アリストテレス――人間はポリス的動物である(国制論・市民) — Epoché
古代 アリストテレス 約 18 分 本文 約 7,600 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 本性・市民・国制の 3 つ 本性 家が集まって村ができ、村が集まって自足したポリスができる。ポリスは生きるために生まれ、よく生きるためにある。だからポリスは本性によるものであり、人間は本性上ポリス的動物である。動物の声は快と苦を知らせるだけだが、人間だけが言葉で得と害、正と不正を示せる(『政治学』I.2、1252b–1253a)。 市民 市民とは、住んでいる人でも訴訟ができる人でもなく、裁きと役職に与る人である(III.1、1275a)。その資格は国制で変わり、当時のポリスでは女性・奴隷・在留外人は完全な政治的市民資格をもたなかった。アリストテレスは奴隷と女性の従属を本性によるとしたが、SEP は、その論は根拠を示さず、いまの読者には説得力がないとする。 国制 支配するのが一人か少数か多数か、公共の利益のためか支配者の利益のためかで、六つの国制に分かれる(III.6–7)。理想に届かない多くのポリスには、富む者と貧しい者の間の中間層が厚く有力な混合の国制が最もよい、とアリストテレスは論じる(IV.11)。 はじめに アリストテレスは、前 384 年にスタゲイラで生まれ、前 322 年に没しました。この課では、彼の『政治学』から、ポリスの成り立ち(第 1 巻第 2 章)、市民と国制(第 3 巻)、中間層の国制(第 4 巻第 11 章)を読みます。 ポリスとは、古代ギリシアの都市国家です。中心の居住地とまわりの土地をもち、自分たちの法と役職をもつ政治共同体でした。城壁の有無や町の形は、ポリスによって違いました。 SEP の整理では、アリストテレスにとって政治学は、立法者が市民に合った国制を定め、保つための実践の知です [1] 。倫理学で問うた「よく生きること」は、この知を通して、ポリスの中で形を与えられます。 この課では、三つの問いを順に追います。ポリスはなぜ本性によるのか、市民とは誰か、誰が誰のために支配するのがよいのか、という問いです。 この課の問い 人はなぜ、ひとりや家族だけでなく、町(ポリス)をつくって一緒に暮らすのでしょうか。そして、その町で「市民」として決める側に立てるのは誰で、誰が、何のために支配するのがよいのでしょうか。 この課のことば ポリス 古代ギリシアの都市国家。中心の居住地とまわりの土地をもち、自分たちの法と役職をもつ政治共同体です。城壁の有無や町の形はポリスごとに違いました。 ポリス的動物 本性上、ポリスという共同体の中で生きるようにできている生き物。「政治好き」や「群れたがり」という性格のことではありません。 言葉(ロゴス) ためになることと害になること、正しいことと正しくないことを、相手に示して論じ合う力。快い・痛いを知らせるだけの声(フォーネー)と区別されます。 市民(ポリーテース) ポリスに住む人のうち、裁き(法廷)と役職(民会・評議会など)に与る資格をもつ人。住んでいるだけでは市民ではありません。 国制(ポリテイア) ポリスの役職、とくに最高の役職を誰がどう占めるかの仕組み。書かれた憲法の文書ではなく、共同体の生き方の形です。 中間層 とても富む者ととても貧しい者の間で、ほどほどの財をもつ市民。アリストテレスは、この層が厚く有力な国制は派閥争いが少ないとします。 共に生きること――ポリスは本性によるのか、誰が市民で、誰が支配するのか 前の課では、よく生きること(幸福)は徳に従う魂の活動であり、徳は習慣で身につくと見ました。では、その習慣や法はどこで与えられるのでしょうか。アリストテレスの答えは、ポリスの中で、です。この章では、ポリスがなぜ本性によるのか、その中で決める側に立つ市民とは誰か、誰がどう支配するのがよいのかを、『政治学』に沿って読みます。 人間はポリス的動物である――家から村へ、村からポリスへ アリストテレスは、共同体の成り立ちを三つの段で描きます。毎日の必要のために本性によってできた共同体が家です。日々を越える必要のために多くの家が集まった最初の共同体が村です。そして、多くの村から成り、ほぼ完全な自足に達した共同体がポリスです(『政治学』I.2、1252b12–30) [2] (図 1) 。ポリスは「生きるために生まれ、よく生きるためにある」とされます。家は最年長の者が王のように治めるので、最初のポリスも王に治められた、とも彼は言います(1252b19–22) [2] 。 目的であるポリスも本性による 人間は本性上ポリス的動物(I.2) 本性上、共同体に 加われない者/要らない者 獣か神(1253a27–29) 育ち切ったありようが本性 (目的論を共同体に) ポリス:自足した共同体 生きるために生まれ よく生きるためにある 村:日々を越える必要のため 家:毎日の必要のため 家が集まる 村が集まる 本教材の絵 図 1 家から村へ、村からポリスへと人が集まっていく段を、一続きの道として描いた絵です(アリストテレスの説明による本教材の絵。家の数や建物は作例です)。左上の点線の枠は、本性上、共同体に加われない者や加わる必要のない者を「獣か神」と呼ぶ箇所を示します。 ここで鍵になるのが「本性」の意味です。人間でも馬でも家でも、生成し終えたときのありようを、そのものの本性と呼びます(1252b31–34) [2] 。種が木に育ち切った姿がその種の本性だ、という考え方です。家と村が本性によるなら、その終わり(目的)であるポリスも本性によります。こうしてアリストテレスは、人間は本性上 ポリス的動物 だと結論します(1253a1–3) [2] 。 では、なぜ人間は蜂や群れの動物よりもポリス的なのでしょうか。動物のうち人間だけが言葉(ロゴス)をもつからです。声は快と苦を知らせるだけですが、言葉はためになることと害になること、正と不正を示します。それを共にすることが家とポリスを作ります(1253a7–18) [2] 。ホメロスが「部族もなく、掟もなく、炉もない」とののしった者を、アリストテレスは盤上の遊びの孤立した駒にたとえます(1253a3–7) [2] 。 さらに、ポリスは本性上、家や一人ひとりより先にあります。全体は部分より先だからです。体が滅べば、手は石で作った手と同じく、名前だけのものになります(1253a18–25) [2] 。そして、共同体に加われない者や、自足していて何も要らない者は、ポリスの部分ではなく「獣か神」だとされます(1253a27–29) [2] 。旅や追放でポリスの外にいる人のことではなく、本性の上での話です。 ここで間違えやすい 「ポリス的動物」を、政治好きや群れたがりという性格の話と取らないでください。要点は、言葉で正と不正を論じ合える点にあります。また「ポリスは個人より先」は、国のために個人を犠牲にしてよいという意味ではありません。手が体の中でしか手の働きをしないように、人はポリスの中で初めて自足してよく生きられる、という全体と部分の関係です。これが個人の扱いについて何を意味するかには、解釈の争いがあります [1] 。 市民とは誰か――住む人ではなく、裁きと役職に与る人 ポリスは市民の集まりなので、アリストテレスはまず、市民とは誰かを問います(III.1、1274b38–41) [2] 。住んでいることでは決まりません。在留外人も奴隷も同じ所に住んでいるからです(1275a7–8) [2] 。訴えたり訴えられたりできることでも決まりません。協定によって他国の人にもそれは認められるからです。在留外人は多くの所で、保護者を立てなければ裁判に関われませんでした(1275a8–14) [2] 。まだ登録されていない子どもや、役を退いた老人は、但し書きつきの市民にとどまります(1275a14–19) [2] 。 そこで彼は、「端的な市民は、裁きと役職に与ることによって、ほかの何よりも定義される」と言います(1275a22–23) [2] 。裁判員や民会の出席者には任期がありません。しかし、ポリスで最も力のある人々を役職から外すのはおかしいので、これを「期限のない役職」と呼ぶことにします(1275a26–33) [2] (図 2) 。最終的に市民は、審議か裁きの役職に与る 資格 をもつ者と定義されます(1275b18–21) [1] [2] 。 言葉(ロゴス) 得と害、正と不正を示す ポリスのためになるか、 正しいか、正しくないか 女性 奴隷 在留外人 同じポリスに住んでいても 完全な政治的市民資格はなかった 声(フォーネー) 快と苦のしるし 群れて暮らす動物もいる 人間はそれよりポリス的 巣箱と蜂 痛い(苦) 心地よい(快) 自然は何ごとも無駄に作らない 言葉をもつのは人間だけ(I.2) 本教材の絵 図 2 一つ目の絵は、市民が言葉で「ためになるか、正しいか」を論じ合う場面です。点線の綱の外には、同じポリスに住んでいても完全な政治的市民資格をもたなかった女性・奴隷・在留外人がいます。二つ目の絵は、痛みや心地よさを声で知らせるだけの動物たちです(アリストテレスの説明による本教材の絵。人数や配置は作例です)。 この資格は国制で変わります。民主制で市民である人が、寡頭制ではしばしば市民ではありません(1275a3–5) [2] 。だからこの定義は、民主制に最もよく当てはまるとされます(1275b3–6) [2] 。当時のポリスでは、女性・奴隷・外国人などが完全な市民権から除かれていました [1] 。またアリストテレスの議論では、ふつうの労働者の多くも端的な市民に数えられません [1] 。他方、市民は民会や法廷に直接加わったので、いまの代表制より深く統治に関わりました [1] 。 アリストテレスは、本性上の奴隷は熟慮の力を欠くとし(I.13、1260a12)、女性は熟慮の力をもつが、それに「権威がない」とします(1260a13–14) [2] 。SEP は、前者を証拠なしの主張とし、後者もいまの読者には説得力がないとします [1] 。 ここで間違えやすい 「市民」を、いまの国籍や住民と同じだと取らないでください。アリストテレスの市民は、住む人のうち、裁きと役職に与る人に限られます。また、奴隷と女性の論に欠点があるからといって、定義そのものが無意味になるわけでもありません。市民が直接統治に加わる姿を、この定義はよく捉えています。 国制の六つの形と中間層――誰が、誰のために支配するか 国制とは、ポリスの役職、とくに最高の役職の組み立てです(III.6、1278b8–10) [2] 。主人の奴隷への支配は主に主人のためですが、政治の支配は、等しく似た市民が交代で、互いの利益のために行います(1278b32–1279a13) [1] 。そこからアリストテレスは、「公共の利益をめざす国制は正しく、支配者の利益だけをめざす国制は逸れている」と言います(1279a17–21) [1] [2] 。 この物差しと、支配者が一人か少数か多数かを組み合わせると、六つの国制ができます(III.7) [1] (図 3) 。正しい形は王制・貴族制・ポリテイア、逸れた形は僭主制・寡頭制・民主制です。ただしアリストテレスは、数より富を重く見ます。寡頭制で支配するのはふつう富む者、民主制ではふつう貧しい者だからです(III.8) [1] [2] 。 誰が、誰のために支配するか 公共の利益のためなら正しく、 支配者の利益だけなら逸れた形 一人 正しい形は王制、逸れた形は僭主制 少数 正しい形は貴族制、逸れた形は寡頭制 (実際は富む者が支配) 多数 正しい形はポリテイア、逸れた形は 民主制(実際は貧しい者が支配) 中間層の国制 理想に届かない多くのポリスでは、 中間層が厚く有力な混合の国制 (ポリテイアの一種)が最善 図 3 六つの国制の分かれ道です。上の三つの枝は、支配者の数ごとに、公共の利益をめざす正しい形と、支配者の利益だけをめざす逸れた形を対にしています(III.6–8)。いちばん下の枝は、多くのポリスに最もよいとされる中間層の国制です(IV.11)。 両者は、それぞれ正義を主張します。寡頭制の側は、富で勝る者は権利でも勝るべきだと考えます。民主制の側は、自由人として等しい者は等しく扱うべきだと考えます (表 1) 。アリストテレスは、どちらもポリスの目的を取り違えているとします。ポリスは富の事業でも自由の結社でもなく、よく生きるためにあるからです(III.9) [1] 。 この表で分かること: 寡頭制と民主制は、それぞれ富と自由を正義の物差しにして争いますが、アリストテレスは、中間層が厚く有力な国制が最も派閥争いが少ないとします。 国制 誰が支配するか 正義の物差し アリストテレスの評価 寡頭制 富む少数 富で勝る者は権利でも勝る ポリスを富の事業と取り違える 民主制 貧しい多数 自由人として等しければ等しく 自由と平等の結社と取り違える 中間層の国制 ほどほどの財をもつ厚い層 富と自由の要素を混ぜる 理に従いやすく、派閥が最も少ない 表 1 『政治学』III.8–9 と IV.11 による。整理は SEP 3・4 節によります [1] 。 理想の国制に届かない多くのポリスに、彼は 中間層 が厚く有力な国制を勧めます。ほどほどの財をもつ人は「理に従うのが最もたやすい」からです(IV.11、1295b4–6) [1] 。中間層は、両極を合わせたより強いのが望ましく、少なくとも一方より強ければ釣り合いを変えられます(1295b34–39) [2] 。「中間の国制が最善であることは明らかである。派閥争いが最も少ないからだ」(1296a7–9) [1] 。 ここで間違えやすい アリストテレスの「民主制」を、いまの代表制の民主主義と同じだと取らないでください。彼の民主制は、貧しい多数が自分たちの利益のために支配する国制の名です。多数が公共の利益のために支配する正しい形は「ポリテイア」と呼ばれます。また、中間層の国制は、両極の要求を足して二で割っただけの妥協ではありません。アリストテレス自身、IV.11 で倫理学の「徳は中である」に触れ、そこから中間のよさを論じています(1295a35–40) [2] 。 原典を読む 第 1 章の一つ目の節で見た、ポリスが本性による