プロタゴラス――人間は万物の尺度である(ソフィストと相対主義) — Epoché
古代 ソクラテスとプラトン 約 23 分 本文 約 9,800 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 知ること・神々のこと・教えることの 3 つ 知ること 「人間は万物の尺度である」(DK 80B1)。プラトンはこれを、物事は各人に現れるとおりにその人にとってある、と言い換えた。ただし感覚だけの話に縮めたのはプラトンの読み方で、本人は判断全般を言っていたとする読みが有力である。 神々のこと 神々について、在るとも在らないとも、どんな姿かも知ることはできない、とプロタゴラスは書いたと伝えられる(DK 80B4)。事柄の不明さと人の命の短さが妨げだという。神の否定ではなく、人間の知の限界の表明と読まれる。 教えること プロタゴラスは家とポリスの事をよく思案し、よく語る力を教えたとプラトンは伝える(『プロタゴラス』318e–319a)。自然の成り立ちを問うた前の時代から、人とポリスへと問いの向きが移る。 はじめに プロタゴラスは、エーゲ海の北の岸、トラキアの町アブデラの人です。プラトンの対話篇『プロタゴラス』で、その場にいる誰の父親にもなれる年だと自ら語っているので(317c)、前 490 年代の生まれと推定されます [1] [2] 。プラトン『メノン』では、70 歳近くで亡くなり、そのうち 40 年をこの仕事で過ごしたと語られます(91e) [2] 。ここから没年は前 420 年ごろと考えられています。90 歳まで生きたとする伝えもあります [1] 。 ギリシア各地を回って教え、大きな名声と富を得た、最初期の最も名高いソフィストです。プラトンによれば、自分から「ソフィスト」と名乗った最初の人でした(『プロタゴラス』317b–c) [1] [2] 。アテナイには少なくとも二度滞在し、政治家ペリクレスと親しくなったとされます [1] 。ただし著作はほとんど失われ、本人の言葉と認められる断片は 10 に満たないとされます [1] 。私たちが読むプロタゴラスの多くは、彼を論じたプラトンの目を通した姿です。この課で「〜とされる」「〜と伝えられる」という言い方が多いのは、そのためです。本人の言葉と、伝え手の言い換えとを見分けることが、この課を読むときのいちばんの用心になります。 前の編では、タレスからデモクリトスまでの人々が、世界が何からどうできているかを問いました。同じアブデラの出で約 30 歳年下のデモクリトスは、甘さや色は「取り決めによって」あるだけで、真実には原子と空虚しかないと言いました。それより一世代前のプロタゴラスは、逆の向きから、人に現れるものを手がかりにしたとされます。この課では、知ること、神々のこと、教えることの三つの面から、問いの中心が自然から人とポリスへ移っていく様子を読みます。 この課の問い 同じ風が、ある人には寒く、ある人には寒くありません。どちらが正しいのかを決める物差しは、人間の外にあるのでしょうか。もし無いなら、人は何を頼りに語り合い、教え、ポリス(都市国家)の事を決めればよいのでしょうか。 この課のことば ソフィスト 前 5 世紀のギリシアで、謝礼を取って各地を回り、弁論やポリスでの身の処し方を教えた人々。もとは「知恵のある人」の意味で、悪口の響きが強くなったのは後のことです。 尺度(メトロン) 長さや重さを測る物差しや枡。ここでは、物事が「どうであるか」を決める基準のことです。 人間尺度説 「人間は万物の尺度である」というプロタゴラスの言葉と、それをめぐる考え方。本教材での呼び名です。 ポリス アテナイやスパルタのように、町とその周りの土地からなる小さな国。市民が集まり、法や政策を話し合って決めました。 ロゴス 言葉・論・理屈。ここでは、ある事柄について述べる一つの言い分を指します。 DK 番号 ディールスとクランツが編んだ断片集での番号。80 がプロタゴラスで、A はほかの人の報告(証言)、B は本人の言葉とされる断片、C は後の時代の模倣やもじりです。 人間という尺度――真理は人の外にあるのか 前の編の最後に読んだデモクリトスは、甘さや色を「取り決め」の側に退け、真実には原子と空虚しかないと言いました。感覚に現れるものは、真実から一歩引いた所に置かれたのです。 年ではデモクリトスより約 30 歳上のプロタゴラスは、人の外に真実を置く考え方そのものを問い直したとされます。この章では、まず名高い「人間は万物の尺度」の一文を読みます。次に神々についての一文を読み、最後に、その考えと教師の仕事がどう結びつくのかを見ます。 同じ風が、ある人には寒い――「人間は万物の尺度」を読む プロタゴラスの著作『真理』は、次の一文で始まったと伝えられます。「あらゆるものの尺度は人間である。あるものについては、あるということの。あらぬものについては、あらぬということの」(DK 80B1) [1] 。多くの古い伝えがこの文を同じ言葉で引いており、本人の言葉として確かな、数少ない断片の一つです [1] 。ただし『真理』は学術書ではなく、聴衆の前で腕前を示す演示(エピデイクシス)の文でした。人目を引くために、わざと含みの多い言い方をした可能性があります [1] 。 この一文を伝えるいちばん重要な書物が、プラトンの『テアイテトス』です。ソクラテスはこれを「それぞれのものが私に現れるとおりに、私にとってそれはあり、君に現れるとおりに、君にとってある」と言い換え、風の例を出します(152a–b) [2] (図 1) 。同じ風が吹いても、一人は震え、一人は震えない。そのとき風そのものは冷たいのか、とソクラテスは問います。テアイテトスは、震える人には冷たく、震えない人には冷たくない、というプロタゴラスの側につきます。 一つ目:A は震える 同じ風 A にとって:冷たい 体を抱いて震えている 二つ目:B は震えない 同じ風 B にとって:冷たくない 背筋を伸ばして平気でいる 図 1 『テアイテトス』152b の同じ風の例。一つ目の絵の A も、二つ目の絵の B も、まったく同じ風を受けています。風そのものが冷たいかどうかを決める物差しは、どちらの絵にも描いていません。 ここでは、本人の一文と、プラトンの言い換えと、プラトンが書いた場面が重なっています (表 1) 。『テアイテトス』は、この説を「知識とは感覚である」という説と同じものとして扱います [1] 。しかし SEP の整理では、これは説の限界を示したいプラトンが、感覚の話に縮めた読み方です。プラトン自身も、この説が意見や判断のすべてに及ぶことをほのめかしています(『テアイテトス』157d、170a–171a) [1] 。この読みでは、風の寒さだけでなく、ある行いが正しいかどうかについても、一人ひとりが最後の判定者になります [1] 。 この表で分かること: この表のうち本人の言葉として確かなのは冒頭の一文だけで、言い換えも風の例も弁明も、プラトンが書いたものです。 言葉 誰の言葉か 箇所 読むときの注意 人間は万物の尺度 本人(断片) DK 80B1 多くの伝えが同じ言葉で引く 私に現れるとおり私にある プラトンの言い換え 『テアイテトス』152a 感覚の話に縮めて読んでいる 同じ風の例 プラトンが書いた場面 『テアイテトス』152b 問うのはソクラテス 医者とソフィストの弁明 プラトンが代わりに語らせた 『テアイテトス』166a–168c 本人の考えの一部を伝える可能性 表 1 プロタゴラスの言葉と、それを伝える文の区別。読むときの注意は SEP の整理によります [1] 。 言葉の選び方にも手がかりがあります。「もの」と訳したクレーマタ( χρήματα )は、「使う・関わる」という動詞から来た語です。物そのものより、私たちと関わる物事を指します [1] 。また「ある」は「存在する」ではなく、「暖かい」「善い」のように「〜である」の意味に読むのが自然だ、とする読みがあります。そう読めば、プロタゴラスは外の世界があることを否定していません。人が測るのは、物事がどのように現れるかなのです [1] 。 この説には、古くから「自分で自分をひっくり返す」という反論があります。すべての判断が真なら、「この説は偽だ」という判断も真になる、という論です。最初にこう批判したのはデモクリトスだとされます(DK 80A15) [1] 。これに対しては、批判が「私にとって」「君にとって」という限定を落としている、とする擁護があります。「この説は偽だ」という判断は、批判する人にとって偽だというだけで、プロタゴラスにとっては真のままだ、というわけです [1] 。 ここで間違えやすい 二つの誤解に気をつけましょう。一つは、プラトンの言い換え(感覚の現れ)を、プロタゴラス本人の言葉と思うことです。この説について本人の文として確かに残るのは冒頭の一文だけで、風の例はプラトンが書いた場面です。もう一つは、「人それぞれ」だから何を言ってもよい、という意味に取ることです。プロタゴラスは、真か偽かとは別に、ある見え方がほかよりも「よい」ことはあると考えていたとされます [1] 。これは三つ目の節で見ます。 神々については知ることができない――事柄は見えにくく、人の生は短い プロタゴラスには『神々について』という著作もあり、次のように始まったと伝えられます。「神々については、在るとも在らないとも、どのような姿をしているかも、私は知ることができない。知ることを妨げるものが多いからだ。事柄の見えにくさと、人の生の短さである」(DK 80B4) [1] 。ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』がこの文を引き(9.51)、「どのような姿か」の句は、エウセビオスの引用から補われています [3] 。 当時、神々は、詩人の語る神話や祭りの中で、当然いるものとされていました。プロタゴラスはそれを、人が自分で確かめられるかどうか、という問いに置き直します (図 2) 。答えは「いる」でも「いない」でもなく、「私には知ることができない」です。 問い 神々は在るか。在るなら、 どのような姿か 在る 詩人の神話や祭りが、当然のこととして 語る 在らない 存在を否定する(無神論)。 プロタゴラスはこう言っていない 知ることができない 妨げは事柄の見えにくさと人の生の短さ (DK 80B4) 図 2 「神々は在るか」への三つの答え方。プロタゴラスは「知ることができない」の道をとり、「在らない」と言い切る道(無神論)とは違います。三つの道の並べ方は本教材の整理です。 妨げとして挙げられる二つは、どちらも人間の側から見た限界です。事柄そのものが見えにくいこと、そして調べる人間の生が短いことです。人間を尺度に置く『真理』の一文と、向きがそろっています。SEP は、二つの断片のどちらにも、誰にとっても動かない一つの真理は無い、という力点があると読みます [1] 。 のちのキリスト教徒とエピクロス派は、ふだんは対立する立場なのに、そろってこの文を無神論として非難しました [1] 。しかし、「P かどうかを私は知らない」と言うことと、「P でないと私は知っている」と言うことは別です。敵意のある伝えは、この二つを混同しています。SEP は、プロタゴラスを、知ることはできないという立場(不可知論)をとった最初の思想家とみています [1] 。 言葉の上でも見どころがあります。人間尺度説の「ある」が主に「〜である」の意味だったのに対し、この断片は、神々が「在る(存在する)」かどうかに関わる珍しい場合です [1] 。ここも「どのように在るか」の意味だとする読みもあります。けれども、プラトンの『テアイテトス』(162d)以来、古い伝えはみな存在の話として受け取っており、SEP もこちらを採ります [1] 。 ここで間違えやすい 「知ることができない」を「神はいない」と取らないようにしましょう。プロタゴラスは、神々の存在を否定も肯定もしていません。また、アテナイの人々がこの書き出しのゆえに彼を追放し、触れ役に持ち主から本を集めさせて広場で焼いたという話は、ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』に残る伝えです [3] 。不敬神の罪で裁かれ、逃げる船の難破で死んだという話もありますが、SEP はどれもおそらく作り話とみています。プラトンは、彼が年老いて尊敬されたまま世を去ったかのように書いています [1] 。 ソフィストとして教える――よく思案し、よく語る力 プラトン『プロタゴラス』で、プロタゴラスは自分の教える中身を語ります。それは「よく思案すること(エウブーリア)」で、自分の家をいちばんよく治めること、そしてポリスの事について、行うことにも語ることにもいちばん力のある人になることだと言います(318e–319a=DK 80A5) [1] [2] 。その直前で彼は、計算や天文学を若者に押しつけるほかのソフィストと、自分を分けてみせます [2] 。 この教えは、実際のポリスで試される場もありました。前 444 年、ペリクレスは、南イタリアに新しく建てた植民市トゥリオイの国制づくりを彼に任せたと伝えられます [1] 。トゥリオイのために法を書いたという話は、ディオゲネス・ラエルティオスもヘラクレイデスの説として伝えています [3] 。 弁論の教えをよく表すのが、「どんな事柄にも、互いに対立する二つの言い分(ロゴス)がある」(DK 80B6a)と、「弱い言い分を強くする」(DK 80B6b)という言葉です [1] 。ある伝えでは、競技で投げ槍が人に当たって死なせたとき、ペリクレスとプロタゴラスは丸一日かけて論じたといいます。責めを負うのは槍か、投げた人か、審判か、という問いです(DK 80A10) [1] 。起きた事は一つでも、立つ所によって見え方は分かれます。その中から、その場にいちばん合った言い分を見つけることが「強くする」の意味だった、と SEP は読みます [1] 。 では、一人ひとりが尺度なら、教師は何を教えられるのでしょうか。プラトンは『テアイテトス』で、その場にいないプロタゴラスに代わって答えを語らせます(166a–168c、「プロタゴラスの弁明」) [1] 。真か偽かの点では、誰もが尺度です。それでも知者はいる。ある人に悪いものが現れ、実際に悪いものとしてあるとき、その人を変えて、善いものが現