6.23 魯迅『秋夜』 — Epoché
この篇でできるようになること 二本の木を一本ずつ言う書き出しの効果を説明できます。 空や木が人のようにふるまう箇所を見つけ、動詞を取り出せます。 物を人のように書く短い文を作り、書き言葉の受け身も読めます。 前提 :6.22「魯迅『一件小事』」。本文の文書を開き、庭から空へ、そして部屋の灯りへ移る視線を追います。 一本ずつ見る書き出し 在我的后园,可以看见墙外有两株树,一株是枣树,还有一株也是枣树。 二本のなつめの木と言うだけなら、 两株枣树 でまとまります。本文は、一本はなつめの木、もう一本もなつめの木、と同じ名前を二度言います。情報を早く伝えることよりも、読む人を立ち止まらせ、一本ずつ見させることに重きを置いた書き出しです。 二本の違いを説明するのでもありません。違いがないのに二度見るため、庭を見つめる時間が生まれます。このあとも、何かが起きたという筋だけを追うのではありません。見えている物とその変化も追って読みます。 訳で「二本のなつめの木がある」とだけまとめると、一本ずつ見る間が消えます。「一本はなつめの木、もう一本もなつめの木」と、分けた形を残します。 語釈 物の名前だけでなく、縮こまる、伸びをする、きまり悪がるといった動きの語を確かめます。空の目をしばたたかせる箇所には珍しい字形( 𥅴 、読みは zhǎ。今の 眨 と同じ語)がありますが、ここでは前後の星や目の描写と結んで読めば、視線の動きを追えます。 語 品詞 意味 読み方の注意 例文 訳 后园 名詞 裏庭 見る位置 在我的后园 私の裏庭では 株 量詞 樹木を数える語 本に当たる 可以看见墙外有两株树 塀の外に二本の木が見える 枣树 名詞 なつめの木 二本の木 一株是枣树 一本はなつめの木だ 生平 名詞 これまでの生涯 経験の範囲 我的生平 私のこれまでの生涯 仿佛 副詞 まるで〜のようだ 断定ではない 他仿佛要离开人间而去 彼はまるで人の世を離れて去ろうとしているかのようだ 人间 名詞 人の世 日本語の人間一人ではない 仿佛想离去人间 まるで人の世を去りたいかのようだ 仰面 動詞 顔を上げる 上を見る姿勢 使人们仰面不再看见。 人々が顔を上げても、もう見えないようにする。 冷眼 名詞 冷たい目 空の目 冷眼看 冷たい目で見る 口角 名詞 口の端 ここでは口論ではない 他的口角上现出微笑 彼の口の端に微笑が浮かぶ 自以为 動詞 自分では〜と思い込む 空の見せる態度 似乎自以为大有深意 自分では深い意味があると思い込んでいるようだ 深意 名詞 深い意味 微笑の意味 似乎自以为大有深意 自分では深い意味があると思い込んでいるようだ 繁霜 名詞 多く降りる霜 花草に降る 而将繁霜洒在我的园里的野花草上。 そして私の庭の野の草花にたっぷりと霜をまく。 洒 動詞 まき散らす 霜をまく 而将繁霜洒在我的园里的野花草上。 そして私の庭の野の草花にたっぷりと霜をまく。 瑟缩 動詞 縮こまる 寒さの中の花 仍然瑟缩着。 今も縮こまっている。 花瓣 名詞 花びら 涙を受ける 花瓣落了 花びらが落ちた 胡蝶 名詞 蝶 本文の字形 胡蝶乱飞 蝶が飛び交う 春词 名詞 春の歌 蜜蜂の歌 蜜蜂都唱起春词来了。 蜜蜂たちがみな春の歌を歌い始めた。 红惨惨 形容詞 痛ましいほど赤い 凍えた色 虽然颜色冻得红惨惨地 色は凍えて痛ましいほど赤くなっているけれど 落尽 動詞 すっかり落ちる 葉が残らない結果 连叶子也落尽了。 葉までもすっかり落ちてしまった。 打剩 動詞 たたき落とした残り 木に残った実 打剩的枣 たたき落とした残りのなつめ 干子 名詞 幹 葉と実のない姿 单剩干子 幹だけが残る 弧形 名詞 弓なりの形 枝の曲がり 青葱地弯成弧形了。 青々と弓なりに曲がった。 欠伸 動詞 あくびをして伸びをする 木を人のように描く 欠伸得很舒服。 気持ちよさそうにあくびをして伸びをした。 低亚 動詞 低く垂れる 枝の姿 有几枝还低亚着 何本かの枝はまだ低く垂れている 护定 動詞 しっかり守る 傷をかばう 护定他从打枣的竿梢所得的皮伤 なつめを打つ竿の先で受けた皮の傷をしっかり守って 竿梢 名詞 竿の先 実を落とす道具 护定他从打枣的竿梢所得的皮伤 なつめを打つ竿の先で受けた皮の傷をしっかり守って 皮伤 名詞 皮の傷 木の傷 护定他从打枣的竿梢所得的皮伤 なつめを打つ竿の先で受けた皮の傷をしっかり守って 直刺 動詞 まっすぐ突き刺す 枝が向かう方向 直刺着天空中圆满的月亮 空のまんまるな月をまっすぐ突き刺している 窘 形容詞 きまりが悪い 月の様子 使月亮窘得发白。 月はきまり悪さに白くなった。 越加 副詞 ますます 比較の型とは分ける 鬼𥅴眼的天空越加非常之蓝 怪しくまばたく空はますます青くなる 一无所有 動詞句 何一つ持たない 葉も実もない幹 一无所有 何一つ持たない 一意 副詞 ひたすら 意志を一つに向ける 一意要制他的死命 ひたすら空の息の根を止めようとする 制 動詞 押さえつける 相手を制する 一意要制他的死命 ひたすら空の息の根を止めようとする 死命 名詞 命・急所 命を制しようとする 一意要制他的死命 ひたすら空の息の根を止めようとする 蛊惑 動詞 惑わす 空の目の働き 不管他各式各样地𥅴着许多蛊惑的眼睛。 空がさまざまに惑わす目をいくつまたたかせても構わずに。 夜游 動詞 夜に動き回る 鳥の動き 夜游的恶鸟飞过了。 夜に飛び回る不吉な鳥が飛び過ぎた。 吃吃 擬音語 くっくっと 小さな笑い声 吃吃地 くっくっと 惊动 動詞 驚かせる 眠る人を起こすこと 似乎不愿意惊动睡着的人 眠っている人を驚かせたくないかのようだ 应和 動詞 調子を合わせる 笑いに応じる 然而四围的空气都应和着笑。 けれども周りの空気もみな笑いに調子を合わせた。 驱逐 動詞 追い払う 笑い声による動き 我也即刻被这笑声所驱逐 私もすぐにこの笑い声に追い払われた 旋高 動詞 回して高くする 灯火を調節する 灯火的带子也即刻被我旋高了。 ランプの芯もすぐ私が回して高くした。 丁丁 擬音語 かちかちと 虫のぶつかる音 后窗的玻璃上丁丁地响 裏窓のガラスがかちかちと鳴る 灯罩 名詞 ランプの覆い ガラスや紙の覆い 又在玻璃的灯罩上撞得丁丁地响。 またガラスのランプの覆いにぶつかってかちかちと鳴った。 喘气 動詞 息を切らす 紙の上の虫 两三个却休息在灯的纸罩上喘气。 二、三匹はランプの紙の覆いで休んで息を切らしている。 叠痕 名詞 折り目 紙の波形 折出波浪纹的叠痕 波模様の折り目をつける 猩红 形容詞 鮮紅の・真っ赤な 描かれた花の色 猩红的栀子开花时 真っ赤なくちなしが咲くとき 栀子 名詞 くちなし 紙に描かれた花 猩红的栀子开花时 真っ赤なくちなしが咲くとき 青葱 形容詞 青々と茂る 木の姿 青葱地弯成弧形了。 青々と弓なりに曲がった。 心绪 名詞 思い・心の動き 断ち切るもの 我赶紧砍断我的心绪 私は急いで思いを断ち切った 苍翠 形容詞 青々とした 小虫の色 遍身的颜色苍翠得可爱 全身の色が青々として愛らしい 呵欠 名詞 あくび 語り手の動作 我打一个呵欠 私はあくびを一つする 敬奠 動詞 敬って供え祭る 虫への態度 敬奠英雄 英雄たちを敬って祭る 精致 形容詞 こまやかで精巧な 小虫の姿 很精致 とても精巧だ 鸟 名詞 鳥 夜に飛ぶ不吉な鳥 夜游的恶鸟飞过了。 夜に飛び回る不吉な鳥が飛び過ぎた。 睡着 動詞 眠っている・寝入る 夜半の笑い声が驚かせたくない人 似乎不愿意惊动睡着的人 眠っている人を驚かせたくないかのようだ 别的 代名詞 ほかの 夜半にほかの人はいない 没有别的人 ほかに人はいない 可爱 形容詞 かわいい・いとしい 小さな青い虫の色 遍身的颜色苍翠得可爱 全身の色が青々として愛らしい 段落ごとの対訳 本文の各段と照らし合わせます。空や木を人のように呼ぶ調子は残し、比喩だという断りは訳にも付けません。 第一段 裏庭からは、塀の外に二本の木が見える。一本はなつめの木、もう一本もなつめの木である。 第二段 その上にある夜空は、奇妙で高い。こんなに奇妙で高い空を、これまで見たことがない。まるで人の世を離れ、顔を上げてももう見えなくしようとしているようだ。それなのに今はひどく青く、幾十もの星の目を、冷たい目をきらきらしばたたかせている。口の端には微笑が浮かび、さも深い意味があると思い込んでいるように、裏庭の野の花や草へたくさんの霜をまき散らす。 第三段 その花や草の本当の名も、人が何と呼ぶかも知らない。ひどく小さな薄紅の花をつけるものがあり、今も咲いているが、いっそう小さくなっているのを覚えている。冷たい夜気の中で縮こまり、春の訪れや秋の訪れを夢に見る。やせた詩人が最後の花びらに涙をぬぐい、秋が来ても冬が来ても、そのあとにはまた春があり、蝶が飛び交い、蜜蜂が春の歌を歌うと告げる夢を見る。そこで花はほほえむ。凍えて痛ましいほど赤くなり、なお縮こまりながら。 第四段 なつめの木は、すっかり葉を落としていた。以前は子供が一人二人来て、ほかの人がたたき残した実を落としていたが、今は一つも残らず、葉まで落ち尽くした。木は小さな薄紅の花の夢を知っている。秋のあとには春が来る。落ち葉の夢も知っている。春のあとにはまた秋が来る。葉を落とし切って幹だけになり、かつて実や葉をいっぱいにつけていたころの弓なりの形を脱ぎ、気持ちよさそうにあくびをして伸びをしている。だが低く垂れた枝は、実を落とす竿の先でついた皮の傷をかばっている。最もまっすぐで長い枝は、鉄のように黙って奇妙で高い空を突き刺し、空の目をきらきらしばたたかせる。まん丸の月も突き刺し、月をきまり悪さで青ざめさせる。 第五段 目をしばたたかせる空はいっそう青くなり、不安になった。まるで人の世を離れ、なつめの木を避け、月だけを残していこうとするようだ。だが月もひそかに東へ隠れてしまった。何も持たない幹だけが、なお黙って鉄のように奇妙で高い空を突き刺し、ひたすらその命を制しようとしている。空がさまざまな惑わす目をしばたたかせても、構わずに。 第六段 わあ、という一声を残して、夜に動く不吉な鳥が飛んでいった。 第七段 ふと夜半の笑い声が聞こえた。くっくっと、眠る人を驚かせたくないようだったが、周囲の空気はみな調子を合わせて笑っていた。夜半にほかの人はいない。その声が自分の口から出ているとすぐに分かり、その笑い声に追い払われるように自分の部屋へ戻った。灯火も、すぐにつまみを回して高くした。 第八段 裏の窓のガラスがかちかち鳴り、たくさんの小さな飛ぶ虫がむやみにぶつかっている。ほどなく数匹が入ってきた。窓紙の破れから入ったのだろう。入ると、今度はガラスのランプの覆いにかちかちとぶつかる。一匹は上から中へ飛び込み、火に出会った。その火は本物だと思った。二、三匹は紙の覆いの上で休み、息を切らしていた。覆いは昨晩替えたばかりで、真っ白な紙に波形の折り目があり、隅には鮮やかな赤いくちなしが一枝描かれていた。 第九段 赤いくちなしが花を開くころ、なつめの木もまた、小さな薄紅の花の夢を見て、青々と弓なりに曲がるのだろう。……また夜半の笑い声が聞こえた。急いで思いを断ち切り、白い紙の上にじっとしている小さな青い虫を見る。頭が大きく尾が小さく、ひまわりの種に似て、麦粒の半分ほどしかない。全身の青々とした色が、かわいく、いとしい。 第十段 あくびを一つし、紙巻きたばこに火をつけ、煙を吐き、灯りに向かって黙ったまま、この青々とした、こまやかな英雄たちに敬意をささげた。 日付 一九二四年九月十五日。 物の動きと、向かい合う二者 空には口があり、花には夢があり、木には知っていることがあります。人に使う動詞が、そのまま物に使われています。書き手が「人のようだ」と説明する前に、読む人は空の微笑や花の夢を見せられます。 本文の部分 何がどうするか 他的口角上现出微笑 空が口の端に微笑を浮かべる 她在冷的夜气中,瑟缩地做梦 小さな花が縮こまって夢を見る 欠伸得很舒服 なつめの木が心地よく伸びをする 使月亮窘得发白 枝が月をきまり悪さで青ざめさせる 高い空は、冷たい目を向け、霜を降らせます。なつめの木は葉も実も失っていますが、その枝は鉄のように空を突き刺します。多くを持つ強さではなく、何も持たないものの強さとして読んでみます。そう読むと、空が不安になり月が隠れる動きがつながります。 ただし木には傷もあります。低い枝は傷をかばい、長い枝は空へ向かいます。勇ましい一面だけにまとめず、同じ木に傷と抵抗がともにあることを残して読みましょう。 この課で使う型 使人们仰面不再看见 は、空が人の世を離れ、人々が顔を上げてももう見えなくなるようにするという形です。 使 の後ろの人は、その働きかけを受ける相手です。同時に、後ろの動作をする人でもあります。この二つの役割をつなぐ形が兼語文です。 将繁霜洒在我的园里的野花草上 の 将 は、書き言葉の 把 に対応します。何をどうするかを、霜という対象を先に出して述べています。 直刺着 は突き刺している様子、 进来 は中へ入ってくる方向です。 我生平没有见过这样的奇怪而高的天空 では、 没有见过 が、これまで見た経験がないことを表します。 越加 は「ますます」という語です。二つの変化を結ぶ型そのものとしては扱いません。 被这笑声所驱逐 の 所 を「ところ」と訳しません。 被…所 に動詞が続く、書き言葉の受け身です。「この笑い声に追い払われる」と読み、誰が何によって動かされたかを取ります。 小さな英雄たちへ 後半で視線は空から部屋の灯りへ戻ります。虫はガラスにぶつかり、一匹は火の中へ入り、二、三匹は紙の上で休みます。すべての虫が焼かれたとまとめると、本文にある違いが消えてしまいます。 苍翠精致的英雄们 は、青々としてこまやかな英雄たち、という呼び名です。麦粒よりも小さい虫に、大きな英雄という語を当てています。最初は一本ずつ木を見て、最後は小虫の頭や尾を見る。その小ささを丁寧に見た後だからこそ、結びの呼び名が強く響きます。 語表には、本文からの抜き出しと、意味を確かめる短い補助語句を併記しています。 花瓣落了・冷眼看 などは補助語句で、本文の引用ではありません。 練習 两株枣树 とまとめる場合と、本文の一本ずつ言う場合を比べ、読む速さと視線