リアリズム――力と勢力均衡 — Epoché
国際と日本 国際政治 約 28 分 本文 約 12,400 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 原因・仕組み・限界の 3 つ 原因 力を求める理由を、古典的リアリズムは人間の本性に、構造的リアリズムは政府のない国際体系の構造に求める 仕組み 自助の世界で国家は勢力均衡を図るが、守りの備えが相手の不安を呼ぶ安全保障のジレンマが生じる 限界 規範・制度・国内政治や冷戦の終わりを説明しにくいと批判され、リベラリズムや構成主義が対案を出す はじめに 町の中なら、隣の家とけんかになっても、最後は警察や裁判所が間に入ります。ところが国と国のあいだには、決まりを作り、破った国を罰する共通の政府がありません。国連はありますが、加盟国を上から従わせる世界政府ではありません。もし隣の国が軍隊を増やし始めたら、自国はどうすればよいのでしょうか。相手に悪意がないと信じて待つのか、自分も備えを固めるのか。国際政治の多くの議論は、この素朴な問いから始まります。 この課で学ぶリアリズム(現実主義)は、国際政治学の中で最も古く、今も大きな影響を持つ見方です。リアリズムは、国家の上に政府のない状態(アナーキー)を出発点にして、国家は生き残りと安全のために力を求め、自分の身は自分で守る(自助)しかないと考えます。そのうえで、強い国が現れればほかの国が釣り合いを取ろうとする「勢力均衡」と、守りのための備えがかえって互いの不安を高める「安全保障のジレンマ」を説明します。 ただしリアリズムは一枚岩ではありません。力を求める理由を人間の本性に置く古典的リアリズムと、国際体系の構造に置く構造的リアリズムがあり、後者はさらに防御的と攻撃的に分かれます。また、リアリズムは「力こそ正義」と主張する思想だと誤解されがちです。この課では、古代ギリシアのトゥキュディデスが記したメロス対談を実際に訳して読み、登場人物の言葉と著者の叙述を分ける練習もします。最後に、リアリズムが何を説明しにくいのかという批判を見て、次の課のリベラリズムへの橋をかけます。 この課の話は、遠い大国どうしだけのものではありません。日本も、明治の日英同盟から現在の防衛政策まで、周りの大国の力の変化にどう向き合うかという問いに繰り返し直面してきました。リアリズムの道具を使うと、こうした選択を「同盟を組んで釣り合いを取る」「自国の備えを固める」といった型に分けて考えられます。同時に、同じ政策が「抑止を強める」とも「相手の不安を高める」とも読めることも見えてきます。この課では、どちらの読みが正しいかを本教材が決めるのではなく、どの前提を置くと答えが変わるのかを自分で確かめられるようになることを目指します。 この課の問い 上に立つ政府のない国際社会で、国家はなぜ力を求め、互いに警戒し合うのか。リアリズムはそれをどう説明し、どこで批判されるのか。 この課のことば アナーキー(無政府状態) 国家の上に、決まりを作って守らせる共通の政府がない状態。混乱や無秩序という意味ではない 自助 困ったときに助けてくれる上位の機関がないので、自分の安全は自分で守るしかないという考え 国益 その国家にとっての利益。リアリズムでは、まず生き残りと安全を指す 勢力均衡 一国が突出して強くならないよう、ほかの国が力を蓄えたり同盟を組んだりして釣り合いを取ること 安全保障のジレンマ 自国を守るための備えが、相手には脅威に見え、相手も備えを増やして、結局どちらも安全でなくなること 極(きょく) 国際政治で力の中心となる大国。大国が二つなら二極、一つなら一極 力の政治――政府のない世界で国家はどう振る舞うか この課程の前の課で、国際社会には国家の上に立つ政府がないことを見ました。この章では、その「中心のなさ」から国家の振る舞いを説明しようとする見方、リアリズムを、古典から現代の理論、そして批判まで順にたどります。各節では、だれの主張か(説明なのか、「〜すべき」という規範なのか)を区別しながら読んでいきます。 古典的リアリズム――人間の本性と「力として定義される利益」 古典的リアリズムは、国家が力を求める根を人間の本性、つまり他人を支配したい欲求や自分を守ろうとする欲求に置きます。そして政治家は、道徳の理想ではなく「力として定義される利益」で判断すべきだと説きます。その源流とされるのがトゥキュディデスの『戦史』で、20 世紀の代表はモーゲンソー『国際政治』(1948)です [1] [2] [3] 。 トゥキュディデスは、アテナイとスパルタが戦ったペロポネソス戦争(前 431〜404 年)の歴史を書きました。彼は戦争の「最も真実な原因」を、アテナイの力が伸びたことと、それがスパルタに与えた恐れに求めています(1.23) [2] 。これは語り手としての著者本人の判断です。一方、同じ本の第 5 巻のメロス対談(5.84〜116)では、アテナイの使節が「強い者はできることを行い、弱い者は譲る」と述べます(5.89)。こちらは登場人物の言葉で、トゥキュディデスがそれを正しいと考えたかどうかは別の問題です [1] 。後の「資料で確かめる」で、この一節を訳して読みます。 古典的リアリズム 構造的リアリズム 原因は人間の本性 原因は体系の構造 見るのは個人と国家 見るのは国際体系 求めるのは国益=力 求めるのはまず安全 慎慮を最高の徳に 道徳は理論の外 モーゲンソー 『国際政治』 ウォルツ 『国際政治の理論』 図 1 古典的リアリズム(モーゲンソー)と構造的リアリズム(ウォルツ)の比べ方。上から、力を求める原因・分析の水準・求めるもの・道徳の位置・代表作です(本教材の整理)。 近代のリアリズムが学問として形を取ったのは、二つの世界大戦のあいだです。第一次世界大戦の後、国際連盟や条約による平和を目指す考え(理想主義)が広まりました。しかしそれは第二次世界大戦を防げませんでした。カー『危機の二十年』(1939)は、あるべき世界を語る理想主義が、力の現実を見落としてきたと批判しました [14] 。モーゲンソーも同じく、「ある世界」から出発せよと説きました [3] 。 モーゲンソーは、第 2 版(1954)以後の『国際政治』で政治的リアリズムの六原則を掲げます。政治には人間の本性に根ざす客観的な法則があること、国益は力として定義されること、普遍的な道徳を個々の国の行動にそのまま当てはめてはならないことなどです [3] 。ここには「国家はこう振る舞う」という説明と、「政治家はこう判断すべきだ」という規範の両方が含まれています。 「力として定義される利益」とは、どういう意味でしょうか。国家の利益は、経済や名誉や理念など、さまざまに語ることができます。モーゲンソーは、そのなかで国際政治を読み解く物差しを、他国を動かし自国を守る力に絞りました。物差しを一つに絞ると、指導者が口にする理念の言葉にまどわされず、国家の行動をある程度まで見通せるからです。逆に言えば、この物差しは、理想を掲げる外交が力の裏づけを欠いたときの危うさを指摘する道具にもなります [3] [1] 。 ただし、古典的リアリストは道徳を捨てたのではありません。モーゲンソーは、結果を見通して判断する慎慮(しんりょ)を政治の最高の徳とし、自国の利益を道徳の言葉で飾る十字軍のような外交を戒めました。これはモーゲンソーの規範の主張です [3] [1] 。 その姿勢がよく表れたのが、ベトナム戦争への態度です。モーゲンソーは米国の介入に早くから反対しました。共産主義の封じ込めという道徳的な大義を掲げても、ベトナムは米国の死活的な国益にかからず、力の及ぶ範囲を越えた介入は慎慮に反する、という理由でした [17] 。「力の政治」を説く理論家が戦争に反対したこの例は、リアリズムを好戦的な思想と見る理解が一面的であることを示しています。 ここで間違えやすい リアリズムを「国家は道徳を無視して好き勝手にふるまうべきだ」という主張と取り違えやすいので注意しましょう。古典的リアリズムの多くは、国家がどう振る舞うかの説明と、慎慮をもって振る舞うべきだという規範を併せ持ちます。また、メロス対談のアテナイ人の言葉を、トゥキュディデス本人の主張として引くのも誤りです。 構造的リアリズム――国際体系の構造が国家を縛る(防御的と攻撃的) 1979 年、ウォルツは『国際政治の理論』で、国家の行動の原因を人間の本性や個々の国の性格ではなく、国際体系の構造に求めました。構造とは、アナーキーという秩序の原理と、大国のあいだの能力の分布のことです。構造が同じなら、性格の違う国家も似た振る舞いを強いられる、とウォルツは考えました [5] [1] 。この見方を構造的リアリズム(ネオリアリズム)と呼びます。 ウォルツは、それより前の『人間・国家・戦争』(1959)で、戦争の原因を三つの「イメージ」に分けていました。人間の本性、国家の内部(政治体制など)、そして国際体系です。ウォルツが重んじたのは第三のイメージで、国家の上に政府がないことが、戦争を起こりうるものにしている(許容的な原因)と論じました [4] 。 『国際政治の理論』では、構造を三つの要素で定めます。第一に秩序の原理で、国内は上下の階層があるのに対し、国際はアナーキーです。第二に単位の機能の分化で、国内では省庁や企業が別々の役割を担いますが、国際では国家はみな同じ機能(自分を守る・統治する)を担うので、分化しません。第三に能力の分布、つまり大国がいくつあるか(極の数)です [5] 。 アナーキーのもとでは、国家はまず生き残りを求め、他国に頼れない自助の体系に置かれます。そのため国家は、協力して自分が得をするかだけでなく、相手が自分より多く得をしないか(相対的な利得)を気にします。今日の味方が明日の脅威になるかもしれないからです。これが、国家どうしの協力を難しくする理由だとされます [5] 。また能力の分布が変われば体系の振る舞いも変わります。ウォルツは、相手と責任がはっきりする二極体系は多極体系より安定しやすいと論じ、米ソの冷戦がその例とされました [5] 。 リアリズム アナーキーと力で国家を説明 古典的(カー・モーゲンソー) 原因は人間の本性。国益に見合う力 構造的の一つ目の型:防御的 (ウォルツ・ジャーヴィス) 原因は構造。安全に足りるだけの力 構造的の二つ目の型:攻撃的 (ミアシャイマー) 原因は構造。力は最大限に、地域の 覇権を目指す 新古典的 構造に指導者の認識と国内政治を加える 図 2 リアリズムの枝分かれ(本教材の整理)。上から、古典的リアリズム、構造的リアリズムの中の防御的と攻撃的、そして構造に国内の要因を加えた新古典的リアリズムです。 構造的リアリズムの内部では、国家がどれだけの力を求めるかをめぐって説が分かれます (表 1) 。防御的リアリズム(ウォルツ、ジャーヴィス、ヴァン・エヴェラ)は、拡張すると他国が結束して対抗するので、かえって安全を損なうと考えます。だから合理的な国家は現状維持に傾き、求めるのは力の最大化ではなく安全の確保だとします [5] [7] 。 この表で分かること: リアリズムの三つの流れは、力を求める原因と、求める力の量で分かれる 流れ 力を求める原因 求める力の量 代表的な論者 古典的リアリズム 人間の支配欲・自己保存 国益に見合う力 カー・モーゲンソー 防御的リアリズム アナーキーの構造 安全に足りるだけ ウォルツ・ジャーヴィス 攻撃的リアリズム アナーキーと意図の不確かさ できる限り多く(地域覇権) ミアシャイマー 表 1 リアリズムの三つの流れ(本教材の整理)。防御的と攻撃的は、どちらも構造を原因としつつ、求める力の量で分かれます。 これに対して攻撃的リアリズムを説くミアシャイマー『大国政治の悲劇』(2001)は、五つの前提を置きます。アナーキーであること、大国はみな攻撃の能力を持つこと、他国の意図は確かめられないこと、生き残りが第一の目標であること、国家は合理的であることです。そこから、大国は機会があれば力を増やすと結論します。ミアシャイマーによれば、大きな海が軍の進出を阻むために世界の覇権は難しく、大国は自らの地域の覇権を目指すとされます [6] 。 具体例で考えましょう。冷戦期の米国とソ連は、政治体制も理念も正反対でした。しかしどちらも同盟網を築き、核戦力を競い、相手の勢力圏の拡大を警戒しました。構造的リアリズムは、体制の違う二国が似た振る舞いをしたことを「二極の構造が同じ行動を強いた」と説明します [5] 。ただし、どちらの説も、同じ構造のもとでなぜ現状維持の国と拡張する国が分かれるのかを説明しきれないと批判されました。そこで、指導者の認識や国内政治を取り込む新古典的リアリズムが現れます [18] 。 ここで間違えやすい 「アナーキー」を「無秩序・混乱」と読むと誤ります。ここでは、国家の上に共通の政府がないという秩序の原理のことで、条約や慣行による秩序があってもアナーキーは変わりません。また、構造的リアリズムは個々の国の外交政策ではなく、国際体系に繰り返し現れる傾向を説明する理論です。「攻撃的リアリズム」も、国家が攻撃的であるべきだという規範ではなく、構造が国家を拡張へ駆り立てるという説明です。 勢力均衡と安全保障のジレンマ――守りの備えが不安を生む リアリズムの予測の中心にあるのが勢力均衡です。突出した国が現れると、ほかの国は自国の力を蓄え(内的均衡)、あるいは同盟を組んで(外的均衡)対抗します。その結果、釣り合いが繰り返し生まれる、という予測です [5] 。ここで二つの意味を区別しておきましょう。一つは、18 世紀の均衡外交(ユトレヒト条約)や 19 世紀の英国の均衡政策のように、国家が意図して作る政策としての勢力均衡です。もう一つは、ウォルツの理論のように、だれも意図しなくても繰り返し生まれる結果としての勢力均衡です。 ウォルトは『同盟の起源』(1987)で、この予測を修正しました。国家が均衡を取る相手は、力そのものよりも「脅威」だというのです。脅威は、総合的な力、地理的な近さ、攻撃の能力、攻撃的な意図から成るとされます。また、強い国に付き従うバンドワゴン(追随)は、弱く孤立した国で起きやすいとされます [10] 。 勢力均衡と並んで、リアリズムの描く世界の悲劇的な面を示すのが、安全