日本の地方自治――分権改革と自治体 — Epoché
国際と日本 日本の政治 約 25 分 本文 約 10,800 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 法の仕組み・お金・規模の 3 つ 法の仕組み 1999年成立・2000年施行の地方分権一括法が機関委任事務を廃止し、事務を自治事務と法定受託事務に組み替え、国の関与に法律の根拠と必要最小限の原則を課し、争いを審査する委員会を置いた お金 2004〜2006年度の三位一体の改革で、国庫補助負担金の改革と所得税から個人住民税への3兆円規模の税源移譲が行われ、地方交付税等の総額は約5.1兆円抑えられた 規模 1999年からの平成の合併で市町村は3,232から1,727に減り、行財政の基盤は強まったとされる一方、周辺部の活力や住民の声の届きにくさが課題として挙げられた はじめに 住民票の写しを取る、子どもを保育所に預ける、パスポートを申し込むといった暮らしの用事の多くは、国の役所ではなく、都道府県や市町村の窓口で済みます。では、その窓口の仕事は誰の仕事なのでしょうか。市町村が自分で決めている仕事でしょうか、それとも国に言われて代わりに行っている仕事でしょうか。 この問いへの答えは、1990年代の終わりに大きく変わりました。それまでは、知事や市町村長が国の下部機関として国の事務を行う仕組みがあり、都道府県の仕事の多くがこの形でした。1999年に成立した法律がこの仕組みをなくし、国と自治体の関係を法律の上で組み替えました。この課では、この一連の動きを「分権改革」と呼んで、その中身と、その後の影響をたどります。 この課程の『官邸主導』の課では、国の中で首相と内閣の力がどう強まったかを見ました。同じ1990年代から2000年代にかけて、国から自治体へ権限を移す改革も進んでいました。国の中心を強める改革と、国の外へ仕事を移す改革が、同じ時期に並んで進んだことになります。 ここで扱うのは、法の仕組み、お金、自治体の規模の三つです。法の仕組みの改革は、どの事務が誰のものかを決め直しました。お金の改革は、国からの補助金と地方の税の配分を動かしました。規模の改革は、市町村の合併によって自治体の数を半分近くに減らしました。三つは別々の法律と政策ですが、同じ「地方分権」の名の下に進みました。 それぞれの改革で、何が条文の上で変わり、何が数の上で変わったのかを分けて見ていきます。そのうえで、改革に対してどんな評価があるのかも確かめます。 この課の問い 1990年代末からの分権改革は、国と自治体の関係を法律の上でどう変え、お金と自治体の規模の改革はその後の自治体に何をもたらしたのでしょうか。 この課のことば 地方自治の本旨 憲法が地方自治について求めている根本の考え方です。地方自治法も、この言葉を出発点にしています。 機関委任事務 知事や市町村長を国の下部機関とみなして、国の事務を行わせた仕組みです。2000年4月に廃止されました。 自治事務 自治体が処理する事務のうち、法定受託事務以外のすべてです。例えば都市計画の決定がこれに当たります。 法定受託事務 自治体が処理する事務のうち、本来は国などが果たすべき役割に係り、法律や政令で特に定めたものです。例えば旅券(パスポート)の交付です。 国の関与 国が、別の法人である自治体の仕事に対して、法律や政令の根拠に基づいて行う働きかけです。助言のように従う義務のないものと、是正の要求や許可のように自治体を縛るものがあります。 三位一体の改革 国の補助金、地方の税、地方交付税の三つを同時に見直した2000年代半ばの改革です。 日本の地方自治――分権改革は国と自治体の関係をどう変えたか この章では、改革の前の姿から始めて、第一次分権改革の出来事と制度、改革を支えた考え方、そしてお金と規模の改革という順に見ていきます。最初に確かめておきたいのは、憲法が地方自治について何を定め、何を法律に任せているかです。憲法の言葉が短いからこそ、法律の組み方しだいで、自治体の実際の立場は大きく変わりえました。 背景――憲法の約束と機関委任事務 日本国憲法は、地方自治に第8章を当て、四つの条文を置いています。第92条は、地方公共団体の組織と運営に関する事項を、地方自治の本旨に基づいて法律で定めるとしました [1] 。この憲法は1946年11月に公布され、1947年5月に施行されています。第93条は、自治体の長と議会の議員などを、その自治体の住民が直接選挙すると定めました [1] 。 第94条は、自治体が財産を管理し、事務を処理し、行政を執行する権能を持つとし、法律の範囲内で条例を定められるとしています [1] 。第95条は、一つの自治体だけに適用される特別法を、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければ国会が制定できないと定めました [1] 。ここで大事なのは、「法律で定める」「法律の範囲内で」という言葉です。憲法は、自治体が何を自分で決められるかの細部を、国会が作る法律に任せているのです。 その法律の中心が地方自治法です。地方自治法は第1条で、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図ることを目的に掲げています [2] 。ところが、戦後の長い間、自治体の仕事の大きな部分は、自治体自身の事務とは扱われていませんでした。 それが機関委任事務という仕組みです。内閣府の資料は、これを、知事や市町村長を国の下部機関と構成して国の事務を執行させる仕組みと説明しています [3] 。つまり、知事は住民に選ばれた自治体の長でありながら、ある仕事については国の大臣の部下のような立場に置かれていました。同じ資料の図は、改革前に機関委任事務が都道府県の事務の7〜8割、市町村の事務の3〜4割を占めたという目安を示しています [3] 。 機関委任事務については、主務大臣が包括的な指揮監督の権限を持っていました。改革の際には、この包括的な指揮監督権も廃止され、資料はそれを「通達行政の廃止」と書いています [3] 。裏返せば、改革の前は、法律に細かな定めがなくても、大臣の通達で自治体の仕事を方向づける道があったことになります。 本教材の作例で言い換えてみます。機関委任事務の時代の自治体は、本社の命令どおりに動く支店のような面を持っていました。改革の後の自治体は、法律という契約の範囲でなら自分で品ぞろえを決められる店に近づいた、と言えます。ただし、このたとえは国と自治体の関係の一面だけを示すもので、法の仕組みの全部を写すものではありません。 改革前(機関委 任事務) 改革後(200 0年4月から) 国の事務を 知事・市町村長が 執行 自治事務と法定 受託事務に組み替え 知事・市町村長は 国の下部機関の扱い どちらも自治体が 処理する事務 大臣の包括的な 指揮監督と通達 関与は法令の根拠と 必要最小限 都道府県の事務の 7〜8割(目安) 不服は国地方 係争処理委員会へ 図 1 機関委任事務の時代と第一次分権改革の後の比較(本教材の整理。内閣府の資料と地方自治法による)。 ここで間違えやすい 憲法に地方自治の章があるので、戦後すぐに自治体は国から独立して仕事をしていたと思われがちです。実際には、憲法は細部を法律に任せており、1999年の改革までは、知事や市町村長が国の下部機関として国の事務を行う機関委任事務が、都道府県の事務の7〜8割(目安)を占めていました。 出来事と制度――第一次分権改革と事務の組み替え 機関委任事務をなくす改革は、国会の決議から始まりました。1993年6月、衆議院と参議院の両院が、地方分権の推進に関する決議を行いました [3] 。1995年5月には地方分権推進法が成立し、同じ年の7月に、諸井虔を委員長とする地方分権推進委員会が発足しています [3] 。 推進委員会は、1996年12月の第1次勧告から勧告を重ね、政府はそれまでの勧告を受けて、1998年5月に地方分権推進計画を閣議決定しました [3] 。委員会はその後も勧告を続け、第1次から1998年11月の第5次まで計5回の勧告を出し、2001年6月に最終報告をまとめています [3] 。そして1999年7月に地方分権一括法が成立し、2000年4月に施行されます [3] 。成立と施行の間には9か月ほどの間があり、機関委任事務が実際になくなったのは施行の時点です。 「一括法」という名は、一つの法律で多くの法律をまとめて改正したことから来ています。この法律で改正された法律は475本にのぼり、そのうち機関委任事務の廃止に関わるものが351の法律でした [3] 。機関委任事務は、それぞれの分野の法律の中に、一つ一つ書き込まれていたからです。 廃止された機関委任事務は、自治体の事務として組み替えられました。地方自治法は、自治体が処理する事務のうち法定受託事務以外のものを「自治事務」と定めています [2] 。そして法定受託事務の一つ目の型は、国が本来果たすべき役割に係り、国が適正な処理を特に確保する必要があるものとして、法律か政令に特に定めたものです [2] 。二つ目の型は、市町村などが処理する事務のうち、都道府県が本来果たすべき役割に係るものです [2] 。なお、一部の事務は国が直接行う事務に移され、廃止された事務もありました [3] 。 例を挙げます。内閣府の資料の図では、都市計画の決定や飲食店の営業許可が自治事務の例に置かれています [3] 。国政選挙、旅券の交付、国道の管理は、法定受託事務の例として並んでいます [3] 。ここで見落としやすいのは、自治事務の定義が「法定受託事務以外のもの」という引き算になっている点です。本教材の読みでは、この定義の形から、法定受託事務も自治体が処理する自治体の事務であり、改革前のような国の事務ではないことが分かります。 一括法は、事務の組み替えのほかにも多くのことを変えました。個別の法律に基づく国の関与は138の法律で整理縮小され、例えば教育長の任命についての文部大臣の承認は廃止されました [3] 。35の法律で、国の権限を都道府県へ、都道府県の権限を市町村へ移しました [3] 。人口20万人以上の市に権限をまとめて移す特例市の制度も作られています [3] 。都道府県の条例によって、都道府県の権限を市町村へ移せる制度も設けられ、自治体に一定の組織や職員を置くよう求める必置規制は38の法律で見直されました [3] 。 1993年6月 衆参両院が地方分権の推進を決議 1995年5月 地方分権推進法が成立 1995年7月 地方分権推進委員会が発足 1999年7月 地方分権一括法が成立 2000年4月 一括法の施行・機関委任事務の 廃止 2004〜06年度 三位一体の改革 2006年12月 地方分権改革推進法が成立 2011年4月 第1次一括法・国と地方の協議の 場法が成立 図 2 地方分権改革の主な出来事(内閣府の資料による。成立と施行を分けて示す)。 この表で分かること: 改革後は、自治体が処理する事務がすべて自治体の事務になり、審査の物差しが事務の種類で分かれた 事務の区分 何の役割か 委員会の審査 例 機関委任事務(改革前) 国の事務を首長が執行 (2000年4月に廃止) — 自治事務 法定受託事務以外の全部 違法か、自主性の尊重から見て不当かを審査 都市計画の決定 第一号法定受託事務 国が本来果たすべき役割 違法かどうかを審査 国政選挙・旅券の交付 表 1 事務の区分と国の関与の審査(地方自治法、内閣府と総務省の資料による)。例は内閣府の資料の図の例示。 ここで間違えやすい 法定受託事務は、名前に「受託」とあるので、国の事務を自治体が預かって行うもの、つまり機関委任事務の言い換えだと誤解されがちです。地方自治法は、自治体が処理する事務を自治事務と法定受託事務に分けており、法定受託事務も自治体の事務です。国の関与には法律の根拠が要り、不服があれば委員会に審査を申し出る道もあります。 担い手の考え――役割分担と関与のルール 改革を進めた国会と政府は、国と自治体の役割をどう分けようとしたのでしょうか。その考え方は、一括法による改正で地方自治法に書き込まれた条文に読み取れます。第1条の2第1項は、自治体は住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域の行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うとしています [2] 。 同じ条の第2項は、国が重点的に担う役割を挙げます。国際社会における国家としての存立にかかわる事務や、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動に関する事務などです [2] 。そのうえで、住民に身近な行政はできる限り自治体にゆだねることを基本として、国と自治体が適切に役割を分担するとしています [2] 。「できる限り」とあるとおり、これは原則であり、どの仕事を自治体に任せるかは、個々の法律で決まります。 役割分担の考え方は、法律を作るときにも使うときにも及びます。地方自治法第2条第11項は、自治体に関する法令の規定が、地方自治の本旨に基づき、国と自治体の適切な役割分担を踏まえたものでなければならないとしました [2] 。第12項は、それらの法令の解釈と運用も同じ考え方に従うよう求めています [2] 。さらに第13項は、法律や政令で処理するとされた事務が自治事務である場合、国は自治体が地域の特性に応じて処理できるよう特に配慮しなければならないとしました [2] 。 国の関与にもルールが作られました。内閣府の資料は、関与には個別の法令の根拠が要ること、関与は必要最小限であること、関与の基本類型を定めて原則としてそれによることを挙げています [3] 。地方自治法第245条の2は、自治体は法律か政令によらなければ国や都道府県の関与を受けることはないと定めました [2] 。第245条の3第1項は、関与を設けるときは目的の達成に必要な最小限度とし、自治体の自主性と自立性に配慮しなければならないとしています [2] 。 ルールがあっても、国と自治体の意見が食い違うことはあります。そこで総務省に、国地方係争処理委員会が置かれました [2] 。委員は5人で、両議院の同意を得て総務大臣が任命し、任期は3年です [6] 。自治体の長などは、是正の要求や許可の拒否など、公権力の行使に当たる国の関与に不服があるとき、文書で委員会に審査を申し出ることができます。ただし、法律が除いている関与もあります [2] 。