投票行動――人は何で投票先を決めるか — Epoché
制度と行動 選挙・政党・市民 約 28 分 本文 約 12,400 字 図 5・表 2 資料 2 節 この課の要点 集団・愛着・評価の 3 つ 集団 宗教や階級、身近な人とのつながりが政治の好みを固め、選挙運動は人を改宗させるより、もとの傾向を呼び起こす(コロンビア大学の研究)。 愛着 早くに育つ党への愛着が票の錨になり、候補者の人気や争点がその上で票を短期に揺らす(ミシガン・モデル)。 評価 政策の立場の近さや、政権のあいだの暮らしの実感を評価して選ぶ(空間モデル・業績投票)。ただし評価は党派心とも影響し合う。 はじめに 衆議院の総選挙の日、投票所では用紙を 2 枚受け取ります。1 枚目の小選挙区の用紙には候補者一人の氏名を、2 枚目の比例代表の用紙には政党の名前を書きます。公職選挙法がそう定めているからです [3] 。同じ日に、同じ人が、「人」を選ぶ票と「党」を選ぶ票を書き分けていることになります。 では、私たちは何で投票先を決めているのでしょうか。演説や広告で考えを変える人もいるでしょう。親や友人と同じ党に入れる人もいるでしょう。物価や景気を思い浮かべて、今の政権を続けさせるかどうかを考える人もいるはずです。2024 年の衆院選の後に行われた全国調査では、小選挙区で「政党を重くみて」投票した人が 47.6%、「候補者個人を重くみて」が 32.6%、「一概にいえない・わからない」が 19.7% でした [2] 。党を重く見る人が多いものの、人を重く見る人も 3 割を超えています。 政治学は、この問いに 80 年以上、世論調査のデータで答えようとしてきました。答えは大きく三つに分かれます。一つ目は、人が属する集団(宗教・階級・身近な人)が好みを固めるという見方です。二つ目は、早くに育つ党への愛着が票の錨になるという見方です。三つ目は、政策の近さや政権の実績を評価して選ぶという見方です。この課では、三つの見方が生まれた順にたどり、それぞれの根拠と弱みを確かめます。 この課程の『政党システム』の課では、社会の亀裂が政党の並びを形づくるという見方を学びました。この課はそれを、一人ひとりの有権者の側から見直す課でもあります。最後に、日本の投票の仕組みと調査の数に三つの見方を当ててみます。 この課の問い 人は何で投票先を決めるのでしょうか。所属する集団でしょうか、党への愛着でしょうか、それとも政策と実績の評価でしょうか。 この課のことば パネル調査 同じ人に、時期をずらして何度も同じことを尋ねる調査です。1 回きりの調査と違い、誰がいつ考えを変えたかを追えます。 政党帰属意識 ある党を「自分の党」と感じる、長続きする愛着です。アメリカの投票研究で中心に置かれてきた考え方です。 短期の力 選挙ごとに変わりうる、候補者への評価や争点への態度です。長続きする愛着の上に重なって、票を選挙ごとに揺らします。 空間モデル 政策の立場を 1 本の線の上の位置で表し、有権者は自分にいちばん近い党を選ぶ、と考える見方です。 業績投票 政権のこれまでの実績を振り返って、続けさせるか替えるかを決める投票です。「この数年、暮らしは良くなったか」が手がかりになります。 投票先を決めるもの――集団・愛着・評価 投票行動の研究は、三つの見方を順に生みました。それぞれは前の見方の弱みを突いて現れ、今もどれか一つが勝ったわけではありません。ここでは、研究の流れをまとめたプリンストン大学のラリー・バーテルズの概説 [1] を道しるべに、三つの見方をたどります。最後の節で、日本の投票の仕組みと調査の数に当てはめます。 社会集団と投票――似た人どうしで好みが固まる バーテルズによれば、学術的な投票研究の近代の歴史は 1940 年のコロンビア大学に始まります。社会学者ポール・ラザースフェルドが集めた研究班が、選挙の研究に世論調査を初めて本格的に使ったのです [1] 。研究班はオハイオ州エリー郡という一つの地域で、投票する見込みのある有権者 600 人を選び、その年の大統領選挙運動のあいだに、同じ人に最大 7 回まで面接しました [1] 。同じ人に何度も尋ねるパネル調査なので、運動の途中で誰が考えを変えたかを追えます。 この設計には狙いがありました。調査の発想の根は、消費者の行動を調べる市場調査と、戦時の宣伝の効果の分析にあった、とバーテルズは書きます [1] 。広告が商品の選び方を変えるように、選挙運動や報道が票を動かす様子をとらえようとしたのです。 調査の見込み 分かったこと 問い:運動で票は 動くか 問いの答え:動く 人は少ない 力:報道と宣伝 力:宗教・階級・ 知人 見込み:運動が 考えを変える 結果:もとの傾向の 補強が多い 図 1 1940 年のエリー郡のパネル調査の見込みと発見(バーテルズの紹介から本教材が整理) [1] 。左右の行は同じ項目(問い・力・結果)の順に並べています。左の「見込み」は、調査の発想(市場調査と宣伝の研究)から本教材が推したものです。 ところが結果は見込みと違いました。バーテルズの整理では、報道の中身を細かく測っても、投票の説明にはほとんど役立ちませんでした。選択の多くは、宗教と社会階級に根ざし、考えの近い知人との対面のやりとりで補強された、強い「銘柄への忠誠」にもとづいていたのです。運動のあいだに起きたのは、もとの傾向の補強が多く、はっきりした転向は少ない、という変化だったのです [1] (図 1) 。1940 年の結果は『ピープルズ・チョイス』(1944)にまとめられ、1948 年にニューヨーク州エルマイラで行った第 2 のパネル調査は『投票』(1954)になりました [1] 。 なぜ集団が効くのでしょうか。研究班は 1948 年の調査で、家族・友人・同僚の政治の見方を尋ねました。そして、身近なつながりは似た考えの人で固まりやすく、運動が進むにつれて周りに合わせる傾向が強まる、と強調しました [1] 。『投票』の著者たちは、多くの有権者にとって政治の好みは、消費者や企業の計算された決定よりも、音楽や服装のような文化の好みに近いとみるのがよいかもしれない、と論じました。どちらも民族・地域・階級・家族の伝統に由来し、個人では変わりにくく、直接の議論には動かされにくく、間接の社会的な影響には動かされやすい、というのです [1] 。 それでも選挙運動が無意味になるわけではありません。『投票』は、1948 年のトルーマンの終盤の追い上げを、眠っていた民主党への忠誠の「再活性化」として詳しく示しました [1] 。運動は人を改宗させるよりも、もともとの傾向を呼び起こす、という見方です。また、同じ本は、好む候補者の争点の立場が自分の考えと食い違うとき、有権者がそれを無視したり取り違えたりすることが多いとも強調しました [1] 。好みが先にあり、情報はそれに合わせて読まれる、という指摘です。 宗教や階級が票と結びつく強さは、国や時代によって違います。この課程の『政党システム』の課で学んだ、社会の亀裂が政党の並びをつくるという見方は、国の単位の話でした。コロンビア大学の研究は、同じことを一人ひとりの票の側から確かめようとした試みだった、と本教材は整理します。 ここで間違えやすい 「集団で好みが固まる」というのは、人が何も考えずに投票するという意味ではありません。また、この研究が示したのは、調べた 2 つの地域の大統領選挙で多くの人の好みが動かなかったことです。すべての国・すべての選挙で集団が票を決める、と示したわけではありません。 党派心という錨――ミシガン・モデル 次の大きな前進はミシガン大学から来ました。大学の調査研究センターは 1952・1954・1956・1958 年に全国調査を行いました。その成果として、キャンベル、コンバース、ミラー、ストークスの 4 人が 1960 年に『アメリカの有権者』を著しました [1] 。主なデータは 1952 年と 1956 年の大統領選挙の調査で、選挙運動中に面接し、選挙後に同じ人にもう一度面接しています。一つの町ではなく、全国の標本にもとづいている点が、コロンビア大学の研究との違いです [1] 。 この本の中心は、長期の力と短期の力の区別です。長期の力が政党帰属意識、つまりある党を「自分の党」と感じる長続きする愛着です。著者たちは、こうした愛着が選挙の勢力の基本の分かれ目をつくり、その中で個々の選挙運動の競争が行われる、と書きました [1] 。短期の力は、その選挙の候補者や争点への態度です。こうした態度は時とともに変わるので票の短期の揺れを説明できますが、党への忠誠と社会的な属性は動きにくく、揺れをうまく説明できない、という整理です [1] 。 具体例が、1950 年代のアイゼンハワーの大勝です。バーテルズによれば、この本のいちばん目立つ発見は、アイゼンハワーの地滑り的な勝利が、有権者の相対多数が持っていた民主党への長年の忠誠をほとんど乱さなかったことでした [1] 。著者たちは 6 つの「態度の力」を量りました。二人の候補者それぞれへの態度、関係する社会集団、政府を運営する者としての政党、国内の争点、外交の 6 つです。そして 1956 年の大勝では、アイゼンハワーの人気が最も重要だったと結論しました [1] 。愛着という錨はそのままで、候補者という短期の力が票を動かした、という読み方です。 前の原因(遠い) 親・社会の属性 宗教・階級など 党への愛着 政党帰属意識 候補者・争点 への態度 近い原因 投票 漏斗の出口 図 2 「因果の漏斗」のたとえ。キャンベルらの考え方と、それを統計のモデルにしたゴールドバーグ(1966)の並び(親の影響・社会的な属性 → 政党帰属意識 → 党派的な態度 → 投票)を、本教材が絵にしたもの [1] 。上の層ほど時間的に前の原因です。 この考え方は「因果の漏斗」というたとえで表されます。投票に近い原因(候補者への評価など)は、それより前からある原因で一部説明できる、という考え方です。例えば候補者への評価は、候補者が現れる前からある党派の忠誠で一部説明できます [1] 。大恐慌の記憶や軍歴のような、政治そのものではない出来事も、政治の判断に「翻訳」されて票に入ります [1] 。のちにゴールドバーグ(1966)はこの並びを統計のモデルにし、政党帰属意識に中心の位置を与えるモデルがデータに最もよく合うとしました [1] (図 2) 。 ここで間違えやすいのは、愛着の安定の程度です。著者たちは、党への愛着は変化よりも安定に特徴づけられるが、それは一方の党への硬直した固定ではなく、持続的な支持と反対の影響への抵抗だ、と書いています [1] 。バーテルズは、この型が、同じ人を数年追う調査や親子の比較で確かめられたと評価しています [1] 。著者たちはさらに、多くの人は主な政策争点をわずかしか知らない、とも報告しました [1] 。 反論もありました。1960〜70 年代には、争点の役割が大きくなり、政党帰属意識の重みが下がった、という「修正派」の主張が現れました。その代表が、ナイ、ヴァーバ、ペトロシックの『変わるアメリカの有権者』(1976)です [1] 。これに対し、1972〜76 年に同じ人を追った全国のパネル調査では、党派の忠誠の平均の水準はいくらか下がりました。それでも、一人ひとりの党派心の安定性は 1950 年代と同じくらい大きかったのです [1] 。バーテルズ自身は、その後の研究もミシガン・モデルの中心の主張に大きな傷を付けられなかった、と自分の見方として述べています [1] 。この評価には異論もあり、次の節の見方がその代表です。 ここで間違えやすい ミシガン・モデルは「人は親から受け継いだ党に一生投票する」と言ったのではありません。愛着は安定していても固定ではなく、アイゼンハワーの例のように、候補者や争点という短期の力が票を動かすことを、モデルの中に組み込んでいます。 争点と実績で選ぶ――合理的な有権者という見方 三つ目の見方は、経済学から来ました。経済学者アンソニー・ダウンズは 1957 年の『民主主義の経済理論』で、合理的な消費者や生産者の行動規則に似た、合理的な政府の行動規則を示そうとしました [1] 。バーテルズによれば、その最も重要な貢献は選挙競争の空間モデルです。有権者は 1 本のイデオロギーの線の上に並び、政党はその線の上の点にあたる政策を選び、有権者は立場の近さで政党を選ぶ、というモデルです [1] 。ダウンズはその含意として、二大政党制で、有権者の多くが比較的穏健なら、二つの党は中央へ急速に寄っていくはずだ、と論じました [1] 。中央に寄るのは、この二つの条件がそろうときです。 ダウンズはもう一つ、厄介な指摘をしました。多くの市民にとって、政治の情報を集めること自体にまったく労力をかけないのが合理的だ、というのです。一人の票が選挙の結果を左右する見込みは、ほとんどないからです [1] 。では、情報の乏しい有権者は、どうやって選べばよいのでしょうか。 モリス・フィオリーナは『業績投票』(1981)で、一つの答えを出しました。情報の乏しい市民でも、たいてい比較的確かなデータを一つ持っている、それは現職の政権のあいだに暮らしがどうだったかだ、というのです [1] 。政策や公約の細部を知らないほど、人は費用を省く手段として業績投票に頼るだろう、とフィオリーナは考えました [1] 。これは、有権者は(少なくともその多くは)政策と実績の認識と評価に動かされる、というキー(1966)の主張をさらに裏づけるものでした [1] 。選挙は、政権の実績を後から問う、説明責任の一つの形になるわけです [1] (図 3) 。 政権の実績 景気・外交など、現職の政権のあいだの 出来事 暮らしの実感と評価 細部を知らなくても、この間の暮らしは 分かる 投票 続けさせるか、替えるかを決める 事後の説明責任 選挙が実績を後から問う機会になる 図 3 業績投票の流れ(フィオリーナとキーの考え方を、バーテルズの紹介から本教材が図にしたもの) [1] 。点線は、選挙が果たすと考えられている働きです。 業績投票と重なる研究に、経済投票があります。クレイマー(1971)らは選挙結果を集計して分析し、選挙の結果が経済の状態に強く左右されることを示し