ゲティア――正当化された真なる信念は知識とは限らない(ゲティア問題) — Epoché
現代 科学哲学と認識論 約 17 分 本文 約 7,100 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 三条件・反例・修理の 3 つ 三条件 知識とは、本当で、信じていて、正当化された信念である、という分析(JTB)。本当でないことは知られず、信じていないことは知らず、たまたま当たった当て推量は知識でない。ただし、この「伝統の分析」が広く受け入れられていたというのは、主に 20 世紀の批判者が描いた便利な作り話でもある、と SEP は注意する。 反例 ゲティアは 1963 年の短い論文で、正当化された偽の信念から正しく推論して、たまたま本当になった信念の事例を二つ挙げ、三条件はそろうのに知識ではない、と論じた。SEP によれば、似た例は 8 世紀のダルモーッタラやラッセルにもあったが、この論文以後「ゲティア事例」と呼ばれる。 修理 「偽の前提から推論していない」を第四の条件に足す案は、ゲティアの二つの事例は外せる。けれども、推論を経ずに知覚で信じる事例(ロボットの犬、偽の納屋の郡)で、正当化された真なる信念がまた運だけで本当になり、案は破れる。 はじめに エドマンド・ゲティア(1927〜2021)は、アメリカの哲学者です。デトロイトのウェイン州立大学で教えていた 1963 年に、雑誌『アナリシス』に 3 頁ほどの論文「正当化された真なる信念は知識か」を載せました [2] 。 この一本の論文は、20 世紀後半の認識論(知識について考える哲学の分野)に大きな流れを生みました [1] 。問いそのものは古く、この課程の最初の課で見たプラトン『テアイテトス』も、知識の定義を三つ試して行き詰まりました。その一つ「説明を伴う正しい思いなし」は、「正当化された真なる信念」によく似ています。知と思いなしを分ける『国家』の考えも、同じ問いの古い形です。 この編のポパーの課は、科学の知識を仮のものとして読みました。この課は、ひとりの人が何かを「知っている」と言えるのはいつかを問います。 この課の問い 止まっている時計をたまたま見たら、ちょうどその時刻が合っていました。あなたは「いま 1 時だ」と信じ、それは本当で、時計を見たのだから根拠もあります。それでも、あなたは時刻を「知っていた」と言えるでしょうか。知識とは「根拠のある、本当の信念」だ、という分かりやすい答えに、ゲティアは二つの短い事例で反例を突きつけました。根拠があって本当なのに、なぜ知識にならないことがあるのでしょうか。 この課のことば 知識の三条件(JTB) S が P を知っているのは、P が本当で、S が P を信じていて、S が P を信じることが正当化されているとき、そしてそのときに限る、という分析です。 正当化 信念が、その人の持つ証拠や理由によって、ふさわしく支えられていることです。本人が言葉で弁護してみせた、という意味ではありません。 選言(せんげん) 「A または B」の形の命題(本当か嘘かのどちらかになる、言葉で言い表された内容)です。A か B のどちらか一方が本当なら、全体が本当になります。 ゲティア事例 正当化された真なる信念なのに、知識とは言えない事例です。 ゲティア問題 三条件に何を足せば、ゲティア事例を外せる正しい知識の分析になるか、という問題と、その難しさのことです。 誤った前提なし 第四の条件の案の一つです。信念が、偽の命題からの推論で得られていないこと、を求めます。 ゲティア問題――根拠があって本当なのに、なぜ知識でないことがあるのか 知識を「根拠のある、本当の信念」とみる分析は分かりやすく、たいていの場合にうまく働きます。ゲティアが問うたのは、三つの条件がそろえば必ず知識になるのか、という一点でした。まず三つの条件を一つずつ確かめ、次にゲティアの事例、最後にそれを繕う試みを読みます。 知識の三つの条件――本当で、信じていて、正当化されている 20 世紀の知識の分析の多くは、三つの部分からなる「伝統の」分析を批判することから始まりました [1] 。条件の一つ目は P が本当であること、二つ目は S が P を信じていること、三つ目は S が P を信じることが正当化されていることです。三つがそろうとき、そしてそのときに限り、S は P を知っている、とこの分析は言います。 justified true belief の頭文字から、JTB の分析と呼ばれます [1] (図 1) 。 ① P が本当 外すもの:偽の信念(例:84 は素数だ) ② S が P を信じる 外すもの:信じていないこと ③ 正当化されている 外すもの:当て推量(コイン投げ) S は P を知っている? 三つがそろえば十分か――ゲティアが 問う 図 1 知識の三つの条件が、それぞれ何を知識から外すかの流れです(本教材の整理。条件と除外の例は SEP によります)。三つはどれも必要だと多くの認識論者が認めます。点線の段は、三つがそろえば知識に十分か、というゲティアの問いです。 一つ目は真理の条件です。84 は素数ではないので、誰も「84 は素数だ」と知ることはできません [1] 。逆転負けを確信していた観客が、あとで「負けると知っていた」と言うことはあります。けれども多くの認識論者は、これを誇張とみて、文字どおりには本当でないとします [1] 。 二つ目は信念の条件です。ここでの信念は「たぶんそうだろう」という弱い見込みではなく、問いに決着をつけた確かな信念です [1] 。家が焼け落ちたのを見て「信じられない」と言う人も、実は信じています。だからこそ保険会社に電話をかけるのです [1] 。 三つ目が正当化の条件です。SEP の例を、本教材が順番決めの場面に置き直します。ウィリアムが十円玉を投げ、何の根拠もなく「裏だ」と固く信じ、本当に裏が出ました。信念は本当で、本人も確かに信じていました。それでも、たまたま当たった当て推量を、知っていたとは言いません。知識には、信念が証拠でふさわしく支えられていることが要ります。これを正当化と呼びます [1] 。SEP は、この条件の必要がプラトン『テアイテトス』にさかのぼるとよく言われる、とも述べます。弁舌で陪審を説得し、たまたま正しい思いなしを持たせても、知識にはならない、という例です [1] 。 ゲティアの論文は、この分析を少しずつ違う三つの形で書き出しました [2] 。信念の側は「信じる」「受け入れる」「確かだと思う」と言い方が違い、正当化の側も「正当化されている」「十分な証拠を持つ」「確かだと思う権利がある」と言い方が違います。信念と正当化の条件の表し方が異なる三つの分析です。認識論者の多くは、三つをほぼ同じものとして扱ってきました [1] 。問われたのは、三つがそろえば知識に十分か、でした。 ここで間違えやすい 「正当化されている」を、本人が理由をきちんと言えること、と取らないようにしましょう。認識論でいう正当化は、信念が実際に証拠に支えられていることで、弁護の作業を済ませたことではありません。「5 足す 5 は 10」を、理由を言えない人も知っています [1] 。もう一つの誤解は、JTB の分析が、ゲティアまで哲学者みなが信じていた定説だった、と取ることです。SEP は、それが広く受け入れられていたというのは、主に 20 世紀の批判者が描いた便利な作り話だと言います [1] 。 ゲティアの二つの事例――偽の前提から、たまたま本当になった信念 ゲティアは、事例の前に二つの前提を置きます [2] 。第一に、強い証拠があっても、信じたことが偽であることはあります。正当化は、本当であることを保証しません。第二に、正当化された命題から正しく導いた命題を、そう導いて受け入れれば、それも正当化されます。 第 1 の事例では、スミスとジョーンズが同じ職に応募しています [2] 。スミスは、社長からジョーンズが採用されると聞き、10 分前にはジョーンズのポケットの硬貨を数えて 10 枚だと確かめていました。そこから「採用される男は、ポケットに硬貨を 10 枚持っている」と推論します。ところが採用されたのはスミス自身で、スミスのポケットにも、本人の知らないうちに硬貨が 10 枚ありました。 第 2 の事例は、選言を使います [1] [2] 。スミスには、ジョーンズがフォードを持っていると信じる強い証拠があります。ジョーンズがフォードを運転しているのを見たことなどです。スミスは、居場所をまったく知らない友人ブラウンについて、地名を三つでたらめに選び、「ジョーンズはフォードを持っているか、ブラウンはボストンにいる」など三つの選言を作ります。どれも最初の信念から導けるので、スミスはどれを信じることも正当化されます (図 2) 。 スミスの頭の中 フォード ジョーンズはフォードを持つ …か、ブラウンは次にいる ボストン バルセロナ ブレスト=リトフスク スミス 地名はでたらめに選ぶ 本当のこと レンタカー フォード ジョーンズ 「フォードを持っている」 借りた車:根拠にした信念は偽 まったくの偶然で、 バルセロナにいた だから選言は本当 ブラウン 図 2 ゲティアの第 2 の事例を二つの場面にした絵です(本教材の絵。事例はゲティア本人のもの)。一つ目は、スミスが信じていることと、そこから作った三つの選言です。二つ目は本当のことで、ジョーンズが乗っていたフォードは借りた車なので、×は「フォードを持っている」という主張に付いています。選言を本当にしたのは、スミスの根拠ではなく、スミスの知らないブラウンの居場所です。 ところが、ジョーンズはフォードを持っておらず、乗っていたのは借りた車でした。そして、まったくの偶然で、ブラウンは本当にバルセロナにいました [1] [2] 。「ジョーンズはフォードを持っているか、ブラウンはバルセロナにいる」は後半が本当なので本当で、スミスは信じ、正当化もされています。それでも、スミスがそれを知っているとは言えない、とゲティアは論じます [1] 。文を本当にしたのが、スミスの根拠とは関わりのない事実だからです。 正当化の条件は、当て推量のような運を知識から外すために置かれていました。ゲティアの事例が教えるのは、正当化された真なる信念でさえ、知識と両立しない仕方で運に恵まれうる、ということです [1] 。ゲティアはここから、三つの条件は知識に十分ではない、と結論しました [2] 。 ここで間違えやすい ゲティアが「知識は定義できない」と言った、あるいは三つの条件のどれかが要らないと言った、と取らないようにしましょう。示したのは、三条件がそろっても知識に十分ではない、ということだけです。三つが必要であることは、多くの認識論者がいまも認めます。論文は、何を足せばよいかという答えも出していません [1] 。また、スミスがうっかり推論を誤ったのでもありません。推論は正しく、出発点の信念も強い証拠に支えられていました。だからこそ反例になるのです [1] 。 第四の条件を探して――「誤った前提なし」とその破れ ゲティア事例に当たる例は古くからあります。SEP は、770 年ごろのインドのダルモーッタラ(蜃気楼を水と思って行くと、岩の下に本当に水があった)や、20 世紀初めのラッセル(止まった時計)の例を挙げます [1] 。それを認識論の中心の問いにしたのが、ゲティアの論文でした。 論文の後、多くの認識論者は、三つの条件に第四の条件 X を足して、ゲティア事例を外せる分析(JTB+X)を探しました。その難しさが「ゲティア問題」と呼ばれます [1] 。自然な案の一つは、信念がどんな偽の命題からも推論されていないこと、を足すものです [1] 。スミスは「ジョーンズはフォードを持っている」という偽の命題から推論したので、この案で知識から外れます。 けれども、この案は広くは受け入れられていません。推論を経ないゲティア事例がありうるからです [1] (表 1) 。SEP の示す例では、ベンチのジェームズが野原の犬らしきものを見て「野原に犬がいる」と信じます。それは見分けのつかないロボットの犬でしたが、見えない所に本物の犬がいました。信念は本当で、ふつうの知覚にもとづいて正当化され、偽の前提からの推論もありません [1] 。 この表で分かること: どの事例でも信念は正当化され本当ですが、運で本当になっています。偽の前提からの推論があるのは一部で、「誤った前提なし」では外せない事例が残ります。 事例 信念を支える根拠 偽の前提から推論したか 信念を本当にしたもの ゲティアの第 2 の事例 ジョーンズのフォードの証拠 した(フォードを持つ) ブラウンが偶然バルセロナに ラッセルの止まった時計 時計の針を見る した(時計は動いている) 止まった時刻と偶然一致 ロボットの犬 ふつうの知覚 していない 見えない所の本物の犬 偽の納屋の郡 ふつうの知覚 していない たまたま唯一の本物を見た 表 1 ゲティア事例と、「誤った前提なし」の条件で外せるかどうか。事例の中身は SEP によります [1] 。 もっと名高いのが、カール・ジネが考え、ゴールドマンが 1976 年に公にした「偽の納屋の郡」です [1] [3] 。SEP の書き方では、道ぞいに、道からは本物そっくりの納屋の張りぼてが並ぶ郡を、ヘンリーが車で通り、何度も張りぼてにだまされます。その一度だけ、たまたま郡でただ一つの本物の納屋を見て、「あそこに納屋がある」と信じます [1] (図 3) 。信念は知覚で直接に正当化され、本当で、推論も経ていませんが、本当なのは運のおかげです [1] 。ゴールドマンの元の例では、ヘンリーは入ったばかりで、まだ張りぼてを見ておらず、その存在も知りません [3] 。 たまたま本物を見ただけ――偽の納屋の郡 張りぼて 本物 あそこに納屋がある ✓ 本当・正当化・推論なし ヘンリー 張りぼてを見ていたら、 同じように信じて誤っていた 図 3 偽の納屋の郡を、本教材が絵にしたものです。丘の納屋のうち五つは、道から見える正面だけの張りぼてで、ヘンリーの視線はたまたまただ一つの本物に向いています。点線は、張りぼてを見ていたら同じように信じて誤っていたことを示します。張りぼての裏は道からは見えない側を描いたもので、納屋の数や形も本教材の作例です。