ポリアーキー――参加と異議申し立ての二つの軸 — Epoché
思想 民主主義 約 25 分 本文 約 10,500 字 図 5・表 2 資料 1 節 この課の要点 理想と現実・二つの軸・順番の 3 つ 理想と現実 ダールは、市民の好みに完全かほぼ完全に応える体制を「民主主義」という理想に取っておき、現実の体制を「ポリアーキー」と呼んで、制度の保障をどこまで満たすかで比べました。 二つの軸 体制は、公的異議申し立て(反対できるか)と参加(誰が加われるか)の二つの軸で四つの型に分けられます。両方が高い型がポリアーキーです。 順番 ダールは、異議申し立てを先に開く道の方がポリアーキーに至りやすく安定しやすいと論じました。この見方には、少数の支配を弁護しているという批判もあります。 はじめに ニュースでは「民主主義の国」「民主主義が揺らいでいる」という言い方をよく聞きます。けれども、選挙をしている国の中にも、反対派の政党が登録を拒まれたり、政府を批判する集まりが禁じられたりする国があります。逆に、反対派が自由に論争していても、選挙に加われる人がごく一部に限られていた時代もありました。「選挙があるかないか」だけで線を引くと、こうした違いが見えにくくなります。 この課程の『エリートの競争』の課では、シュンペーターが民主主義を、指導者が人々の票をめぐって競う方法として最小限に定義したことを学びました。この課で扱うのは、アメリカの政治学者ロバート・A・ダール(1915〜2014)です。ダールは、その競争に誰が加われるのか、競争を意味のあるものにする自由があるのかまで含めて、現実の国を比べる物差しを作りました。それが「ポリアーキー」という語と、「公的異議申し立て」と「参加」という二つの軸です。 この課では、まずダールがなぜ「民主主義」と別の語を使ったのかを確かめます。次に、二つの軸で体制を四つの型に分ける考え方を学び、1900 年の国々が実際にどこにいたかを数で見ます。さらに、二つの軸をどちらから開くかという順番の議論を、1925 年の日本に当てはめます。最後に、この物差しが何を測り、何を測らないのか、どんな批判を受けてきたのかを整理します。資料の章では、日本の選挙権の広さと結社の自由が、120 年あまりの間にどう動いたかをグラフで確かめます。 この課の問い 現実の国を「民主主義か、そうでないか」の二つに分けず、どこが開かれ、どこが閉じているかで見るには、どんな物差しが要るのでしょうか。ダールの「ポリアーキー」と二つの軸は、その物差しとしてどこまで使えるのでしょうか。 この課のことば ポリアーキー 「多くの者の支配」という意味の語。ダールは、理想としての民主主義と区別して、現実の体制をこう呼びました。 公的異議申し立て 政府に反対する人が、罰を恐れずに組織をつくり、批判し、選挙で争えること。「競争」とも言います。 参加(包括性) 政治に加わる権利が、国の大人のうちどれだけの人に認められているか。いちばん分かりやすい例が選挙権の広さです。 制度の保障 市民が自分の好みを形にし、人に示し、政府に等しく扱われるために要る条件。結社の自由・表現の自由・選挙権などです。 競争的寡頭体制 反対や論争は開かれているのに、加われる人が少ない体制。「寡頭」は少数が支配することです(この課での訳語)。 包括的抑圧体制 選挙などに加われる人は多いのに、反対の自由が閉じている体制(この課での訳語)。 ポリアーキー――民主主義を二つの軸で測る シュンペーターは民主主義を「指導者を選ぶ競争」に絞りました。ダールは同じく選挙の競争を中心に置きながら、そこに加われる人の広さと、競争の前提になる自由を物差しに加えました。この章では、理想と現実を分ける語の使い方から始め、二つの軸と四つの型、軸を開く順番、そして物差しの強さと限りへと進みます。 理想と現実を分ける――なぜ「ポリアーキー」と呼ぶのか 日常の言葉で「民主主義」と言うとき、二つの意味が混ざっています。一つは「人々の声に応える政治」という理想です。もう一つは「選挙をして政権を選んでいる国」という現実の制度です。「日本は民主主義の国だ」と言うときは後者を、「日本の民主主義はまだ不十分だ」と言うときは前者を物差しにしています。同じ語で理想と現実の両方を呼ぶと、議論がすれ違いやすくなります。 ダールは 1971 年の著作『ポリアーキー』で、この二つを語の上で分けました。彼は民主主義を、すべての市民に完全に、またはほぼ完全に応える性質を特徴とする政治の体制と定義しました [1] [2] 。民主主義の要は、市民の好みに政府が応え続けることだとされます [3] 。そのうえでダールは、「民主主義」の語をこの理想のために取っておき、より現実的な基準として「ポリアーキー」の条件を立てました [2] 。ポリアーキーは、この理想に最も近い現実の体制を指します [3] 。 なぜ別の語が要るのでしょうか。理由を段階に分けると次のようになります。第一に、すべての市民に完全に応える政治は、どの国も達したことのない理想です。第二に、理想に達した国が無いなら、現実の国は「どこまで近づいたか」という程度で比べるしかありません。第三に、程度を比べるには、満たすべき具体的な条件を並べる必要があります。ダールは、この条件を制度の保障として並べました。 1971 年の本が挙げた保障は八つです [2] [3] 。まず、結社をつくり加わる自由、表現の自由、投票の権利、公職に就く資格です。次に、政治指導者が支持を競う権利と、政府以外の別の情報源です。そして、自由で公正な選挙と、政府の政策を票などの好みの表明に依存させる制度です。ダールは、これらが無ければ、市民は自分の好みを形にすることも、人に示すことも、政府の行いの中で等しく重みづけてもらうこともできないと論じました [3] 。保障の数は、後の 1989 年の著作で七つ、1998 年の著作で六つに整理されました [2] 。 日本に当てはめてみましょう。いまの日本を「民主主義の国」と呼ぶとき、それは理想に達したという意味ではありません。ダールの語に置き換えれば、「八つ(後には六つ)の保障をかなりの程度で満たした現実の体制」、つまりポリアーキーだという意味になります(本教材の整理)。こう言い換えると、「どの保障がどこまで満たされているか」を一つずつ問えるようになります。理想と現実を分けることは、現実の国を批判する道具にもなるのです。 ここで間違えやすい ポリアーキーは「民主主義ではない別の体制」の名前ではありません。理想としての民主主義に最も近づいた現実の体制を呼ぶ語です。「ポリアーキーにすぎない」と言うとき、それは理想との距離を示しているのであって、独裁と同じだという意味ではありません。 二つの軸――反対できるか、誰が加われるか ダールは八つの保障を、二つの次元に分けて整理しました [1] [3] 。一つは公的異議申し立て(競争とも言います)です。政府に反対する人が、罰を恐れずに組織をつくり、批判し、選挙で争えるかどうかの軸です。もう一つは参加(包括性とも言います)です。そうした競争に加わる権利が、国の人々のうちどれだけに認められているかの軸です(二つの軸の言い換えは本教材による)。ダールの用語では、競争と異議申し立て、参加と包括性は同じ意味で使われます [3] 。 二つの軸の高い・低いを組み合わせると、四つの型ができます (表 1) 。両方が低いのが閉鎖的抑圧体制、両方が高いのがポリアーキーです [3] 。異議申し立ては高いが参加が低いのが競争的寡頭体制、参加は高いが異議申し立てが低いのが包括的抑圧体制です [3] 。日本語の型の名は、この課での訳語です。 この表で分かること: 二つの軸の高い・低いの組み合わせで、四つの型ができます。 型 異議申し立て 参加 閉鎖的抑圧体制 低い 低い 競争的寡頭体制 高い 低い 包括的抑圧体制 低い 高い ポリアーキー 高い 高い 表 1 ダールの四つの型( [3] による。日本語の型の名はこの課での訳語)。 競争的寡頭体制と包括的抑圧体制の違いを、場面で比べてみます (図 1) 。上の絵では、広間の中の少数の人が二派に分かれて自由に論争していますが、柵の外の大勢は選挙に加われません。下の絵では、大勢が投票箱の前に並んでいますが、候補は一人しかおらず、反対の声は止められています。どちらも半分だけ開いた体制ですが、閉じている軸が違います。研究の例では、1994 年より前の南アフリカが、人口の大多数が選挙権を持たない競争的寡頭体制の知られた例として挙げられます [2] 。 競争的寡頭体制 賛成 反対 中の少数は自由に反対できる 外の大勢は選挙に加われない 包括的抑圧体制 反対 候補は一人 投票箱 大勢が投票に並ぶ 反対の声は止められる 図 1 二つの軸の片方だけが開いた体制(本教材の作例)。上の絵は競争的寡頭体制、下の絵は包括的抑圧体制の場面です。 二つの軸はきれいに分かれるわけではありません。ダール自身、二つの次元には重なりがあると認め、自由で公正な選挙で投票する権利は両方の次元にかかわると書いています [3] 。投票は「加わる」ことであると同時に、「政府に反対する票を入れる」ことでもあるからです。四つの型は、現実の国を当てはめるための角であり、多くの国はその中間に位置します。 現実の国が平面のどこにいたかを、数で見てみましょう (図 2) 。ここでは本教材の作例として、V-Dem(民主主義の多様性の研究所)のデータから二つの値を選び、1900 年の 9 か国を置きました [4] 。参加の手がかりには「選挙権を持つ成人の割合」を、異議申し立ての手がかりには「結社の自由の指数」を使います。前者は、法の定める成人の市民のうち、国政選挙で投票する法の上の権利を持つ人の割合で、男子だけの普通選挙は 0.5 と数えます [4] 。後者は、反対党を含む政党や市民の団体が、どこまで自由に結成し活動できるかを専門家の判定から推定した 0〜1 の値です [4] 。 結社の自由の指数(0〜1) 0 0.25 0.50 0.75 1 0 0.25 0.50 0.75 1 選挙権を持つ成人の割合(0〜1) ニュージーランド イギリス ドイツ スペイン メキシコ イタリア 日本 ロシア エチオピア 出典:V-Dem Institute, V-Dem Dataset v16(2026 年 3 月)・CC BY-SA 4.0(1900 年の v2x_suffr・v2x_fra ssoc_thick) 図 2 1900 年の 9 か国の位置。横は選挙権を持つ成人の割合、縦は結社の自由の指数(どちらも 0〜1)。国は本教材が選びました。V-Dem Dataset v16 から本教材が作成。データと図の利用条件は CC BY-SA 4.0 [4] 。 図2の右上にはニュージーランド(選挙権 1.00、結社 0.90)がいます。イギリスは結社の自由が 0.87 と高い一方、選挙権は 0.35 で、左上、つまり競争的寡頭体制の側にいます。メキシコは選挙権が 0.5 でも結社の自由が 0.17 と低く、右下の包括的抑圧体制の側です。ロシアとエチオピアは左下、日本は選挙権 0.05、結社 0.45 で左の中ほどにいます [4] 。ただし、この二つの値はダールの二つの軸そのものではなく、それぞれの軸の一部を測る手がかりです。 ここで間違えやすい 二つの軸の一方だけを満たしても、ポリアーキーにはなりません。大人の全員に選挙権があっても、反対党が禁じられていれば包括的抑圧体制の側です。逆に、論争が自由でも、加われる人が一部なら競争的寡頭体制の側です。「選挙権が広い=民主的」「言論が自由=民主的」のどちらも、片方の軸だけを見た判断です。 どちらを先に開くか――民主化の道と 1925 年の日本 閉鎖的抑圧体制からポリアーキーへ向かう道は、二つの軸のどちらを先に開くかで三つに分けられます (図 3) 。異議申し立てを先に開いて競争的寡頭体制を経る道、参加を先に広げて包括的抑圧体制を経る道、二つを同時に開く道です。ダールは、参加を先に、または異議申し立てと同時に広げる道の方が難しく、異議申し立てを先に開く道の方が容易で、安定しやすいと見込みました [1] [3] 。 閉鎖的抑圧体制から出発 反対もできず、加われる人も 少ない 異議申し立てが先 競争的寡頭体制を経て、後から参加を 広げる 参加が先 包括的抑圧体制を経て、後から反対の 自由を開く 同時に開く 二つの軸を一度に開いてポリアーキーへ 図 3 閉鎖的抑圧体制からポリアーキーへの三つの道(ダールの議論を [3] に従って本教材が図にしたもの)。どの道も行き着く先はポリアーキーです。ダールは一つ目の道を最も安定しやすいと見ました。 なぜ異議申し立てが先だと安定しやすいのでしょうか。ダールの理由を段に分けます。第一に、競争に加わる人が少なく、好みも似ていれば、競争のやり方について合意を作りやすくなります [3] 。第二に、競争が少数の間に限られている間に、競争の政治の決まりや慣行や文化、そして寛容と相互の安全が育ちやすくなります [3] 。相互の安全とは、選挙で負けた側も罰を受けず、次の機会に勝つ道が残ると、互いに信じられることです(本教材の言い換え)。第三に、反対に大勢が一度に加わると、たくさんの人の好みを調整し直す必要が生じ、それが難しさを増します [3] 。なお、分配をめぐる圧力が強まって対立が起きやすくなるという点は、ボエセとウィルソンが他の研究を引いて付け加えた説明です [3] 。 参加を先に広げる道にも、いくつかの形があります。テオレルらは、ダールが論じ、後の研究も示したように、普通選挙で執政の長を選ぶ仕組みを入れながら、選挙の強い操作、競争の欠如、表現の自由の抑圧を伴う道があると述べています [2] 。選挙の形は整っていても、異議申し立ての軸が閉じたままの体制です。 この見方を日本に当てはめてみます。1925 年 5 月 5 日に公布された衆議院議員選挙法の改正(普通選挙法)は、選挙権の条件から納税の額を外し、満 25 歳以上の男子に選挙権を与えました [5] 。有権者は改正前の 4 倍に増えました [5] 。同じ年の 4 月 21 日には治安維持法が公布されています。その第 1 条