ファイヤアーベント――科学に唯一の方法はない(方法論的アナーキズム) — Epoché
現代 科学哲学と認識論 約 17 分 本文 約 7,200 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 規則・多元・事例の 3 つ 規則 科学の歴史はあまりに込み入っているので、進歩を妨げない一般の方法を求めると、残る「規則」は「何でもかまわない」という役に立たない勧めだけになる。ポパーの反証主義も論理実証主義も、新しい理論に厳しすぎる条件を課して進歩を妨げる、とファイヤアーベントは言う(『方法への挑戦』1975)。 多元 どれほど成功した理論があっても、競う理論の提案をいつでも歓迎すべきだ。ブラウン運動が、古い熱の理論の第二法則を例外なしとする読みへの反証だと見えたのは、分子の運動の理論がそれを予言してからだった、とファイヤアーベントは論じる(1962)。 事例 アリストテレスの運動の理論には強い経験の裏づけがあり、ガリレオは弁論や宣伝や知の上の策略を使って太陽中心説を支えた、とファイヤアーベントは描く。科学の英雄は方法を守ったから勝ったのではない、という読み方である。この描き方は「非合理主義」と強く批判された。 はじめに ファイヤアーベントは、二十世紀の科学哲学で最も挑発的な人の一人です。1924 年にウィーンに生まれ、第二次世界大戦で撃たれて腰から下が麻痺しました。戦後は物理学などを学んだのち哲学に進み、1948 年に、この編の課で読んだポパーに出会って心酔します。けれども 1962 年ごろから反証主義を批判しはじめ、1967 年の私信で、もうポパー派ではないと告げました [1] 。 1975 年の『方法への挑戦』は、科学の進歩を導く例外の無い方法の規則は無い、と結論し、学界の外でも広く読まれました。友人ラカトシュとの討論の書として計画されたのに、1974 年のラカトシュの急死で、攻める側だけが本になったものです [1] 。わざと人を驚かせる言い回しに満ちた本なので、挑発と、本人が本当に引き受けた主張とを分けて読むことが要になります [1] 。 この課では、「何でもかまわない」が何を言っているのか、なぜ対抗の理論が要るのか、ガリレオの事例から何を読むのかを順に見て、最後にポパーやクーンと並べます。 この課の問い 「科学的に正しいやり方で調べなさい」とよく言います。仮説を立て、観察で確かめ、外れたら捨てます。けれども、歴史に残る大きな発見は、本当にその手順を守って生まれたのでしょうか。どの手順にも、それを破ったからこそ進んだ例があるなら、科学に唯一の方法は無いのではないでしょうか。 この課のことば 方法論的アナーキズム 科学の進歩をいつでも導く、例外の無い方法の規則は無い、とする立場です。政治の無政府主義の主張ではありません。 何でもかまわない 英語の anything goes。一般の方法をあえて一つ書くなら、残るのはこの役に立たない勧めだけだ、という皮肉です。新しい規則ではありません。 方法の規則 「反証された理論は捨てよ」「場当たりの仮説を立てるな」のような、科学者が守るべきとされる一般の決まりです。 理論の多元論 どれほどうまくいっている理論にも、競う理論の提案をいつでも歓迎すべきだ、という考えです。 通約不可能性(つうやくふかのうせい) 大きく異なる二つの理論は、語の意味がずれるため、論理で直接に突き合わせられない、という考えです。クーンの課でも読みました。 ブラウン運動 水に浮かぶ花粉から出た細かい粒などが、たえずでたらめに揺れ動く現象です。 方法論的アナーキズム――科学を導く唯一の方法はあるか この編では、ポパーが、科学のしるしは反証できることにあり、科学は推測と反駁で進む、と論じるのを読みました。クワインは、予言が外れてもどの文を直すかは一つに決まらないと論じ、クーンは、通常科学と革命が交互に来るという歴史の姿を描きました。ポパーの弟子として出発したファイヤアーベントは、さらに問います。科学の歴史を見たとき、科学者が守ってきた一つの方法など、そもそもあるのでしょうか [1] 。 何でもかまわない――例外の無い方法の規則は無い ファイヤアーベントは『方法への挑戦』(1975)で、科学の進歩や知識の成長を導く、役に立ち、しかも例外の無い方法の規則は無い、と結論します [1] [2] 。 方法の規則 とは、「反証された理論は捨てよ」「場当たりの仮説を立てるな」のように、科学者が守るべきとされる一般の決まりのことです。 論の筋はこうです (図 1) 。科学の歴史を細かく見ると、ある時代に進歩を生んだ一歩が、その時代の「正しい方法」を破っていることがあります。どの規則にも、破ったからこそ進んだ例が見つかるなら、どの規則も例外の無い決まりにはなれません (表 1) 。それでも、どんな場合にも進歩を妨げない一般の方法を一つ書けと言われれば、書けるのは「何でもかまわない」( anything goes )だけだ、と彼は言います [1] 。 規則の候補 反証されたら捨てよ・場当たりの仮説を 立てるな など 歴史に当てる どの規則にも、破ったから進んだ例が ある(表1) 例外を求めると 進歩を妨げない一般の方法に残る中身は 一つだけ 何でもかまわない 役に立たない勧め。新しい規則ではなく 皮肉 その場の規則 個々の規則は限られた範囲では役に立つ 図 1 なぜ「何でもかまわない」になるのか(『方法への挑戦』1975)。議論の筋は SEP の要約により [1] 、段の分け方は本教材の整理です。点線の段は、個々の規則がその場では役に立つことを示します。 これは役に立たない勧めです。ファイヤアーベントはこれを新しい方法として唱えたのではなく、一般の方法を求める合理主義者への皮肉として示しました [2] 。彼の見方では、一般の方法の原理が実際の研究を導くのではありません。実際の研究が方法を決め、うまくいくものはうまくいくのです。彼は、体系を好む認識論者の目には科学者は節操のない日和見主義者に見えるはずだ、というアインシュタインの言葉を引きます [1] [2] 。 この表で分かること: どの方法の規則にも、それを破ったからこそ進んだとファイヤアーベントが読む例があります。だから例外の無い規則は無い、と彼は結論しました。 方法の規則 破ったとされる例 ファイヤアーベントの読み 場当たりの仮説を立てるな 原子に頼る熱の分子運動論 後に予言が当たり確かめられた 反証されたら理論を捨てよ 第二法則とブラウン運動 反証は対抗の理論から見えた 観察と経験に合う説を選べ ガリレオの太陽中心説 読み方を説得で変えて勝った 表 1 規則と、それを破ったとファイヤアーベントが読む例。各行は SEP の整理により [1] 、表の組み方は本教材です。 批判の矛先は、論理実証主義とポパーの批判的合理主義です。どちらも、新しい理論が正当と認められる条件を厳しくしすぎて、進歩を妨げる、と彼は言います。ラカトシュの研究プログラムの方法論も、よい科学について根拠の無い価値の判断を含むか、そうでなければ形を変えたアナーキズムにすぎない、とされました [1] 。 「アナーキズム」の名は、人を驚かせるために選ばれたものです。本人は政治のアナーキズムを退けており、政治の考えは自由主義と社会民主主義の混ざったものでした [1] 。 ここで間違えやすい 「何でもかまわない」を、科学ではどんなやり方でも正しい、規則は全部捨ててよい、という主張と取らないようにしましょう。言われているのは、例外の無い一般の規則は無いということです。個々の規則がその場その場で役に立つことは否定されていません。どの規則も「限られた範囲でしか通用しない」のです [1] 。また、方法論的アナーキズムは政治の無政府主義の主張でもありません。 理論の多元論――うまくいっている理論にも対抗の理論が要る ファイヤアーベントは「説明・還元・経験主義」(1962)から『方法への挑戦』まで、 理論の多元論 を仕事の中心に置きました [1] 。どれほど成功した理論があっても、それと競う新しい理論の提案をいつでも歓迎すべきだ、という考えです。 論拠は、ある観察が通説への反証だと分かるのは、通説と食い違う別の理論を作ってからのことがある、という点です [1] [3] 。例は ブラウン運動 です。水に浮かべた花粉から出た細かい粒を顕微鏡で見ると、たえずでたらめに揺れています。熱を目に見える量だけで扱う古い理論(現象論の熱力学)の目には、それはただの小さな乱れにすぎません (図 2) 。 古い理論だけ 現象論の熱力学の目には、粒の揺れは ただの乱れ 対抗の理論 分子の運動論。原子に頼る場当たりの 説と見られた 予言 アインシュタインが粒の揺れ方を 予言する 観察で当たる 第二法則を例外なしとする読みへの 反証が見える 図 2 反証の手がかりは別の理論から見える(「説明・還元・経験主義」1962)。例はボームの論点をファイヤアーベントが一般化したものです [1] 。反証が及ぶのは第二法則を例外なしとする読みで、熱力学の全体ではありません。 ところが、熱を無数の分子の運動とみる理論からは、まわりの分子が粒にでたらめにぶつかるので、粒はこう揺れるはずだ、という予言が出ます。アインシュタインのこの予言が当たって初めて、古い理論の第二法則をどんな小さな場合にも厳密に成り立つとする読みが、揺れと合わないことが見えてきました [1] [2] 。対抗の理論が無ければこの手がかりは見過ごされたはずだ、というのは、ファイヤアーベント自身が推測として述べていることです [2] 。 この例は、もとはボームのものです。ボームは、量子論に隠れた変数を持ち込む案を、場当たりだと批判されました。そこで、熱の分子運動論もかつては原子という見えないものに頼る場当たりの理論だったが、ブラウン運動の予言で確かめられた、と答えたのです。ファイヤアーベントはこの弁護を、多元論の一般の論拠に作り変えました [1] 。 ここからポパーへの批判が出ます。推測と反駁は、ニュートンの理論とケプラーの法則のように、同じ枠組みの中で比べられる理論どうしでは働きます。けれども大きな転換の前後の理論は、語の意味がずれて、論理で直接に突き合わせられません。これが 通約不可能性 です。そこでは反駁ではなく、新しい理論の予言が当たることで古い理論が退く、と彼は言います [1] 。 ここで間違えやすい 多元論を、どの理論も同じくらい正しい、という主張と取らないようにしましょう。対抗の理論が要るのは通説を試すためで、これは方法の上の主張です。どの理論にも何かの真理があるというボームの認識論を、ファイヤアーベントは 1960 年の書評でむしろ退けていました [1] 。また通約不可能性は、クーンの課で読んだ考えですが、ファイヤアーベントも 1962 年にクーンと独立に言い出しました [1] 。 ガリレオの事例――科学の英雄は方法を守って勝ったのか 『方法への挑戦』は、それまでの論文の考えに、地球中心の天文学から太陽中心の天文学への移り変わりの事例を加えた本です [1] 。ファイヤアーベントは、アリストテレスの運動の理論のような古い理論には、強い経験と論証の裏づけがあったと強調します [1] 。 例は塔の論証です (図 3) 。地球が回っているなら、塔の上から落とした石は、落ちる間に塔が動いてしまうので、根元から離れた所に落ちるはずです。ところが石は根元に落ちます。だから地球は止まっている、とアリストテレス派は論じました。この論証は、当時の観察とよく合っていました [2] 。 一つ目:アリストテレス派 動けばこうなるはず でもそうならない 大地は止まっている だから地球は止まっている 二つ目:ガリレオ 地球も動く 石も船と ともに動く 船は進む 落ち方だけでは決められない 図 3 一つ目はアリストテレス派の読み方、二つ目はガリレオの読み方です。石が根元に落ちるという目に見える事実は同じなのに、一つ目では地球が止まっている証拠になり、二つ目では何の証拠にもなりません(塔と船の論証はガリレオ『天文対話』のもので、ファイヤアーベントはその読み方の切り替えを論じました [2] 。人の姿・船の形は本教材の作例)。 ガリレオは観察そのものを疑わず、観察の読み方を変えました。静かに進む船の帆柱の上から石を落としても根元に落ちるように、石は落ちる前から地球とともに動いているので、落ち方だけでは地球が止まっているとは言えない、と答えたのです [2] 。目に見える事実は同じで、変わったのは読み方です(場面の細部は本教材の言い換え)。 ファイヤアーベントによれば、ガリレオはときに描かれるほど慎重ではなく、弁論と宣伝と、さまざまな知の上の策略を十分に使って太陽中心説を支えました [1] 。「観察と経験に合う説を選べ」という規則を守っていたら太陽中心説は育たなかった、という読み方です (表 1) 。さらに彼は、美の基準や個人の気まぐれや社会の要因が、科学の歴史でずっと大きな役を果たしてきた、と言います [1] 。 この見方の種は、アリストテレス派のコペルニクスへの反論は経験主義に合っていたが、ガリレオの慣性の法則は合っていなかった、という物理学者フランクの指摘でした。その指摘が長く心に残り、『方法への挑戦』のガリレオの章になった、と本人は自伝で語っています [1] 。 この描き方のため、ファイヤアーベントは「非合理主義者」の烙印を押されました。クーンが自分の仕事の非合理主義めいた含みを打ち消そうとしていたころ、彼はその役を自ら引き受けたように見えたのです [1] 。本人は、批判者が皮肉や遊びや背理法の論証と、自分が本当に引き受けた少しの主張とを区別できていない、と反論しています [1] 。 ここで間違えやすい ファイヤアーベントがガリレオを悪者にし、太陽中心説を誤りとした、と取らないようにしましょう。論点は、ガリレオの成功が、のちに科学の方法と呼ばれた規則を守ったからではなく、破ったからだ、ということです。また、科学を捨てよと言ったのでもありません。後の『自由社会における科学』(1978)で彼が求めたのは、科学を数ある伝統の一つとして扱い、教会と国家のように科学と国家を分けることでした [1] 。 原典を読む 第 1 章の一つ目の節で見た結論を、『方法への挑戦』の序論と第 1