政治学の見取り図――思想・制度・行動・国際の四つの窓 — Epoché
基礎 総説 約 25 分 本文 約 11,100 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 問い・方法・組み合わせの 3 つ 問い 思想は「どうあるべきか」、制度は「決まりが何を生むか」、行動は「人は実際にどう動くか」、国際は「中心のない世界で何が起こるか」を問う 方法 論証と古典の読み直し、国や時代の比較、調査と統計、理論と事例――窓ごとに答えの確かめ方が違う 組み合わせ 窓の分け方は学問の歩みをもとにした本教材の整理で、一つの問題を複数の窓から見ると、問いと確かめ方が増える はじめに 前の課で、政治を「対立を共同の決定に変える営み」と捉えました。では、その営みを調べる政治学は、何をどのように調べる学問なのでしょうか。大学の政治学の授業の一覧を見ると、「政治理論」「比較政治」「政治行動論」「国際関係論」のような名前が並んでいます。同じ「政治」を扱うのに、なぜこれほど細かく分かれているのでしょうか。 たとえば「国会議員に女性が少ない」という話題を考えてみましょう。ある人は「議会は社会の男女の構成を映すべきか」と問います。別の人は「候補者の選び方や選挙の仕組みを変えれば、結果は変わるのか」と問います。さらに別の人は「誰が、なぜ立候補をためらうのか」を調べます。また別の人は「ほかの国の取り組みや国際的な約束は、日本の制度づくりにどう届くのか」を考えます。同じ話題でも、問いの立て方も、答えを確かめる材料も違うのです。 この課では、この違いを思想・制度・行動・国際の「四つの窓」として整理します。窓の分け方は本教材の整理で、学問の公式の区分ではありません。ただ、その背景には、政治学が「国家の学」として出発し、方法をめぐる論争を重ねながら区画を増やしてきた歴史があります。まず窓ができた歩みをたどり、次に窓ごとの問いと確かめ方を見て、最後に一つの問題を四つの窓で見る練習をします。 資料としては、2018 年に作られた「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」の条文を読みます。短い条文の中に四つの窓の問いがそろって顔を出していることを、自分の目で確かめてください。 この課の問い 政治学は同じ「政治」を、どんな問いと方法に分けて調べてきたのか。思想・制度・行動・国際の四つの窓はどう生まれ、一つの問題に当てるときどう組み合わせればよいのか。 この課のことば 政治理論 自由・平等・正義など、政治の基本の考え方を吟味する分野。この課では主に「どうあるべきか」を論証で考える規範の理論を指す。過去の思想を理解し説明する政治思想史も近い分野 行動論 人や集団が実際にどう動くかを、観察・調査・統計で確かめようとする政治学の流れ。1950〜60 年代に広がった 新制度論 決まりごと(制度)が人の行動と政治の結果をどう形づくるかを説明しようとする見方。1980 年代から広がった アナーキー 国際社会には国家の上に立つ政府がない、という状態。「混乱」ではなく「上位の政府がない」の意味 分析のレベル 原因をどの単位で探すかの区別。個人(指導者)・国家・国際体系など。事件の説明は、どのレベルを見るかで変わる 四つの窓――政治学は何を問い、どう確かめるのか 前の課の最後で、この課程を思想・制度・行動・国際の窓に分けて歩くと述べました。この章では、その窓がどのようにできたのかをたどり、窓ごとに何を問い、どんな材料で答えを確かめるのかを見ていきます。最後に、日本の一つの法律を例に、四つの窓を組み合わせて使う練習をします。 窓はどうしてできたか――国家の学から下位分野へ 政治について考える営みは古代ギリシアから続いていますが、「政治学」が大学の独立した学科になったのは 19 世紀の後半です。政治学は歴史学・哲学・法学から分かれ、政治学の名を付けた学科や講座が大学に作られていきました [14] 。この章では、政治学の下位分野を、一つの建物を四方からのぞく窓にたとえます (図 1) 。同じ建物を見ていても、窓が違えば見えるものも、立つ問いも違います。 同じ「政治」を四つの窓から 政治 思想 制度 行動 国際 どうあるべきか 決まりの帰結 人はどう動くか 国の外との関わり 窓が違えば、見えるものも問いも違う 図 1 一つの建物(政治)を四方の窓からのぞく四人(本教材のたとえ)。同じ建物を見ていても、どの窓からのぞくかで、見えるものも、立つ問いも違います。 出発点の政治学が自分をどう定義したかは、1886 年に創刊された学術誌『ポリティカル・サイエンス・クォータリー』の創刊号に見えます。スミスはそこで政治学を「国家の科学」と呼び、国家の組織と機能、そして国家どうしの関係を含むものとしました [1] 。いまの言葉で言えば、制度の窓と国際の窓の原型が、最初の定義にすでに入っています。逆に、有権者や政党が実際にどう動くかという行動の窓は、まだ表に出ていません。 1903 年にはアメリカ政治学会が設立され [2] 、政治学は経済学などの研究から区別された専門の学会をもつようになりました [14] 。国際関係の研究は、第一次世界大戦の衝撃から独立の区画になります。1919 年、ウェールズのアベリストウィスに国際政治の学科が設けられました。デイヴィッド・デイヴィスが、戦争で死傷した学生を悼んで寄付したもので、初代の「ウッドロー・ウィルソン教授」にはジマーンが就きました [3] 。戦争をどう防ぐかという切実な問いが、国際の窓を一つの学科にしたのです。 行動の窓は、制度の研究への不満から生まれました。シカゴ大学のメリアムは 1920〜30 年代に、人が法や公式の規則に従っているかを見るだけでなく、個人と集団の実際の政治行動を調べることの大切さを説きました。そのため、行動論の源とされます [14] 。1925 年の著書『政治の新しい側面』は、そのころの一冊です [4] 。この流れは 1950〜60 年代に「行動論革命」と呼ばれるほど広がりました [14] 。ダールは 1961 年の論文の題で、行動論を「成功した抗議」と呼び、その記念碑に墓碑銘を寄せています [6] 。題の言葉からは、行動論が抗議として始まり、そのころには主流に入っていたという見方がうかがえます(本教材の読み)。 1886 学術誌の創刊号で政治学を 「国家の科学」と定義 1903 アメリカ政治学会が発足 1919 アベリストウィスに国際政治の 学科 1925 メリアム『政治の新しい側面』 1950〜60 年代 行動論が広がり主流になる 1959 クリックが米国の行動論を批判 1984 マーチとオルセン「新制度論」 1992 ウェント「アナーキーは 国家しだい」 図 2 政治学の窓が増えた歩み(主な出来事)。国家の学として出発し、国際政治の学科、行動論、その批判、新制度論と、方法をめぐる反発と修正の中で区画が増えました。 主流になった方法には、反発も起こります。英国のクリックは 1959 年の著書で、米国で主流だった行動論の前提を一つずつ退け、伝統的な政治学の方がすぐれていると論じました [7] 。制度の側では、マーチとオルセンが 1984 年に「新制度論」と題する論文を書き、制度をもう一度、説明の中心に置こうとしました [9] 。窓は整然と並んで生まれたのではなく、ある方法への反発と修正の中で一つずつ増えてきたのです(本教材の整理)。 日本でも、政治学が科学であるとはどういうことかが問われてきました。丸山眞男には「科学としての政治学」と題する論文があり、いまは岩波文庫の『政治の世界 他十篇』で読むことができます [15] 。題そのものが、この課の問いと重なっています。科学であるために事実と価値をどう扱うかは、後の課『事実と価値を分ける』で改めて考えます。 ここで間違えやすい 四つの窓を、大学の学科や学会の公式の区分だと思わないでください。国によって呼び方も分け方も違います。「ポリティカル・サイエンス」という呼び名は、1960 年代以後の北米で、ほかの地域より多く使われています。1960 年代より前からある大学やその影響を受けた所では「ガバメント」と呼ぶことがあり、北米の外では、より広い「政治研究」の一部と見ることもあります [14] 。窓は、本教材が学ぶ順序のために立てた「見る角度」です。 思想の窓と制度の窓――「べき」の論証と、決まりの帰結 思想の窓(政治理論・政治思想)は、この課では主に「どうあるべきか」を問う規範の理論として扱います。政治思想の研究には、過去の思想家が何を考え、なぜそう考えたのかを理解し説明する思想史の仕事も含まれますが、ここでは規範の問いを中心に見ます。自由とは何か、どんな分け方が公正か、誰が決めるのが正しいか、といった問いです。こうした問いは主に規範的で、価値判断を通して政治を評価します。これに対して実証の政治学は、「何であるか」を記述し、なぜそうなるのかを説明することを重んじます(本教材の整理)。ただし、政治学者の中にも、実証の主張をする人と、政策の提言のような規範の主張をする人の両方がいます [14] 。二つは人で分かれるのではなく、問いで分かれるのです。 思想の窓で答えを確かめる方法は、論証です。主張の前提を明らかにし、その前提から結論が本当に出てくるかを確かめます。反例を立てて主張を試し、思考実験で私たちの直観を問い直します。古典を、書かれた時代の文脈に置いて読み直すことも大切な方法です(本教材の整理)。たとえば後の課『分配的正義』では、社会の中で自分がどの立場になるかを知らないとしたらどんな原理を選ぶか、という思考実験を手がかりに、公正な分け方の原理を比べます。数をいくら集めても「どうあるべきか」には答えが出ないので、筋道の強さで比べるのです。 思想の窓と行動の窓は、緊張をはらんできました。行動論は事実と価値を分け、価値から自由な研究を理想にしました [14] 。クリックは、この理想を含む行動論の前提を退け、政治の研究が哲学と歴史の面を軽んじることを批判しました [7] 。事実と価値をどう分け、どうつなぐかは、次の課の主題です。 制度の窓は、「決まりが何を生むか」を問います。ここでいう制度は、憲法や選挙の仕組みのような公式の決まりだけでなく、慣行のような公式でない決まりも含みます。スポーツにたとえれば、試合のルールです(本教材のたとえ)。英米では 1950 年代まで、政府の公式の制度を国ごとに比べる研究が政治学の中心でした [14] 。この「旧い制度論」は制度を詳しく描きましたが、国どうしを比べて説明する力は弱かったと、後の研究者に批判されています [14] 。 旧い制度論 新制度論 対象:憲法・ 議会など公式の制度 対象:慣行も含む 決まり 方法:国ごとの 詳しい記述 方法:比較と理論に よる説明 制度の意味:条文に 書かれた仕組み 制度の意味:行動を 縛り、助ける決まり 問い:どんな 仕組みか 問い:決まりが何を 生むか 図 3 旧い制度論と新制度論の違い(本教材の整理)。左右の行は同じ項目(対象・方法・制度の意味・問い)の順に並べています。 行動論の時代に制度は脇に追いやられましたが、1980 年代に新制度論として戻ってきます [9] 。新制度論は、公式・非公式の決まりが人と集団の行動を縛り、同時に可能にする働きに注目します(本教材の整理)。よく三つの流れに分けられます。合理的選択制度論は、制度を、自分の得を求める人々の行動に外から加わる制約、つまり「ゲームのルール」と見ます。歴史的制度論は、いつ・どんな順で決まったかを重んじ、いったん分かれ道を過ぎると、効率が悪くても元に戻りにくいという「経路依存」を強調します。社会学的制度論は、人が「この場ではこうふるまうのが適切だ」という規則に従って動くと見ます。これを「適切さの論理」と呼びます。三つの流れの分け方は本教材の整理です。 日本の例で考えてみます。日本国憲法第 69 条は、衆議院で内閣の不信任の決議案が可決されたとき(または信任の決議案が否決されたとき)の決まりです。十日以内に衆議院が解散されない限り、内閣は総辞職しなければならないと定めています [13] 。旧い制度論なら、この条文と手続きを正確に描きます。新制度論は、この決まりがあることで、与党の議員や首相の行動がどう変わるかを問います(本教材の作例)。たとえば、不信任が通れば内閣が倒れるか選挙になるので、与党の議員は造反しにくくなる、という仮説が立ちます。この仮説を確かめる方法は一つではありません。似た決まりをもつ国ともたない国を比べる、決まりが変わった前と後を比べる、一つの政局の過程を追って議員の動きを確かめる、といった方法があります。どの方法でも、党の規律や選挙の事情など、ほかの要因で説明できないかを検討します(本教材の整理)。制度の窓が、国や時代を比べる方法と結びつきやすいのはこのためです。 ここで間違えやすい 思想の窓は好みを言い合う所ではなく、論証の筋道で比べる所です。制度の窓は条文を暗記する所ではなく、決まりの帰結を説明する所です。二つは調べ方の違いであって、どちらが学問として上かという話ではありません。 行動の窓と国際の窓――人の動きを測り、中心のない世界を説明する 行動の窓は、「人は実際にどう動くか」を問います。行動論は、人がどう行動すべきかではなく、実際にどう行動しているかを、確かめられる事実によって調べようとしました(本教材の整理)。方法は、調べる相手を選ぶ標本抽出、面接、答えを点数や尺度に置き換える工夫、そして統計分析です。たとえば、どんな人が投票に行き、どんな人が棄権するのかを、世論調査の答えから確かめます。後の課『投票参加』では、年代ごとの投票率を実際の数で確かめます。 1960 年代の後半からは、経済学のゲーム理論を借りて、人や政党が自分の目的のために戦略的にふるまうと仮定する研究も広がりました [14] 。ここでは、数を集める前に、仮定から結論を導くモデルを作ります。行動の窓の中にも、観察から出発する道と、仮定から出発する道があるのです。 行動論の考え方は、批判者クリックの整理を通して見るとよく分かります。クリックは行動論の前提を六つに数えました。一つ目は、研究によって人間の行動の規則性を発見できるということです。二つ目は、その規則性を経験的なテストと測定で確かめられるということです。三つ