への注目 主張し理由を交わす実践をどう考えるか 共通の関心と違う答えを分ける見取り。単一の学説や発達法則ではない。 参考文献 [1] Aboulafia, Mitchell; Taylor, Scott「George Herbert Mead」。 出典 [2] Legg, Catherine; Hookway, Christopher「Pragmatism」。 出典