意識は身体とどう関係するか――物理主義とその批判 — Epoché
解説 感じることと、情報を使えること 意識には、赤がどう見えるか、痛みがどう感じられるかという面がある。一方、情報を判断や行動へ使えるという面もある。感じの問いと、情報利用の問いを分ける。 意識の全用法を尽くす区分ではない。感じの性質についても論争がある。 出典1 心も、物理的な世界に属するか 物理主義は、心も物理的なもの、またはそれに成り立ちを依存するものと考える。心を存在しないとするのでなく、世界の中でどんなものかを問う。 全ての心の語を脳の語へ置き換える立場とは限らない。物理的とは何か、依存とは何かにも異なる説がある。 出典2 全ての物理的知識で、感じも分かるか メアリーは、色を見た経験がなくても物理的知識を全て知る研究者、という思考実験。初めて色を見て新しい事実を知るなら、物理的知識だけでは全てを尽くせない、という批判になる。 現実の実験ではない。新しい事実より新しい技能や知り方を得るのだという応答もあり、決着済みではない。 出典2 説明できないことから、何が言えるか 脳や行動の記述と、経験がどう感じられるかを結ぶ難しさは、説明の隔たりと呼ばれる。今説明できないことと、原理的に永遠にできないことは違う。 隔たりだけで別の実体の存在を証明しない。本人の観察と外からのデータの両方を手がかりにする。 出典1 何を説明するかを、分けて考える 焦点 例 経験の感じ 赤がどう見えるか 情報の利用 見た情報で判断できるか 物理的な記述 脳や行動の仕組みは何か 三つの別の実体を描く図ではない。関係をどう説明するかが争点。 参考文献 [1] Robert Van Gulick「Consciousness」。 出典 [2] Daniel Stoljar「Physicalism」。 出典