ファーラービー――有徳な都市は知性ある統治者が導く(学問の分類・有徳都市) — Epoché
中世 イスラームとユダヤの哲学 約 18 分 本文 約 7,500 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 学問・統治・幸福の 3 つ 学問 『学問の列挙』で、言葉の学・論理学・数学・自然学と形而上学・政治学を、アリストテレスの学問の順に並べた。論理学は、文法が言葉に規則を与えるように、知性に正しく推し量る規則を与える学だとした。 統治 有徳な都市は健やかな体に似る。心臓が体を導くように、第一の統治者が都市を導く。統治者は能動知性とつながる哲学者であり、同じ知を想像で受けて像で語る預言者でもある。12 の資質をもつ第一の統治者と、6 つの条件を何人かで満たしうる後継者とは分けて語られる。 幸福 幸福は、魂が知性として完成することである。それを知らない都市、知っていて行わない都市、変質した都市、誤った考えを信じる都市は、有徳でない都市とされる。 はじめに アブー・ナスル・アル=ファーラービー(870 ごろ〜950/951 年)は、中央アジアのファーラーブ、またはホラーサーンのファーリヤーブの出とされる哲学者です。長くバグダードで学び教え、晩年はシリアのアレッポとダマスクスに移り、ダマスクスで没したとされます。 この課では、彼の仕事を二つの面から読みます。一つは『学問の列挙』で、当時の学問全体をどう並べ、論理学を何の学と見たかです。もう一つは『有徳都市の人々の見解』で、人が共に生きる都市を、知る者がどう導くかです [1] 。 前の課のキンディーは、真理はどこから来ても恥じずに受け入れよ、と説きました。ファーラービーは、その受け入れた哲学で学問の地図を描き、さらに国の形まで考えます。そのとき、哲学者が国を導くというプラトンの考えと、預言者が人々を導くという考えとが、一人の統治者の姿に重ねられます [1] 。 第 1 章では、学問の地図、有徳な都市とその統治者、有徳でない都市と幸福を順に見ます。原典を読むの章では、有徳な都市を健やかな体にたとえる段を、アラビア語の原文から本教材の訳で読みます。最後に、プラトンの哲人王、キンディーの考えと並べ、知る者が人々を導くとき、何を知り、どう伝えるのかを比べます。 この課の問い 受け入れたギリシアの哲学で、学問全体をどう組み立て、人が共に生きる国をどう導けばよいのでしょうか。よい国を導く人は、哲学者なのでしょうか、それとも預言者なのでしょうか。 この課のことば 第二の師 アリストテレス(第一の師)に次ぐ師、という意味の呼び名です。論理学の注解で大きな業績を残したファーラービーに、後の世が付けました。 学問の列挙 当時の学問を順に挙げ、それぞれが何を扱うかを短く説く、ファーラービーの書です。中世にラテン語に二度訳されました。 有徳な都市 住む人々が力を合わせて、本当の幸福を目指す都市です。ここでの「都市」は町並みではなく最小の完全な共同体のことで、民族や人類全体の共同体と区別されます。 能動知性 離れてある知性の系列の最後にあり、人の知性を現実にする知性です。考える力をもつだけの知性を、実際に考えている知性へと引き上げます。 流出 最も上の一者から、より下のものが段々に溢れ出て世界ができる、という新プラトン派の考えです。泉の水が段を伝って流れ落ちる様子に似ています。 学問の地図と有徳な都市――知はどう国を導くか キンディーの次の世代に、バグダードでギリシアの哲学を受け継ぐ仕事を大きく進めたのがファーラービーです。この章では、学問全体の並べ方、体にたとえられる有徳な都市とその統治者、有徳でない都市と幸福を、順に読みます。 「第二の師」――学問を並べ、論理学を土台に置く ファーラービーは、アリストテレスの論理学の書に多くの注解を書き、大きな業績を残しました。後の世には「第二の師」( المعلم الثاني )と呼ばれます。第一の師はアリストテレスです [5] 。その知識は論理学にとどまらず、アリストテレスの動物学の書にまで及んでいました [1] 。 代表作の一つ『学問の列挙』( إحصاء العلوم )は、当時の学問を一つずつ挙げ、それぞれが何を扱うかを短く説く書です [1] 。並びはアリストテレスの学問の順に従います。言葉の学から始まり、論理学、数学、自然学と形而上学へ進み、最後が政治学です (図 1) 。政治学の部には、イスラームの法学(フィクフ)と、神学(カラーム)も含まれます [1] 。 学問(『学問の列挙』) アリストテレスの学問の順に 五つの部を並べる 言葉の学 ある民族の言葉の正しい言い方を定める 論理学 どの言葉でも共通の、正しく推し量る 規則 数学 算術・幾何・天文・音楽など 自然学・形而上学 自然の物体と、在るもの全体に共通の 事柄 政治学 国の学。法学と神学(カラーム)も含む 図 1 『学問の列挙』の学問の並び(本教材の整理)。上から順に、言葉の学から政治学へ進みます。並びはアリストテレスの学問の理論上の順です [1] 。 なぜ論理学が言葉の学のすぐ後に来るのでしょうか。ファーラービーは、論理学と知性の関係を、文法と言葉の関係にたとえます(『学問の列挙』第 2 章) [5] 。文法は、ある民族の言葉で正しく話すための規則を与えます。論理学は、どの民族の言葉で考えるときにも共通する、正しく推し量るための規則を与えます。文法は言葉ごとに違いますが、論理学は言葉の違いを越える、というわけです。 日常の例で考えてみます(本教材の作例)。「すべての鳥は空を飛ぶ。ペンギンは鳥だ。だからペンギンは空を飛ぶ」。どの文も、文法の上では正しい日本語です。それでも結論は誤っています。筋道は正しいのに、一つ目の前提が偽だからです。文法では見分けられないこの誤りを見分ける物差しが、論理学です。 この並びには筋が通っています(本教材の読み方)。まず言葉の学で、語や文の正しい形を学びます。次に論理学で、正しく推し量る規則を学びます。その道具を手にしてはじめて、数学や自然学で確かな証明を組み立てられます。そして並びの最後には、人が共に生きる国をどう治めるかを問う政治学が来ます。学問の地図は、国の学で締めくくられるのです。次の節の有徳な都市は、この地図の終点にあたります。 『学問の列挙』は中世に二度ラテン語に訳されました。グンディサリヌスの訳と、クレモナのゲラルドゥスの訳です [1] 。学問を順に並べるこの書は、西方の学問の分け方にも届きました。 ここで間違えやすい 『学問の列挙』の並びを、ファーラービーが書いた順や学んだ順と取らないようにしましょう。これはアリストテレスの学問の理論上の順です。また「第二の師」は本人が名のった称号ではなく、後の世の呼び名です。最も古い用例がいつのものかも、確かめられていません。 有徳な都市――体を導く心臓と、都市を導く統治者 ファーラービーは、人は一人では、生きるのに要るものも、自分の完成も手に入れられないと考えます。だから人は集まり、共同体をつくります(この電子版の第 26 章) [2] 。完全な共同体には人類全体・民族・都市の三つの大きさがあり、「都市」( المدينة )はその最小のものです [2] 。そのうち、人々が本当の幸福に向けて助け合う都市が「有徳な都市」です [2] 。 その有徳な都市を、ファーラービーは健やかな体にたとえます [2] 。体には一つの統べる器官、心臓があり、その下に心臓に近い器官、さらにその下の器官と位が続き、最後は仕えるだけの器官に至ります。都市でも、一人の統治者の下に人々が位をもって並び、最も下には仕えて仕えられない人々がいます (図 2) 。続く第 27 章では、心臓が先にでき他の器官を整えるように、統治者もまず立って都市を組み立てる、と続きます [2] 。 有徳な都市は健やかな体に似る 心臓=統治者 第一の位の人々 例:学者・裁き手 第二の位の人々 例:兵・職人 最も下の位の人々 仕えて仕えられない 職業と体の部位の割り当ては本教材の描き方 図 2 有徳な都市を健やかな体にたとえた『有徳都市の人々の見解』第 26 章の段を描いた本教材の絵です。心臓にあたる第一の統治者から、位の順に下の人々へ導きが届きます。体のたとえは本人のものですが、職業と体の部位の割り当ては原典に無く、本教材の描き方です。 大切なのは中ほどの位です。第一の位の人々は、統治者の目指すものに従って働きつつ、下の人々の働きの目当てにもなります。導きは段を伝って届くのです。 この上下の並びは、書の前半で、第一者から段々に下のものが流出すると描かれる、世界の位の並びを写しています [1] 。 では、心臓にあたる第一の統治者はどんな人でしょうか。その人の知性は能動知性とつながっています。同じ能動知性からの知が想像の力に流れ込むと、それは像となって受け取られ、その人は預言者として人々に語ります(第 25・27 章) [2] (図 3) 。こうして第一の統治者は、哲学者でもあり預言者でもあります。ファーラービーは、この統治者が生まれつきそなえる 12 の資質を挙げます(第 28 章) [2] 。 同じ一つの知が、二つの受け方で届く 能動 知性 離れてある知性の 系列の最後 第一の統治者 知性で受ける → 哲学(証明で知る) 想像で受ける → 預言(像で語る) 学ぶ人々 多くの人々 光の帯と人の配置は本教材の描き方 図 3 第一の統治者が哲学者でもあり預言者でもある理由を描いた本教材の絵です。能動知性からの同じ知を、知性で受ければ哲学に、想像で受ければ像となって預言になります。学ぶ人々には証明で、多くの人々には像で伝わります。 後継の統治者には、別に 6 つの条件を挙げます。一人で全部をそなえる人がいなければ、何人かが合わせて満たして治めればよい、というのです [2] 。これは後継者の条件の分担であり、分けもつ人々に知恵が欠けてもよい、という意味ではありません。哲人王の考えはプラトン『国家』から来ていますが、ファーラービーはそれを、哲学者であり預言者である統治者に作り変えました [1] 。 ここで間違えやすい 二つの誤解に気をつけましょう。一つは、預言を哲学の上か下に置いたと取ることです。同じ知を知性で受ければ哲学に、想像で受ければ像となって預言になります。もう一つは、この形而上学の語りを本心とだけ決めることです。宗教の権威や一般の人々に受け入れられるための語り口だと読む人々(シュトラウス派)もおり、論争は続いています [1] 。 有徳でない都市――幸福を知らない国、知って行わない国 有徳な都市が目指す幸福とは何でしょうか。ファーラービーにとって幸福は、富や快楽や名誉ではありません。魂が知性として完成し、物質に頼らずにいられるほどになることです(この電子版の第 23 章) [2] 。人の知性は、はじめは考える力をもつだけですが、能動知性によって実際に考えている知性になります [4] 。その先にある能動知性とのつながりが、最高の幸福とされます [1] 。 有徳な都市の反対に、ファーラービーは四つの型を挙げます(第 29 章) [2] (表 1) 。本当の幸福を知らない「無知な都市」。幸福を知っていながら、無知な都市と同じように行う「不道徳な都市」。もとは有徳な都市と同じ考えと行いをもちながら、それが変わった「変質した都市」。誤った考えを信じさせられた「誤った都市」です。 この表で分かること: 有徳でない都市は、幸福を知っているか、知って行うかで分かれます。知と行いがそろうのは有徳な都市だけです。 都市 本当の幸福を知るか 知に従って行うか 目指すもの 有徳な都市 知っている 行う 知性の完成(幸福) 無知な都市 知らない ― 必要・富・快楽・名誉など 不道徳な都市 知っている 行わない 無知な都市と同じもの 変質した都市 かつて知っていた 考えも行いも変わった 有徳から離れたもの 誤った都市 誤った考えを信じる 誤った考えに従う 偽りの幸福 表 1 有徳な都市と、有徳でない四つの型。この電子版の第 29 章による本教材のまとめです [2] 。 無知な都市と不道徳な都市の違いに目を留めましょう。不道徳な都市の人々は、幸福が何かを語ることはできます。けれども暮らしの中では、富や快楽を追っています。目指すものは無知な都市と同じでも、知ることと行うことが離れている点で、別の型とされるのです。変質した都市と誤った都市は、考えそのものが有徳な都市から外れた型です。 無知な都市は、目指すものでさらに分かれます。生きるのに要るものだけを求める都市、富の都市、快楽の都市、名誉の都市、支配の都市、各人が好きにふるまう集団の都市などです [2] 。本教材の作例で考えます。ある港町の国が、倉に積んだ財の多さを誇り、法も教育も富を増やすために組み立てているとします。品物はあふれていても、何が人を完成させるかを誰も問いません。ファーラービーの分け方では、これは富の都市です。豊かさそのものは、有徳の印になりません。 ファーラービーは、死後の魂の違いも語ります。有徳な都市の人の魂は完成して残り、無知な都市の人の魂は滅ぶ、というのです(第 30・32 章) [2] 。ただし、失われた『ニコマコス倫理学注解』では、能動知性とのつながりも魂の不死も作り話として退けた、とイブン・バーッジャ、イブン・トゥファイル、イブン・ルシュドが伝えます [1] 。この食い違いも、先の読み方の論争の火種です [1] 。 ここで間違えやすい 有徳でない都市の並びを、当時の実在の国を名指しした批判と取らないようにしましょう。これは理論上の型の分け方です。プラトン『国家』第 8 巻の国制の並びと重なる所はありますが、一対一には重なりません(本教材の読み方)。 原典を読む 第 1 章で見た、都市を体にたとえる段を、アラビア語の原文から本教材の訳で読みます。 ファーラービー『有徳都市の人々の見解』この電子版の第 26 章 都市は健やかな体に似る 共同体の三つの大きさを述べた章の結びです。長い一つ目の文は、訳で区切りました。〔〕は本教材の補いです。 1 有徳な都市は、完全で健やかな体に似ている。その体では、すべての器官が力を合わせて、生き物の生を全うさせ、それを保つ。 2 体の器官は、生まれつきの性質と力が互いに異なり、優劣がある。その中に一つの統べる器官があり、それが心臓である。ま