8.183 委員会に出るのは、何のためか — 消去法で定義する — Epoché
この篇でできるようになること ★ 消去法で定義する 運びが読める。 ★ 足し算ではない という主張の中身が分かる。 ★ 黙っていることの重さ が見える。 ★ 短い文で畳みかける 文体が追える。 前提 : 8.182 まで。 読む前に ★ この篇は、 読 G でいちばん読みやすい です。★ 一文が短く、 話し言葉に近い からです。 ★ ただし、 言っていることは易しくありません 。 ★ 先に問いを置きます ——★ 「会議で意見が割れたとき、 どうするのが正しいか 」。 どうするか この篇の判定 ★ 多数決で決める ★ 違う ★ 間を取って妥協する ★ 違う ★ どちらにも無かった案を作る ★ これ ★ いちばん下が できるのかどうか ——それがこの篇の主題 です。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1363 語、文は 70 本、一文の平均は 19.5 語、いちばん長い一文は 66 語です。 ★ 一文の平均が 19.5 語 ——★ 8.181 読編 より ずっと短い です。 ★ group の語が 20 回 出ます。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 さっそく、集団の過程について考え始めましょう。集団の考えが生まれ育っていく例として最もなじみ深いのは、おそらく委員会の会議でしょう。委員会の会議の目的は、何よりもまず、共通の考えを作り出すことです。私が委員会の会議に行くのは、ただ自分の考えを伝えるためではありません。それだけのことなら、ほかの委員たちに手紙を書けばよいでしょう。けれども、ほかの人たちの考えを知るために行くのでもありません。それだけのことなら、一人ひとりに手紙を書いてくれるよう頼めばよいでしょう。私が委員会の会議に行くのは、みんなでいっしょに集団の考えを作り出すためです。それは、私たちの誰か一人の考えよりもよい考えであり、さらに、私たちみんなの考えを足し合わせたものよりもよい考えです。というのも、この集団の考えは、足し算のような過程によってではなく、私たちみんなが互いに入り込み合うことによって生み出されるからです。結果として生まれる考えが形をとっていく、この微妙な心のはたらきの過程こそ、私たちが調べたい過程なのです。 あなたと私と、A と B と C とが協議しているところを思い浮かべてみましょう。さて、集団を観察してきたことからすると、何が起こるでしょうか。あなたが何かを言い、それに私が少し何かを付け足し、次に A が、B が、C が付け足して、ついにはみんなで、れんがを積むように一つの考えを組み上げ、何かの行動の計画を組み立てる、とあなたは言うでしょうか。決してそうはなりません。A にはある考えがあり、B には別の考えがあり、C の考えはそのどちらとも違うものであり、といった具合ですが、これらの考えをすべて足し合わせて集団の考えを見つけることはできません。りんごと椅子を足し合わせることができないのと同じく、考えも足し合わせることはできません。けれども私たちは、自分たちの問題が、機械的な寄り集めによってではもちろんなく、集団のさまざまな考えすべてが混ざり合う微妙な過程によって解けることに、だんだんと気づいていきます。A が何かを言います。すると B の心に、ある考えが浮かびます。それは B の考えでしょうか、それとも A の考えでしょうか。どちらでもありません。それは二つが混ざり合ったものです。A の考えは、B に示されて A に戻ってきたあとでは、もとのものから少し、あるいは大きく変わっていることに私たちは気づきます。同じように、それは C からも影響を受け、さらに先へと続きます。しかし同じように、B の考えもほかのみんなから影響を受けています。そして、A の考えがほかの一人ひとりから変える力を受けるだけでなく、A の考えは、B がほかのみんなとどう関わっているかからも影響を受け、A の考えと B の考えを合わせたものは、ほかのみんなから個々にも全体としても影響を受け、そうしてどこまでも続いて、ついに共通の考えが生まれ出るのです。 最後に私たちが気づくのは、問題は私の考えをあなたの考えで補うことではなく、一つの合成された考えが生み出された、ということです。しかし、この地点にたどり着くころには、私たちはとてつもなく文明の進んだ人間になっています。人生で最も大切な教えの一つを学んだからです。私たちは、あの最もすばらしいこと、つまり、ばらばらの自分の一人を表す「私」ではなく、一つの全体を表す「私」と言うことを学んだのです。決まった行動の方針は、私たちみんながいっしょに望んでいるものであり、私はそれが、自分ひとりで望んでいたものよりもよいと分かります。それがいま私の望むものです。私たちはみな、委員会の会議や協議の場でこれを経験したことがあります。 ですから私たちは、集団の心の中身を、祝日の行列のように、一つの部分のあとに別の部分が心の目の前を通り過ぎていくものとして見ることはできないと分かります。どの部分もほかのどの部分とも結びついており、どの傾きもほかのどの傾きによって条件づけられています。それはテニスの試合のようなものです。A が B にボールをサーブします。B はサーブを打ち返しますが、その打ち方は、自分自身の返し方によるのと同じくらい大きく、ボールが自分にどうサーブされたかによって左右されています。A はボールを B に打ち返しますが、その返球は、A 自身の打ち方に、B から自分にボールがどう打たれてきたかが加わり、さらに A 自身の最初のサーブが加わってできています。こうして最後には、作用と反作用とが、ほどきようもなく結びつくのです。 私は集団の過程を手短に述べました。集団の考えが生み出されるためには、個人に何が求められるのかを考えてみましょう。まっ先に、一人ひとりが自分の役目を果たすことです。けれども、ちょうどここで、私たちはいくつかのかなり古びた考えを捨てなければなりません。個人は、礼儀正しく(!)自分の見方を引っ込めることで、合意をたやすくしてはなりません。それはただの責任逃れの一つのやり方です。また私は、「ほかの人たちのほうが私よりうまく計画を立てられる」と言ってもいけません。そのような態度は、怠けか、思い違いかのどちらかの結果です。協議の場には、私ひとりよりも賢い計画を立てられる人がおそらくたくさんいるでしょう。しかし、それは要点ではありません。私たちは、一人ひとりが何かを差し出すために集まったのです。私は自分を下に置いてはなりません。自分を押し出し、自分が持つ積極的な値打ちをすべて、その会議に差し出さなければならないのです。 そして、集団の心のまとまりは、すべての成員が十分に寄与することによってしか得られないのですから、妥協しようという心がまえは、個人の態度の一部であってはならないことが分かります。人がいっしょに働くことの土台は妥協や譲歩だと考えているかぎり、その人はいっしょに働くことの基本の原理を理解していません。そういう人たちは、妥協が必要だと分かるところまで来たとき、社会的な成長の高い段階に達したと考えます。自分のことを、力を合わせた行動の疑いのない益を手にするために、自分の望みの一部を、考えの一部を、意志の一部を、気高くも進んで犠牲にする者だと思っているのです。しかし妥協は、いまだに争いと同じ段階にあります。戦争は、資本と労働のあいだでも、国と国のあいだでも、私たちが妥協と譲歩という考えを捨てるまで続くでしょう。 しかし、自分が差し出すべきものを十分に差し出すと同時に、私たちは、ほかのみんなが差し出すべきものを熱心に求めなければなりません。他人の意見を受け入れるために自分の考えを捨てなければならないと感じながら集団に行くべきでないとすれば、自分の考えを他人に押しつけるために行くべきでもありません。一人の人の支配から生まれる「調和」は、私たちの望む種類のものではありません。ある取締役会で、かつて E・H・ハリマン氏はこう言いました。「諸君、協力が必要だ。私はそれを強く求める」。取締役たちは「協力し」、彼の動議はすべて通りました。会議の終わりに、ある人がハリマン氏に、協力とは何かを定義してほしいと頼みました。「ああ、簡単なことだ」と彼は言いました。「私の言うとおりにして、それをとっとと急いでやることだ」。 自分の考えを他人に押しつけることを自分の務めだと思って、まじめに集団に行く人はたくさんいます。しかし、まもなく私たちが気づく時が来ようとしています。人を説き伏せることによって自分の思いどおりにする権利は、脅したり買収したりすることによって思いどおりにする権利と同じく、私たちには無いのだということに。総合の中で自分の分を十分に担うこと、それだけが正当なことなのです。 ですから、多数の考えは集団の考えではありません。私が、A、B、C、D と私自身の五人からなる委員会に属しているとしましょう。委員としての務めについての古い理論に従えば、私はこう言うかもしれません。「A は私に賛成している。B を賛成させることができれば、それで多数になり、私の主張を通せる」。つまり、私たち五人は、この考えを自分たちの集団の考えとして世の中に示せる、というわけです。しかし、それは集団の考えではありません。そのときに手に入る最善の代わりではあるかもしれませんが。本当の集団の考えには、一人ひとりが、自分の中にある寄与すべきものを寄与しなければなりません。ですから、五人の集団が満場一致で票決したとしても、二人か三人が(あるいは一人でも)、無関心や怠けや偏見や、閉じこもりや、自分の役目についての思い違いから、集団の考えを作り出すことに自分の考えを加えていなかったなら、それは集団の考えが在ることの証明にはなりません。何かを作り出すべき集団の成員は、誰ひとり受け身でいることはできません。全員が能動的に、しかも組み立てる形で能動的にならなければならないのです。 語釈 帯の外の語は 33 語です。★ 読 G でいちばん少ない ほうです。★ interpenetration (互いに入り込み合うこと)・ coherence (まとまり)・ reciprocally (互いに)が要 です。 語(品詞) 意味 注 B’s en 名 B の( A ・ B ・ C と人を並べた二人目) C’s en 名 C の。A・B・C と人を並べた三人目 Oh en 間 ああ Oh, I completely forgot to bring the tickets for tonight's concert! ああ、今夜のコンサートの切符を持ってくるのをすっかり忘れていました。 aggregation en 名 寄り集まり The report described the crowd as a loose aggregation of strangers. その報告書は、その群衆を見知らぬ人々の緩やかな寄り集まりだと述べていました。 antiquated en 形 古びた The factory still used antiquated machines from the early last century. その工場は、前世紀初めの古びた機械を今も使っていました。 civilized en 形 文明の進んだ They discussed what it truly means to live in a civilized society. 彼らは、文明の進んだ社会に生きるとは本当は何を意味するのかを議論しました。 coherence en 名 まとまり、結びつき The essay lacked coherence and jumped between unrelated ideas repeatedly. その小論文はまとまりを欠き、関係のない考えの間を何度も飛び移りました。 conscientiously en 副 まじめに、律儀に She conscientiously checked every figure in the report twice before submitting it. 彼女は提出する前に、その報告書のあらゆる数字をまじめに二度確認しました。 constructively en 副 組み立てる形で、建設的に The committee tried to respond constructively rather than simply criticizing the plan. 委員会は単に計画を批判するのではなく、建設的に応じようとしました。 courteously en 副 礼儀正しく The waiter courteously explained every dish before the guests ordered. そのウェイターは、客が注文する前にすべての料理を礼儀正しく説明しました。 coöperated en 動 力を合わせた( cooperate の古い綴り) coöperation en 名 協働( cooperation の古い綴り) foremost en 形 まっ先の Safety remained the foremost concern during the entire construction project. 安全は、その建設計画全体を通してまっ先の関心事であり続けました。 harmony en 名 調和・和合 The choir finally sang the final harmony perfectly in tune together. 合唱団はついに、最後の和音を息を合わせて完璧に歌いました。 harriman en 名 ハリマン。鉄道経営者の姓( Harriman ) inextricably en 副 ほどけないほどに Their two families' histories became inextricably linked after that fateful marriage. その運命的な結婚のあと、その二つの家族の歴史はほどけないほどに結びつきました。 intermingling en 名