見取り:シュライアマハーとディルタイ/ベンヤミン・マルクーゼ/リクールと解釈 — Epoché
解説 言葉と歴史から、理解を調べる シュライアマハーは、言語に共通する仕組みと作者固有の表現を互いに照らす。ディルタイは、人の歴史や経験を調べる学問で、どんな根拠から理解を認めてよいかを問うた。 作者の内面を直接読める方法でも、自然科学の全否定でもない。ディルタイの計画は未完である。 出典2 進歩と技術を、そのまま信じない ベンヤミンは、自動的な進歩を信じて現在の行為を先延ばしする見方を批判し、過去の像を今の問題へ結びつけた。マルクーゼは、社会の別の可能性を考えず、現状を受け入れる一次元的思考を批判する。技術も社会の目的や関係の中で形づくられると考えた。 改善は一つもない、技術は全て悪だ、という話ではない。技術には解放の可能性もあるが、中立な道具を誰が使うかだけの問題にもしない。両者それぞれの批判として読む。 出典1 ・ 出典3 自分の理解にも、回り道が要る リクールは、自分を理解するにも、言葉・象徴・物語や異なる解釈を経由する長い道を重んじた。表面に見える意味に加え、歪みや隠れた意味を疑う読みもその一つとなる。 何でも虚偽と断定することではない。物語は経験を組織するが、フィクションを歴史の事実とはしない。 出典2 見取り 問いの手がかり シュライアマハー/ディルタイ 言葉と歴史の中の理解 ベンヤミン/マルクーゼ 進歩観や社会の現状への批判 リクール 解釈を経由する自己理解 各人の違いをまとめた見取り。全員を、ただ疑うだけの同じ思想にはしない。 参考文献 [1] Osborne, Peter; Charles, Matthew「Walter Benjamin」。 出典 [2] George, Theodore「Hermeneutics」。 出典 [3] Farr, Arnold「Herbert Marcuse」。 出典