1.4 語根 — 意味の中心 — Epoché
この 課 か でできるようになること 頻出 ひんしゅつ の 語根 ごこん を 九 ここの つ、カタカナ 語 ご の 姿 すがた から 思い出せる おもいだせる 。 語根 ごこん と 語根 ごこん が 重なっ かさなっ た 語 ご を、 二 ふた つに 割っ わっ て 意味 いみ を 出せる だせる 。 接辞 せつじ と 語根 ごこん を 合わせ あわせ て、 初めて はじめて 見る みる 語 ご の 意味 いみ に 見当 けんとう をつけられる。 前提 ぜんてい : 1.3( 関係 かんけい と 程度 ていど の 接辞 せつじ )。 接辞 せつじ が 方向 ほうこう なら、 語根 ごこん は 意味 いみ の 中心 ちゅうしん です。 橋 はし 編 へん 2 課 か と 橋 はし 編 へん 3 課 か で 十 じゅう 三 さん の 接辞 せつじ を 渡し わたし ました。この 課 か で 九 ここの つの 語根 ごこん を 足す たす と、 両方 りょうほう を 組み合わせ くみあわせ て 語 ご の 中身 なかみ が 読める よめる ようになります。 九 ここの つで 頻出 ひんしゅつ 語 ご 8,000 のうち 270 語 ご に 当たり あたり ます。 九 ここの つの 語根 ごこん 表 ひょう は 九 きゅう 行 ぎょう です。 左 ひだり からカタカナ 語 ご での 姿 すがた 、 元 もと の 意味 いみ 、そしてギリシア 語 ご での 例 れい です。 元 もと の 意味 いみ が、カタカナ 語 ご のイメージより 広い ひろい ことに 注意 ちゅうい してください。 語根 ごこん カタカナ 語 ご での 姿 すがた と、 元 もと の 意味 いみ ギリシア 語 ご の 例 れい δημ- デモクラシーのデモ。 民衆 みんしゅう 、という 意味 いみ δήμος は 市 し や 区 く 、 δημόσιος は 公共 こうきょう の κρατ- デモクラシーのクラシー。 力 ちから 、 支配 しはい 、という 意味 いみ κράτος は 国家 こっか 、 κρατάω は 手 て に 持つ もつ γραφ- グラフのグラフ。 書く かく 、 描く えがく 、という 意味 いみ γράφω は 書く かく 、 γραφείο は 事務 じむ 所 しょ λογ- 〜ロジーのロジー。 言葉 ことば 、 理由 りゆう 、 選ぶ えらぶ 、という 意味 いみ λόγος は 言葉 ことば や 理由 りゆう 、 εκλογές は 選挙 せんきょ πολι- ポリティクスのポリ。 町 まち 、 市民 しみん 、という 意味 いみ πόλη は 町 まち 、 πολίτης は 市民 しみん σχολ- スクールのスクール。 暇 ひま 、という 意味 いみ σχολείο は 学校 がっこう 、 σχόλιο は 論評 ろんぴょう χρον- クロノロジーのクロノ。 時間 じかん 、という 意味 いみ χρόνος は 時間 じかん や 年 とし 、 χρόνια は 年月 としつき κεντρ- セントラルのセントラル。 中心 ちゅうしん 、という 意味 いみ κέντρο は 中心 ちゅうしん や 中心 ちゅうしん 街 がい 、 κεντρικός は 中央 ちゅうおう の τεχν- テクノロジーのテクノ。 技 わざ と 芸術 げいじゅつ 、という 意味 いみ τέχνη は 芸術 げいじゅつ や 技 わざ 、 τεχνικός は 技術 ぎじゅつ の 二 ふた つ、 驚い おどろい てほしい 語 ご があります。 一 ひと つ 目 め は 学校 がっこう です。この 語根 ごこん の 元 もと の 意味 いみ は 暇 ひま でした。 働か はたらか なくてよい 時間 じかん があって 初めて はじめて 学べる まなべる —— 古代 こだい の 考え かんがえ 方 かた がそのまま 語 ご に 残っ のこっ ています。 同じ おなじ 語根 ごこん から 論評 ろんぴょう という 語 ご もできていて、こちらは「 暇 ひま なときに 書き添え かきそえ たもの」が 元 もと です。 二 ふた つ 目 め は 技術 ぎじゅつ です。この 語根 ごこん は 芸術 げいじゅつ と 技 わざ を 分け わけ ません 。 絵 え を 描く えがく のも、 家 いえ を 建てる たてる のも、 同じ おなじ 一 ひと つの 語 ご 。 日本 にっぽん 語 ご では 芸術 げいじゅつ と 技術 ぎじゅつ が 別 べつ の 語 ご なので、ギリシア 語 ご の 文章 ぶんしょう でこの 語 ご に 出会っ であっ たら、どちらの 意味 いみ かを 文脈 ぶんみゃく で 決める きめる 必要 ひつよう があります。 語根 ごこん は 一 ひと つの 姿 すがた では 出 で てこない 接辞 せつじ と 違っ ちがっ て、 語根 ごこん には 注意 ちゅうい が 要り いり ます。 同じ おなじ 語根 ごこん でも、 語 ご によって 姿 すがた が 少し すこし 変わる かわる のです。 書く かく という 語根 ごこん は、 書く かく という 動詞 どうし では 一 ひと つの 形 かたち 、 事務 じむ 所 しょ という 名詞 めいし では 別 べつ の 形 かたち 、 写真 しゃしん という 語 ご ではまた 別 べつ の 形 かたち を 取り とり ます。 母音 ぼいん が 入れ替わっ いれかわっ たり、 最後 さいご の 子音 しいん が 変わっ かわっ たりする。 これは 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ にとって、 実 じつ はなじみのある 現象 げんしょう です。 漢字 かんじ の 音読み おんよみ が 熟語 じゅくご によって 変わる かわる —— 生 なま (せい・しょう)、 行 こう (こう・ぎょう・あん)——のと 同じ おなじ で、 同じ おなじ 部品 ぶひん が 場所 ばしょ によって 違う ちがう 顔 かお を 見せる みせる 。 全部 ぜんぶ を 覚える おぼえる 必要 ひつよう はなく、 見 み て「これは 同じ おなじ 仲間 なかま だ」と 気づけれ きづけれ ば 十分 じゅうぶん です。 気づく きづく コツは、 子音 しいん の 骨組み ほねぐみ を 見る みる ことです。 母音 ぼいん は 変わり かわり ますが、 子音 しいん の 並び ならび はたいてい 残り のこり ます。 書く かく という 語根 ごこん なら、 二 ふた つの 子音 しいん の 組み合わせ くみあわせ が 目印 めじるし になる。この 見 み 方 かた は、 形 かたち 編 へん で 動詞 どうし の 語幹 ごかん を 扱う あつかう ときにそのまま 使い つかい ます。ギリシア 語 ご の 動詞 どうし は、 現在 げんざい とアオリストで 語幹 ごかん の 姿 すがた が 変わる かわる からです。 語根 ごこん が 二 ふた つ 重なる かさなる ギリシア 語 ご の 語彙 ごい が 爆発 ばくはつ 的 てき に 増える ふえる のは、 語根 ごこん と 語根 ごこん を 直接 ちょくせつ くっつけられる からです。 日本 にっぽん 語 ご の 熟語 じゅくご と 同じ おなじ 作り つくり で、 間 ま に 助詞 じょし のようなものは 要り いり ません。 表 ひょう は 六 ろく 行 ぎょう です。 語 ご 意味 いみ 注 ちゅう δημοκρατία el は 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 民衆 みんしゅう 、と、 力 ちから 。 民衆 みんしゅう が 力 ちから を 持つ もつ こと Οι Έλληνες φιλόσοφοι εκτιμούσαν τη δημοκρατία. [1] ギリシアの 哲学 てつがく 者 しゃ たちは 民主 みんしゅ 政 せい を 重んじ おもんじ た。 Χθες γνώρισα τον πρόεδρο της δημοκρατίας. [2] 昨日 きのう 、 共和 きょうわ 国 こく の 大統領 だいとうりょう に 会い あい ました。 τηλέφωνο el は 電話 でんわ 遠く とおく 、と、 声 こえ 。 遠く とおく の 声 こえ Θα περιμένουν να τους πάρεις τηλέφωνο. [3] 彼 かれ らはあなたからの 電話 でんわ を 待っ まっ ているでしょう。 Καθώς έκανα μπάνιο χτύπησε το τηλέφωνο. [4] 風呂 ふろ に 入っ はいっ ていたとき、 電話 でんわ が 鳴っ なっ た。 φωτογραφία el は 写真 しゃしん 光 ひかり 、と、 描く えがく 。 光 ひかり で 描い えがい たもの Είδα τη φωτογραφία σου στην εφημερίδα. [5] 新聞 しんぶん であなたの 写真 しゃしん を 見 み ました。 Η γιαγιά μάς έδειξε παλιές φωτογραφίες. [6] 祖母 そぼ が 私 わたくし たちに 古い ふるい 写真 しゃしん を 見せ みせ てくれた。 τεχνολογία el は 技術 ぎじゅつ 技 わざ 、と、 言葉 ことば 。 技 わざ について 語る かたる こと Τώρα πια με την τεχνολογία, τα πάντα είναι πιο εύκολα. [7] いまは 技術 ぎじゅつ のおかげで、 何 なん もかもがより 簡単 かんたん だ。 Δεν ξέρω αν η σύγχρονη τεχνολογία αυξάνει την ανεργία ή αν τη μειώνει. [8] 現代 げんだい の 技術 ぎじゅつ が 失業 しつぎょう を 増やす ふやす のか 減らす へらす のか、 私 わたくし には 分から わから ない。 γεωγραφία el は 地理 ちり 大地 だいち 、と、 描く えがく 。 大地 だいち を 描く えがく こと Η Μαγδαληνή ενδιαφέρεται για την γεωγραφία. [9] マグダリニは 地理 ちり 学 がく に 関心 かんしん がある。 Διδάσκω Γεωγραφία. [10] 私 わたくし は 地理 ちり を 教え おしえ ています。 βιβλιοθήκη el は 図書 としょ 館 かん 本 ほん 、と、 置き場 おきば 。 本 ほん を 置く おく ところ Η Βιβλιοθήκη είναι στο δεύτερο όροφο. [11] 図書 としょ 館 かん は 二 に 階 かい にあります。 Το γραφείο είναι δίπλα στη βιβλιοθήκη. [12] 机 つくえ は 本棚 ほんだな の 隣 となり にあります。 最後 さいご の 語 ご の 後半 こうはん は、 橋 はし 編 へん 3 課 か で 扱っ あつかっ た 置く おく という 語根 ごこん です。 同じ おなじ 部品 ぶひん が、 下 した に 置け おけ ば 仮定 かてい になり、 本 ほん と 組め くめ ば 図書 としょ 館 かん になる。 部品 ぶひん の 数 かず が 少なく すくなく 、 組み合わせ くみあわせ が 多い おおい ——これがギリシア 語 ご の 語彙 ごい の 作り つくり です。 語根 ごこん には、 日本 にっぽん 語 ご に 無い ない 切り分け きりわけ がある 語根 ごこん を 覚える おぼえる とき、いちばん 気 き をつけたいのは 日本 にっぽん 語 ご の 語 ご と 一 いち 対 たい 一 いち で 対応 たいおう しない ことです。この 課 か の 九 ここの つのうち、 少なく すくなく とも 三 みっ つがそうでした。 時間 じかん を 表す あらわす 語根 ごこん は、 時間 じかん と 年 ねん の 両方 りょうほう を 指し さし ます。 日本 にっぽん 語 ご では 別 べつ の 語 ご なので、 文脈 ぶんみゃく で 決める きめる 必要 ひつよう がある。「 時間 じかん がない」と「 年 ねん を 取っ とっ た」が 同じ おなじ 語 ご で 言え いえ てしまう。 技 わざ を 表す あらわす 語根 ごこん は、 芸術 げいじゅつ と 技術 ぎじゅつ を 分け わけ ません。 中心 ちゅうしん を 表す あらわす 語根 ごこん は、 幾何 きか 学 がく の 中心 ちゅうしん も、 町 まち の 中心 ちゅうしん 街 がい も、 電話 でんわ をかける 先 さき の 窓口 まどぐち も 指し さし ます。 逆 ぎゃく に、 日本 にっぽん 語 ご では 一 いち 語 ご なのにギリシア 語 ご では 分かれる わかれる 場合 ばあい もあります。 日本 にっぽん 語 ご の「 学校 がっこう 」は、 子ども こども が 通う かよう 場所 ばしょ も 大学 だいがく の 学部 がくぶ も 指し さし ますが、ギリシア 語 ご では 別 べつ の 語 ご です(1.5 で 扱い あつかい ます)。 語根 ごこん は 意味 いみ の 中心 ちゅうしん であって、 意味 いみ そのものではない ——この 距離 きょり 感 かん を 持っ もっ ておくと、 辞書 じしょ を 引い ひい たときに 戸惑い とまどい ません。 接辞 せつじ と 語根 ごこん を 合わせる あわせる 十 じゅう 三 さん の 接辞 せつじ と 九 ここの つの 語根 ごこん がそろったので、 両方 りょうほう を 使っ つかっ てみます。 表 ひょう は 五行 ごぎょう です。 語 ご 接辞 せつじ と 語根 ごこん に 割る われる と επιλογή は 選択 せんたく 上 うえ に、と、 選ぶ えらぶ 。 上 うえ から 選び取る えらびとる こと κατάλογος は 一覧 いちらん 表 ひょう 下 した へ、と、 並べる ならべる 。 上 うえ から 下 した へ 並べ ならべ たもの