政治とは何か――対立を共同の決定に変える営み — Epoché
基礎 総説 約 25 分 本文 約 11,300 字 図 3・表 2 資料 1 節 この課の要点 対立・決定・受容の 3 つ 対立 共に暮らす人々のあいだでは、利害や価値の食い違いが絶えず生まれる。政治はそこから始まる 決定 話し合い・交渉・投票・くじ・命令などで、全員に当てはまる一つの決め方を作る 受容 負けた側にも従う理由(正統性)があると、決定は長く続く。三つの核は本課の作業上の整理である はじめに 「政治」と聞くと、国会の中継や選挙のポスター、政党どうしの争いを思い浮かべる人が多いでしょう。けれども、身近な場面にもよく似た形が現れます。学級で文化祭の出し物を劇にするか模擬店にするかを決めるとき、マンションの管理組合で外壁の修繕の時期を決めるとき、会社が在宅勤務を認めるかを決めるときです。考えの違う人々が、それでも一つの決め方を作り、決まったことには反対した人も従う、という形です。 この課では、この形を手がかりに、政治を「対立を共同の決定に変える営み」と捉える見方を組み立てます。まず、政治がどんな場面に生まれるのかを考えます。次に、二十世紀の政治学者・社会学者たち――ラスウェル、イーストン、クリック、ウェーバー――が政治をどう定義してきたかを比べ、それぞれの定義が何を照らし、何を見落としやすいかを確かめます。さらに、対立が決定に変わるときに働く権力・権威・制度の三つを見ます。 資料としては、二千年以上前にアリストテレスが書いた『政治学』の一節を、ギリシア語の原文から訳して読みます。人間を「ポリス的動物」と呼んだ有名な箇所で、政治を力の押し合いとしてだけでなく、何が有益で何が正しいかを言葉で示し合う営みとして見る見方の源になっています。 この課は課程全体の総説です。最後に、思想・制度・行動・国際・日本の各部がどんな問いを扱うのかを地図にして示します。権力や権威の正確な定義、事実と価値の区別、原因の確かめ方などの細部は、それぞれ後の課で改めて扱います。ここでは、政治を見るための大きな枠をつかむことを目指してください。 この課の問い 政治は国会や選挙の中だけにあるのか。利害や価値が食い違う人々が、それでも全員を縛る一つの決定を作り、それに従うのはなぜ、どのようにしてか。 この課のことば 政治 意見や利害がぶつかる人々が、みんなに当てはまる決め方を作り、守らせる営み。学級の決めごとから国の法律まで同じ形がある 権力 相手が望まなくても、自分の望む方へ相手を動かせる力。命令・報酬・脅しなど、使い方はさまざま 権威(正統性) 力ずくでなくても「従うのが筋だ」と受け入れられている状態。審判の判定に選手が従うのが身近な例 価値の権威的配分 お金・安全・名誉など大事なものの分け方を、従うべきものとして決めること。イーストンが政治をこう定義した 制度 決め方・選び方を前もって定めたルールの組。憲法・選挙のしくみ・議会の手続き、管理組合の規約もその一つ ポリス 古代ギリシアの都市国家。アテネやスパルタのような比較的小さな共同体で、英語のポリティクス(政治)の語源 政治とは何か――対立を共同の決定に変える営み 「政治」と聞くと国会や選挙を思い浮かべがちですが、学級の出し物決めやマンションの修繕の議決にも同じ形があります。この章では、政治が生まれる場面を確かめ、政治学者たちの定義の違いを手がかりに、政治を「対立を共同の決定に変える営み」と捉える見方を組み立てます。そのうえで、この課程の地図を示します。 政治はどこにあるか――食い違いと「みんなで決める」の重なり 政治が生まれるのは、二つの条件が重なる場面です。一つは、共に暮らす人々のあいだで、利害(だれが得をし、だれが損をするか)や価値(何が大切か、何が正しいか)が食い違うことです。もう一つは、それでも全員に当てはまる一つの決め方が要ることです。この二つがそろったとき、人々は「どう決めるか」「決まったことにどう従わせるか」という問題に向き合うことになります。 二つの条件を、極端な場合で確かめてみましょう。仮に全員の望みが初めから完全に一致しているなら、意見を一つにまとめる手続きは要りません。ただし、これは説明のための定義上の仮定です。実際には、目的が一致していても、いつ・だれが・どれだけ負担するかを調整するために、共同の決定が要ることがよくあります。反対に、一つに決める必要がないことなら、食い違いがあっても各自が好きにすればよいのです。昼食に何を食べるかを、職場で多数決にかける必要はありません。 では、なぜ一つに決めねばならないことがあるのでしょうか。道路・治安・堤防のように、分けて持てず、一部の人だけを使わせないことも難しいものがあるからです。川の堤防を、費用を払った家の前だけ高くしても、水は低い所からあふれてきます。だれがどれだけ負担し、どこから先に工事するかは、関わる人全員について一度に決めるほかありません。 決め方を作る手段も一つではありません。話し合い、交渉(取引)、投票、くじ、そして命令(力)があります。町内会の役員をくじで決める地域もあれば、話し合いで引き受け手を探す地域もあります。どの手段を使うかによって、出てくる結果も、負けた側の受け入れ方も変わります。 身近な例として、本教材の作例を一つ挙げます。あるマンションで外壁の大規模修繕を行うかどうかが議題になりました。高層階に住む持ち主の家族は早く直したいと考え、年金で暮らす持ち主は修繕積立金の値上げに反対し、部屋を賃貸に出している持ち主は費用を抑えたいと考えています。総会で票を投じるのは部屋の持ち主(区分所有者)です。部屋を借りて住む人は、工事の騒音や期間に強い関心があっても、持ち主と同じ立場で議決に加わるわけではありません (図 1) 。 大規模修繕の議案 議長 高層階 早く 直したい 年金生活 値上げに 反対 貸し主 費用を 抑えたい 借り手 議決権 なし 決まれば反対した持ち主も負担する 図 1 マンションの管理組合の総会(本教材の作例)。修繕を急ぎたい持ち主、積立金の値上げに反対の持ち主、費用を抑えたい持ち主が挙手で決めます。借りて住む人(点線の枠)は、利害があれば集会で意見を述べられますが、議決権はありません。 総会で議論し、法律と規約の定める賛成の数に達すれば修繕は決まります。どれだけの賛成が要るかは工事の内容によって違います。決まれば、反対した持ち主も負担を払います。ここには、食い違い・一つの決定・負けた側も従う、の三つがそろっています。さらに、「だれが決める側にいるのか」という線引きそのものも、政治の問いの一部であることが分かります。 この見方の源は古代ギリシアにあります。英語の「ポリティカル(政治的)」は、ギリシア語の「ポリティコス(ポリスに関わる)」に由来します [1] 。アリストテレスは、人間は言葉(ロゴス)によって有益と有害、正と不正を互いに示し合う点で「ポリス的動物」だと論じました [2] 。獣の声は快と苦を伝えるだけなのに対し、人の言葉は何が正しいかを論じ合えるというのです。本教材はここに、政治を「力の押し合い」だけでなく「理由の示し合い」として見る見方の源を読み取ります(この課の資料で原文を確かめます)。 こう考えると、政治は国家の中だけでなく、学校・会社・地域の組織にもあることになります。ただし国家の政治には特別な点があります。最後には警察や裁判といった強制力で決定を守らせることです。管理組合も、積立金を払わない持ち主に支払いを求めて訴えることはできますが、その請求を最後に強制するのは国の裁判所です。身近な組織の政治は、国家の強制力を背にして営まれているとも言えます。 ここで間違えやすい 「政治=政治家や政党の争い」と狭く捉えると、職場や地域の決め方や、「決めないこと」(ある問題を議題に上げないこと)も政治の一部であることを見落とします。逆に「人間関係はすべて政治」と広げすぎると、全員に当てはまる決定という核がぼやけます。 政治学者は政治をどう定義してきたか――配分・権威・調停・国家 政治の定義は一つに定まっていません。ここでは二十世紀の代表的な四つの定義を取り上げ、それぞれが政治のどの面に光を当てているかを比べます (表 1) 。どれが正しいかを決めるのではなく、定義ごとに見えるものと見えにくくなるものを知ることが、この節の目的です。 この表で分かること: 定義ごとに、照らすものと見落としやすいものが違う(本教材の整理) 定義した人 中心の語 政治の範囲 照らすもの 見落としやすいもの ラスウェル 誰が何を得るか あらゆる集団 分配の勝ち負け 決定の正統性 イーストン 価値の権威的配分 社会全体 決定が受け入れられる仕組み 体系の外の力 クリック 権力の分有による調停 多様な利害を認める政治体 妥協と多元性 独裁の下の権力の動き ウェーバー 国家権力への参与 国家(この講演での定義) 正統な暴力と支配 国家の外の決定 表 1 四つの定義の比べ方は本教材の整理です。定義そのものは [3] [4] [5] [6] 。 アメリカの政治学者ラスウェルは、1936 年の著書の題そのものを政治の定義にしました。政治とは「誰が何を、いつ、どのように得るか」である、というものです [3] 。この定義は、富・安全・敬意といった「得るもの」の分け方に注目します。だれが得をし、だれが損をしたかを数え上げる実証の研究に向いており、家族・企業・国家のどこにでも当てはめられます。その反面、決まった分け方がなぜ受け入れられるのか、という問いは前に出にくくなります。 イーストンは 1953 年の著書で、政治を「社会に対する価値の権威的配分」と定義しました [4] 。重心は「権威的」という語にあります。大事なものの分け方が単に起こるのではなく、従うべきものとして受け入れられる点を、政治の印と見たのです。イーストンはさらに 1965 年の著書で、社会からの要求と支持を受け取り、決定を出して返す「政治体系」として政治を描きました [4] 。この図は第 3 節で見ます。 イギリスの政治学者クリックは、1962 年の『政治の擁護』で、政治をおよそ次のように定式化しました。政治とは、一つの統治の単位の中にある異なる利害に、共同体全体の福祉と存続にとっての重要さに応じて権力の分け前を与えることで、調停する活動である、と [5] 。本教材の言葉で要約すれば、利害の違いが公然と存在することを認め、力ずくで黙らせるのではなく、権力を分け合い妥協させて治める営みです。クリックは、異なる利害の存在そのものを認めない全体主義の支配を、この意味での政治とは呼ばない立場をとったことで知られます [5] 。ここには「政治はこうあるべきだ」という規範が含まれています。 ドイツの社会学者ウェーバーは、1919 年の講演『職業としての政治』の冒頭で、銀行の政策や労働組合の政策のような広い意味の「政治」があることを認めました。そのうえで、この講演では対象を国家の政治に絞り、政治を、国家どうし、あるいは国家の中の集団のあいだで、権力に参与し、権力の配分に影響を及ぼそうとする努力と定義しました [6] 。国家は、ある領域の中で正統な物理的暴力の独占を(実効的に)要求する共同体だとされます [6] 。政治を国家に絞るのは、この講演での定義です。 四つの目で、日本の消費税を見てみましょう。消費税は 1989 年に導入され、税率は 1997 年に 5%、2014 年に 8%、2019 年に 10%(食料品などに 8% の軽減税率つき)へと上がりました。ラスウェルの目では、だれがどれだけ負担し、税収が社会保障などに使われることで、だれが何を得るかという配分の争いが見えます。イーストンの目では、反対や賛成の声(要求と支持)が国会の議決(決定)にどう変換され、次の選挙にどう返ってきたかが見えます。クリックの目では、軽減税率のような妥協が、対立する利害にどう分け前を与えたかが見えます。ウェーバーの目では、税を課し徴収する国家の権力に、政党や団体がどう影響を及ぼそうとしたかが見えます。どの立場の主張が正しかったかを、本教材は評価しません。 本課ではこれらの定義を見比べたうえで、政治を考えるための三つの核として「対立」「全員を縛る決定」「その決定が受け入れられること」を取り出します。これは本課の作業上の整理であり、四人がそろってこの三つを政治の必須条件にしたわけではありません。とくに受容は、決定があるかないかを分ける条件ではありません。恐れや無関心から黙って従っているだけでも、政治的な決定は存在します。受容は、決定が長く安定して続くかどうかを左右する度合いだと考えてください。 ここで間違えやすい 定義の違いを「だれかが間違っている」と読むのは誤りです。ラスウェルやイーストンの定義は主に事実を記述するための定義で、クリックの定義は「政治はこうあるべきだ」を含みます。問いの種類が違うのです。事実と価値の区別は、この課程の『事実と価値を分ける』の課で扱います。 対立はどうやって決定になるか――権力・権威・制度 対立が決定に変わるには、三つのものが働きます。相手を動かす力(権力)、その力が従うべきものと認められていること(権威・正統性)、そして決め方を前もって定めたルール(制度)です。三つは別々に働くのではなく、組み合わさって一つの決定を支えています。 まず権力です。権力だけで決定を守らせることもできますが、費用が高くつきます。見張りと罰を続けねばならず、力が弱まれば決定も崩れます。学級で教師が怒鳴って出し物を決めても、生徒が本気で準備しなければ劇は成り立ちません。国家でも同じで、税を払う人の多くが「払うのが筋だ」と思っていなければ、徴税にかかる費用は膨らみます。 そこで多くの政治体は、決定に従う理由、つまり正統性を求めます。ウェーバーは、支配が正統と認められる理由を三つに分けました [6] 。昔からそうしてきたという伝統、指導者の並外れた資質への帰依(カリスマ)、正しい手続きで定められた規則への信頼(合法性)です。詳しくは、この課程の『権威と正統性』の課で扱います。 制度は、決め方を前もって定めておくことで、勝ち負けを「ルールの結果」に変えます。選挙で負けた政党も、次の選挙で争えると分かっていれば、力に訴えずに結果に従えます。マンションの総