3.16 中動態の使い方 — どんなときにその形を選ぶか — Epoché
この 課 か でできるようになること 中動態 ちゅうどうたい を 選ぶ えらぶ 場面 ばめん を、 四 よん つに 分け わけ て 判断 はんだん できる。 受け身 うけみ で した 人 ひと を 言い足す いいたす 形 かたち を 作れる つくれる 。 日本 にっぽん 語 ご の 受け身 うけみ とギリシア 語 ご の 受け身 うけみ が、 使う つかう 頻度 ひんど で 大きく おおきく 違う ちがう ことを 知る しる 。 前提 ぜんてい : 3.15( 命令 めいれい ・ 勧誘 かんゆう ・ 依頼 いらい )。 2.10 で 中動態 ちゅうどうたい の 形 かたち をそろえました。この 課 か では いつその 形 かたち を 選ぶ えらぶ か を 扱い あつかい ます。 新聞 しんぶん の 散文 さんぶん では 五 ご 文 ぶん に 一 いち 文 ぶん にこの 形 かたち が 出 で ます。 読む よむ ために 欠かせ かかせ ません。 型 かた の 骨格 こっかく — 四 よん つの 場面 ばめん 2.10 で 四 よん つの 意味 いみ を 挙げ あげ ました。ここではそれを 作る つくる 側 がわ から 並べ直し ならべなおし ます。 表 ひょう は 四 よん 行 ぎょう です。 場面 ばめん どう 組み立てる くみたてる か 日本 にっぽん 語 ご なら された 側 がわ から 言い いい たい 中動態 ちゅうどうたい にして、された 側 がわ を 主語 しゅご にする 手紙 てがみ が 書か かか れた、と 言う ゆう する 相手 あいて が 自分 じぶん 自身 じしん 中動態 ちゅうどうたい にすれば、 自分 じぶん に という 語 ご は 要ら いら ない 顔 かお を 洗う あらう 、と 言う ゆう 二人 ふたり が 互い たがい にする 中動態 ちゅうどうたい の 複数 ふくすう にする 会う あう 、 結婚 けっこん する、と 言う ゆう その 動詞 どうし がもともと 中動態 ちゅうどうたい 選ぶ えらぶ 余地 よち が 無い ない 。そういう 語 ご として 使う つかう 来る くる 、 怖い こわい 、 眠る ねむる 、と 言う ゆう 四 よん つ 目 め には 判断 はんだん が 要り いり ません 。 語 ご ごとに 決まっ きまっ ているからです。 実際 じっさい に 判断 はんだん が 要る いる のは 上 うえ の 三 みっ つで、そのうち 二 ふた つ 目 め と 三 みっ つ 目 め は 日本 にっぽん 語 ご と 発想 はっそう が 近い ちかい 。 本当 ほんとう に 難しい むずかしい のは 一 ひと つ 目 め だけ です。 した 人 ひと を 言い足す いいたす 表 ひょう 受け身 うけみ のとき、 誰 だれ がしたのかを 言い足せ いいたせ ます。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 言い いい たいこと 使う つかう 語 ご 注意 ちゅうい するところ 誰 だれ がしたかを 足す たす 3.9 の 〜から を 表す あらわす 前置 ぜんち 詞 し を 使う つかう 出どころ でどころ と 同じ おなじ 語 ご 。 誰 だれ から 出 で た 行為 こうい か、と 見る みる 何 なん を 使っ つかっ てしたかを 足す たす 3.9 の 〜で を 表す あらわす 前置 ぜんち 詞 し を 使う つかう 道具 どうぐ の 言い いい 方 かた と 同じ おなじ 誰 だれ のためかを 足す たす 3.9 の 〜のために を 表す あらわす 前置 ぜんち 詞 し を 使う つかう 目的 もくてき の 言い いい 方 かた と 同じ おなじ 一 ひと つ 目 め に 注目 ちゅうもく してください。 した 人 ひと を、 出どころ でどころ の 前置 ぜんち 詞 し で 示し しめし ます。 ギリシア 語 ご から 見れ みれ ば、 行為 こうい はその 人 ひと から 出 で てきたものです。 3.9 で 学ん まなん だ 出どころ でどころ という 見 み 方 かた が、ここでも 一貫 いっかん しています。 日本 にっぽん 語 ご は「〜によって」「〜に」と、 受け身 うけみ 専用 せんよう の 言い いい 方 かた をします。ギリシア 語 ご は 新しい あたらしい 部品 ぶひん を 足さ たさ ず、すでにある 前置 ぜんち 詞 し を 流用 りゅうよう します 。 覚える おぼえる ことが 増え ふえ ません。 日本 にっぽん 語 ご ならどう 言う ゆう か ここは、 日本 にっぽん 語 ご とギリシア 語 ご で 使う つかう 頻度 ひんど が 大きく おおきく 違う ちがう ところです。 日本 にっぽん 語 ご は 受け身 うけみ をよく 使い つかい ます。しかも 迷惑 めいわく や 被害 ひがい を 表す あらわす 受け身 うけみ という、 他 た の 言語 げんご にはあまり 無い ない 使い つかい 方 かた があります。 雨 あめ に 降ら ふら れた、 子ども こども に 泣か なか れた。この 言い いい 方 かた は ギリシア 語 ご に 訳せ やくせ ません 。ギリシア 語 ご では、 雨 あめ が 降っ ふっ た、 子ども こども が 泣い ない た、と 言う いう ほかありません。 逆 ぎゃく に、ギリシア 語 ご が 受け身 うけみ にするところを 日本 にっぽん 語 ご は 能動 のうどう で 言い いい ます。この 店 みせ は 八 はち 時 じ に 開け あけ られる、とは 日本 にっぽん 語 ご で 言わ いわ ない。 八 はち 時 じ に 開く ひらく と 言い いい ます。 つまり、 両 りょう 方向 ほうこう にずれています。 日本 にっぽん 語 ご の 受け身 うけみ をそのまま 中動態 ちゅうどうたい にすると、たいてい 不 ふ 自然 しぜん になる。 逆 ぎゃく に、ギリシア 語 ご の 中動態 ちゅうどうたい をそのまま 受け身 うけみ に 訳す やくす と、 日本 にっぽん 語 ご が 硬く かたく なります。 実際 じっさい に 役立つ やくだつ 構え かまえ は、 受け身 うけみ の 文 ぶん を 作ろう つくろう としないこと です。 中動態 ちゅうどうたい は 読む よむ ときに 分かれ わかれ ば 足り たり ます。 自分 じぶん で 言う いう ときは、 四 よん つ 目 め の 群 ぐん ——もともと 中動態 ちゅうどうたい の 動詞 どうし ——だけを 使え つかえ ば、 日常 にちじょう はほとんど 回り まわり ます。 実 じつ 文 ぶん で 確かめる たしかめる 十 じゅう 文 ぶん あります。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 前半 ぜんはん が 判断 はんだん の 要る いる 三 みっ つ、 後半 こうはん がもともと 中動態 ちゅうどうたい の 語 ご です。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Γεννήθηκε πλούσιος. [1] あの 人 ひと は 裕福 ゆうふく な 家 いえ に 生まれ うまれ ました。 された 側 がわ から 言う いう 形 かたち 。 日本 にっぽん 語 ご も 受け身 うけみ に 近い ちかい Γράφτηκε από εσάς; [2] それはあなたが 書い かい たのですか。 した 人 ひと を、 出どころ でどころ の 前置 ぜんち 詞 し で 足し たし ている Εγώ πλύθηκα. [3] 私 わたくし は 体 からだ を 洗い あらい ました。 する 相手 あいて が 自分 じぶん 自身 じしん 。 自分 じぶん に という 語 ご は 要ら いら ない Γνωριστήκαμε στο σχολείο. [4] 私 わたくし たちは 学校 がっこう で 知り合い しりあい ました。 互い たがい にする 動き うごき 。 複数 ふくすう の 形 かたち になる Παντρεύτηκα Καναδέζα. [5] 私 わたくし はカナダの 人 ひと と 結婚 けっこん しました。 これも 互い たがい にする 動き うごき 。 相手 あいて は 前置 ぜんち 詞 し なしで 置く おく Ναι, έρχομαι! [6] はい、 今 いま 行き いき ます。 もともと 中動態 ちゅうどうたい 。 判断 はんだん の 余地 よち が 無い ない Δεν φοβάμαι. [7] 怖く こわく ありません。 これももともと 中動態 ちゅうどうたい 。 日本 にっぽん 語 ご は 形容 けいよう 詞 し で 言う ゆう Μου φαίνεται άδικο. [8] 私 わたくし には 不 ふ 公平 こうへい に 思え おもえ ます。 思わ おもわ れる。 日本 にっぽん 語 ご の 自発 じはつ に 近い ちかい 使い つかい 方 かた Δέχτηκα αμέσως. [9] すぐに 受け入れ うけいれ ました。 受け取る うけとる 。 中動態 ちゅうどうたい だが 日本 にっぽん 語 ご では 能動 のうどう Χτες σηκώθηκα νωρίς. [10] 昨日 きのう は 早く はやく 起き おき ました。 自分 じぶん に 返る かえる 動き うごき 。 体 からだ を 起こす おこす 、が 字義 じぎ 二 ふた つ 目 め が、この 課 か で 唯一 ゆいいつ の 本格 ほんかく 的 てき な 受け身 うけみ の 文 ぶん です。 十 じゅう 文 ぶん のうち 一 ひと つ ——これが 実際 じっさい の 割合 わりあい に 近い ちかい 。 中動態 ちゅうどうたい はよく 出 で ますが、 そのほとんどは 受け身 うけみ ではありません 。 よくある 誤り あやまり 誤り あやまり その 一 いち 、 日本 にっぽん 語 ご の 迷惑 めいわく の 受け身 うけみ を 訳そう やくそう とする。 雨 あめ に 降ら ふら れた、をギリシア 語 ご にしようとして 止まっ とまっ てしまいます。 ギリシア 語 ご には 無い ない 言い いい 方 かた なので、 雨 あめ が 降っ ふっ た と 言い換える いいかえる ほかありません。 誤り あやまり その 二 に 、した 人 ひと を「に」の 形 かたち で 置く おく 。 日本 にっぽん 語 ご の「〜に 書か かか れた」に 引きずら ひきずら れる 誤り あやまり です。ギリシア 語 ご は 出どころ でどころ の 前置 ぜんち 詞 し を 使い つかい ます。 誤り あやまり その 三 さん 、 自分 じぶん に を 言い足す いいたす 。 顔 かお を 洗う あらう のような 場面 ばめん で、 自分 じぶん を という 語 ご を 足し たし てしまいます。 中動態 ちゅうどうたい にした 時点 じてん で、それは 言わ いわ れています。 誤り あやまり その 四 よん 、 受け身 うけみ を 作り つくり すぎる。 日本 にっぽん 語 ご の 癖 くせ で、 能動 のうどう で 言える いえる ところを 受け身 うけみ にしてしまいます。ギリシア 語 ご は 能動 のうどう で 言える いえる なら 能動 のうどう で 言う ゆう 言語 げんご です。 広げる ひろげる — 態 たい は 視点 してん の 置き おき 場所 ばしょ 能動 のうどう と 中動 ちゅうどう の 違い ちがい は、 出来事 できごと のどこに 視点 してん を 置く おく か の 違い ちがい です。する 人 ひと の 側 がわ に 立つ たつ か、される 側 がわ に 立つ たつ か、あるいは 自分 じぶん の 内側 うちがわ に 立つ たつ か。 3.11 で 学ん まなん だ 相 そう も、 同じく おなじく 視点 してん の 話 はなし でした。 外 そと から 見る みる か、 中 なか から 見る みる か。ギリシア 語 ご の 動詞 どうし は、 誰 だれ がいつしたか だけでなく、 話し手 はなして がそれをどこから 見 み ているか まで 形 かたち にします。 日本 にっぽん 語 ご は、この 情報 じょうほう を 語尾 ごび ではなく 助詞 じょし と 語順 ごじゅん と 文脈 ぶんみゃく で 運び はこび ます。 運ぶ はこぶ 道具 どうぐ が 違う ちがう だけで、 運ん はこん でいるものは 同じ おなじ です。 ギリシア 語 ご を 学ぶ まなぶ ことは、 日本 にっぽん 語 ご がどこで 同じ おなじ 仕事 しごと をしているかに 気づく きづく こと でもあります。 もう 一 ひと つ、 読む よむ ときに 効く きく 見 み 方 かた があります。 中動態 ちゅうどうたい の 語尾 ごび が 見え みえ たら、まず 主語 しゅご を 疑っ うたがっ てください。 能動態 のうどうたい なら 主語 しゅご はその 動作 どうさ をする 人 ひと ですが、 中動態 ちゅうどうたい では 主語 しゅご が 受ける うける 側 がわ だったり、 自分 じぶん に 返し かえし ていたり、そもそも 動作 どうさ をしていなかったりします。 語尾 ごび が 視点 してん の 置き おき 場所 ばしょ を 告げ つげ ている ので、そこを 読み違える よみちがえる と 文 ぶん 全体 ぜんたい の 向き むき が 逆 ぎゃく になります。 日本 にっぽん 語 ご では、この 向き むき を 助詞 じょし が 担い にない ます。「が」と「を」と「に」の 並び ならび 方 かた を 見れ みれ ば、 誰 だれ が 誰 だれ に 何 なん をしたかが 分かる わかる 。ギリシア 語 ご は 語尾 ごび でそれをやります。 どちらの 言語 げんご も 同じ おなじ 情報 じょうほう を 運ん はこん でいて、 運ぶ はこぶ 場所 ばしょ が 違う ちがう だけ です。 読 よみ 編 へん の 読み物 よみもの で 長い ながい 文