12.17 聖書とシェイクスピア — 出典を書かずに引く二つの本 — Epoché
この課で分かるようになること ★ 二本柱 が何かを言える。 ★ 三通りの引き方 を見分けられる。 ★ 日常語になった言い回し に気づける。 ★ 引用に気づけないと何が起きるか が分かる。 前提 : 12.16 まで。読は 8.168 まで。論は 9.20 まで。 ★出典を書かない引用がある ★ 9.11 論編 で「出どころを示す」と置きました。 ★ 9.17 論編 では、ジェイムズが 誌名と号まで書いていた のを見ました。 ★ ところが、 英語には出典を書かずに引く言葉がある のです。 どんな引用か なぜ出典を書かないか ★ 学術の引用 ★ 読む人が確かめられるように書く ★ 教養の引用 ★ 書かなくても分かると思っている ★ 後者の材料が、 二つ に集中しています。 どの本か いつのものか ★ 欽定訳聖書 ★ 一六一一年 ★ シェイクスピア ★ 一五九〇年代から一六一三年ごろ ★ 同じころ です。★ 偶然ではありません ——★ 英語が 書き言葉として固まった時期 だから です。 ★欽定訳聖書 — なぜこの訳が残ったか ★ 英語の聖書訳は、 一六一一年のものがただ一つではありません 。 ★ 前にも後にも、たくさんあります。 ★ それでも、 一六一一年の訳の言い回しが残った のには理由があります。 どんな訳し方か 何が起きたか ★ 声に出して読むために作られた ★ 耳に残る ★ 五十人ほどが分担し、突き合わせた ★ 語が統一された ★ 当時でも古い言い方を残した ★ あとの時代でも「古い言葉」に聞こえる ★ 三つめが効いています。 ★ 一六一一年の時点で すでに少し古かった ので、★ 二百年たっても 同じだけ古い ——★ つまり、 古びない のです。 ★ そして、 散文のリズム を決めました。 ★ 短い節を と でつないでいく形 ——★ 3.44 型編 の並列構造で見た形 です。 ★三通りの引き方 — リンカン 8.110 読編 で読んだ 第二就任演説 (一八六五年)は、★ 三通りの引き方を一度に見せてくれます。 ★一 — 出典を言わずに織り込む wringing their bread from the sweat of other men's faces [1] ★ 「他人の顔の汗から自分のパンを絞り取る」。 ★ これは、 創世記 の一節から来ています ——★ 「汝は顔に汗してパンを食らうべし」。 ★ リンカンは 出典を言いません 。 ★ そして、 言い換えて使っています ——★ もとは 自分の汗 、ここでは 他人の汗 。 ★ その入れ替えが、 奴隷制への批判そのもの になっています。 ★ もう一つ —— let us judge not, that we be not judged [1] ★ 「裁くまい、裁かれないために」。 ★ マタイ伝から です。★ これも出典なし ——★ けれども、 語順が古い ので分かります。 ★二 — 引用符で引く Woe unto the world because of offenses [1] ★ 「わざわいなるかな、つまずきのゆえに世は」。 ★ ここは 引用符がついています 。 どう引くか 何を伝えたいか ★ 織り込む ★ 自分の言葉として言う ★ 引用符で引く ★ これは私の言葉ではない ★ リンカンは、 いちばん厳しいことを引用符に入れました 。 ★ 戦争は 罪への報い かもしれない、という話 です。 ★ 自分の言葉で言うには重すぎるところを、 借りた言葉で言っています 。 ★三 — 年代だけを言う as was said three thousand years ago [1] ★ 「三千年前に言われたとおり」。 ★ そのあとに、 詩篇の一節 が続きます。 ★ 書名も、章も、節も言いません ——★ 年代だけ 。 ★ これが、 いちばん強い引き方 です。 ★ 「三千年」という数が、 言葉の重みをそのまま表しています 。 ★ そして、 聞く人が分かることを前提にしています ——★ この演説の直前に、 「双方が同じ聖書を読む」 と書いてあるから です。 Both read the same Bible, and pray to the same God [1] ★ 「双方が同じ聖書を読み、同じ神に祈る」。 ★ この一文が、 あとの引用を成り立たせています 。 ★問いだけを借りる — ベーコン 8.144 読編 の「真理について」は、 こう始まります 。 WHAT is truth? said jesting Pilate, and would not stay for an answer [2] ★ 「真理とは何か、と戯れにピラトは言い、答えを待たなかった」。 ★ ヨハネ伝の場面 です。★ ベーコンは 人の名前だけ を出し、★ 書名を書きません。 ★ そして、 引いたのは答えではなく問い です ——★ しかも、 答えを待たなかった という態度のほう が、★ この随筆の主題になります。 ★ 9.16 論編 の 序の型 で見ると、これは 領域を置く 一文 です——★ 「真理を求めない人がいる」という土地を、 一行で広げています 。 ★シェイクスピア — 語そのものが残った ★ 聖書が 言い回し を残したとすれば、★ シェイクスピアは 語 を残しました。 ★ いま日常で使う言い方のうち、 初めて書かれたのがシェイクスピアの劇だった ものが、★ いくつもあります。 どんな言い回しか どんな意味か break the ice ★ 場をほぐす a foregone conclusion ★ はじめから決まっていたこと in my mind's eye ★ 心の目に浮かぶ a wild-goose chase ★ むだ足 the be-all and the end-all ★ これがすべて ★ ただし、 気をつけることがあります 。 ★ 「シェイクスピアが作った」と言われる語の多くは、★ 正確には いちばん古い書かれた例 です。 ★ 話し言葉ではすでに使われていて、 書きとめた最初の人 だっただけ かもしれません。 ★ 9.11 論編 の四つの段でいえば ——★ 「初出」は 見つかった中でいちばん古い という意味であって、★ 「いちばん古い」ではありません。 ★ これは、 9.16 論編 で置いた 「誰もやっていない」が危ない のと同じ形 です。 ★聖書から日常語になったもの どんな言い回しか どんな意味か the salt of the earth ★ 世の中を支える実直な人 a labour of love ★ 好きでする骨折り the writing on the wall ★ 破滅の前ぶれ the powers that be ★ お上・権力の側 a drop in the bucket ★ 焼け石に水 ★ どれも、 聖書と知らずに使われています 。 ★ 四つめの the powers that be は 文法まで古いまま です ——★ be が 現代英語では その位置に立てません。 ★ 古い形のまま固まった言い回しは、 ほどかずに覚えます ——★ 3.45 型編 で「記号は組み立てを示す」と置きましたが、★ ここは組み立てを問わないところ です。 ★引用に気づけないと、何が起きるか ★ 気づかなくても、 意味は取れます 。 ★ リンカンの「他人の顔の汗」も、そのままで通じます。 ★ では、何が失われるのか ——★ 三つ です。 何が見えなくなるか どう困るか ★ 語調の変化 ★ どこが重いか分からない ★ 誰に向けているか ★ 相手が絞られていると気づかない ★ 言い換えた部分 ★ いちばん言いたいところを見落とす ★ 三つめが大きい です。★ 借りた言葉を 少しだけ変えて使う のは、★ 英語の書き手がよくやること ——★ そして、 変えたところに主張が入っています 。 ★ 8.166 読編 の『共産党宣言』の書き出しも、 同じ作り です。 A spectre is haunting Europe [3] ★ 「亡霊がヨーロッパをさまよっている」。 ★ そのあとに 「神聖同盟」「祓う」 と続きます ——★ どれも 宗教の語 です。 ★ 宗教の語で 宗教を否定する側 を語っている ——★ そこが読めると、 この書き出しの皮肉が見えます 。 ★日本語の二本柱と比べる ★ 日本語にも、 出典を書かずに引く言葉 があります。 どの言葉か どこから来たか ★ 四字の熟語 ★ 漢籍 ★ 季節の言い方 ★ 和歌 ★ 芝居がかった言い回し ★ 歌舞伎・浄瑠璃 ★ 構えは同じ です——★ 「書かなくても分かる」と思われている本がある。 ★ 違うのは、 数 です。 ★ 英語は 二つに集まっています が、★ 日本語は もっと散っています 。 ★ そして、 英語圏の読み手にとってもこの二つは薄れてきています 。 ★ いまの若い書き手は、 引用と知らずに使っています ——★ 日本語で四字熟語を使うのと同じ です。 やってみる ★ 三通りの引き方に印を付ける 。 8.110 読編 を読み直し、★ 織り込む/引用符/年代だけ の三つを全部探す。 ★ 言い換えを見つける 。★ もとの聖句とリンカンの文を比べて、 変えたところ を書き出す。 ★ なぜそこを変えたかを一文。 ★ 十の言い回しを調べる 。この課の二つの表の十を、★ 辞書か用例集で確かめる 。★ 「初出」と書いてあるものは、 初出であって最古ではない と覚えておく。 ★ 日本語で同じことをする 。自分の書いたものから、★ 出典を書かずに引いている言葉 を三つ探す。★ 読む人が分かると思っているかどうか を考える。 この課のまとめ ★ 英語には、出典を書かずに引く二つの本がある ——欽定訳聖書(一六一一年)とシェイクスピア(同じころ)。 ★ 英語が書き言葉として固まった時期に、二つとも出ている。 偶然ではない。 ★ 欽定訳が残ったのは、当時でも古い言い方を残したから。 すでに少し古かったので、二百年たっても同じだけ古い——つまり古びない。 ★ 引き方は三通り ——織り込む/引用符で引く/年代だけ言う。リンカンは一度に三つ使った。 ★ いちばん重いことを、引用符に入れた。 自分の言葉で言うには重すぎるところを、借りた言葉で言う。 ★ ベーコンは、答えではなく問いを借りた。 しかも、答えを待たなかったという態度のほうを主題にした。 ★ 「シェイクスピアが作った語」の多くは、正確には「いちばん古い書かれた例」。 初出は、最古ではない。 ★ 借りた言葉を少しだけ変えて使うのは、英語の書き手がよくやること。 ★ 変えたところに主張が入っている。 次の課へ 次の課は 12.18 、 第 6 期の知編の最後 です。★ 経済学の誕生 ——★ 8.152 読編 のアダム・スミスが 道徳哲学の教授だった ところから始めます。 ★ 12.16 知編 で見た功利の線が、ここでもう一度出てきます。 答え 「やってみる」の四つの答えです。 ★ 三つとも、 演説の後半に集まっています 。 ★ 前半は 事実の確認 ——★ 戦争がどう始まったか です。 ★ 引用が出てくるのは、 「なぜ起きたか」に移ったあと ——★ 9.18 論編 でいえば、 結果から議論へ 移ったところ です。 ★ 変えたのは 「自分の顔の汗」を「他人の顔の汗」に したところ です。★ もとの句は 働いて食べよ という教え です。★ リンカンは、 その教えを守っていない側 を一語で指しました ——★ 説明をひとこともしていないのに。 ★ 調べてみると、 出どころが争われているもの があるはずです。 ★ break the ice は シェイクスピアより前の例 が知られています。 ★ それでかまいません ——★ 大事なのは、 「よく言われていること」と「確かめられていること」を分ける こと です( 9.11 論編 )。 ★ 三つ探してみると、 自分でも出どころを知らない ものが出てきます。 ★ それが、 いちばん深く入った言葉 です。 ★ そして、 読む人が分かると思っているかどうか ——★ ここを考えると、 自分が誰に向けて書いているか が見えます ( 10.12 作編 )。 参考文献 原文の出所: Abraham Lincoln, Second Inaugural Address (1865), "second_inaugural"。パブリックドメイン。English Wikisource から。原文は 1 字も変えていない。https://en.wikisource.org/ 原文の出所: Francis Bacon『Essays』(1625), "bacon_essays"。パブリックドメイン(Project Gutenberg)。原文は 1 字も変えていない。https://www.gutenberg.org/ebooks/575 原文の出所: Karl Marx & Friedrich Engels『Manifesto of the Communist Party』(Samuel Moore 訳, 1888), 第 1 章, "marx_manifesto"。パブリックドメイン(Project Gutenberg)。原文は 1 字も変えていない。https://www.gutenberg.org/ebooks/61