3.13 να 節 ① — 不定詞が無いということ — Epoché
この 課 か でできるようになること したい、できる、するために を、 節 ふし を 使っ つかっ て 言える いえる 。 二 ふた つ 目 め の 動詞 どうし も 人称 にんしょう を 合わせる あわせる ことを、 体 からだ で 覚える おぼえる 。 主語 しゅご が 途中 とちゅう で 変わる かわる 言い いい 方 かた を 作れる つくれる 。 前提 ぜんてい : 3.12( 相 そう — 未来 みらい と、 確か たしか でないことを 言う いう 小さな ちいさな 語 ご )。 ギリシア 語 ご には 不定詞 ふていし がありません 。 日本 にっぽん 語 ご の 辞書 じしょ に 載る のる 「 行く いく 」のような、 人称 にんしょう を 持た もた ない 形 かたち が 無い ない のです。 代わり かわり に 使う つかう のが να 節 ふし です。 行き いき たい と 言う いう とき、ギリシア 語 ご は 私 わたくし は 望む のぞむ 、 私 わたくし が 行く いく ことを という 組み立て くみたて をします。 二 ふた つ 目 め の 動詞 どうし も、ちゃんと 人称 にんしょう を 持ち もち ます。 この 形 かたち は 本 ほん 課程 かてい の 文 ぶん の 池 いけ の 六 ろく 文 ぶん に 一 いち 文 ぶん 、 新聞 しんぶん の 散文 さんぶん では 三 さん 文 ぶん に 一 いち 文 ぶん に 出 で ます。 前置 ぜんち 詞 し と 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし に 次い つい で 多い おおい 部品 ぶひん です。 型 かた の 骨格 こっかく — 二 ふた つ 目 め の 動詞 どうし も 活用 かつよう する 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 左 ひだり が 日本 にっぽん 語 ご 、 真ん中 まんなか がギリシア 語 ご の 組み立て くみたて 、 右 みぎ が 注意 ちゅうい です。 言い いい たいこと ギリシア 語 ご の 組み立て くみたて 注意 ちゅうい するところ 私 わたくし は 行き いき たい 私 わたくし は 望む のぞむ 、 私 わたくし が 行く いく こと 二 ふた つの 動詞 どうし が 両方 りょうほう とも 私 わたくし の 形 かたち になる あなたに 行っ いっ てほしい 私 わたくし は 望む のぞむ 、あなたが 行く いく こと 二 ふた つ 目 め だけあなたの 形 かたち になる 見る みる ために 行く いく 私 わたくし は 行く いく 、 私 わたくし が 見る みる こと 目的 もくてき も 同じ おなじ 組み立て くみたて で 言う ゆう 二 ふた つ 目 め の 行 ぎょう が、この 課 か でいちばん 大事 だいじ なところです。 主語 しゅご が 途中 とちゅう で 変わっ かわっ てよい。 日本 にっぽん 語 ご では「あなたに 行っ いっ てほしい」と、まったく 別 べつ の 言い いい 方 かた をしなければなりません。ギリシア 語 ご は 語尾 ごび を 変える かえる だけ で 済み すみ ます。 これは 慣れる なれる と 便利 べんり です。〜してほしい、〜してもらいたい、〜させたい—— 日本 にっぽん 語 ご ではそれぞれ 別 べつ の 言い いい 方 かた をするところが、ギリシア 語 ご では 二 ふた つ 目 め の 動詞 どうし の 語尾 ごび 一 ひと つ で 言い分け いいわけ られます。 相 そう を 選ぶ えらぶ 表 ひょう — ここでも 二 ふた つの 見え みえ 方 かた そして、この 節 ふし の 中 なか でも 相 そう を 選び えらび ます 。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 使う つかう 語幹 ごかん 表す あらわす もの 例 れい で 見る みる と 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん 一 いち 回 かい で 終わる おわる ことをしたい 食べ たべ たい、と 今 いま の 一 いち 食 しょく について 言う ゆう 現在 げんざい の 語幹 ごかん 続け つづけ たい、いつもそうしたい 食べ たべ 続け つづけ たい、と 習慣 しゅうかん について 言う ゆう である の 形 かたち 状態 じょうたい なので 選ば えらば ない 〜でありたい、と 状態 じょうたい について 言う ゆう 3.11 の 物差し ものさし が、 三 みっ つ 目 め の 場所 ばしょ でも 働き はたらき ました。 過去 かこ 、 未来 みらい 、そして 節 ふし の 中 なか 。 ギリシア 語 ご の 相 そう は、 時制 じせい の 一部 いちぶ ではなく 動詞 どうし の 形 かたち そのものに 刻ま きざま れた 別 べつ の 軸 じく だということが、ここではっきりします。 初め はじめ のうちは 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん を 既定 きてい にして かまいません。したい、できる、しなければならない——たいていは 一 いち 回 かい のことを 言う ゆう からです。 続け つづけ たいときにだけ 現在 げんざい の 語幹 ごかん に 切り替える きりかえる 、という 順 じゅん で 身 み につけてください。 日本 にっぽん 語 ご ならどう 言う ゆう か 日本 にっぽん 語 ご は、この 場面 ばめん で 動詞 どうし をつなげます 。 行き いき たい、 行ける いける 、 行か いか せる。 一 ひと つの 語 ご の 中 なか に 望み のぞみ や 可能 かのう を 織り込み おりこみ ます。 ギリシア 語 ご は 二 ふた つの 動詞 どうし に 分け わけ ます 。 望む のぞむ と 行く いく 、できる と 行く いく 。 分ける わける ぶん 語数 ごすう は 増え ふえ ますが、 組み合わせ くみあわせ の 自由 じゆう がききます 。 誰 だれ が 望み のぞみ 、 誰 だれ が 行く いく のかを、それぞれ 別 べつ に 指定 してい できるからです。 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ がつまずくのは、たいてい 二 ふた つ 目 め の 動詞 どうし を 裸 はだか で 置い おい てしまう ところです。 辞書 じしょ に 載っ のっ ている 形 かたち のまま 置き おき たくなる。しかしギリシア 語 ご にはその 置き おき 方 かた がありません。 動詞 どうし は 必ず かならず 誰 だれ かの 形 かたち になります。 覚える おぼえる こつは、 心 こころ の 中 なか で「〜ことを」と 補う おぎなう ことです。 私 わたくし は 望む のぞむ 、 私 わたくし が 行く いく ことを。 私 わたくし はできる、 私 わたくし が 食べる たべる ことを。 日本 にっぽん 語 ご としては 不 ふ 自然 しぜん ですが、ギリシア 語 ご の 骨組み ほねぐみ はそのとおりなので、そう 思っ おもっ て 組み立てる くみたてる と 間違え まちがえ ません。 実 じつ 文 ぶん で 確かめる たしかめる 十 じゅう 文 ぶん あります。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 前半 ぜんはん が 主語 しゅご の 同じ おなじ もの、 後半 こうはん が 主語 しゅご の 変わる かわる ものです。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Θέλω να πάω. [1] 行き いき たいです。 二 ふた つとも 私 わたくし の 形 かたち 。 二 に 語 ご だけで 言える いえる Θέλω να φάω. [2] 食べ たべ たいです。 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん 。 今 いま の 一 いち 食 しょく のこと Δε θέλω να κοιμηθώ. [3] 眠り ねむり たくありません。 否定 ひてい は 最初 さいしょ の 動詞 どうし の 前 まえ 。 節 ふし の 中 なか ではない Θέλω να δω τηλεόραση. [4] テレビが 見 み たいです。 節 ふし の 中 なか に 目的 もくてき 語 ご が 入る はいる Μπορώ να φάω. [5] 食べ たべ られます。 できる と 食べる たべる 。 可能 かのう も 同じ おなじ 組み立て くみたて Θα πάω να δω. [6] 見 み に 行き いき ます。 目的 もくてき を 表す あらわす 用法 ようほう 。 未来 みらい の 語 ご も 付い つい ている Θέλεις να συνεχίσω; [7] 続け つづけ ましょうか。 望む のぞむ のはあなた、 続ける つづける のは 私 わたくし 。 主語 しゅご が 変わる かわる Θέλεις να αποφασίσω εγώ; [8] 私 わたくし が 決め きめ ましょうか。 強形 きょうけい の 代 だい 名詞 めいし で 誰 だれ がするのかを 念押し ねんおし している Δε θέλω να ανησυχείς! [9] 心配 しんぱい しないでください。 望む のぞむ のは 私 わたくし 、 心配 しんぱい するのはあなた Θέλεις να δοκιμάσεις; [10] やってみますか。 相手 あいて に 勧める すすめる 言い いい 方 かた 。 主語 しゅご は 二 ふた つとも あなた 七 なな つ 目 め と 九 ここの つ 目 め をよく 見 み てください。 日本 にっぽん 語 ご の 訳 わけ には、 主語 しゅご が 変わっ かわっ ている 印 しるし がどこにもありません。 続け つづけ ましょうか、 心配 しんぱい しないで—— 日本 にっぽん 語 ご は 主語 しゅご を 言わ いわ ずに 済ま すま せます。ギリシア 語 ご は 語尾 ごび で 全部 ぜんぶ 示し しめし ます 。この 差 さ は、 聞き取り ききとり のときに 効い きい てきます。 よくある 誤り あやまり 誤り あやまり その 一 いち 、 二 ふた つ 目 め の 動詞 どうし を 辞書 じしょ の 形 かたち で 置く おく 。 いちばん 多い おおい 誤り あやまり です。 二 ふた つ 目 め も 必ず かならず 活用 かつよう します。 誤り あやまり その 二 に 、 否定 ひてい を 節 ふし の 中 なか に 入れる いれる 。 したくない は、 望む のぞむ のほうを 否定 ひてい します。 節 ふし の 中 なか を 否定 ひてい すると しないことを 望む のぞむ という 別 べつ の 意味 いみ になります。 日本 にっぽん 語 ご の「したくない」と「しないでいたい」の 違い ちがい です。 誤り あやまり その 三 さん 、 加音 かおん を 付ける つける 。 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん を 使う つかう ので、また 過去 かこ の 形 かたち を 持っ もっ てきてしまいます。3.12 と 同じ おなじ で、 加音 かおん は 過去 かこ だけの 印 しるし です。 誤り あやまり その 四 よん 、 相 そう をいつも 現在 げんざい の 語幹 ごかん にする。 辞書 じしょ の 見出し みだし が 現在 げんざい の 形 かたち なので、つい 引きずら ひきずら れます。 既定 きてい は 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん です。 広げる ひろげる — 不定詞 ふていし が 無い ない ことの 得 とく 不定詞 ふていし が 無い ない のは 不便 ふべん に 見え みえ ますが、 得 とく もあります。 主語 しゅご をいちいち 言わ いわ ずに 済む すむ ことです。 私 わたくし はあなたに 行っ いっ てほしい、を 英語 えいご で 言う ゆう と、 私 わたくし と あなた の 両方 りょうほう を 語 ご として 置か おか なければなりません。ギリシア 語 ご は 語尾 ごび だけで 示せ しめせ ます 。 二 に 語 ご で 足り たり ます。 日本 にっぽん 語 ご も 主語 しゅご を 言わ いわ ない 言語 げんご なので、この 点 てん では ギリシア 語 ご のほうが 日本 にっぽん 語 ご に 近い ちかい のです。 省ける はぶける 情報 じょうほう が 語尾 ごび に 入っ はいっ ている、という 仕組み しくみ が 違う ちがう だけで、 いちいち 言わ いわ ない という 構え かまえ は 同じ おなじ です。 3.14 では、この 節 ふし と 必ず かならず 組む くむ 一群 いちぐん の 動詞 どうし を 扱い あつかい ます。しなければならない、できる、 要る いる ——どれも 頻度 ひんど の 高い たかい 語 ご で、しかも 形 かたち が 変わら かわら ないものが 混じり まじり ます。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — 節 ふし を 作る つくる 次 つぎ の 日本 にっぽん 語 ご を、ギリシア 語 ご の 骨組み ほねぐみ に 直す なおす とどうなりますか。 答え こたえ はこの 課 か の 最後 さいご にあります。 私 わたくし は 食べ たべ たい あなたに 食べ たべ てほしい 私 わたくし たちは 行き いき たい あの 人 ひと に 来 き てほしい 練習 れんしゅう 2 — どちらの 語幹 ごかん か 次 つぎ の 場面 ばめん では、 一 いち 回 かい きりと 現在 げんざい のどちらの 語幹 ごかん を 使い つかい ますか。 今 いま すぐ 一杯 いっぱい 飲み のみ たい これからは 毎日 まいにち 走り はしり たい その 本 ほん が 読み よみ たい ずっとここに 住ん すん でいたい 練習 れんしゅう 3 — 音読 おんどく 実 じつ 文 ぶん の 十 じゅう 文 ぶん を、 音声 おんせい のあとについて 声 こえ に 出し だし てください。 節 ふし を 導く みちびく 語 ご は 弱く よわく 、 次