3.18 名詞節 — 思う・言う・知る の中身を節にする — Epoché
この 課 か でできるようになること 思う おもう 、 言う ゆう 、 知る しる の 中身 なかみ を 節 ふし にできる。 三 みっ つの 導く みちびく 語 ご を、 意味 いみ の 違い ちがい で 使い分け つかいわけ られる。 日本 にっぽん 語 ご の「と」にあたるものが、ギリシア 語 ご では 三 みっ つに 割れる われる ことを 知る しる 。 前提 ぜんてい : 3.17( 数 すう と 時刻 じこく と 日付 ひづけ )。 第 だい 3 期 き の 型 かた 編 へん の 最初 さいしょ の 課 か です。 第 だい 3 期 き の 主題 しゅだい は 文 ぶん と 文 ぶん をつなぐこと です。 第 だい 2 期 き までは、 一 ひと つの 文 ぶん の 中 なか で 組み立て くみたて を 学び まなび ました。ここからは、 文 ぶん が 文 ぶん の 部品 ぶひん になります。 本 ほん 課程 かてい が 測っ はかっ たところ、つなぐ 型 かた は 会話 かいわ より 散文 さんぶん でずっと 多く おおく 出 で ます 。この 段 だん は、 読む よむ ための 段 だん です。 型 かた の 骨格 こっかく — 中身 なかみ を 節 ふし にする 三 みっ つの 語 ご 思う おもう 、 言う ゆう 、 知る しる ——これらの 動詞 どうし には 中身 なかみ が 要り いり ます 。 何 なん を 思う おもう のか、 何 なん を 言う いう のか。その 中身 なかみ が 一 いち 語 ご で 済ま すま ないとき、 節 ふし にします。 導く みちびく 語 ご は 三 みっ つあります。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 導く みちびく 語 ご 表す あらわす もの どんな 動詞 どうし のあとに 来る くる か ότι 事実 じじつ として 述べる のべる 言う いう 、 思う おもう 、 知る しる 、 聞く きく 。 書き言葉 かきことば に 多い おおい πως これも 事実 じじつ として 述べる のべる 同じ おなじ 動詞 どうし に 使える つかえる 。 話し言葉 はなしことば に 多い おおい να まだ 起き おき ていないこと、 望む のぞむ こと 望む のぞむ 、できる、しなければならない 一 ひと つ 目 め と 二 ふた つ 目 め は 入れ替え いれかえ ても 意味 いみ が 変わり かわり ません 。 違う ちがう のは 調子 ちょうし だけで、 書く かく ときは 一 ひと つ 目 め 、 話す はなす ときは 二 ふた つ 目 め が 多く おおく 出 で ます。 どちらを 使っ つかっ てもよい と 覚え おぼえ てください。 三 みっ つ 目 め は 3.13 で 学ん まなん だものです。ここで 大事 だいじ なのは、 三 みっ つ 目 め とほかの 二 ふた つの 違い ちがい です。 事実 じじつ を 述べる のべる か、まだ 起き おき ていないことを 言う ゆう か。 この 違い ちがい が 動詞 どうし を 選び えらび ます 。 日本 にっぽん 語 ご ならどう 言う ゆう か 日本 にっぽん 語 ご では、この 三 みっ つが 全部 ぜんぶ 「と」で 済み すみ ます 。 雨 あめ だと 思う おもう 、 行く いく と 言っ いっ た、 行こう いこう と 思う おもう 。 助詞 じょし が 一 ひと つで 足り たり ます。 ギリシア 語 ご では 割れ われ ます。 雨 あめ だと 思う おもう は 事実 じじつ の 側 がわ 、 行こう いこう と 思う おもう は 望み のぞみ の 側 がわ 。 日本 にっぽん 語 ご では 同じ おなじ 「 思う おもう 」でも、ギリシア 語 ご では 続く つづく 節 ふし の 導く みちびく 語 ご が 変わり かわり ます。 見分け みわけ 方 かた は 簡単 かんたん です。 すでにそうなっていることを 言う ゆう なら 事実 じじつ の 側 がわ 、これからそうしたいことを 言う ゆう なら 望み のぞみ の 側 がわ 。 時制 じせい の 話 はなし ではありません。 実現 じつげん しているかどうか の 話 はなし です。 そしてもう 一 ひと つ、 日本 にっぽん 語 ご との 大きな おおきな 違い ちがい があります。 日本 にっぽん 語 ご は 節 ふし が 動詞 どうし の 前 まえ に 来 き ますが、ギリシア 語 ご では 後ろ うしろ に 来 き ます。 雨 あめ だと 思う おもう 、が 私 わたくし は 思う おもう 、 雨 あめ だと になる。 語順 ごじゅん が 逆転 ぎゃくてん する ので、 聞く きく ときに 戸惑い とまどい ます。 ただし 慣れる なれる と 利点 りてん があります。 先 さき に 動詞 どうし が 来る くる ので、これから 何 なん が 語ら かたら れるかが 最初 さいしょ に 分かる わかる 。 思う おもう のか、 言う いう のか、 知っ しっ ているのか。 日本 にっぽん 語 ご では 最後 さいご まで 聞か きか ないと 分かり わかり ません。 実 じつ 文 ぶん で 確かめる たしかめる 十 じゅう 文 ぶん あります。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 前半 ぜんはん が 事実 じじつ 、 後半 こうはん が 望み のぞみ です。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Νομίζω ότι είναι άρρωστη. [1] あの 人 ひと は 具合 ぐあい が 悪い わるい のだと 思い おもい ます。 事実 じじつ の 側 がわ 。 形容 けいよう 詞 し が 女性 じょせい の 形 かたち Νομίζω ότι είναι αθώος. [2] あの 人 ひと は 潔白 けっぱく だと 思い おもい ます。 同じ おなじ 導く みちびく 語 ご 。 形容 けいよう 詞 し が 男性 だんせい の 形 かたち Είπε ότι είναι Ρώσος. [3] あの 人 ひと はロシア 人 にん だと 言い いい ました。 言う いう のあと。 時制 じせい が 変わら かわら ないのが 特徴 とくちょう Πιστεύω ότι κάνεις λάθος. [4] あなたは 間違っ まちがっ ていると 思い おもい ます。 4.5 の 確信 かくしん のある 思う おもう と 組む くむ Πιστεύω πως ήταν άδικο. [5] あれは 不 ふ 公平 こうへい だったと 思い おもい ます。 話し言葉 はなしことば の 導く みちびく 語 ご 。 中身 なかみ が 過去 かこ でも 形 かたち は 同じ おなじ Νομίζω πως πεινάς. [6] おなかがすいているのでしょう。 当て あて 推量 すいりょう の 思う おもう 。これも 事実 じじつ の 側 がわ Θέλω να πάω. [7] 行き いき たいです。 望み のぞみ の 側 がわ 。 二 ふた つとも 私 わたくし の 形 かたち Θέλεις να συνεχίσω; [8] 続け つづけ ましょうか。 望み のぞみ の 側 がわ で、 主語 しゅご が 変わる かわる Πρέπει να φάω. [9] 食べ たべ なければなりません。 望み のぞみ の 側 がわ 。 無 む 人称 にんしょう のあとは 必ず かならず こちら Μπορώ να φάω. [10] 食べ たべ られます。 望み のぞみ の 側 がわ 。できる のあとも 必ず かならず こちら 三 みっ つ 目 め に 注目 ちゅうもく してください。 言っ いっ たのは 過去 かこ なのに、 節 ふし の 中 なか は 現在 げんざい の 形 かたち です。 日本 にっぽん 語 ご なら「ロシア 人 にん だと 言っ いっ た」で、これも 現在 げんざい の 形 かたち 。 ここは 日本 にっぽん 語 ご とギリシア 語 ご が 一致 いっち し、 英語 えいご だけがずれます 。 英語 えいご では 時制 じせい を 過去 かこ に 合わせ あわせ なければなりません。 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ には 有利 ゆうり なところです。 よくある 誤り あやまり 誤り あやまり その 一 いち 、 事実 じじつ と 望み のぞみ を 取り違える とりちがえる 。 いちばん 多い おおい 誤り あやまり です。 実現 じつげん しているかどうか で 決め きめ てください。 時制 じせい ではありません。 誤り あやまり その 二 に 、 時制 じせい を 合わせよう あわせよう とする。 英語 えいご を 学ん まなん だ 人 ひと がやりがちです。 ギリシア 語 ご は 時制 じせい を 動かし うごかし ません。 言っ いっ たときにその 人 ひと が 言っ いっ た 形 かたち を、そのまま 置き おき ます。 誤り あやまり その 三 さん 、 導く みちびく 語 ご を 落とす おとす 。 日本 にっぽん 語 ご では「 思う おもう 」の 前 まえ に 何 なん も 置か おか なくても 通じ つうじ ますが、ギリシア 語 ご では 必ず かならず 一 いち 語 ご 置き おき ます 。 落とす おとす と 二 ふた つの 文 ぶん が 並ん ならん だだけになります。 広げる ひろげる — 節 ふし が 名詞 めいし の 代わり かわり をする この 課 か で 覚え おぼえ た 節 ふし には、もう 一 ひと つの 働き はたらき があります。 名詞 めいし の 代わり かわり になる ことです。 あなたが 来る くる ことが 嬉しい うれしい 。 彼 かれ が 正しい ただしい のは 明らか あきらか だ。 節 ふし そのものが 主語 しゅご になっています。 ギリシア 語 ご ではこれがふつうで、 日本 にっぽん 語 ご の「こと」「の」にあたる 語 ご を 足す たす 必要 ひつよう がありません。 そして、 節 ふし は 入れ子 いれこ にできます 。あの 人 ひと は、 私 わたくし が 来る くる と 思っ おもっ ていると 言っ いっ た。 導く みちびく 語 ご が 二 に 度 ど 出 で て、 節 ふし が 二 に 重 じゅう になる。 散文 さんぶん が 長い ながい 文 ぶん を 作れる つくれる のは、この 入れ子 いれこ のおかげ です。 読 どく 編 へん の 読み物 よみもの でこれから 出会う であう 長い ながい 文 ぶん は、ほとんどがこの 仕掛け しかけ でできています。 長い ながい 文 ぶん を 読む よむ こつは、 導く みちびく 語 ご を 探す さがす こと です。そこで 文 ぶん が 折れ おれ ているからです。 もう 一 ひと つ、 話し言葉 はなしことば での 省き はぶき 方 かた を 書い かい ておきます。 事実 じじつ の 側 がわ の 導く みちびく 語 ご は、 口語 こうご ではしばしば 落ち おち ます。 思う おもう 、 雨 あめ だ——という 並び ならび で、あいだの 一 いち 語 ご が 無い ない ことがある。 日本 にっぽん 語 ご で「 思う おもう 、 雨 あめ だ」と 言う ゆう と 妙 みょう ですが、ギリシア 語 ご では 自然 しぜん に 聞こえ きこえ ます。 ただし 自分 じぶん では 落とさ おとさ ないでください 。 落とす おとす かどうかは 調子 ちょうし の 問題 もんだい で、 置い おい ておけば 必ず かならず 通じ つうじ ます。 落ち おち た 形 かたち は、 聞い きい たときに 分かれ わかれ ばよい 段階 だんかい です。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — どちらの 側 がわ か 次 つぎ の 日本 にっぽん 語 ご は、 事実 じじつ の 側 がわ と 望み のぞみ の 側 がわ のどちらですか。 答え こたえ はこの 課 か の 最後 さいご にあります。 雨 あめ だと 思う おもう 行こう いこう と 思う おもう 来る くる と 言っ いっ た 来 き てほしいと 言っ いっ た 練習 れんしゅう 2 — 時制 じせい を 動かす うごかす か 次 つぎ の 場面 ばめん で、 節 ふし の 中 なか の 動詞 どうし は 現在 げんざい と 過去 かこ のどちらになりますか。 いま、あの 人 ひと は 病気 びょうき だと 思う おもう あのとき、あの 人 ひと は 病気 びょうき だと 思っ おもっ た あの 人 ひと は 来る くる と 言っ いっ た あの 人 ひと は 来 き たと 言っ いっ た 練習 れんしゅう 3 — 音読 おんどく 実 じつ 文 ぶん の 十 じゅう 文 ぶん を、 音声 おんせい のあとについて 声 こえ に 出し だし てください。 導く みちびく 語 ご を 弱く よわく 、 続け つづけ て 読む よむ こと 。この 語 ご は 文 ぶん の 折れ目 おれめ ですが、 強く つよく は 鳴り なり ません。 前後 ぜんご を 切ら きら ずに、 一続き ひとつづき に 読ん よん でください。 この 課 か のまとめ 導く みちびく 語 ご は 三 みっ つ。 事実 じじつ の 側 がわ が 二 ふた つ、 望み のぞみ の 側 がわ が 一 ひと つ 。 事実 じじつ の 側 がわ の 二 ふた つは 入れ替え いれかえ ても 意味 いみ が 変わら かわら ない 。 書き言葉 かきことば と 話し言葉 はなしことば の 差 さ だけ。 日本 にっぽん 語 ご では 全部 ぜんぶ 「と」で 済む すむ 。ギリシア 語 ご は 実現 じつげん しているかどうか で 割れる われる 。 節 ふし は 動詞 どうし の 後ろ うしろ 。 日本 にっぽん 語 ご と 語順 ごじゅん が 逆転 ぎゃ