6 地図 4 近代・現代 — 分かれた道と、いま — Epoché
この地図の見取り図 — 時期ごとに、何が新しく問われたか この文書は、ヘーゲルのあとの哲学から、いま実際に研究されていることまでを見渡します。人名を順に並べるのではなく、その時期に新しく前へ出てきた「問い」を軸にします。西洋の流れと、日本・イスラーム・インド・中国の近代を、同じ構えで並べます。 カントとヘーゲルは 地図 3 カントとヘーゲル — 近代の転回 が、存在・知識・心・倫理といった問題の領域ごとの見取り図は 問題の地図 — 哲学は何を論じてきたか が扱います。下の表の「時期」はおおよその目安です。気になった行の節から読み始めることもできます。 おおよその時期 新しく前へ出た問い 西洋での答え方 同じころの、西洋の外 いまへの残り方 1830〜1900 年ごろ 体系は、生きた人と社会の何を取りこぼしたか 労働と歴史(マルクス)/一人の生き方(キルケゴール)/価値の由来(ニーチェ) [1][2][3] 近代インドの普遍思想(節 4) [4] 資本主義は不正義か、という倫理学の問い [1] 1880〜1920 年ごろ 論理と意味は、何に支えられているのか 論理の記法を作る(フレーゲ)/意識を記述する(フッサール) [5][6] 日本語で哲学することが始まる(節 3) [7] 二十世紀の分かれ道の出発点 1920〜1945 年ごろ 哲学の文は、そもそも何を言っているのか 確かめられない文を切り落とす計画/存在の意味への問い [8][9] 京都学派と、文化をめぐる哲学 [10] 哲学の文の身分は、いまも決着していない [11] 1945〜1980 年ごろ 自由・言語・身体・制度は、思考の何を決めているか 実存主義/言語の使用/知覚する身体/知と権力の歴史 [12][13][14][15] 中国で、儒の伝統を哲学として続ける [16] 心・言語・社会をめぐる今の議論の出発点 1980 年ごろから現在 哲学は、経験科学やほかの伝統とどう付き合うのか 形而上学の立て直し/実験哲学/フェミニスト哲学 [17][18][19] 世界哲学という編み直し、アフリカ哲学の現代 [20][21] いま学会で論じられていること(節 5・6) 各節は「何が問題になったか → どう答えたか → いまどう読まれているか」の順で書いています。 1 ヘーゲルのあと — 体系の外から問い直す ヘーゲルは、認識も自然も歴史も一つの筋でつなぐ体系を組みました。次の世代は、その体系が取りこぼしたものを問い直します。マルクスは労働と社会から、ニーチェは価値そのものの由来から問いました。 ヘーゲルの体系と、その読まれ方は 地図 3 カントとヘーゲル — 近代の転回 にまとめています。ここでは、そのあとに出てきた問いを追います。 言葉づかいの注意を一つ。ドイツの哲学でいう「観念論」は、日常語の「理想を語ること」とは別の意味で使われてきました [22] 。一つの学派の名としてより、まず語の使われ方として受け取ると、議論が追いやすくなります。 マルクスは、ヘーゲルの体系が現実の労働と所有を取りこぼしていると見ました。人が自分の働きから切り離される事態(疎外)、歴史を動かしてきた力、目の前の経済の仕組み。この 3 つを問い直します [1] 。 いまマルクスは、二十世紀の政治体制の評価とは切り離して、倫理学の問いとしても読まれています。資本主義は不正義なのか、共産主義と正義はどういう関係にあるのか、という問いです [1] 。 ニーチェは、体系の手前にある価値を疑いました。善や真理といった価値は、どこから来て、どう働いてきたのか。価値を前提にせず、それが生まれた道筋をたどる書き方です。道徳と宗教の来歴を扱った仕事が、その代表です [3] 。 ニーチェは、書き方そのものが読解の難所です。事典の項目にも、その書き方の難しさを論じる節があります [3] 。短い断片だけを切り出して引くと、誤解が生まれやすくなります。 この図書館では ツァラトゥストラはこう語った が日本語で読めます。ただし、図書館の日本語の訳はアプリの機械訳で、訳者の訳ではありません。紙の訳と並べて読むと安心です。 同じころ、デンマークのキルケゴールは、一人ひとりの生き方から問いを立てました [2] 。この流れは節 2-2 の実存主義で扱います。 日本語で通して読むなら、 世界哲学史 第 7 巻に「マルクスの資本主義批判」と「数学と論理学の革命」の章があります [4] 。二十世紀の哲学の見取り図は、 西洋哲学史 の第 4 巻が扱います [23] 。 2 二十世紀の分かれ道 二十世紀に入ると、哲学は一本道ではなくなります。ことばと論理から、経験されているとおりの世界から、使ってみた結果から、構造と権力の分析から。4 つの道が並んで進みました。どれも「哲学をやめる」のではなく「哲学のやり直し方」の提案でした。 最後の「呼び名」の節は、前の 4 つを読んでからのほうが意味を取りやすくなります。この時期の本は 本棚 — 段階別のおすすめ にあります。 2-1 ことばと論理から立て直す — 分析哲学 出発点は、算術の証明から、図を見れば分かるという直観への訴えを追い出したい、という関心でした [5] 。推論の一歩一歩を記号で書き出せば、証明の隙間を紙の上で他人と一緒に検討できます。 フレーゲは、そのために論理の記法を作りました。さらに、同じものを指す 2 つの表現が、同じ意味を持つとは限らないとして、意義と意味を区別します [5] 。同じ人を指していても、指し方が違えば、文から受け取れることは変わる、という区別です。 ラッセルは、何も指していない語を含む文が、なぜ意味を持つのかを問いました。そうした文を別の形に書き換える分析を示します [24] 。文の見かけの形と、論理の上での形は違うことがある。この発想が、この道の共有財産になりました。 ウィーン学団は、確かめようのない文を形而上学として切り落とす計画を立てます [8] 。ウィトゲンシュタインは、前期には言語の限界という形で、後期には「意味は使用である」「言語ゲーム」という形で、問いの立て方を 2 度変えました [13] 。同じ人が問いの立て方を変えたことは、この道が一枚岩ではないことを示しています。図書館では 哲学の諸問題 と 論理哲学論考 も読めます。 いまこの道は「勝った側」としては読まれていません。確かめられる文だけを残す計画は、内側から崩れました。クワインが、分析的な文と総合的な文の区別と、意味を経験に還元する考え方の両方を批判したからです [25][11] 。ただし、その区別を別の形で立て直す試みも続いています [11] 。論理実証主義も、科学哲学と論理学に残った働きとして読まれます [26][8] 。 2-2 経験のほうから立て直す — 現象学・実存主義・解釈学 こちらの出発点は、論理と自然科学の言葉で世界を言い直したとき、経験されているとおりの世界はどこへ行くのか、という問いでした [27] 。机の上のコップは、物理学の対象であると同時に、手を伸ばそうとしている私に、いま見えているものでもあります。 フッサールは、意識がいつも何かへ向かっていること(志向性)を軸に据えました。そのものが本当にあるかの判断をいったん保留し(エポケー)、現れているとおりに記述します。分析は、身体・他者・生活世界へ広がりました [6] 。この道の出発点は、気分や内省ではなく、論理をめぐる問題でした [6] 。 ハイデガーは、ものが「ある」と言うときの「ある」は何を意味するのか、と問いました。後期には、技術のあり方と、存在の理解の歴史を論じます [9] 。ナチ体制下で書かれた著作は、事典で独立した節を立てて扱われる主題です。何が論点なのかは、その節から読むとつかめます [9] 。 実存主義 — 決まった本性の無い人間の自由 実存主義(existentialism)は、二十世紀半ばのフランスで、サルトルとボーヴォワールを主な声として広まりました。下地は、十九世紀のキルケゴールとニーチェ、二十世紀のハイデガーらが作っています [12] 。 問われたのは、決まった道徳や神の意志に頼れなくなったとき、人は何を拠り所に生きるのか、です [12] 。キルケゴール(1813〜1855)は、自己を初めからある実体ではなく、これからなっていく課題と見ました。そして、自己になりそこねている状態を「絶望」として分析します [2] 。その分析の書 死に至る病 も、図書館で読めます。 サルトル(1905〜80)の答えは、「実存は本質に先立つ」という標語で知られます。人には前もって決まった本性が無く、選びと行いで自分をつくっていく、という考えです。言い訳にできるものが無いので、自由には不安と責任が伴います [12] 。1943 年の主著は、この運動を定めた論考とされます [28] 。 サルトル自身は、マルクス主義からの批判を受けて、初期の自由の考えを抽象的すぎたと改めます。自由は、いつも状況の中にあるという考えです。この見方は、ボーヴォワール(1908〜1986)がすでに展開していたものです [12] 。彼女の 1949 年の主著は、女が「他者」とされ、男が本質的な存在とされてきた仕組みを分析しました [29] 。誰も生まれつき劣ってはいない。仕組みは人の選びと行いで保たれているので、変えられる、という見方です [12] 。 いまどう読まれているか。ボーヴォワールは長く、サルトルの倫理の産婆役と見られてきました。没後の研究で、一人の思想家としての位置が改めて確かめられています [29] 。キルケゴールを「実存主義の父」と呼ぶのは、見えなくするものも多い呼び名だとされます。ヘーゲルの敵対者という像も、近年の研究で見直されました [2] 。実存主義の考えは、心の哲学と認知科学、差別や病の経験を記述する現象学にも受け継がれています [12] 。 同じ時代の政治哲学では、アーレント(1906〜1975)が、人を単数でなく複数で考えました。人が共通の世界でどう共に生きるかを、全体主義という前例の無い出来事に向き合いながら問い続けています [30] 。 身体と、理解すること メルロ゠ポンティは、考える主体の手前に、知覚する身体を置きました [14] 。解釈学は、理解するとはどういうことかを主題にします。ディルタイからガダマー、リクールへと続く流れです [31] 。 いまも、この道は過ぎ去った思潮ではありません。現象学は意識を扱う研究の現場で使われていると、事典は 2013 年の改訂で書いています [27] 。メルロ゠ポンティの項目にも、進行中の研究を扱う節があります [14] 。解釈学は、批判理論や脱構築との論争を経て、英語圏の哲学の内側にも入りました [31] 。 2-3 使ってみて確かめる — プラグマティズム 三つめの道は、概念の意味を、定義ではなく、その概念を持つことから出てくる帰結で決められないか、と提案しました [32] 。ある考えを受け入れると、何が変わるのか。何も変わらないなら、その考えは何を言っているのか。そう問い直す構えです。 パースはこれを、考えを進めるときの指針(格率)にまとめ、ジェイムズは真理の見方へ広げました。人は間違いうるという前提(可謬主義)に立つ認識論も、ここから出ています [32] 。確実な出発点を固めてからではなく、直しながら進む探究です。 1980 年代以後には「ネオプラグマティズム」として立て直されました [32] 。ローティもこの流れで論じられますが、その位置づけ自体がいまも論争の的です [33] 。宗教や倫理といった領域への広がりも続いています [32] 。 2-4 構造と、その外へ — 二十世紀フランスの哲学 四つめの道の問いは、こうです。意識から出発する哲学は、言語・制度・権力といった、本人に見えていない仕組みを説明できるのか [15] 。節 2-2 の道とは、向きが逆になっています。 フーコーは、狂気・医学・監獄・性がどう扱われてきたかという具体的な材料から、知と権力の結びつきの歴史を書きました [15] 。デリダは、文章が前提にしている区別を、その文章自身の言葉で揺らしていく読み方を示します。脱構築と呼ばれる読み方です [34] 。主体を中心から外すこの試みには、ニーチェとハイデガーが大きく影響しています [12] 。 いまでは、フーコー以後のフーコー研究が、それ自体ひとつの主題です [15] 。日本語では、2020 年代に書かれた入門として 現代思想入門 があります [35] 。学会での扱いは節 6 で見ます。 2-5 「分析」と「大陸」という呼び名 ここまでの道は、よく「分析哲学」と「大陸哲学」の 2 つにまとめられます。便利な呼び名ですが、学説の対立として受け取ると、実際の姿から離れます。 分析哲学の側は、共通の学説では定義できません。1960 年代以降は立場が混ざり合い、ゆるやかな流儀としてしか特徴づけられない、と事典は説明します [36] 。「反形而上学」という特徴づけも、ウィーン学団の計画が崩れたあと、問題群を入れ替えて続く分析系の形而上学には合いません [8][17] 。 反対の側も同じです。現象学を「主観的で論理に弱い」と見るのは、その出発点が論理の問題だったこと、いまの意識研究に接続していることと合いません [6][27] 。 査読誌の論文の一つは、この区分を文体の差として捉え直しています。ここでの文体は、書き方の好みではなく、生き方と結びついた表現の形です。双方に共通する欠点が正されれば、溝はいまほど越えがたく見えなくなるかもしれない、という提案です [37] 。日本哲学会の機関誌『哲学』の 2024 年の号には、知覚をめぐる分析系の論文と、大陸系の哲学者を論じた論文と、日本哲学の論文が並んでいます [38] 。 段階 2 以上の方へ。「分析」は方法の名、「大陸」は地理の名で、そもそも同じ種類の区切りではありません。分析哲学の歴史の研究では、どこを起点に置くかが論点そのものです [36] 。この非対称に気づいておくと、入門書ごとに線の引き方が違っても戸惑わずに済みます。 3 「哲学」が日本語になったとき 明治以後、日本は西洋の学問としての哲学を受け取りました。そこで問われたのは、日本語で哲学することは