7.6 Ο άρρωστος φίλος(具合の悪い友だち) — Epoché
この 篇 へん でできるようになること 自分 じぶん や 人 ひと の 具合 ぐあい を、 既習 きしゅう 語 ご だけで 言える いえる 。 会話 かいわ 文 ぶん で 誰 だれ が 話し はなし ているかを、 動詞 どうし の 語尾 ごび から 決め きめ られる。 4.1 の 体 からだ と 健康 けんこう の 語 ご を、 場面 ばめん の 中 なか で 使える つかえる ようにする。 前提 ぜんてい : 7.5( 食卓 しょくたく で) この 文章 ぶんしょう について 六 ろく 篇 へん 目 め の 統制 とうせい 作文 さくぶん です。 七 なな 段落 だんらく 、 百 ひゃく 三十 さんじゅう 七 なな 語 ご 。 範囲 はんい 外 がい として 宣言 せんげん したのは、 人名 じんめい の Νίκος だけです。 この 篇 へん には 会話 かいわ 文 ぶん が 初めて はじめて まとまって 出 で ます 。しかもギリシア 語 ご は 主語 しゅご を 置か おか ないので、 日本 にっぽん 語 ご のように「と 母親 ははおや は 言っ いっ た」と 補わ おぎなわ なくても 誰 だれ の 台詞 せりふ かが 分かる わかる 仕組み しくみ になっています。 動詞 どうし の 語尾 ごび と、 直前 ちょくぜん に 誰 だれ の 話 はなし をしていたかだけが 手がかり てがかり です。 引用 いんよう の 符号 ふごう も 使っ つかっ ていません。 言う いう のあとにそのまま 台詞 せりふ が 続き つづき ます。ギリシア 語 ご の 書き言葉 かきことば ではダッシュを 使う つかう ことも 多い おおい のですが、この 篇 へん では 符号 ふごう を 読み上げ よみあげ られない という 事情 じじょう もあって、 符号 ふごう なしの 形 かたち を 選び えらび ました。 声 こえ に 出し だし て 読む よむ ときは、 台詞 せりふ の 前 まえ で 一 いち 拍 はく おいてください。 内容 ないよう は 4.1 の 実地 じっち の 練習 れんしゅう です。 頭 あたま が 痛い いたい 、のどが 痛い いたい 、 熱 ねつ がある、 薬 くすり がほしい。 旅先 たびさき で 薬局 やっきょく に 入っ はいっ たときに 要る いる 語 ご が、ほとんどこの 一 いち 篇 へん にあります。 文法 ぶんぽう メモ この 文章 ぶんしょう の 型 かた も 形 かたち 編 へん と 型 かた 編 へん 3.1〜3.8 の 範囲 はんい です。 会話 かいわ 文 ぶん が 入る はいる ので、 一 いち 人称 にんしょう と 二 に 人称 にんしょう の 語尾 ごび が 三 さん 人称 にんしょう と 交互 こうご に 出 で ます。 主語 しゅご を 置か おか ずに 台詞 せりふ を 言う ゆう ( 型 かた 編 へん 2 課 か )— 誰 だれ が 話し はなし ているかは 動詞 どうし の 語尾 ごび が 決め きめ ます。 台詞 せりふ の 中 なか では 一 いち 人称 にんしょう 、 地 ち の 文 ぶん では 三 さん 人称 にんしょう 。 本文 ほんぶん では Ο Νίκος λέει: Πονάει το κεφάλι μου がその 形 かたち です。 痛む いたむ 側 がわ が 主語 しゅご になる ( 語 ご 編 へん 1 課 か )— 頭 あたま が 痛い いたい 、のどが 痛い いたい 。 日本 にっぽん 語 ご と 同じく おなじく 、 痛む いたむ 部分 ぶぶん が 主語 しゅご に 立ち たち ます。 本文 ほんぶん では Πονάει και ο λαιμός μου がその 形 かたち です。 持ち主 もちぬし は 名詞 めいし の 後ろ うしろ ( 型 かた 編 へん 7 課 か )— 「 το κεφάλι μου 」「 το πρόσωπό του 」 τα μάτια του 。 体 からだ の 部分 ぶぶん は 必ず かならず 持ち主 もちぬし を 伴い ともない ます。 本文 ほんぶん では τα μάτια του είναι κουρασμένα がその 形 かたち です。 形容 けいよう 詞 し は 名詞 めいし に 合わせる あわせる ( 形 かたち 編 へん 3 課 か )— κουρασμένα は 中性 ちゅうせい の 複数 ふくすう ( 目 め )に、 ζεστό は 中性 ちゅうせい の 単数 たんすう ( 顔 かお )に 合わせ あわせ ています。 本文 ほんぶん では Το πρόσωπό του είναι ζεστό がその 形 かたち です。 名前 なまえ には 冠詞 かんし を 付ける つける ( 型 かた 編 へん 1 課 か )— ο Νίκος 。 話題 わだい にしているときは 冠詞 かんし が 付き つき 、 呼びかける よびかける ときだけ 落ち おち ます。 本文 ほんぶん では Ο φίλος μου ο Νίκος είναι άρρωστος がその 形 かたち です。 否定 ひてい は 動詞 どうし の 前 まえ に 一 いち 語 ご ( 型 かた 編 へん 4 課 か )— 「 Δεν πηγαίνει σχολείο 」「 Δεν θέλω φαγητό 」。 語順 ごじゅん は 変わり かわり ません。 本文 ほんぶん では Δεν θέλω φαγητό がその 形 かたち です。 対訳 たいやく 友だち ともだち のニコスが 具合 ぐあい を 悪く わるく しています。 学校 がっこう へ 行っ いっ ていません。 寝床 ねどこ にいます。 ニコスの 家 いえ へ 行き いき ます。 母親 ははおや が 扉 とびら を 開け あけ ます。こう 言い いい ます。ニコスは 熱 ねつ があるの。 顔 かお が 熱く あつく て、 目 め が 疲れ つかれ ています。 ニコスが 言い いい ます。 頭 あたま が 痛い いたい 。のども 痛い いたい 。 食べ物 たべもの はいらない。 水 みず がほしい。 母親 ははおや が 錠剤 じょうざい を 一 ひと つと 水 みず を 一杯 いっぱい くれます。こう 言い いい ます。 夜 よる にお 医者 いしゃ さんが 来 き ますよ。ニコスは 医者 いしゃ に 来 き てほしくありません。こう 言い いい ます。ぼくは 元気 げんき だよ。でも 元気 げんき ではありません。 私 わたくし は 椅子 いす に 座っ すわっ て、 二人 ふたり で 話し はなし ます。ニコスが 学校 がっこう のことを 聞き きき ます。 私 わたくし は 答え こたえ ます。 先生 せんせい が 書い かい て、 私 わたくし たちが 読ん よん でいるだけ。たいして 損 そん はしていないよ。 そのあとニコスは 眠り ねむり ます。 母親 ははおや が 窓 まど を 閉め しめ ます。こう 言い いい ます。 眠り ねむり がいちばんの 薬 くすり です。 帰り かえり ます。 道 みち で 自分 じぶん の 健康 けんこう のことを 考え かんがえ ます。 私 わたくし は 健康 けんこう なのに、そのことを 毎日 まいにち は 見 み ていません。 読み よみ どころ この 篇 へん の 読み よみ どころは、 誰 だれ が 話し はなし ているかを 語尾 ごび だけで 追う おう ところです。 日本 にっぽん 語 ご の 小説 しょうせつ なら「と 母 はは は 言っ いっ た」と 補い おぎない ます。ギリシア 語 ご ではその 補い おぎない が 要り いり ません。 台詞 せりふ の 中 なか で 一 いち 人称 にんしょう が 出れ でれ ば 話し手 はなして のこと、 二 に 人称 にんしょう が 出れ でれ ば 相手 あいて のこと。 主語 しゅご を 置か おか ない 言語 げんご は、 会話 かいわ 文 ぶん で 強い つよい ——これは 日本 にっぽん 語 ご も 同じ おなじ です。 第 だい 三 さん 段落 だんらく を 見 み てください。「 Πονάει το κεφάλι μου. Πονάει και ο λαιμός μου. 」—— 痛む いたむ 部分 ぶぶん が 主語 しゅご になっています。 日本 にっぽん 語 ご も「 頭 あたま が 痛い いたい 」と 言う いう ので、ここは 同じ おなじ 発想 はっそう です。 英語 えいご は 自分 じぶん を 主語 しゅご にして「 頭 あたま に 痛み いたみ を 持っ もっ ている」と 言う いう ので、 英語 えいご を 経由 けいゆ すると 遠回り とおまわり になります 。 母親 ははおや の 最後 さいご の 台詞 せりふ 「 Ο ύπνος είναι καλό φάρμακο 」—— 眠り ねむり はよい 薬 くすり だ。これはギリシア 語 ご でよく 使わ つかわ れる 言い いい 方 かた です。4.4 の「おいしい」がノスタルジーと 同じ おなじ 語根 ごこん だった 話 はなし と 同じ おなじ で、 言い回し いいまわし の 中 なか に 生活 せいかつ の 考え かんがえ 方 かた が 畳み込ま たたみこま れています 。 最後 さいご の 一 いち 文 ぶん は、この 篇 へん でいちばん 難しい むずかしい ところです。 健康 けんこう であることは、 健康 けんこう でなくなるまで 見え みえ ない。 日本 にっぽん 語 ご なら「あたりまえ」と 言う いう ところを、ギリシア 語 ご は 見 み ていない という 動詞 どうし で 言っ いっ ています。 持っ もっ ているものを 見 み ていない——この 言い いい 方 かた は 覚え おぼえ ておく 値打ち ねうち があります。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — 読み取る よみとる 原文 げんぶん を 読ん よん で、 次 つぎ に 答え こたえ てください。 ニコスはどこが 痛い いたい と 言っ いっ ていますか。 二 ふた つあります。 母親 ははおや はニコスに 何 なん をあげますか。 ニコスが 望ま のぞま ないことは 何 なん ですか。 母親 ははおや は 眠り ねむり について 何 なん と 言っ いっ ていますか。 練習 れんしゅう 2 — 音読 おんどく 原文 げんぶん の 文書 ぶんしょ を、 第 だい 一 いち 段落 だんらく から 最後 さいご まで 声 こえ に 出し だし て 読ん よん でください。 台詞 せりふ の 前 まえ で 一 いち 拍 はく おくこと 。 引用 いんよう の 符号 ふごう が 無い ない ので、 間 ま を 置か おか ないと 地 ち の 文 ぶん と 台詞 せりふ が 続い つづい て 聞こえ きこえ ます。 第 だい 三 さん 段落 だんらく の「 痛い いたい 」を 二 に 度 ど 繰り返す くりかえす ところは、 二 に 度 ど 目 め を 少し すこし 弱く よわく 読む よむ と 自然 しぜん に 響き ひびき ます。 読み よみ 終え おえ たら、 原文 げんぶん の 文書 ぶんしょ の 読み上げ よみあげ と 比べ くらべ てください。 この 篇 へん のまとめ 会話 かいわ 文 ぶん で 誰 だれ が 話し はなし ているかは、 動詞 どうし の 語尾 ごび と 文脈 ぶんみゃく が 決める きめる 。 主語 しゅご を 置か おか ない 言語 げんご は 会話 かいわ 文 ぶん で 強い つよい 。 引用 いんよう の 符号 ふごう を 使わ つかわ ず、 言う いう のあとにそのまま 台詞 せりふ が 続く つづく 。 読む よむ ときは 台詞 せりふ の 前 まえ で 一 いち 拍 はく おく。 痛む いたむ 部分 ぶぶん が 主語 しゅご になる。 日本 にっぽん 語 ご と 同じ おなじ 発想 はっそう で、 英語 えいご を 経由 けいゆ すると 遠回り とおまわり になる。 4.1 の 体 からだ と 健康 けんこう の 語 ご が、そのまま 薬局 やっきょく や 病院 びょういん で 使える つかえる 形 かたち で 出 で てくる。 持っ もっ ているものを 見 み ていない—— 健康 けんこう について 言う いう ときのギリシア 語 ご らしい 言い いい 方 かた 。 次 つぎ の 篇 へん へ 7.6 で 統制 とうせい 作文 さくぶん は 終わり おわり です。 次 つぎ の 7.7 と 7.8 は、イソップの 寓話 ぐうわ を 本 ほん 課程 かてい が 現代 げんだい ギリシア 語 ご に 訳し やくし たものです。 物語 ものがたり なので 過去 かこ の 形 かたち が 中心 ちゅうしん になり、3.8 で 学ん まなん だアオリストがまとまって 出 で てきます。 答え こたえ 練習 れんしゅう 1 の 答え こたえ 1. 頭 あたま とのどです(「 Πονάει το κεφάλι μου. Πονάει και ο λαιμός μου. 」)。 2. 錠剤 じょうざい を 一 ひと つと 水 みず を 一杯 いっぱい です(「 δίνει ένα χάπι και ένα ποτήρι νερό 」)。 3. 医者 いしゃ に 来 き てほしくありません(「 Ο Νίκος δεν θέλει γιατρό 」)。 4. 眠り ねむり はよい 薬 くすり だ、と 言っ いっ ています(「 Ο ύπνος είναι καλό φάρμακο 」)。 参考 さんこう 文献 ぶんけん Epoché ギリシア 語 ご 入門 にゅうもん ( 統制 とうせい 作文 さくぶん )『 Ο άρρωστος φίλος 』。 本 ほん 課程 かてい の 自作 じさく 。CC BY-SA 4.0。 字音 じおん 編 へん から 型 かた 編 へん 3.8 までの 既習 きしゅう 語 ご と、そこに