フレーゲ――言葉には意義と意味がある(意義と指示・明けの明星) — Epoché
現代 分析哲学と言語哲学 約 16 分 本文 約 6,500 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 謎・区別・文の 3 つ 謎 「a=a」は見るだけで分かるが、「a=b」は知識を広げる発見になりうる。同一性をものどうしの関係とみても、名前どうしの関係とみても、この違いは説明できない(「意義と意味について」)。 区別 言葉には、指されるもの(意味)と、その与えられ方(意義)がある。「明けの明星」と「宵の明星」は意味が同じで意義が違う。意義は一人ひとりの心の像(表象)とは違い、多くの人が共有できる。 文 文の意義は思想、意味は真理値である。「…と信じている」のような間接話法の中では、語は普段の意義を意味として持つので、同じものを指す名前に取り替えると文の真偽が変わりうる。 はじめに ゴットロープ・フレーゲは、ドイツのイェーナ大学で数学を教えた人で、生涯の仕事は、算術(数の学問)を、直観に頼らず論理だけから確かに組み立てることでした [1] 。そのために 1879 年の『概念記法』で、推論を一歩も飛ばさずに書ける記号の体系を作りました。 この仕事の中で、言葉が何をどう表すかを分けたのが、本課で読む 1892 年の論文「意義と意味について」です [1] [2] 。ここで立てられた区別は、後の言語哲学の出発点になりました。 前の編のプラグマティズムは、考えの中身をそれが生む効果で測りました。フレーゲは別の入口から、言葉が何を表すかに迫ります。等号「=」は何と何を結んでいるのか、と問うのです。 この課の問い 「明けの明星は明けの明星だ」と「明けの明星は宵の明星だ」は、どちらも金星のことです。それなのに前者は見るだけで分かり、後者は観測による発見でした。同じものを指す言葉を取り替えただけで、なぜ知識の値打ちが変わるのでしょうか。言葉が表しているのは、指しているものだけなのでしょうか。 この課のことば 意味(Bedeutung) フレーゲの用語で、言葉が指しているそのものです。「明けの明星」の意味は金星です。日常の「意味」とずれるので「指示」とも訳され、課の題の「意義と指示」の「指示」はこれのことです。本文では「意味」と書きます [1] 。 意義(Sinn) 指されるものが、その言葉でどんな仕方で与えられるか(与えられ方)です。「明けの明星」なら、明け方の東の星として、という与えられ方です [1] [2] 。 表象(Vorstellung) 言葉を聞いたとき、一人ひとりの心に浮かぶ像や感じです。人ごとに違います。多くの人が共有できる意義とは別です [2] 。 思想(Gedanke) 平叙文の意義です。真か偽かを問える中身で、考えるという心の出来事ではなく、多くの人が同じものとしてつかめます [1] [2] 。 真理値 文が真か偽か、ということです。フレーゲは文の意味を真理値としました [1] [2] 。 間接話法 「コペルニクスは…と考えた」のように、人の考えを「…と」の形で伝える言い方です。フレーゲによれば、この中では語は普段の意味でなく、普段の意義を意味として持ちます [1] [2] 。 意義と意味――同じものを指す言葉は、なぜ違うことを教えるのか フレーゲの論文は、等しいとはどういうことか、という問いから始まります。この章では、①同一性の文の謎、②意義と意味の区別、③文と「…と信じている」への広がり、の順に読みます。 同一性の謎――「a=a」と「a=b」はなぜ違うのか 二つの文を比べてみましょう。「マーク・トウェインはマーク・トウェインである」は、見るだけで真と分かります。「マーク・トウェインはサミュエル・クレメンズである」は、筆名と本名を調べないと分かりません [1] 。数でも同じで、「117+136=117+136」は一目で分かりますが、「117+136=253」には計算という仕事が要ります [1] 。 フレーゲは論文の冒頭でこの違いをこう述べます。「a=a」は経験に先立って(アプリオリに)成り立ち、カントの言い方では分析的な文です。これに対し「a=b」の形の文は、しばしば知識を大きく広げ、いつもアプリオリに根拠づけられるわけではありません。毎朝新しい太陽が昇るのではなく、いつも同じ太陽が昇ると分かったことは、天文学で最も実りある発見の一つだった、とフレーゲは言います [2] 。 明け方・東の空 金星 明けの明星だ 東を向いて指さす人 夕方・西の空 金星 宵の明星だ 西を向いて指さす人 図 1 明けの明星と宵の明星(本教材の絵)。一つ目の絵は明け方に東の空を、二つ目の絵は夕方に西の空を指さす人です。どちらの星も同じ金星で、意味は同じ、与えられ方(意義)は違います。名前の例はフレーゲ本人のもの、景色と人物は本教材の描き方です。 では、等号は何と何を結んでいるのでしょうか。一つ目の案は、ものとものとの関係とみることです。しかし「a=b」が真なら、a と b は同じ一つのものなので、それは「a=a」と同じことを言っていることになり、知識の値打ちの違いが説明できません [1] [2] 。二つ目の案は、名前と名前の関係とみることで、フレーゲは『概念記法』で自分がこの案を採っていたと書いています [2] 。しかし、どの記号を何の名前にするかは勝手に決められます。それなら「a=b」は、事柄そのものでなく私たちの名前の付け方を言うだけになり、本当の知識を表していないことになります [2] 。 出口は、記号の違いが、指されるものの「与えられ方」の違いに対応する所にある、とフレーゲは言います [2] 。明けの明星と宵の明星が同じだと分かったのは、言葉を調べたからでなく、空を見続けたからでした (図 1) 。 ここで間違えやすい 「a=b」の知識を、辞書を引けば分かる言葉の取り決めと取らないようにしましょう。フレーゲは、名前どうしの関係とみる案を、まさにその理由で退けました。また「a=b」は、二つのものが一つに合わさると言うのでもありません。もともと一つのものを、二つの仕方で示しているのです [1] 。 意義と意味――指されるものと、その与えられ方 フレーゲの答えは、記号には二つの層がある、というものです。一つは記号が指すもの、すなわち記号の「意味」です。もう一つは、そのものがどう与えられるかを含む、記号の「意義」です [1] [2] 。「明けの明星」と「宵の明星」は、同じ金星を指すので意味は同じですが、明け方の東の星として、夕方の西の星として示すので、意義は違います。だから「明けの明星は宵の明星である」は知識を広げる文になるのです。この区別が論文の中で初めて名前を与えられる箇所を、原典を読むで訳します。 意義は、言葉を聞いて心に浮かぶ像(表象)とは違います。フレーゲの例では、画家と騎手と動物学者は、アレクサンドロス大王の愛馬「ブケファロス」という名から、おそらくずいぶん違う像を思い浮かべます [2] 。表象は人ごとに違いますが、意義は多くの人の共有の財産でありうる、とフレーゲは言います [2] 。 この三つを分けるために、フレーゲは月を望遠鏡で見るたとえを出しました (図 2) 。月そのものが意味にあたります。望遠鏡の中で対物レンズが結ぶ像は、見る位置に左右されますが、それでも客観的で、何人もの観察者が順に使えます。これが意義です。一人ひとりの目の網膜に映る像は、人ごとに違います。これが表象です [2] 。 月と望遠鏡のたとえ 月そのもの=意味 筒の中の像=意義 何人もが順に使える 網膜の像=表象(人ごとに違う) ≠ 待つ人・のぞく人 図 2 月と望遠鏡のたとえ(たとえはフレーゲ本人のもの、二人の観察者と拡大した目は本教材の描き方)。月そのものが意味、筒の中の像が意義、一人ひとりの網膜の像が表象にあたります。筒の中の像は二人とも順に見られますが、網膜の像は人ごとに違います。 また、意義があっても意味があるとは限りません。「オデュッセウス」という名は、叙事詩の英雄として理解できるので意義を持ちますが、そういう人が本当にいたかは疑わしく、意味を持つかは分かりません [2] 。「ペガサス」のような名も同じです [1] 。 ここで間違えやすい 意義を、言葉を聞いて浮かぶイメージと取らないようにしましょう。フレーゲは、心の中の表象と意義をはっきり分けました。また、フレーゲの「意味」を日常の「言葉の意味」と取らないことです。それは言葉が指すものそのもので、英語の研究書でも reference・denotation などと訳が分かれます [1] 。 文の意義と意味――思想と真理値、「…と信じている」の中 フレーゲは同じ区別を文全体に当てます。平叙文が言い表している中身を「思想」と呼び、これは文の意味でなく意義だとします [1] [2] 。たとえば「明けの明星は太陽に照らされた天体である」と「宵の明星は太陽に照らされた天体である」は、同じ意味の語を取り替えただけですが、二つが同じ星だと知らない人は、一方を真、他方を偽と考えるかもしれません。だから二つの文の思想は違います [2] 。 では文の意味は何でしょうか。「オデュッセウスは深く眠ったままイタケーの浜に下ろされた」は思想を持ちますが、名前に意味があるか疑わしいので、文が真か偽かも決まりません。叙事詩を味わうには意義で足りますが、真偽を問うとき、私たちは名前の意味を気にかけます [2] 。こうしてフレーゲは、文の意味を真理値、すなわち真か偽かとしました (表 1) 。真の文はみな「真」を意味しますが、言い表す思想はそれぞれ違います [1] [2] 。 この表で分かること: 名前も文も、意義と意味を持ちます。意義があっても意味が無いことがあり、「…と信じている」の中では、普段の意義が意味の役を務めます。 表現 意義 意味 「明けの明星」 明け方、東の空に輝く星として 金星 「宵の明星」 夕方、西の空に輝く星として 金星(同じ) 「オデュッセウス」 叙事詩の英雄として あるか疑わしい 「明けの明星は宵の明星である」 思想:二つの星が一つである 真理値:真 「…と信じている」の中の名前 普段の意義を与える仕方(間接の意義) 普段の意義(間接の意味) 表 1 表現ごとの意義と意味。区別はフレーゲ「意義と意味について」によります [2] 。最後の行の間接の意義と間接の意味の区別は S. 28 によります。 最後に「…と」の中です。人の言葉や考えを伝える間接話法の中では、語は普段の意味でなく、普段の意義を意味として持つ、とフレーゲは言います(S. 28) [2] 。「コペルニクスは、惑星の軌道は円であると考えた」の全体の真偽は、「…と」の中の文が真か偽かに左右されません。そこで意味されているのは、真理値でなく思想だからです [2] 。 名前 文 記号:「明けの 明星」 記号:「明けの 明星は宵の 明星である」 意義:明け方の東の 星という与えられ方 意義:思想(真偽を 問える中身) 意味:金星そのもの 意味:真理値(この 文では真) 意味が疑わしい例: 「オデュッセウス」 その名前を含む 文:真偽が 決まらない 心に浮かぶ像(表象)は、意義とも意味とも違います。 図 3 名前と文の、意義と意味(区別はフレーゲ本人のもの、例の選び方は本教材)。左は名前、右は文で、どちらも意義を通して意味へ向かいます。意義だけあって意味の無いこともあります。 後の研究者はここから「信念の謎」を整理しました。「ジョンは、マーク・トウェインが『ハックルベリー・フィンの冒険』を書いたと信じている」が真でも、名前をクレメンズに取り替えた文は偽でありうる、というものです [1] 。フレーゲ本人がこの形で述べたわけではありませんが、彼の区別では、二つの名前は「…と」の中で違う意義を指しているので、取り替えて真偽が変わるのは当然です (図 3) [1] 。 ここで間違えやすい 「文の意味が真理値なら、真の文はみな同じことを言っている」と取らないようにしましょう。同じ真理値を意味していても、言い表す思想(意義)はそれぞれ違います。また思想は、頭の中で考えるという出来事ではなく、多くの人がつかめる客観的な中身です [1] [2] 。 原典を読む 意義と意味の区別に名前が与えられる箇所を、ドイツ語から本教材が訳しました。 フレーゲ「意義と意味について」(1892) 同じ点、同じ星――意味は同じで、意義は違う 直前でフレーゲは、記号の違いが知識を生むのは「与えられ方」が違うときだけだ、と述べます。 1 a、b、c を、三角形の各頂点と向かい合う辺の中点とを結ぶ直線としよう。 2 すると、a と b の交点は、b と c の交点と同じものである。 3 つまり私たちは、同じ点に対して異なる呼び方を持っており、これらの名前(「a と b の交点」「b と c の交点」)は、同時に点の与えられ方をも指し示している。だからこそ、この文には本当の知識が含まれているのである。 4 そこで、こう考えるのが自然である。記号(名前、語の結びつき、文字)には、それが指すもの――これを記号の意味と呼ぶことにしよう――のほかに、私が記号の意義と呼びたいものも結びついており、与えられ方はこの意義のうちに含まれている、と。 5 これに従えば、私たちの例では、「a と b の交点」と「b と c の交点」という表現の意味は同じだが、意義は同じでないことになるだろう。 6 「宵の明星」と「明けの明星」の意味は同じだが、意義は同じでないことになるだろう。 Es seien a, b, c die Geraden, welche die Ecken eines Dreiecks mit den Mitten der Gegenseiten verbinden. Der Schnittpunkt von a und b ist dann derselbe wie der Schnittpunkt von b und c. Wir haben also verschiedene Bezeichnungen für denselben Punkt, und diese Namen (Schnittpunkt von a und b, Schnittpunkt von b und c ) deuten zugleich auf die Art de