14.38 日記の形 — 読者に向けていない文が混ざる — Epoché
この篇でできるようになること ★ 日記の形 (見出し・省略・数字)が読める。 ★ 自分へのメモ が本文に混ざる作りが分かる。 ★ 手紙が埋めこまれる ところを見分けられる。 ★ 書かれた年のものの見方 として読める。 前提 : 特別編に門はありません。第 5 期まで済んでいれば、どこからでも読めます(目安は 3.40 まで/4.60 まで)。 読む前に ★ この小説は ぜんぶが書きもの でできています ——★ 日記、手紙、新聞の切り抜き、録音の書き起こし 。★ 語り手が 一人もいません ——★ あるのは 誰かが書いた紙 だけ です。★ 背景は 12.11 知編 にあります 。 ★ もう一つ、読む前に断っておきます 。★ この章には 当時のものの見方 がそのまま入っています ——★ 東へ行くほど汽車が遅れる、この人たちは より野蛮だ 、といった書き方 です。★ 原文は 1 字も変えていません 。★ いまの見方として読むのではなく、 1897 年の英国の人が世界をどう見ていたかの記録 として読んでください ( 12.21 知編 )。 何を見るか この篇での値 何が分かるか ★ 一文の語数 ★ 平均 24.9 語(最短 1・最長 55) ★ 書きものの文の長さ ★ 自分へのメモ ★ 3 か所 ★ 読者に向けていない文 ★ 時刻の書き方 ★ 3 か所とも数字 ★ 法の文書とは逆 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1472 語、段落は 11 、文は 59 本、一文の平均は 24.9 語です。 ★ 日付の見出しが % d か所 あります——★ 3 May. ・ 4 May. 。★ つまりこの章は 二日分 です。 ★ 一つ断っておきます 。★ 本文に伯爵からの手紙が入っていますが、 署名が落ちています ——★ “Your friend, のあとに 名前が無いまま次の日付に移ります 。★ 取ってきた版の欠けで、 ストーカーがそう書いたのではありません 。★ 原文を 1 字も変えない決まりなので、そのまま残してあります 。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 五月三日。ビストリツ。——五月一日の午後八時三十五分にミュンヘンを発ち、翌朝早くウィーンに着いた。六時四十六分に着くはずだったが、汽車が一時間遅れた。ブダペストは、汽車から垣間見たところと、通りを少し歩いたところからすると、すばらしい町のようだ。着いたのが遅く、しかも出発はできるだけ定刻どおりということだったので、駅からあまり遠くへ行くのは心配だった。受けた印象は、西を離れて東に入っていくというものだった。ドナウ川は、ここでは堂々たる幅と深さがあり、その上に架かるみごとな橋のうちいちばん西の橋を渡ると、私たちはトルコ支配の名残の中へ入っていった。 かなり時間どおりに出発し、日が暮れてからクラウゼンブルクに着いた。ここではホテル・ロワイヤルに一泊した。夕食に、というより夜食に、赤唐辛子で何やら料理した鶏を食べた。とてもおいしかったが、喉が渇いた。(覚え。ミナのために作り方を聞くこと。)給仕に尋ねると、それは「パプリカ・ヘンドル」というもので、国の料理なので、カルパチア一帯のどこでも食べられるだろうということだった。かじった程度のドイツ語が、ここではとても役に立った。実際、それが無ければどうやってやっていけるか分からない。 ロンドンにいたとき少し時間があったので、大英博物館を訪ね、図書室の本や地図でトランシルヴァニアのことを調べておいた。その国の貴族と取引をするのだから、その国について前もって少し知っておけば、何かしら役に立つに違いないと思いあたっていたのだ。伯爵が名を挙げた地方は、この国のいちばん東の端、トランシルヴァニア、モルダヴィア、ブコヴィナという三つの国のちょうど境にあり、カルパチア山脈のただ中にあることが分かった。ヨーロッパでもっとも荒々しく、もっとも知られていない地域の一つである。ドラキュラ城の正確な場所を示す地図や本は見つけられなかった。この国には、わが国の陸地測量部の地図に比べられるような地図がまだ無いからだ。けれども、ドラキュラ伯爵が名を挙げた郵便の町ビストリツは、かなりよく知られた所だと分かった。ここに覚え書きのいくつかを書いておこう。ミナと旅の話をするとき、記憶を新たにしてくれるかもしれないから。 トランシルヴァニアの住民には、はっきり分かれた四つの民族がいる。南にはザクセン人がいて、それに混じって、ダキア人の子孫であるワラキア人がいる。西にはマジャール人、東と北にはセーケイ人がいる。私が行くのは最後の人たちのところで、彼らはアッティラとフン族の子孫だと称している。そうかもしれない。マジャール人が十一世紀にこの地を征服したとき、フン族がそこに住みついているのを見つけたのだから。世界に知られたあらゆる迷信が、カルパチアの馬蹄の弧の中に集まっている、まるでそこが何かの想像の渦の中心であるかのように、と本で読んだ。もしそうなら、私の滞在はとても面白いものになるかもしれない。(覚え。伯爵にこのことを全部訊かなくては。) 寝床は十分に心地よかったのに、よく眠れなかった。あらゆる妙な夢を見たからだ。一晩じゅう窓の下で犬が吠えていたので、それが関わっていたのかもしれない。あるいはパプリカのせいかもしれない。水差しの水を全部飲みほしても、まだ喉が渇いていたのだから。明け方になって眠り、戸を叩き続ける音で起こされたので、そのころにはぐっすり眠っていたのだろう。朝食にもまたパプリカを食べ、「ママリガ」と呼ぶというトウモロコシの粉の粥のようなものと、詰め物をした茄子を食べた。茄子はとてもすばらしい料理で、「インプレタタ」と呼ぶそうだ。(覚え。これの作り方も聞くこと。)朝食を急がなければならなかった。汽車は八時少し前に出るはずだった、というより、出るべきだったからだ。七時半に駅へ駆けつけたあと、動き出すまで一時間以上も客車の中で座っていなければならなかった。東へ行けば行くほど、汽車は時刻を守らなくなるように私には思える。では中国ではどうなっているのだろう。 一日じゅう、私たちは、あらゆる種類の美しさに満ちた土地をのろのろと進んでいくように思えた。ときには、古いミサ典書の絵に見るような、険しい丘の上の小さな町や城が見えた。ときには川や流れのそばを走った。その両岸には石だらけの広い河原があり、大水がよく出るらしかった。川の外べりをきれいに洗い流すには、たくさんの水が、しかも勢いよく流れなければならない。どの駅にも人の群れがいて、ときには大勢の人だかりで、あらゆる種類の身なりをしていた。ある人たちは、短い上着に丸い帽子、手作りのズボンという姿で、国の農夫や、フランスとドイツを通ってくるときに見た農夫とそっくりだった。けれども、ほかの人たちはとても絵のようだった。女たちは、近くに寄らなければきれいに見えたが、腰のあたりがとても不格好だった。みな何かしらの白いふくらんだ袖をつけていて、たいていは大きな帯を締め、そこからバレエの衣装のように何かの細長い布がたくさんひらひらしていた。もちろん、その下にはペチコートをはいていた。私たちが見たいちばん奇妙な姿はスロバキア人で、ほかの人たちより野蛮だった。大きなカウボーイ帽をかぶり、だぶだぶの薄汚れた白いズボンに、白い麻のシャツを着て、幅が一フィート近くもある、真鍮の鋲を一面に打ったとてつもなく重い革の帯を締めていた。高い長靴をはいてズボンの裾をその中に押しこみ、長い黒髪と濃い黒い口ひげをたくわえていた。とても絵のようではあるが、感じがよいようには見えない。舞台の上なら、すぐに東洋の古い山賊の一団と思われるだろう。もっとも、聞いたところでは、とても害のない人たちで、自分を押し出すところがむしろ足りないという。 ビストリツに着いたのは、薄暮が暗くなりかけたころだった。ここはとても興味深い古い町である。ほとんど国境にあるので——ボルゴ峠がここからブコヴィナへ通じている——とても波乱の多い歴史を持っていて、たしかにその跡が見てとれる。五十年前には大火事が続けて起こり、五度にわたってひどい被害を出した。十七世紀のごく初めには三週間の包囲を受け、一万三千人を失った。戦そのものによる死に、飢えと病いが加わってのことである。 ドラキュラ伯爵からはゴールデン・クローネ・ホテルへ行くよう指示されていた。行ってみると、とてもうれしいことに、すっかり昔ふうの宿だった。もちろん私は、この国の暮らしぶりをできるだけ見たかったのだ。明らかに私は待たれていた。戸口に近づくと、いつもの農婦の服を着た、陽気そうな年配の女の人と顔を合わせたからだ。白い下着に、前と後ろに長い二重の前掛けをつけていた。色物の布で、慎みのためにはほとんどきつすぎるほどぴったりしていた。私がそばまで来ると、彼女はお辞儀をして言った。「イギリスの旦那さまですか?」「そうです」と私は言った。「ジョナサン・ハーカーです」。彼女はほほえんで、彼女について戸口まで出てきていた、白いシャツの袖を見せた年配の男に、何か言いつけた。男は行ったが、すぐに手紙を持って戻ってきた。—— 「わが友よ。——カルパチアへようこそ。私はあなたを心待ちにしています。今夜はよくお休みください。明日の三時に、乗合馬車がブコヴィナへ向けて出ます。その席を一つ、あなたのために取ってあります。ボルゴ峠では私の馬車があなたを待ち、私のところへお連れします。ロンドンからの旅が楽しいものであったこと、そしてわが美しい国での滞在を楽しんでいただけることを願っています。 「あなたの友、 五月四日。——宿の主人が伯爵から手紙を受け取っていて、乗合馬車のいちばんよい席を私のために取っておくよう指示されていたことが分かった。けれども細かいことを尋ねると、宿の主人はどこか口を閉ざしていて、私のドイツ語が分からないふりをした。そんなはずはない。それまでは完全に分かっていたのだから。少なくとも、まるで分かっているかのように、私の問いにきちんと答えていたのだ。彼とその妻、つまり私を出迎えた年配の女の人は、何かおびえたように顔を見合わせた。彼は、金が手紙に入れて送られてきた、知っているのはそれだけだと、もごもご言った。ドラキュラ伯爵を知っているか、その城について何か話せるかと尋ねると、彼も妻も十字を切り、何もまったく知らないと言って、それ以上話すのをきっぱり拒んだ。出発の時刻がすぐそこだったので、ほかのだれかに尋ねる暇もなかった。何もかもとても不思議で、少しも心の安まるものではなかった。 語釈 帯の外の語は 118 語です。★ 半分が 人と土地の名 ——★ 地図を見ながら読むと速い です。★ 残りは 食べ物の名 ( paprika ・ mamaliga )と★ 服と土地の様子の語 ( apron ・ studded ・ brigands )。★ この三種だけで章ができているのは、 旅の日記だから です。 語(品詞) 意味 注 Attila en 名 アッティラ(フンの王の名) Bistritz en 名 ビストリツ(町の名) Borgo en 名 ボルゴ(峠の名) British en 形 英国の British sailors often stopped at this harbor for supplies. 英国の船乗りたちは、しばしば物資のためこの港に立ち寄りました。 Bukovina en 名 ブコビナ(地方の名) Carpathian en 形 カルパチアの(山脈の名) Carpathians en 名 カルパチア山脈 China en 名 中国 Dacians en 名 ダキア人(古代の民) Historians described the Dacians as skilled miners and farmers. 歴史家たちはダキア人を、巧みな鉱夫であり農夫だったと記しました。 Danube en 名 ドナウ(ヨーロッパを流れる大河) Dracula en 名 ドラキュラ(伯爵の名) Englishman en 名 イングランドの人 The old Englishman had lived abroad for nearly forty years. その老いたイングランドの人は、四十年近く海外で暮らしていました。 Europe en 名 ヨーロッパ France en 名 フランス German en 形 ドイツの A German merchant opened the first shop on this street. ドイツの商人が、この通りに最初の店を開きました。 Germany en 名 ドイツ Harker en 名 ハーカー(語り手の姓) Herr en 名 ヘル(ドイツ語で男に付ける敬称) Herr Schmidt greeted every guest warmly at the inn's door. ヘル・シュミットは、宿の戸口ですべての客を温かく迎えました。 Huns en 名 フン人 Ancient historians described the Huns as fierce, skilled riders. 古代の歴史家たちは、フン人を荒々しく巧みな騎手として描写しました。 Jonathan en 名 ジョナサン(語り手の名) Klausenburgh en 名 クラウゼンブルク(町の名。古い綴り) Krone en 名 クローネ(宿の名。ドイツ語で「冠」) London en 名 ロンドン Magyars en 名 マジャール人 The Magyars settled this fertile plain many centuries ago. マジャール人は、何世紀も前にこの肥沃な平原に住み着きました。 Mem en 名 覚え書き( memorandum の略) Mina en 名 ミナ(語り手の婚約者の名) Moldavia en 名 モルダビア(地方の名) Munich en 名 ミュンヘン(ドイツの町) Ordnance en 名 ( Ordnance Survey で)英国の測量局 Oriental en 形 東方の(当時の語。いまは使い方に注意する語) The