8.145 学問について — 本の読み方を、四百年前に書く — Epoché
この篇でできるようになること ★ 三分法 で並べる書き方が読める。 ★ 並列の極致 ——形をそろえた一文の力が分かる。 ★ 本の読み分け を、自分の読書に当てられる。 ★ 偏りに処方を当てる という考え方が分かる。 前提 : 8.144 まで。型は 3.48 まで。 読む前に ★ この篇は、 並列でできています 。 ★ セミコロンが 59 個 あり、★ 三つ並べた形が 18 回 出ます。 ★ 3.44 型編 と 3.45 型編 が、まるごと出てくる篇 です。★ 型編で置いたことを、 実際に使われている形 で確かめてください。 ★ 読み方の助言を一つ ——★ セミコロンのところで、 必ず一拍おいて ください。 ★ おかないと、三つ並んでいることが見えません。 ★ そして、この篇は 自分に当てながら 読んでください。 ★ 四百年前の文章ですが、 いまの自分の読書についての助言 として読めます。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1597 語、文は 54 本、一文の平均は 29.6 語、いちばん長い一文は 71 語です。セミコロンは 59 個あります。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 学問は、たのしみのため、飾りのため、力のために役立ちます。たのしみとしての主な使い道は、一人でいるときや引きこもっているときにあり、飾りとしては人と語るときにあり、力としては、判断し、物事を処理するときにあります。というのも、経験を積んだ人は、個々の事柄を一つずつ実行し、おそらくは判断もできますが、全体にわたる方針や、物事の計画と段取りは、学問のある人から出るのがいちばんよいからです。学問に時を費やしすぎるのは怠惰であり、飾りとして使いすぎるのは気取りであり、判断をすべて学問の規則によって下すのは学者の癖です。学問は生まれつきの性質を仕上げ、経験によって仕上げられます。生まれつきの力は自然の草木のようなもので、学問による枝刈りを必要とします。そして学問そのものは、経験によって枠をはめられなければ、あまりにもとりとめのない指図を与えるのです。ずるい人は学問をさげすみ、単純な人は学問をあがめ、賢い人は学問を使います。学問は自らの使い方を教えはしないからです。それは学問の外にあり、学問の上にある知恵で、観察によって得られるものです。反論し論破するために読んではいけません。信じて鵜呑みにするために読んではいけません。話の種を見つけるために読んではいけません。はかり、考えるために読みなさい。味わうだけの本もあれば、のみこむべき本もあり、少数ながら、かんで消化すべき本もあります。つまり、一部だけ読めばよい本もあれば、読みはするが念入りには読まなくてよい本もあり、少数ながら、全部を、熱心に注意を払って読むべき本もあるのです。また、代理の者に読ませ、他人に抜き書きを作らせてよい本もあります。ただしそれは、さほど重要でない主題や、つまらない種類の本に限られるでしょう。そうでなければ、蒸留した本は、ありふれた蒸留水と同じく、気の抜けたものです。読むことは人を満たし、語り合うことは人を備えさせ、書くことは人を正確にします。ですから、書くことが少ない人には大きな記憶力が要り、語り合うことが少ない人にはその場の機転が要り、読むことが少ない人には、知らないことを知っているように見せるための大いなるずるさが要ります。歴史は人を賢くし、詩は機知に富ませ、数学は精密にし、自然学は深くし、道徳は重々しくし、論理学と修辞学は論じ合う力をつけます。 Abeunt studia in mores (学問は人柄となる)。いや、知のはたらきのつかえや妨げで、ふさわしい学問によって取り除けないものはありません。ちょうど体の病に、それぞれ合った運動があるようなものです。ボウリングは結石と腎臓によく、弓を射ることは肺と胸に、ゆっくり歩くことは胃に、馬に乗ることは頭によい、といった具合です。ですから、もし人の知がさまよいがちなら、数学を学ばせなさい。証明では、知がほんの少しでもよそへそれたら、初めからやり直さなければならないからです。もし知が物事を区別し違いを見つけるのに向いていないなら、スコラ学者を学ばせなさい。彼らは cymini sectores (クミンの種を割る者たち)だからです。もし物事を探り回り、一つのことを持ち出して別のことを証明し説明するのに向いていないなら、法律家の判例を学ばせなさい。このように、心の欠点にはどれも、それぞれ特別な処方がありうるのです。 党派について 君主が国を治めるにも、身分の高い人が自分の事を運ぶにも、党派に配慮して行うことが政治の主要な部分である、という賢明でない意見を持つ人が多くいます。ところが反対に、最も大きな知恵は、全体に関わる事柄、つまりさまざまな党派の人々がそれでも一致する事柄を整えることか、あるいは個々の人と一人ずつ通じ合って事を運ぶことにあるのです。とはいえ、党派への配慮を軽んじてよいと言うのではありません。低い身分の人は、のし上がる途中ではどこかに付かなければなりません。しかし、自分自身に力のある身分の高い人は、どちらにも偏らず中立を保つほうがよいでしょう。それでも、駆け出しの者にとっても、一方の党派の人間でありながら、もう一方の党派からも最も受け入れられやすいほど控えめに付くのが、たいていいちばんうまくいきます。低く弱い党派のほうが、結束はかたいものです。そして、頑固な少数が、より穏健な多数を疲れさせてしまうことがよく見られます。党派の一つが消えると、残ったほうが分裂します。たとえば、ルクルスと元老院のほかの貴族たち(彼らはオプティマテスと呼ばれました)の党派は、ポンペイウスとカエサルの党派に対してしばらく持ちこたえましたが、元老院の権威が引きずり降ろされると、カエサルとポンペイウスはまもなく決裂しました。アントニウスとオクタウィアヌス・カエサルの党派も、ブルトゥスとカッシウスに対して同じくしばらく持ちこたえましたが、ブルトゥスとカッシウスが倒されると、まもなくアントニウスとオクタウィアヌスは決裂し、分裂しました。これらは戦争の例ですが、私的な党派でも同じことが言えます。ですから、党派で二番手にいる者が、党派が分裂すると、しばしば頭目になります。しかし、しばしばまた、取るに足りない者となって放り出されます。多くの人の力は対立のうちにあり、それがなくなると、その人は用済みになるからです。人がいったん地位を得ると、自分がそれによって入った党派とは反対の党派と手を結ぶのがよく見られます。おそらく、前の党派はもう確保したので、今度は新しく手に入れる用意ができた、と考えるのでしょう。党派の中の裏切り者は、たやすく得をします。物事が長く釣り合ったまま動かずにいるとき、誰か一人を引き入れれば決着がつき、その者が感謝を一身に受けるからです。二つの党派のあいだで公平にふるまうのは、いつも穏健さから出るとは限らず、両方を利用しようという、自分自身への忠実さから出ることもあります。確かにイタリアでは、教皇がしきりに Padre commune (皆の父)と口にするとき、少しばかり疑わしいと考え、すべてを自分の家の繁栄に結びつけようとする人のしるしだと受け取ります。王は、どちらかの側に付き、自分を一つの党派や派閥の一員のようにしないよう、気をつけなければなりません。国の内部の同盟は、君主政にとってつねに害となるからです。それは主権への義務にまさる義務を生み出し、王を tanquam unus ex nobis (われらのうちの一人のような者)にしてしまいます。フランスの同盟に見られたとおりです。党派があまりに高く、あまりに激しく争われるのは、君主の弱さのしるしであり、その権威にも政務にも大きな害となります。王のもとでの党派の動きは、(天文学者の言い方で言えば)下位の天球の動きのようであるべきです。下位の天球はそれぞれ固有の動きを持ちながら、それでもなお、 primum mobile (第一動者)の上位の動きによって静かに運ばれているのです。 儀礼と敬意について ただ実直なだけの人は、きわめて大きな徳の資質を必要とします。台座の箔なしにはめ込まれる宝石が上等でなければならないのと同じです。しかし、よく注意してみれば、人がほめられ認められることは、もうけや利得と同じです。「小さなもうけが財布を重くする」ということわざは本当だからです。小さなもうけはしきりに入ってくるのに対し、大きなもうけはたまにしか来ません。同じように、小さな事柄が大きな称賛を得るのは本当です。小さな事柄はいつも使われ、目に留まるからです。それに対して、何か大きな徳を示す機会は、祝祭の日にしか来ません。ですから、よい作法を身につけていることは、人の評判を大いに高め、(イサベル女王が言ったように)いつまでも有効な推薦状のようなものです。それを身につけるには、それを軽蔑しないことでほぼ足ります。そうすれば、人は他人の作法に目を留めるでしょうから。そして残りは自分自身に任せればよいのです。というのも、作法を表そうと骨を折りすぎると、その優美さを失ってしまうからです。その優美さとは、自然で気取らないことにあるのです。ある人々のふるまいは、一音節ごとに韻律を測った詩のようです。小さな気配りに心を細かく割きすぎる人が、どうして大きな事柄を理解できるでしょうか。儀礼をまったく用いないのは、他人にも自分に対して儀礼を用いないように教えることであり、そうして自分への敬意を減らします。とくに、見知らぬ人や形式を重んじる人に対しては、儀礼を省いてはいけません。しかし、儀礼にこだわり、それを月よりも高く持ち上げるのは、退屈なだけでなく、話す人の信用と信頼を減らします。そして確かに、挨拶のことばの中に、効き目があり心に刻まれる言い回しを伝えるやり方というものがあり、それを見つけることができれば、ひときわ役に立ちます。同輩のあいだでは、人は親しまれることは確かです。ですから、少し威厳を保つのがよいでしょう。目下の者のあいだでは、敬われることは確かです。ですから、少し親しみを見せるのがよいでしょう。何事においても度を越し、他人に飽きを感じさせる人は、自分を安っぽくします。他人に合わせるのはよいことです。ただしそれは、相手を重んじてそうしているのであって、たやすく流されてそうしているのではないと示しながらであるべきです。他人に賛成するときにも、何か自分のものを付け加えるというのは、一般によい心得です。たとえば、相手の意見を認めるなら、何らかの区別を添えて認めなさい。相手の提案に従うなら、条件を付けて従いなさい。相手の助言をよしとするなら、さらに理由を挙げてよしとしなさい。人は、挨拶ごとにあまりに完璧にならないよう気をつけなければなりません。ほかの点でどれほど優れていても、その人をねたむ者たちは必ずその評判を与えて、もっと大きな徳を損なわせるでしょうから。仕事においても、敬意にこだわりすぎたり、時と機会をうかがうことに細かすぎたりするのは損です。ソロモンは言います。「風を気にする者は種をまかず、雲を見る者は刈り取らない」。賢い人は、見つけるよりも多くの機会を作り出すでしょう。人のふるまいは、その衣服のように、窮屈すぎたり、きちんとしすぎたりせず、運動や動作に自由であるべきです。 語釈 帯の外の語は 144 語です。★ 8.144 読編 より少ない のは、★ 古語が減り、 ふつうの語で書かれている から です。★ proyning (枝を刈る。 pruning の古い綴り)と stond (つかえ。 stand の古い形)だけ、先に見ておいてください。 語(品詞) 意味 注 Antonius en 名 アントニウス。ローマの政治家 Brutus en 名 ブルートゥス。カエサルを討った人 Caesar en 名 カエサル Cassius en 名 カッシウス。カエサルを討った一人 Faction en 名 党派 A small faction within the council opposed the new tax law. 評議会内のある小さな党派は、新しい税法に反対しました。 France en 名 フランス Isabella en 名 イザベラ。人名 Italy en 名 イタリア Lucullus en 名 ルクッルス。ローマの将軍 Octavianus en 名 オクタウィアヌス。のちの初代ローマ皇帝 Optimates en 名 オプティマテス。ローマの貴族派 Padre en 名 「父」。イタリア語( Padre commune =皆の父) The old padre blessed every ship before it left the harbor. その老いた神父は、港を出るすべての船を祝福しました。 Pompey en 名 ポンペイウス。ローマの将軍 Queen en 名 女王 The queen visited the small hospital to thank the tired nurses. 女王はその小さな病院を訪れ、疲れた看護師たちに感謝しました。 Schoolmen en 名 スコラ学者 The old Schoolmen debated fine points of logic for hours. その古いスコラ学者たちは、何時間も論理の細かな点を議論しました。 abeunt en 動 「去っていく」。ラテン語 adhere en 動 固く従う Every sailor must adhere strictly to the captain's evening orders. すべての船乗りは船長の夜の命令に固く従わなければなりません。 affectation en 名 気取り His affectation of grand manners fooled no one at the small inn. その小さな宿では、彼の仰々しい態度の気取りは誰もだましませんでした。 apparel en 名 衣服 The merchant displayed fine apparel imported from across the