6.50 홍길동전 抄(洪吉童伝) — Epoché
前提 ぜんてい : 6.49 まで。 この 篇 へん でできるようになること 昔 むかし の 過去 かこ 形 かたち や 綴り つづり を、 今 いま の 形 かたち と 分かち書き わかちがき に 移せる うつせる 。 地 ち の 文 ぶん と 会話 かいわ を 分け わけ 、 尊敬 そんけい される 動作 どうさ 主 しゅ を 示せる しめせる 。 古風 こふう な 丁重 ていちょう の 台詞 せりふ を 今 いま の 言い いい 方 かた にし、 意図 いと を 表す あらわす 句 く を 読める よめる 。 吉 きち 童 どう の 家族 かぞく と、 父 ちち を 父 ちち と 呼べ よべ ない 事情 じじょう を 短い みじかい 文 ぶん で 伝え つたえ られる。 この 文章 ぶんしょう について 金 きん 裕 ひろし 貞 てい が 子ども こども 向け むけ に 書き直し かきなおし た『 洪 こう 吉 きち 童 どう 伝 でん 』の 抄 しょう です。 才能 さいのう がある 吉 きち 童 どう は、 母 はは の 身分 みぶん のために 父 ちち や 兄 あに をその 呼び名 よびな で 呼べ よべ ません。 父 ちち との 会話 かいわ から、 兄 あに と 人相 にんそう 見 み の 場面 ばめん へ 移る うつる ところまで 読み よみ ます。 本文 ほんぶん は1935 年 ねん の 表記 ひょうき です。 古典 こてん の 物語 ものがたり を、 別 べつ の 時代 じだい の 読者 どくしゃ へ 語り かたり 直す なおす 文章 ぶんしょう として、 筋 すじ と 呼称 こしょう 、 尊敬 そんけい の 向き むき を 追い おい ましょう。 語釈 ごしゃく — 呼び名 よびな と 立場 たちば 語 ご 物語 ものがたり での 意味 いみ 정실 ・ 서자 ・ 계집종 正妻 せいさい ・ 庶子 しょし ・ 女 おんな の 下人 げにん 。この 家 いえ の 扱い あつかい の 違い ちがい を 生む うむ 、 物語 ものがたり の 身分 みぶん の 語 ご です。 도련님 ・ 대감 若 わか 様 さま ・ 高位 こうい の 人 ひと への 呼び名 よびな 。 親子 おやこ であっても 大監 だいげん と 呼ぶ よぶ ように 命じ めいじ られます。 초당 ・ 침소 ・ 관상쟁이 書 しょ を 読む よむ 部屋 へや ・ 寝所 しんじょ ・ 人相 にんそう 見 み 。 場面 ばめん と 人物 じんぶつ の 役割 やくわり を 確かめる たしかめる 語 ご です。 고담 二人 ふたり の 息子 むすこ を 挙げる あげる 文 ぶん です。ここでは「その 次 つぎ (の 子 こ )」の 意味 いみ で 読み よみ ます。 재우처 ・ 말슴 底本 ていほん の 字 じ 。ふつうは 재우쳐 ・ 말씀 。 重ね かさね て 尋ねる たずねる ことと、 丁重 ていちょう な 言葉 ことば です。 녀겨 ・ 안코 ・ 업는 ・ 업새고자 思っ おもっ て・〜しないで・ない・なくそうと。 底本 ていほん の 字 じ 。ふつうは 여겨 ・ 않고 ・ 없는 ・ 없애고자 。 나종 ・ 맹낭 ・ 엎으리고 ・ 이슥하야 のち・ませている・ 伏し ふし て・ 夜 よる がふけて。 底本 ていほん の 字 じ 。ふつうは 나중 ・ 맹랑 ・ 엎드리고 ・ 이슥하여 。 가까히 ・ 안즈며 ・ 나즉이 ・ 입밧게 近く ちかく ・ 座り すわり ながら・ 低く ひくく ・ 口 くち の 外 そと に。 底本 ていほん の 字 じ 。ふつうは 가까이 ・ 앉으며 ・ 나직이 ・ 입 밖에 。 文法 ぶんぽう メモ — 主語 しゅご を 見 み て 尊敬 そんけい を 追う おう 地 ち の 文 ぶん では 父 ちち の 動作 どうさ に 尊敬 そんけい の 시 が 付き つき 、 吉 きち 童 どう や 兄 あに の 動作 どうさ には 付き つき ません。 一方 いっぽう 、 台詞 せりふ の 中 なか では、 吉 きち 童 どう が 天 てん の 働き はたらき を 敬い うやまい 、 人相 にんそう 見 み が 吉 きち 童 どう の 将来 しょうらい を 敬っ うやまっ て 語り かたり ます。 地 ち の 文 ぶん か、 誰 だれ の 台詞 せりふ かで 見る みる 範囲 はんい を 切り替え きりかえ ます。 今 いま の 文 ぶん で 筋 すじ を 言い直す いいなおす ときも、 父 ちち の 動作 どうさ は 敬い うやまい 、 吉 きち 童 どう の 動作 どうさ は 通常 つうじょう の 叙述 じょじゅつ にします。 会話 かいわ の 中 なか の 尊敬 そんけい は、その 話し手 はなして が 誰 だれ について 語る かたる かを 確かめ たしかめ ましょう。 古い ふるい 過去 かこ 形 かたち は、 今 いま の 語幹 ごかん と 過去 かこ の 印 しるし に 分け わけ て 読み よみ ます。 잇섯든 には、 存在 そんざい と 過去 かこ を 振り返る ふりかえる 形 かたち が 重なっ かさなっ ています。 이러케 では ㅎ の 置き おき 方 かた 、 하겟읍니까 では 濃音 のうおん と 丁寧 ていねい な 文末 ぶんまつ の 書き かき 方 かた を 確かめ たしかめ ます。 할스록 の 末尾 まつび は、 程度 ていど が 増す ます ことを 表す あらわす 一 ひと つの 語尾 ごび です。「できる」に 使う つかう 名詞 めいし 수 とは 役割 やくわり が 違い ちがい ます。 今 いま の 綴り つづり へ 移す うつす ときも、 語尾 ごび の 内部 ないぶ を 空け あけ ません。 귀하오나 は「 貴い とうとい けれど」、 못하오니 は「できませんので」、 하옵니다 は 丁重 ていちょう に「 思い おもい ます」と 述べる のべる 形 かたち です。 고자 は「〜しようと」という 意図 いと 。 父 ちち の 소린고 は 古風 こふう な 問い とい です。いずれも 台詞 せりふ の 用件 ようけん と 前後 ぜんご の 動作 どうさ を 合わせ あわせ て 読み よみ ます。 読み よみ どころ — 近い ちかい 父 ちち と 遠い とおい 呼び名 よびな 父 ちち は 吉 きち 童 どう をかわいがり、 才能 さいのう も 認め みとめ ます。それでも 父 ちち と 呼ば よば せず、 長い ながい 訴え うったえ のあとにも 家 いえ の 決まり きまり を 変える かえる 言葉 ことば を 返し かえし ません。 口 くち を 苦々しく にがにがしく 動かす うごかす 表情 ひょうじょう と、 短い みじかい 返事 へんじ のあいだに、ためらいや 行き詰まり いきづまり がうかがえます。 人相 にんそう 見 み は 吉 きち 童 どう を 将来 しょうらい の 王 おう として 敬い うやまい ます。その 一言 ひとこと は、 兄 あに には 家 いえ を 危うく あやうく する 予告 よこく として 聞こえ きこえ ます。 同じ おなじ 吉 きち 童 どう への 言葉 ことば が、 話す はなす 人 ひと と 聞く きく 人 ひと の 立場 たちば で 別 べつ の 意味 いみ を 持ち もち ます。 対訳 たいやく 昔 むかし 、あの 李 り 朝 ちょう の 時代 じだい にあったことだ。 一人 ひとり の 宰相 さいしょう がいて 二人 ふたり の 息子 むすこ を 持っ もっ ていたが、 長男 ちょうなん の 名 な は 仁 ひとし 衡 こう (インヒョン)で、 次 つぎ の 子 こ を 吉 きち 童 どう (キルドン)と 呼ん よん だ。だが 仁 ひとし 衡 こう はその 弟 おとうと の 吉 きち 童 どう をあまり 快く こころよく 思っ おもっ てやらなかった。なぜなら 自分 じぶん は 正妻 せいさい の 柳 りゅう 氏 し 夫人 ふじん の 生ん うん だ 子 こ であるのに、 吉 きち 童 どう は 女中 じょちゅう の 春 はる 蟾(チュンソム)の 身 み から 生まれ うまれ た 卑しい いやしい 庶子 しょし だったからである。 下人 げにん たちまでも 吉 きち 童 どう を 若 わか 様 さま と 呼ん よん でやらず、 軽んじ かろんじ てひどく 蔑ん さげすん だ。 こうして 吉 きち 童 どう は 自分 じぶん の 身の上 みのうえ を 昼 ひる も 夜 よる も 嘆い なげい た。 しかし、この 悲しみ かなしみ を 分かっ わかっ てくれる 人 ひと は、ただその 父 ちち ひとりだけだった。 父 ちち は 吉 きち 童 どう が 生まれる うまれる とき、ふと 空 そら で 雷鳴 らいめい が 鳴り なり わたり、 大きな おおきな 龍 りゅう が 髭 ひげ を 逆立て さかたて て 前 まえ へ 飛びかかっ とびかかっ てくる 夢 ゆめ を 見 み られた。それだけでなく、だんだん 育つ そだつ につれて、 一 ひと つを 教えれ おしえれ ば 十 じゅう を 知る しる ほど 才知 さいち が 明るく あかるく 、 才能 さいのう が 並はずれ なみはずれ ていることを 見 み ておられた。 「この 子 こ は 将来 しょうらい 大きく おおきく なれば 立派 りっぱ になる 奴 やつ だ」と、 父 ちち はこのようにときどき 心 こころ の 中 なか で 思っ おもっ て 喜ば よろこば れた。 けれども 吉 きち 童 どう が、 「お 父 ちち さん」と 言っ いっ て 胸 むね に 飛びつい とびつい てくると、その 父 ちち は 息子 むすこ の 口 くち を 手 て ですばやくふさいで、 「おまえは 父 ちち と 言っ いっ てはならぬ。 大監 だいげん (テガム)と 言わ いわ なければだめだ」と、やさしく 叱ら しから れた。 息子 むすこ がかわいくないのではないが、しかし 両 りょう 班 はん の 家 いえ で 庶子 しょし が 父 ちち と 呼ぶ よぶ 法 ほう はないことなので、 人 ひと が 聞い きい たらそしるだろうと 思っ おもっ て 叱っ しかっ ていたのである。 ある 日 ひ 、 夜 よる がふけて、 父 ちち は 客間 きゃくま の 庭 にわ を 行き来 いきき している 吉 きち 童 どう を 見つけ みつけ られた。 青い あおい 空 そら に 月 つき は 明るく あかるく 、あずまやに 茂っ しげっ たあらゆる 木々 きぎ がさらさらと 落葉 らくよう を 落とす おとす 、 もの寂しい ものさびしい 夜 よる だった。その 木 き の 陰 かげ で 吉 きち 童 どう が 月 つき の 光 ひかり に 刀身 とうしん を 光ら ひから せながら、 熱心 ねっしん に 剣術 けんじゅつ を 練習 れんしゅう しているのである。これを 見 み て 父 ちち は 不思議 ふしぎ に 思わ おもわ れ、 前 まえ に 吉 きち 童 どう を 呼ん よん で、 「おまえは 書斎 しょさい で 書 しょ を 読ま よま ずに、なぜ 出 で てきたのか」とお 尋ね たずね になった。 「 月 がつ が 明るい あかるい ので、 眺め ながめ に 出 で てきました」 「 眺め ながめ だとは。 勉強 べんきょう をよくしなければ、のちに 立派 りっぱ な 人 ひと になれないではないか」 「 私 わたくし は 卑しい いやしい 身 み ですから、いくら 勉強 べんきょう をよくしても 決して けっして 立派 りっぱ な 人 ひと にはなれません」と、 吉 きち 童 どう は 頭 あたま を 垂れ たれ てうやうやしく 答え こたえ た。 父 ちち はその 言葉 ことば に 何 なん か 含む ふくむ ところがあってのことだと、すべて 察し さっし ておられた。しかし 十 じゅう 二 に 歳 さい にしかならない 子 こ の 言葉 ことば としてはあまりにませていたので、 「おまえ、それは 何 なん という 言葉 ことば か」と、 重ね かさね てお 尋ね たずね になった。すると、その 答え こたえ が―― 「 天 てん が 万物 ばんぶつ をお 生み うみ になり、その 中 なか で 人 ひと がもっとも 貴い とうとい のに、 私 わたくし だけは 卑しい いやしい 身 み となって、 父 ちち 上 じょう を 父 ちち 上 うえ とお 呼び よび できず、 兄 あに 上 じょう をまた 兄 あに 上 うえ とお 呼び よび できません。どうして 人 ひと と 言え いえ ましょうか。これからは 武術 ぶじゅつ を 習っ ならっ て 国 くに に 功 こう を 立てる たてる のが 男子 だんし のことではないかと 存じ ぞんじ ます」 そしてその 場 ば にがばと 伏し ふし て、 声 こえ を 立て たて て 悲しく かなしく 泣い ない た。 父 ちち はこのさまを 静か しずか に 見下ろし みおろし ておられたが、 苦々しく にがにがしく 口 くち を 鳴らし ならし て、やりきれない 顔 かお をなさった。やがて 両手 りょうて でみずからその 肩 かた をつかんで 起こさ おこさ れながら、 「 天下 てんか に 庶子 しょし はおまえ 一人 ひとり ではないのだから、 悲しむ かなしむ な、 早く はやく 帰っ かえっ て 寝 ね よ」とおっしゃった。 吉 きち 童 どう は 父 ちち の 厳命 げんめい に 背く そむく ことができず、 自分 じぶん の 寝所 しんじょ に 戻っ もどっ てはきたが、なかなか 眠れ ねむれ なかった。 他人 たにん には 父 ちち があり 兄 あに があるのに、 自分 じぶん には 父 ちち も 兄 あに もいないのである。 父 ちち の 姓 せい にしたがって 洪 こう 吉 きち 童 どう と 言い いい ながらも、その 父 ちち を 父 ちち と 堂々 どうどう と 呼