14.50 歴史で並べる — 科学の各段は、論理の教えだった — Epoché
この篇でできるようになること ★ 読者の自負を突いて始める 書き出しが読める。 ★ 歴史で並べて論を進める 運びが追える。 ★ 正しさを「事実の問題」に移す 言い方が分かる。 ★ 術語を作って、例で締める 形が見える。 前提 : なし(特別編に門はありません)。第 5 期以降ならどこからでも読めます。目安は型 3.40 まで・語 4.60 まで。 読む前に ★ この篇は 雑誌に載った論文 です。★ 相手は 専門家ではなく、ふつうの読者 ——★ だから 歴史の話から入ります 。 ★ 科学者の名が 10 人 出ます ( Roger Bacon ・ Kepler ・ Lavoisier ・ Darwin など)。★ 並べ方に 順があります ——★ 十三世紀 → 十七世紀 → 十九世紀 と 時代順に進みます 。 どこを見るか この篇での値 何が分かるか ★ 段落の数 ★ 10 つ ★ 前半が歴史、後半が理屈 ★ 第 1 段 ★ 41 語(いちばん短い) ★ 読者の自負を突いて引きこむ ★ 科学者の名 ★ 10 人 ★ 時代順に並べて、論の階段にする ★ 背景は 12.16 知編 と 12.14 知編 にあります 。★ この篇は 第 V 部の最後 で、★ ここまでの九篇(ベーコンからジェイムズまで)が ぜんぶ名前で出てくる わけではありません が、★ ベーコンは 二人とも出ます ——★ 十三世紀のロジャーと、十七世紀のフランシス です。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1465 語、段落は 10 、文は 47 本、一文の平均は 31.2 語、いちばん長い一文は 117 語です。 ★ 前半(第 1〜 5 段)が 553 語、後半(第 6 〜 10 段)が 913 語 です。★ 後半のほうが長い ——★ 歴史で助走をつけて、 理屈に入ってから伸びます 。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 論理学を学びたがる人は少ないものです。だれもが、自分はもう推論の術に十分たけていると思っているからです。けれども私の見るところ、この満足は自分自身の推論に限られていて、他人の推論には及びません。 推論を引き出す力は、私たちのあらゆる能力のうちで最後に、完全に私たちのものになります。それは生まれつきの才というより、長く難しい技術だからです。その実践の歴史は、一冊の本の壮大な題材になるでしょう。中世の学院の学者たちは、ローマ人にならって、論理学を、文法のあとで少年が学ぶいちばん初めの学問としました。とてもやさしいものだと考えたからです。彼らが理解していたかぎりでは、たしかにそうでした。彼らによれば、その根本の原理は、すべての知識は権威か理性のどちらかに基づくが、理性によって導かれるものはすべて、究極的には権威から得た前提に頼っている、というものでした。そのため、少年が三段論法の手順に熟達するとすぐに、その知的な道具一式はそろったとみなされたのです。 ロジャー・ベーコンは、十三世紀の半ばにあって、ほとんど科学者といってよい注目すべき頭脳の持ち主でしたが、その彼には、学院の学者たちの推論の考え方は、真理の妨げにしか見えませんでした。彼は、経験だけが何かを教えるのだと見てとりました。この命題は、私たちには分かりやすく思えます。経験についてのはっきりした考え方が前の世代から私たちに伝えられてきたからです。彼にとってもまったく明らかに思えました。その難しさがまだ現れていなかったからです。あらゆる種類の経験のうちで最良のものは内なる照明だ、と彼は考えました。それは、外の感覚ではけして見つけられない自然についての多くのこと、たとえばパンの聖変化のようなことを教えてくれる、というのです。 四世紀ののち、もっと名高いほうのベーコンは、その『 Novum Organum 』(ノヴム・オルガヌム)の第一巻で、経験を、検証と再吟味に開かれていなければならないものとして、はっきりと説明しました。けれども、ベーコン卿の考え方はそれ以前の考えよりすぐれているとはいえ、彼の大言壮語に畏れ入っていない現代の読者がまず驚くのは、彼の科学の手順についての見方の不十分さです。いくつか粗い実験をし、その結果の要約をある決まった書式に書きこみ、それを規則どおりに見ていって、反証されたものをすべて消し、残る選択肢を書き出しさえすればよい、そうすれば数年のうちに自然科学は仕上がってしまうだろう——なんという考えでしょう! 「彼は大法官のように科学について書いた」とは、まさにそのとおりです。 初期の科学者たち、コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ケプラー、ガリレオ、ギルバートは、現代の同業者たちのものにもっと近い方法を持っていました。ケプラーは火星の位置を通る曲線を引くことに取りかかりました。そして彼の科学へのいちばん大きな貢献は、天文学をよくしたいならこれこそなすべきことだ、ということを人々の心に刻みつけたことでした。周転円のある体系が別の体系よりよいかどうかを問うことで満足していてはならない、数字に向かって腰をすえ、その曲線が本当は何であるかを見つけなければならない、ということです。彼はこれを、比べるもののない精力と勇気によってなしとげました。(私たちから見れば)まったく思いもよらないやり方で、一つの不合理な仮説から別の仮説へとつまずきながら進み、そのうち二十二を試したあとで、ついには発想が尽きはてたというだけの理由で、現代の論理学の武器を十分に備えた頭脳ならほとんど最初に試したであろう軌道に行き当たったのです。 同じように、数世代にわたって記憶されるほど偉大な科学の仕事はどれも、それが書かれた時代の推論の技術の欠陥のある状態を、何かしら例として示しています。そして科学の主な各段は、論理の教えだったのです。ラヴォアジエと同時代の人たちが化学の研究に取りかかったときもそうでした。昔の化学者の格言は「 Lege, lege, lege, labora, ora, et relege 」(読め、読め、読め、働け、祈れ、そして読み返せ)でした。ラヴォアジエの方法は、読んで祈ることではありませんでした。何か長く込み入った化学の過程がある効果をもたらすだろうと夢見て、それを退屈な忍耐で実行に移し、避けられない失敗のあとで、少し変えれば別の結果になるだろうと夢見て、最後の夢を事実として発表して終わる、ということではありませんでした。彼のやり方は、自分の頭を実験室に持ちこみ、蒸留器やフラスコを考えの道具にすることでした。そうして推論についての新しい考え方を与えたのです。推論とは、目を開いたまま、言葉や空想のかわりに現実の物を操作して行うものだ、という考え方を。 ダーウィンをめぐる論争は、大部分が論理の問題です。ダーウィン氏は、統計の方法を生物学に当てはめることを提案しました。同じことが、科学のまったく別の分野、気体の理論ですでに行われていました。クラウジウスとマクスウェルは、この種の物体の構成についてのある仮説のもとで、気体のどれか特定の分子がどう動くかは言えませんでしたが、それでも確率論を当てはめることによって、長い目で見れば、与えられた条件のもとで、分子のこれこれの割合がこれこれの速さを得るだろうこと、毎秒これこれの数の衝突が起こるだろうこと、などを予測することができました。そしてこれらの命題から、気体のある性質、とりわけ熱との関係にかかわる性質を導き出すことができたのです。同じように、ダーウィンは、個々の場合に変異と自然選択がどう作用するかは言えないものの、長い目で見ればそれらが動物をその環境に適応させるだろうことを示します。いまある動物の形がそうした作用によるものかどうか、またこの理論がどんな位置を占めるべきかは、事実の問題と論理の問題が奇妙に絡み合った議論の主題となっています。 推論の目的は、私たちがすでに知っていることを考えることから、まだ知らない別の何かを見つけ出すことです。したがって、推論は、真の前提から真の結論を与えるようなものであればよい推論であり、そうでなければよくありません。こうして、推論が正しいかどうかは、まったく事実の問題であって、考えの問題ではないのです。A を前提、B を結論とすれば、問題は、これらの事実が、A であれば B である、というふうに本当に関係しているかどうかです。もしそうなら推論は正しく、そうでなければ正しくありません。前提が心に受け入れられたとき、結論も受け入れたいという衝動を感じるかどうかは、少しも問題ではありません。たしかに私たちは、ふだんは生まれつき正しく推論します。けれどもそれはたまたまのことです。正しい結論は、受け入れたい気持ちが無くても正しいままでしょうし、誤った結論は、それを信じたくなる傾きに逆らえなくても誤りのままでしょう。 私たちは、疑いなく、おおむね論理的な動物です。けれども完全にそうなのではありません。たとえば、私たちのたいていは、生まれつき、論理が正当とする以上に楽天的で希望に満ちています。私たちは、拠りどころになる事実が何も無いときには、幸せで自己満足しているようにできているらしいのです。そのため経験の効果は、絶えず私たちの希望や志を縮めることになります。それでも、一生かけてこの矯正をほどこしても、ふつう私たちの楽天的な気質が根こそぎにされることはありません。希望がどんな経験にも抑えられていないところでは、私たちの楽観はたぶん度を越しています。実際的な事柄についての論理性は、動物が持ちうるもっとも役に立つ性質であり、ですから自然選択の作用から生じることもありうるでしょう。けれども、そうした事柄の外では、動物にとっては、真実かどうかにかかわりなく、心が楽しく励みになる幻で満たされているほうがおそらく得なのです。こうして、実際的でない主題については、自然選択が思考の誤った傾向を引き起こすこともありうるのです。 与えられた前提から、ある推論ではなく別の推論を引き出すように私たちを決めるものは、生まれつきのものであれ身につけたものであれ、何らかの心の習わしです。その習わしは、真の前提から真の結論を生むかどうかに応じて、よいものであったりなかったりします。そして推論は、その結論がとくに真か偽かにかかわりなく、それを決める習わしが一般に真の結論を生むようなものであるかどうかに応じて、正しいとも正しくないともみなされるのです。この推論やあの推論を支配している特定の心の習わしは、一つの命題として言い表すことができます。その命題が真かどうかは、その習わしが決める推論が正しいかどうかにかかっています。そのような定式は、推論の導きの原理と呼ばれます。たとえば、回転する銅の円板が磁石の両極のあいだに置かれるとすぐに止まることを観察し、どの銅の円板でもそうなるだろうと推論するとしましょう。導きの原理は、ある銅の一片について真であることは、別の一片についても真である、というものです。銅についてのそのような導きの原理は、ほかの多くの物質——たとえば真鍮——についてよりも、ずっと安全でしょう。 語釈 帯の外の語は 81 語です。★ 三分の一が 人と書物の名 ——★ 覚えなくてよい ですが、★ どの時代の人かは 本文が書いています ( in the middle of the thirteenth century ・ Four centuries later )。★ ラテン語の格言が一つ ( Lege, lege, lege, labora, ora, et relege )——★ 「読め、読め、読め、働け、祈れ、そして読み返せ」 です。 語(品詞) 意味 注 Bacon en 名 ベーコン。この篇には十三世紀のロジャーと十七世紀のフランシスが出る Bacon's en 名 ベーコンの Brahe en 名 ブラーエ。十六世紀の天文観測者 Clausius en 名 クラウジウス。十九世紀の物理学者 Copernicus en 名 コペルニクス。地動説を説いた天文学者 Darwin en 名 ダーウィン。『種の起原』の著者 Darwinian en 形 ダーウィンの説をめぐる The company's ruthless competition was often described as almost Darwinian. その会社の容赦のない競争は、しばしばほとんどダーウィンの説をめぐるものだと言われました。 Galileo en 名 ガリレオ。十七世紀の天文学者 Gilbert en 名 ギルバート。磁石を調べた十六世紀の学者 Kepler en 名 ケプラー。惑星の軌道を求めた天文学者 Lavoisier en 名 ラヴォアジエ。近代の化学を開いた人 Lavoisier's en 名 ラヴォアジエの Lege en 動 「読め」を指すラテン語 Lord en 名 卿(貴族の敬称。 Lord Bacon =ベーコン卿) Maxwell en 名 マクスウェル。十九世紀の物理学者 Novum en 形 「新しい」を指すラテン語。ベーコンの書名の前の部分 Organum en 名 「道具」を指すラテン語。ベーコンの書名の後ろの部分 Roger en 名 ロジャー。人の名 Romans en 名 ローマ人 The ancient Romans built roads that are still used in parts of Europe. 古代のローマ人は、ヨーロッパの一部で今も使われている道路を築きました。 Tycho en 名 ティコ。ブラーエの名 alembics en 名 蒸留に使う古い器 The old laboratory shelf still held a row of dusty glass alembics. その古い研究室の棚には、ほこりをかぶったガラスの蒸留に使う古い器が今も並んでいました。 aspirations en 名 望み(複数) Her early aspirations were simply to travel and see the world. 彼女の初期の望みは、ただ旅をして世界を見ることでした。 astronomy en 名 天文の学 He developed a p