投票参加――なぜ人は投票に行くのか — Epoché
制度と行動 選挙・政党・市民 約 25 分 本文 約 10,600 字 図 5・表 2 資料 1 節 この課の要点 損得・資源・制度の 3 つ 損得 一票で結果が変わる見込みは小さいので、投票の理由は結果を変えること以外(義務感・支持の表明・周りの目)に多くを負う 資源 時間・お金・技能と、人からの誘い(動員)を持つ人ほど行きやすい。ただし投票では資源より政治への関心が強く効く 制度 義務投票・登録の手続き・投票の手間などのルールが、行く手間と行く理由を変え、国ごとの差の多くを生む はじめに 2026 年 2 月 8 日に行われた第 51 回衆議院議員総選挙の投票率は 56.26%でした [1] 。投票できる人のうち、半分を少し超える人が投票し、残りの人は棄権したことになります。選挙のたびに「投票に行こう」と呼びかけられるのに、なぜ行く人と行かない人が分かれるのでしょうか。 考えてみると、投票は不思議な行動です。小選挙区の有権者は数十万人にのぼり、自分の一票で当選者が入れ替わることはまずありません。それでも投票日に雨の中を歩いて投票所に行く人がいます。損得だけで考えると割に合わないのに、実際には多くの人が投票します。政治学ではこの謎を「投票のパラドックス」と呼んできました。 この課程の「投票行動」の課では、人が「誰に入れるか」をどう決めるかを見ました。この課はその一歩手前、「そもそも投票に行くか」を問います。まず投票率という数がどう作られ、日本でどう動いてきたかを確かめます。次に、投票に行く理由を説明する三つの考え方――個人の損得、時間や技能などの資源と人からの誘い、そして選挙の制度――を順に見ます。最後に、日本の若い世代の投票率にこれらの説明を当てはめます。 一つ注意があります。「投票率は高いほうがよいか」「投票を義務にすべきか」は、どうあるべきかを問う規範の問いです。一方、「何が投票率を上げ下げするか」は、数と研究で確かめる実証の問いです。この課は主に実証の問いを扱い、規範の問いについては立場の違いを並べるにとどめます。読み終えたとき、自分が投票に行く理由と行かない理由を、この課の言葉で説明できるようになることが目標です。 この課の問い 一票で結果が変わることはほとんどないのに、なぜ多くの人は投票に行き、なぜ行かない人もいるのか。投票率の高さ低さは、個人の損得・資源・制度のどれでどこまで説明できるのか。 この課のことば 投票率 選挙で投票した人が、投票できる人全体のうち何割いたかを示す数。日本の衆院選では、選挙当日の有権者数を分母にします 投票のパラドックス 損得だけで考えると投票は割に合わないのに、実際には多くの人が投票するという謎 投票の計算(R=PB−C+D) 投票から得るものを「自分の一票で結果が変わる確率×その差の大きさ−手間+義務感などの満足」で表す整理の式 資源モデル 時間・お金・話す書くなどの技能を多く持つ人ほど政治に参加しやすい、という説明 動員 政党・候補者・団体・知り合いが声をかけて、人を投票に向かわせること 期日前投票 投票日より前に、決められた投票所で本人が投票できる仕組み(日本は 2003 年から) 投票参加の説明――損得・資源・制度は投票率をどこまで説明するか この章は四つの節で進みます。第 1 節で投票率という現象を数で確かめ、全体の上がり下がりと、年代による差という二つの面を取り出します。第 2 節から第 4 節では、その二つの面を説明する理論を一つずつ見ます。損得の計算は「接戦の選挙ほど行く」といった回ごとの増減を、資源と動員の説明は「誰が行くか」という層の差を、制度の説明は国ごとの差を、それぞれ得意とします。どの理論も一つだけで全部を説明できるわけではない、という点を意識しながら読んでください。 投票率という現象――数で見ると何が分かるか 投票率は、分子(投票した人)を分母(投票できる人)で割った数です。簡単な割り算に見えますが、何を分母にするかで値が変わります。日本の衆院選の公表値は、選挙当日の有権者数を分母にしています [1] 。日本では住民票をもとに選挙人名簿が作られるので、分母は「投票できる人」にほぼ重なります。一方、米国のように本人が登録しないと名簿に載らない国では、登録者を分母にすると投票率が高く出ます。そのため研究者は、選挙権の年齢に達した人の数や、選挙権を持つ人の推計を分母にして比べることがあります。国どうしを比べるときは、まず分母をそろえる必要があります。 この定義のうえで、日本の衆院選の投票率の動きを見ます。1990 年の衆院選は中選挙区制のもとで 73.31%でした。小選挙区比例代表並立制が初めて使われた 1996 年には 59.65%まで下がり、2005 年に 67.51%、2009 年に 69.28%と持ち直しました。しかし 2012 年以降は低い水準が続き、2014 年の 52.66%は戦後最低です [1] 。各回の位置は、資料の章のグラフ (図 5) で確かめます。 次に、誰が投票しているかを見ます。総務省は、全国から選んだ一部の投票区で年代ごとの投票率を調べています [2] 。1990 年と 2026 年の衆院選を年代別に並べると、どちらの回でも 20 歳代が最も低く、60 歳代が最も高くなっています (図 1) 。ただし「若いほど低い」と一直線になっているわけではありません。2026 年の 10 歳代は 43.45%で、20 歳代の 39.01%より高く、70 歳代以上は 60 歳代より低くなっています [2] 。そして 20 歳代と 60 歳代の差は、1990 年の 29.45 ポイントから 2026 年の 31.23 ポイントへと広がりました。 1990年衆院選 2026年衆院選 20歳代 57.8% 39.0% 30歳代 76.0% 50.9% 40歳代 81.4% 56.2% 50歳代 84.8% 61.9% 60歳代 87.2% 70.2% 70歳代以上 73.2% 59.3% 0 25 50 75 100 出典:総務省・衆議院議員総選挙における年代別投票率( 抽出)の推移 図 1 衆院選の年代別投票率(1990 年と 2026 年、全国から抽出した投票区の調査、10 歳代は 1990 年に選挙権が無いため除く)。出典:総務省「衆議院議員総選挙における年代別投票率(抽出)の推移」。 なぜ層の差が大事なのでしょうか。全体の投票率が同じでも、投票した人の顔ぶれが偏れば、選挙で示される「民意」は一部の層の声に寄ります。レイプハルトは、投票率が低い選挙ほど投票者と棄権者の間で所得や教育の差が大きくなりやすいことを「不平等な参加」と呼び、民主政治が解けずにいる難問だと論じました [6] 。投票率の問題は、量の問題であると同時に、誰の声が届くかという問題でもあります。 例を一つ見ます。2009 年の衆院選の投票率は 69.28%、2014 年は 52.66%で、差は 16.62 ポイントです [1] 。選挙制度は同じなのに、5 年で大きく動いたことになります。この差は、個人の性格や世代だけでは説明しにくく、「その選挙が接戦だったか」「争点がはっきりしていたか」といった選挙ごとの事情が効いている可能性を示します。ただし差があることだけから原因は決められません。接戦や争点は、次の節以降で研究とともに確かめる説明の候補です。 ここから、この章の問いが立ちます。回ごとの上がり下がりと、年代による差です。この二つの面をそれぞれどの理論がよく説明するのかを、次の三つの節で見ていきます。 ここで間違えやすい 「投票率が下がった=若者が政治に無関心になった」と一つの原因に結びつけやすいので注意します。全体の変化には、有権者の年齢の構成、選挙の争点、接戦の程度、制度の変化が重なっています。また年代の差には、年をとると行くようになる「加齢の効果」と、ある世代が若いころからずっと行かない「世代の効果」があり、一回分の数からは区別できません。 投票の計算――合理的な人はなぜ投票所に行くのか 投票を損得の計算として考えたのが、ダウンズの『民主主義の経済理論』(1957 年)です [3] 。ダウンズは、有権者は投票から得るものと失うものを比べて行くかどうかを決める、と考えました。得るものは「自分の一票で結果が変わる見込み」と「どちらが勝つかで自分に生じる差」の掛け算です。失うものは、投票所まで行く時間や候補者を調べる手間です。大きな選挙では一票で結果が変わる見込みがきわめて小さいので、合理的な有権者の多くは棄権するはずだ、という結論が出てきます。ただしダウンズ自身も、民主政治の仕組みを保つという長い目で見た価値から投票する人がいる、と補っていました。 この考え方を受けたライカーとオードシュックの議論は、ふつう R=PB−C+D という式に整理されます [4] 。式の項を日常の言葉に直すと次のようになります。P は自分の一票で当落が入れ替わる確率、B は候補や政党の違いが自分にもたらす差の大きさ、C は投票に行く時間や調べる手間、D は市民の義務を果たした満足や支持を示す満足です。R が正なら投票し、負なら棄権する、と読みます (図 2) 。 P×B 一票で結果が変わる確率×勝ち負けで 生じる差 ほぼ 0 有権者が数十万人いると P はきわめて 小さい −C 投票所まで行く時間・候補を調べる 手間を引く +D 義務を果たした満足・支持を示す満足を 足す R の符号 R が正なら投票、負なら棄権と読む 図 2 投票の計算 R=PB−C+D の読み方。大きな選挙では PB がほぼ 0 になり、手間 C を上回るかどうかは D にかかる(本教材の整理)。 身近な場面に当てはめてみます。これは本教材の作例です。大学生の A さんは、投票日に雨のなかを 20 分歩いて投票所へ行くか迷っています。小選挙区の有権者は数十万人で、A さんの一票で当落が入れ替わる見込みはほとんどありません。PB はほぼ 0 で、C(雨と 20 分)のほうが重く感じられます。それでも A さんが行くなら、A さんを動かしているのは PB ではなく、「行かないと政治に文句を言えない」という D かもしれません (図 3) 。 D が加わると投票の側に傾く 手間 C:雨と20分 D D:義務感・ 支持を示す満足 PB:ごく小さな粒 行った? 投票所まで20分 投票所 雨の朝、迷う大学生 図 3 雨の投票日に迷う大学生(本教材の作例)。一票の重み PB はごく小さく、損得の皿だけなら手間の側に傾く。投票の側を支えるのは義務感や支持を示す満足である。 この D の扱いには批判があります。投票した人には「D が大きかった」、棄権した人には「D が小さかった」と言えば、どんな行動も後から説明できてしまいます。何でも説明できる理論は、外れることがないかわりに、何も予測しません。そこで研究者は二つの方向で応答してきました。 一つ目は、式の水準ではなく向きの予測を確かめる方向です。式によれば、接戦で P が大きく感じられる選挙ほど、また手間 C が小さいほど、投票する人は増えるはずです。ブレは、合理的選択の理論を検討した著書で、この理論は投票するかしないかの水準をうまく説明できないが、こうした増減の向きについては限られた説明力を持つと評価しました [11] 。二つ目は、損得とは別の動機を立てる方向です。ブレナンとロマスキーは、投票をスポーツの応援のように支持を表す行為と見る「表出的投票」の考え方を示しました [5] 。応援する人は、自分の声援で試合の結果が変わるとは思っていません。 日本に当てはめると、この式は選挙の結果の見通しと投票率の関係を考える手がかりになります。前の節で見た 2009 年と 2014 年の差も、式の言葉で言えば「P や B が大きく感じられたか」という説明の候補に置き換えられます。ただし、それが本当に効いたかは、選挙ごとの接戦の度合いや調査のデータを使った研究で別に確かめる必要があります。 ここで間違えやすい 「合理的選択の理論は投票を説明できないから誤りだ」と片づけやすいので注意します。この理論の価値は、投票率の絶対の水準ではなく、接戦か・手間がかかるかによる増減の向きを予測し、それを観察で確かめられる点にあります。逆に「投票は不合理だ」とも言えません。合理性の中身を損得だけに限るかどうかが争点です。 資源と動員――誰が投票に行くのか 損得の計算は「行くかどうか」の一般的な理屈を示しますが、「誰が行くか」という層の差は説明しにくいところがあります。そこで古くから使われてきたのが、教育・所得・職業が高い人ほど政治に参加する、という「社会経済的地位」の説明です。ただしこれは規則性を述べるだけで、なぜ教育や所得が参加に結びつくのかは分かりません。 その「なぜ」に答えようとしたのが、ブレイディ、ヴァーバ、シュロズマンの資源モデルです [7] 。政治に参加するには費用がかかります。そこで彼らは、参加を左右する資源として、時間・お金・市民的技能(人前で話す、文章を書く、会合を開くといった力)の三つを挙げました。仕事や教会、団体の活動で技能を身につけた人ほど、参加の費用が小さくなります。 ここで大事な区別があります。ブレイディらによれば、資源がどれだけ効くかは参加の種類で違います。献金にはお金が、選挙運動の手伝いには時間が強く効きます。一方、投票については、資源よりも政治への関心のほうが重要だと示されました [7] 。投票は時間もお金もあまりかからない参加だからです。資源モデルは政治参加全体のモデルであり、投票にそのまま当てはめると言い過ぎになります。 もう一つの要因は、人からの誘い、つまり動員です。ローゼンストーンとハンセンは、政党や団体からの働きかけを受けた人ほど投票しやすいことを示し、米国の投票率の低下の一部を、政党などによる動員の減少に結びつけて論じました [8] 。人は自分の判断だけで投票に行くのではなく、声をかけられて行くこともある、という見方です。 周りの目も効きます。ガーバー、グリーン、ラリマーは、米国の選挙で大規模な野外実験を行いました。本人と近所の人の過去の投票の記録を載せ、選挙の後に更新した表を送ると予告した手紙を受け取った家庭では、何も送らなか