14.62 六語で言い切る — 要求と譲歩のしくみ — Epoché
この篇でできるようになること ★ 短い言い切りを一つだけ置く 効き方が分かる。 ★ 手順として語る 組み立てが読める。 ★ 並べ立てで押し切る 長い一文がたどれる。 ★ we の使い方 が言える。 前提 : 特別編に門はありません。第 5 期まで済んでいれば、どこからでも読めます(目安は 3.40 まで/4.60 まで)。 読む前に ★ 特別編は 順番に読む必要がありません 。★ 1 篇が 1 作品 で、★ どの篇から始めてもかまいません。 ★ この演説は 記念の集まり のもの です。★ 英国が 西インドの植民地で奴隷制をやめた日 を★ 祝う場 で、★ 話し手は 自分が奴隷だった人 です。 読む前に確かめること どこで置いたか ★ 演説の伝統(修辞の三つ) ★ 12.14 知編 ★ アメリカの成り立ち ★ 12.13 知編 反対を先に自分で言う 6.57 話編 ★ 同じ人の別の文章が 三つ あります ——★ 8.112 読編 (「奴隷にとって七月四日とは」の前半)・ 8.113 読編 (自伝) と、★ 14.9 英語の名文 (同じ演説の別の段) です。★ この篇と 重なる行はありません 。 ★ 読み比べると 相手が違う のが見えます——★ 8.112 読編 と 14.9 英語の名文 は 白人の聴衆に向かって責め 、★ この篇は 味方に向かって「まだ足りない」と言い ます 。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1659 語、段落は 12 に分かれ、文は 67 本、一文の平均は 24.8 語です。 ★ いちばん長い一文は 117 語 ——★ この課程で読むどの篇よりも長い です。★ いっぽうで 六語の一文 もあり、★ その差が この演説の設計 です。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 しかし議長、私たちはこの日を、博愛という広い壇の上で祝うのです。博愛にとっては世界が祖国であり、すべての人類が同胞です。この壇の上では、私たちはユダヤ人でもギリシア人でもなく、よそ者でも外国人でもなく、信仰の家に属する同じ市民です。私たちは、クラークソン、ウィルバーフォース、グランヴィル・シャープ、リチャード・バクスター、ジョン・ウェスリー、トマス・デイ、ポーティアス主教、そしてジョージ・フォックスの兄弟であり友であり、人類の道徳の感覚を、奴隷制に積極的に立ち向かうものへと向けるために最初に働いた、あの輝かしい人々の仲間の兄弟であり友なのです。彼らは自由のために働きましたが、それはイングランド人としてではなく、人間として、そして人間の兄弟として――世界中のどこにおいても――でした。そして彼らの気高い手本を記念し、それにならうのは、ふさわしく正しいことです。反英国の反論については、これくらいにしておきます。 次に、ある特別な反論を取り上げましょう。私たち有色の人々は、祝うに値する何かを自分たちでなすべきであり、私たちを見下している人種の行いをいつまでも祝ってばかりいるべきではない、と言われています。 この反論は、奇妙に思われるかもしれませんが、私たちの民の敵からではなく、友から出ているのです。彼自身が有色の人で、気概が高く愛国心に富み、学識と才能で抜きん出た人です。私の考えでは、私たちの中で彼に並ぶ人はわずかで、彼にまさる人はいません。私はJ・マッキューン・スミス博士にこの反論のことで感謝します。この反論に答える中で、この国の白人と有色の人々のあいだにある関係について、私の考えのいくつかを述べることができるからです。それは、私たちがいつどこに集まるときにも、考えるのがまことにふさわしい主題です。 八月一日を祝うことへのこの反論が、私たちのうちに、これまで私たちを特徴づけてきたものより高い大望を呼び覚まし、私たちの目標と活動を、今の身体の欲求という退屈な水準より上へ引き上げる傾きを持つかぎりにおいて、そして、称賛され永く記憶されるに値する英雄的な偉業をなすよう私たちを駆り立てる傾きを持つかぎりにおいて、私としては、議長、その全部に対してアーメンと言います。はばかりなく言いますが、この国で今、抑圧の諸勢力を相手に続いている大きな闘いの中で、私たち有色の人々が果たしているとるに足りない役割ほど、屈辱的なものはありません。私は、私の人種をはっきりと憎む人々の侮辱も、暴行も、曲解も、中傷も、耐えることができますし、そのすべてに立ち向かうことができます。私はそのような反対を予期しています。それは戦いにつきものの出来事であり、ある程度はそれに備えができていると信じています。けれども、私たちの民の多くを覆っている鈍い満足、気のない無関心、道徳の死は、――みな燃え立っているべき私たちのうちにあるそれは――私のささやかな熱意の炎を打ち倒し、私を、生来の力の半ばを奪われたまま働かせるのです。私たちのうちのこの無関心は、言語道断です。それは、まさに私たちの人間らしさに対して戦いを挑んでいる人々に、助けと慰めを与えているのです。私たちを抑圧する者たちのいちばんの満足は、黒人が品位を落とし、公共の精神を奪われ、愛国心にも、その人種の自由、向上、尊敬に対するあらゆる関心にも無感覚になっているのを見ることなのです。 トゥームズ上院議員は、一、二年前にボストンで、黒人種の奴隷制を弁護して、もっともらしい見せかけで、偽ってこう言いました。彼らは知性においても道徳においても劣っており、もし有色の人々をすべてこの国から一掃したとしても、二十年もたてば、そのような民がかつて存在したことを伝えるものは何も残らないだろう、と。彼は、私たちの無知と、価値ある業績が私たちに欠けていると決めつけて、それを大喜びしました。もちろんこの奴隷所有者は偽りを口にしたのですが、多くの人にはそれが真実のように思われ、アメリカの人々の非常に多くが今日それを真実として受け入れ、それに従って行動を形づくっているのです。 人類の一般の感じ方では、自分のために戦う手段を持ちながら自分のために戦おうとしない人は、ほかの人に代わりに戦ってもらうに値しない、とされます。そしてこの感じ方は正しいのです。なぜなら、自分自身のための自由を重んじない人は、決してほかの人のための自由を重んじることはなく、ほかの人のためにそれを得ようと少しでも骨を折ることもないからです。そのような人は、と世間は言います、立ち上がるだけの分別がつくまで寝ていればよい。次の瞬間に頭を縁石に打ちつけることになるのなら、人を立たせてやるのは無益で、残酷なことです。 その種の人は決して世間に恩を施すことはなく、道徳の上の貧民、社会の車輪にかかる歯止めになるでしょう。そしてもし彼が、人類の中の特別な一種族と同一視されているなら、自分自身だけでなく、その種族にも恥をもたらすでしょう。私たちの生きている世界は、あらゆる種類の人々に対して、とても融通がききます。世界は、人々が提案するどんな方策にも協力します。真剣に自らを助ける者を助け、自らを妨げる者を妨げます。世界はとても礼儀正しく、頼まれもしないのに手を貸すことは決してありません。個人への世界の恵みは、この点において誤ることのない一つの原則によって量られます。すなわち、自らを尊ぶ者を尊び、自らをさげすむ者をさげすむ、という原則です。自分の受けている不正に無感覚で、自分の権利を得ることに無関心な民を、あわれみ続けることは、助けのない人間の本性の力の及ぶところではありません。あの詩人は、次のように言ったとき、詩に忠実であったのと同じくらい常識にも忠実でした。 「自由になろうとする者は、自ら一撃を加えねばならぬ。」 オコンネルが、アイルランド全土を背にして、アイルランドの正当な権利と自由のために闘っていると思われていたとき、人類の共感は彼とともにあり、彼の敵でさえ、彼の愛国心を尊敬せずにはいられませんでした。コシュートは、ハンガリーが剣によって倒れてからずっとのちまで、ペンによってハンガリーのために戦い、自身の望みが消え果てるまで、自由主義の世界の共感と支持を集めました。トルコ人は、自分たちのために勇敢に戦い、侵入してきたロシアの軍団を打ちのめして追い返していたあいだは、人類の称賛を受けました。彼らは、傲慢で強大な敵に対して自分たちの権利のために立ち上がっていたのです。けれども、戦いを同盟国に請け負わせたとたんに、称賛は軽蔑に変わりました。これらは、冷たい心の世間の格言や教えではありません。キリスト教そのものが、人は自分の家族を養わなければならないと教えています。これは、個人と同じく国々にも当てはまる、すべてを覆う教えです。国々も、個人と同じく、先の備えを怠って罪が無いということはありません。国々は、知性の、道徳の、宗教のあらゆる必要に備え、また国として受けやすいあらゆる悪に備えなければなりません。私たちの民の自由と向上のために今進んでいる大きな闘いにおいて、私たちは全力で働いている姿を見せるべきです。自分の力の及ぶかぎりにおいて、どんな人も、どんな人々の集まりも、私たち自身より多くの労苦を積むことはさせないと心に決めて。 友人の皆さん、私は知っています。ところによっては、有色の人々の努力がほとんど励ましを受けないことを。私たちは戦ってもよい、けれども、インドのセポイのように、白人の将校の下で戦わなければならない、というのです。この種の奴隷制廃止論者たちは、有色の人々の祝典を好みません。有色の人々の大会を好みません。有色の人々の新聞を支えるための、有色の人々の反奴隷制の市を好みません。有色の人が先頭に立つ示威は、どんなものであれ好まないのです。彼らは誇り高いアングロ・サクソンの血について、人種には生まれつき優劣があると信じると公言する人々と同じくらい、軽々しく口にします。ここにいるつたない話し手は、恩知らずという烙印を押されてきました。ギャリソン派としてではなく、一人の有色の人として、自らの権利によって立ち上がり、私たちに共通の大義を訴えようとしたからです。白人の友人たちにすべての仕事をさせ、私たちはただ彼らの上着を持っているだけ、などということは、感謝のうちに少しも入らないと私は考えます。今言ったような種類の反対は、党派の反対であり、気にかける必要はありません。白人の人々は全体として、それに大きく左右されはしないでしょう。彼らは、一つの民として自分たちの境遇を良くしようとする私たちの側のあらゆる誠実な努力を、見て、正しく評価してくれるでしょう。 改革の哲学について一言申し上げましょう。人間の自由の進歩の歴史全体が示しているのは、自由の尊い要求に対してこれまでになされた譲歩はすべて、真剣な闘いから生まれてきた、ということです。その争いは、人を興奮させ、揺り動かし、すべてを呑み込むものであり、さしあたりはほかのあらゆる騒ぎを黙らせるものでした。闘いはそうでなければならず、そうでなければ何もなしとげません。闘いが無ければ、進歩はありません。自由に賛成すると公言しながら運動をけなす人々は、土地を耕さずに作物を欲しがる人々です。雷と稲妻なしに雨を欲しがるのです。多くの水の恐ろしいとどろきなしに大洋を欲しがるのです。 この闘いは道徳の闘いかもしれませんし、身体の闘いかもしれません。道徳と身体の両方の闘いかもしれません。けれども、それは闘いでなければなりません。力は、要求がなければ何も譲りません。これまで一度も譲らなかったし、これからも譲りません。どんな民でも、黙って何に従うのかを見きわめてごらんなさい。そうすれば、その民に押しつけられる不正と悪の正確な量を見きわめたことになります。そしてそれらは、言葉か打撃か、あるいはその両方で抵抗されるまで続くでしょう。暴君の限りは、しいたげられる者の忍耐によって定められるのです。これらの考えに照らせば、黒人は、あの悪魔のような暴虐に従い、道徳であれ身体であれ何の抵抗もしないかぎり、北部では狩り立てられ、南部では捕らえられて鞭打たれるでしょう。人はこの世で、払ったものをすべて手に入れるとはかぎりません。けれども、手に入れるものにはすべて、必ず代価を払わなければなりません。もし私たちが、私たちの上に積み上げられた抑圧と不正からいつか自由になるのなら、私たちはそれを取り除くための代価を払わなければなりません。私たちは、労働によって、苦しみによって、犠牲によって、そして必要とあらば、私たち自身の命と、ほかの人々の命によって、それを払わなければならないのです。 語釈 帯の外の語は 138 語で、★ この部でいちばん多い です。★ 二つの群れに分かれます ——★ 人と地の名 ( Clarkson ・ Wilberforce ・ O'Connell ・ Hungary など 19 語)と、★ 訴えの語 ( oppressors ・ tyrants ・ endurance ・ persevere など)です。★ 名は覚えなくてよい ——★ 並んでいること自体が読みどころ です。 語(品詞) 意味 注 Abolitionists en 名 奴隷制廃止を求めた人たち Abolitionists organized meetings across the northern states. 奴隷制廃止を求めた人たちは、北部の各州で集会を開きました。 American en 形 アメリカの The American flag flew proudly above the old courthouse. そのアメリカの旗は、古い裁判所の上に誇らしげにはためいていました。 Anglo en 形 イングランドの。 Anglo-Saxon で英系の The treaty marked a new era of Anglo-French cooperation. その条約は、イングランドとフランスの協力の新しい時代の幕開けとなりました。 Baxter en 名 バクスター。人の名 Bishop en 名 主教 The old bishop blessed the new chapel before it opened. その老いた主教は、開堂の前にその新しい礼拝堂を祝福しました。 Boston en 名 ボストン British en 形 英国の The British