1.6 助動詞「む」「らむ」「けむ」を「ん」と読む — Epoché
この課でできるようになること 助動詞の「む」を「ん」と読める。 あらむ →あらん、 ゆかむ →ゆかん、 いかならむ →いかならん。 「らむ」「けむ」「むず」も同じく「らん」「けん」「んず」と読める。 語の頭の「む」( むかし ・ むすめ )は読み替えない、と見分けられる。 助詞の「なむ」を「なん」と読める。 前提 : 1.5 まで。 前の課で、「ん」の音が「む」と書かれることを見ました。この課はその続きですが、独立した規則として立てます。理由は 回数 です。「いはむや」のような語は数えるほどしか出ませんが、助動詞の「む」は、平安・鎌倉の文章なら一ページに何度も出ます。『徒然草』の本文には「む」が六百二十三回も出てきます。ここを読み替えられないと、古文は最後まで外国語のように聞こえます。 そして、うれしいことに、この規則はもうあなたの口に入っています。「いざ行かん」「言わんばかり」「いかんせん」——全部この「む」です。新しく覚えることはほとんどありません。 現代語に残っている形 次の七つを声に出してみてください。どれも意味が分かるはずです。右の列が古文での書き方です。 いまの言い回し 意味 古文の書き方 いざ行かん さあ行こう いざ行かむ 言わんとする 言おうとする 言はむとす 言わんばかり 今にも言いそうな 言はむばかり 死なんばかり 今にも死にそうなほど 死なむばかり いかんせん どうしようか。どうにも いかにせむ せんかたない どうしようもない せむかたなし あらんかぎり ありったけ あらむかぎり 七つとも、いまは「ん」で書き、「ん」で読みます。古文では「む」と書いてありますが、 読む音は同じ です。つまり、変わったのは音ではなく字のほうです。あなたはこの読み替えを、すでに七通り知っていたことになります。 古文ではこうなる 規則は一つです。 語の後ろに付いた「む」は「ん」と読む。 「む」に何かがくっついた形も、同じように読みます。 書いてある形 読む音 例 む ん あらむ →あらん らむ らん 散るらむ →散るらん けむ けん ありけむ →ありけん むず んず せむず →せんず なむ なん なむありける →なんありける 「らむ」は目の前に無いことの推量、「けむ」は過去の推量、「むず」は「む」を強めた形です。意味の違いは 辞編 5課 と 辞編 7課 で扱います。この課で必要なのは 読みだけ です。「なむ」は、文を強める助詞のほか、「〜てほしい」という願いを表す助詞にも使われ、どちらも「なん」と読みます( 辞編 13課 ・ 辞編 18課 )。 語の頭の「む」は読み替えない ここだけ注意が要ります。 むかし ・ むすめ ・ むね ・ むなし ——語の頭にある「む」は、そのまま「む」です。「んかし」とは読みません。 見分けは簡単です。 助動詞は、必ず何かの後ろに付きます。 語の頭に立つことはありません。ですから、「む」が語の一字目にあれば、それは助動詞ではなく語の一部です。「昔」を「んかし」と読む人はいませんから、この見分けは考えるまでもなく身についています。ただし、機械で一括して読み替えると、ここでよく事故が起こります。人の目のほうが確かです。 原文で確かめる 『徒然草』第 25 段から三つ。栄えた邸が跡形もなくなっていくことを述べた段です。読みは音のとおりに書き、助詞の「は」「を」は「わ」「お」と書きます。 これもまたいつまでかあらむ。 [1] 読み: これもまたいつまでか あらん 。意味は「これもまた、いつまで残っているだろうか」。法花堂だけが残っている、と述べたあとの一文です。 いかならむ世にも、かばかりあせはてむとはおぼしてむや。 [1] 読み: いかならん 世にも、かばかりあせはて ん とわおぼして ん や。意味は「どんな世になっても、これほど衰えはてるとはお思いになっただろうか」。一文に「む」が三つあり、三つとも「ん」です。 まして見ぬいにしへのやんごとなかりけむ跡のみぞいとはかなき。 [1] 読み: まして見ぬいにしえの やんごとなかり けん 跡のみぞいとはかなき。意味は「まして、見たこともない昔の、高貴であっただろう邸の跡だけは、ひどくはかない」。「けむ」は過去の推量です。 「らむ」は百人一首から。紀友則の歌です。 久方の 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ [2] 読み: ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずごころ なく はなの ちるらん 。意味は「日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく花は散るのだろう」。「しづ」の「づ」も「ず」と読みます。 『竹取物語』からは二つ。この版は、最初から「ん」で書いてあります。 かのもとの国より迎に人々まうでこんず。 [3] 読み: かのもとの国より迎に人々 もうでこんず 。意味は「あの元の国から、迎えに人々が参上して来るでしょう」。「こんず」は「来むず」で、書き方が「ん」になっているだけです。「まうで」が「もうで」になるのは長音の規則です。 それを昔の契なりけるによりてなん、この世界にはまうで来りける。 [3] 読み: それお昔の契なりけるによりて なん 、この世界にわ もうで 来りける。意味は「それは前世からの約束であったので、この世界に参ったのです」。助詞の「なむ」が「なん」と書かれた例です。 最後に、語の頭の「む」を『宇治拾遺物語』の書き出しで。 これも今はむかし。 [4] 読み: これも今わ むかし 。意味は「これも今となっては昔のことだが」。説話集の話の頭に必ず置かれる決まり文句です。この「む」は語の頭なので、そのままです。 読み上げと音読 読み上げでは、これらの「む」はすべて「ん」で鳴ります。字を目で追いながら聞くと、字と音がずれている場所がそのまま規則の場所です。 耳が先に覚えます。 とくに『徒然草』の二つめ、「む」が三つ並ぶ一文は、声に出すと「ん」の連続がよく分かります。「いかならん世にも、かばかりあせはてんとわおぼしてんや」——一息で読んでみてください。読みにくければ、句読点で切って構いません。切る場所は 切編 1課 で扱います。 練習 次の五つを、いまの音に直してください。 ゆかむ / いかならむ / 見えけむ / すらむ / むすめ 。 むかしむかし、京にすまむと思ふ人ありけり。 ——この一文に「む」は三つあります。「ん」と読むのはどれでしょうか。 上の『徒然草』の三つと紀友則の歌を、いまの音で三回、声に出して音読してください。二回目からは読み上げを止め、自分の声だけで読んでください。 この課のまとめ 語の後ろに付いた「む」は「ん」と読む。「らむ」「けむ」「むず」「なむ」も同じ。 語の頭の「む」(むかし・むすめ)は読み替えない。助動詞は語の頭に立たない。 この読み替えは、現代語の「いざ行かん」「いかんせん」に化石として残っている。 意味の見分け(推量か意志か)は辞編の仕事。この課は読みだけでよい。 次の課へ 1.7 では、いま読んでいる本文そのものを疑います。写本には句読点も濁点も鉤括弧もありません。それを補ったのは校訂者という人たちで、補い方が違えば本文も違ってきます。同じ作品なのに版によって字が違う理由が、ここで分かります。 答え ゆかん/いかならん/見えけん/すらん/むすめ(語の頭なのでそのまま)。 三つめの「すまむ」の「む」だけが「ん」。「むかしむかし」の二つは語の頭なのでそのままです。読み: むかしむかし、京にすまんとおもう人ありけり。 読みの目安: これもまたいつまでかあらん/いかならん世にも、かばかりあせはてんとわおぼしてんや/まして見ぬいにしえのやんごとなかりけん跡のみぞいとはかなき/ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずごころなく はなのちるらん。 参考文献 兼好法師『徒然草』第25段(國文大觀)。パブリックドメイン(作者没後 70 年以上)。漢字は通行の字体に改め、踊り字を開いた。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/徒然草_(國文大觀) 藤原定家撰『小倉百人一首』33 番(紀友則、古今集 春下84)。パブリックドメイン。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/小倉百人一首 『竹取物語』(國民文庫)。パブリックドメイン。漢字は通行の字体に改めた。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/竹取物語_(國民文庫) 『宇治拾遺物語』巻第一。パブリックドメイン。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/宇治拾遺物語